逆転世界はもうどうしようもない 作:あああああ
そろそろヤバい。
我慢の限界が近い。
部屋に閉じこもって悶々と戦う。
一度限界まで溜め込んだおかげで何とか耐えられているだけで、前回だったらとっくにファトゥスを頼らされている頃合いだ。
あれだけ抵抗のあった妥協という行為に飛びついてしまいそうになる心を自制する。
そんな折に部屋のドアが勢いよく開かれた。
「ギーくん、デートしようよ!」
何を言ってるんだ元許嫁さんは。
「現婚約者ってこと? えへへ、一歩進んじゃった。ギーくんは指輪拘りたい? それとも悩んで選んだものなら何でもいい? ボク素敵な宝石屋さん知ってるの! 今度行ってみようね」
「……久しぶりのフルスロットルを見てちょっと落ち着いた。ありがとな」
「ボクがいると落ち着くなんて照れちゃうよ。でも、うん、ボクも同じ。ギーくんがいるとすっごく落ち着くの!」
「どこからどう見ても元気いっぱいだと思う」
スクリータの仕草はオーバーで分かりやすい。
照れている時は頬を掻いたり髪をいじったりで、疑問文なら首を傾げる。
聞いてもらいたい時はずいずい距離を詰めてくるし、何なら手を取ってくる。
演劇のように科白と動作が一致しているくせして、聴衆を全く想定しないペースで喋るものだから体や表情がくるくると忙しなく動く。
これのどこが落ち着いてるって?
「お昼寝の時とか、ギーくんの隣が一番眠りやすかったもん」
「それ落ち着くとかそういう話じゃないな」
「そうなの? じゃあ、確かに、落ち着いてないかも。ギーくんのそばにいると胸がドキドキしちゃうし」
「……ああ、そう」
スクリータが心臓のあたりに手を置く。
沈む手に生地が引っ張られて、リアのものより大きいそれが主張を増す。
何がとは言わないが、俺の知り合いの中では三番目だろう。
ちなみに二番はファトゥス、一番がセルウィタだ。
ティアのコンプレックスは彼女が原因なんじゃないかと邪推してしまうくらいには大きい。
「ギーくんのこと考えると、切なくて、でも安心するの。大事な部分だけ失くしちゃったみたいな、偽物の幸福があって。たぶん、その大事な部分っていうのはギーくんなんだよね?」
「……そうだったら嬉しいか?」
「うん。ボクにはギーくんが必要なんだって、そう認めてくれたみたいで」
少し前にキサラが言っていた。
スクリータは心折れることなく俺が帰ってくると信じていたが、本当は傷つくべきだったんじゃないかとも思っている、と。
スクリータは自己を規定している。
俺を必要とする存在であり、俺を守る存在であり、俺を愛する存在であると。
俺がいない二年を耐えてしまえたのは一つ目の規定に背く事実だ。よって表には出さないが自己を見失いつつある、と。
そんなことまでキサラは語った。
もう俺じゃなくてキサラがカウンセリングなり何なりして色々サポートしてやった方がいいのではなかろうか。
そう思ったし、口に出したが――返ってきたのは無言の圧力だった。
俺が解決すべきことらしい。
「スクリータ。大事なのは許嫁の関係じゃない。俺たちの間で重要なのは、互いに好きで付き合ってたってことだ」
「うん、分かってる」
「それはスクリータの在り方にだって言えることだろう。本質を見て判断を下せ。実在しない衝立に振り回されるな。ラベルの表記は瓶の中身を左右しない」
「ギーくん、それはちょっと何言ってるか分かんない」
む、少し難しかったか。
「何が先にあるかを履き違えるなってことだ。俺を必要な存在としてスクリータがいるわけじゃない。スクリータが先にいて、それが偶然俺を好きになったって話だろう」
「……うん。そうだと思う。でも、それは嫌なの、ギーくん」
「嫌って言われても」
「ボクはそうありたいの。ギーくんがいなきゃダメになりたい。ボクの全部をギーくんにあげたいから」
スクリータはリアに似ている。
一人称も、少し抜けている所も、どこかイカれている部分も。そして、恥ずかしげなく好意を曝け出すのだって、同じだ。
少し照れる。
「そうかい、そうかい。でもな、俺は自立したスクリータも見てみたいよ」
「じゃあ自立する!」
「……俺が言った手前こんなことを言うのも何だが、それでいいのか」
「うん! ボクはボクをあげたいだけだから。ギーくんが願うことをボクの力で叶えてあげられるなら、ボクの在り方なんてその次でいい」
重い。
「それが先にあるんだよ。ボクの全部は、きっとそれが先にあるの」
「ああ、うん。分かった。分かったから」
近い。重くて近い。
あと何がとは言わないが大きくて近い。
「ボク頑張るの。ギーくんのことを守れるように、役立てるように、頑張る。だからボクのこと――要らないなんて言って、捨てないでね」
「……もう行方を暗ますようなことはしない」
「違うの、ギーくん。責めてるわけじゃなくて。今度こそ守るからボクを信じてほしいって、それだけなの」
「分かった。分かった、から……あんまり詰め寄らないでくれ」
「――なんで? ボクのことやっぱり信じられないの? リアさんとデートするのはよくて、ルナと触れ合うのはよくて、なんでボクはダメなの?」
俺の部屋はそう広くない。
逃げる先を失い、壁にまで追い込まれて、手を取られた。
スクリータはそれを祈るように両手で包み込んで、抱き寄せ――柔らかい感触が。
理性が溶ける。
「ギーくんは今の仲間の人たちの方が好きなの? 信じてるの? ボクは、ボクじゃダメ? ギーくんは、ボクじゃ安心できない?」
「スクリータ。今だけは、やめてくれ」
「ボク何でもする。ギーくんのためなら、ギーくんを傷つける人は全員殺すよ。だから――わあっ!? ギーくん!?」
辛抱ならなくなって、スクリータをベッドに押し倒した。
目を白黒させる彼女は抵抗する素振りも見せない。
「やめろって、言っただろ」
「え、や、ごめん、ごめんなさい、ギーくん。ボク怒らせるつもりなんかじゃなくて」
「……黙れ」
翠緑の瞳が微かに恐れを帯びる。
何か言おうとして、しかし何一つ言葉を紡げず半開きになった口。
心が汚せと叫んでいる。
キスで蕩かしてやりたいと衝動が言う。
ギリギリ食い止められたのも数秒で、次の瞬間には――。
「ギー、くん? つらいの? ボクのせい、なの? ボクが我儘だったから? ギーくん、ギーくん。答えて、よ。ねえ、ギーくん」
スクリータが表情を歪めた。
純真無垢に、幼稚さそのままに、何も気が付かないで俺を心配している。
「あぅ……ギーくん……こめん、ごめんなさい……っ! うぅ、ひぐっ……ボク、分かんないの。何も、ぐすっ、ギーくんが怒ってる理由、分かんないの……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
俺は、いったい何をしているんだろう。
急速に頭が冷えていく。
「ギーくん、教えてよ、ボク、全部直すからぁ……だから、うぅ、怒らないで……捨てないで……!」
「ごめん、スクリータ。違うんだよ。怒ってるわけじゃない。落ち着いてくれ」
「ごめん、なさい。ひぐっ、涙、止まらないの……すぐ、泣き止むから……」
「分かった、大丈夫だ。ゆっくりでいい。ごめんな、意味が分からないよな」
「分かんない、分かんないの!」
「ごめん」
上半身を起こさせて、背をさすってやる。
全く効いている様子もなくひたすらに泣きじゃくるスクリータ。
俺が怒ることなんてこれまでなかったからだろう、まあ今回も怒ったわけじゃないが。
しばらく経って、ようやく落ち着いたスクリータが目尻の涙を指で拭い、俺を見た。
「ギーくん。説明してくれるんだよね?」
「させていただきます」
「やめて。ボク、普通に話してくれた方が嬉しいから」
「あ、はい」
かくかくしかじかで。
「まさかギーくんがそんな大変なことになってたなんて。よりにもよって、ギーくんを……」
ファトゥスに対する憎しみで目が濁っていくスクリータ。
だから言いたくなかったんだ。
もう隠してもいられないから言うが。
「――あれ? じゃあ、もしかして、ギーくんはボクに興奮してくれてたってこと?」
「あんまり口に出すなよ」
「だって、ギーくん、ギーくんが、ギーくんの! わ、わああ! ギーくんギーくん!」
「落ち着け」
「えへへ、ボク、ギーくんに……ギーくん! ボク大丈夫だから!」
「一応聞いておこうか、何が?」
「ギーくんとならそういうことしたい! ボクもう泣かないから! もう一回! もう一回しよう?」
そりゃ泣かないに決まってるだろ。
「結局、その、発散しなきゃいけないんだよね? ボクじゃダメ? ねえ、ボク、ボクがやるの!」
「落ち着けって」
「ギーくんの一番はボクがいい!」
「残念ながら最初はファトゥスになったがな」
「うん。でもそいつは殺すから。いいの、実質ボクが一番になれたら」
ファトゥスは本当に憎まれっ子だな。
いや、俺が愛されっ子なのか?
「あっ! ギーくん、ちょっと下着替えてきてもいい? どうせならかわいいボクを見て欲しいな」
「……もう、見ない。見ないから」
揺らがずにはいられなかった。
が、どうにか立て直して、浮かれた様子で部屋を出て行こうとしたスクリータを引き止める。
「俺は、スクリータとの関係をもう少しだけ大切にしたい。慎重になりたい。それは嫌か?」
「ギーくん……ううん、それなら嫌じゃない。でもボクは、ずっとギーくんの一番になりたいって思ってるから。それだけ忘れないで欲しいの」
「ああ、覚えとくよ」
決して間違いではないが、決して本心でもない科白で誤魔化す。
強烈な衝動を抑えながらに言う。
俺は、笑えているだろうか。
二人目の相手は誰?
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リア(ヴァレリア)
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ティア(イーティア・セルペンス)
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ルナ(リリルナ)
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司教様(ハイミシア・エンライト)
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ギルベリタ
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キサラ・デミット
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スクリータ