逆転世界はもうどうしようもない   作:あああああ

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48 ちゃんと加減しような

 

 哨兵が番を務める焚き火の光を頼りにして、上質な天幕の森を歩く。エマのテントはどこにも見当たらなかった。恐らくは先んじて話をしているであろう司教様の影響に違いない。

 手頃な夜警の兵士を捕まえ、エマの居場所を聞き出す。初めは渋っていたが、キサラを出せばすぐに教えてくれた。

 

 向かった先には小さな広場が作られていた。

 周囲で様子を伺っている聖職者たちを押し除け、俺たちは中心にいる三人の姿をようやく捉える。

 

「愚かな司教と呼ばれることは構いません。愛しき後輩が死にゆく様を静観していられるほど諦観していたならば、私の西方遠征はより穏やかで、しかし赤く染まっていたことでしょう」

「傲慢ですね。戦場はハイミシア様が思うほど単純ではありません」

「皆殺しの司教にしてみれば単純なのですよ」

 

 司教様が――エマと混ざって面倒だな。

 ハイミシアがヘレナと激しく言い争っている。

 

「エマを殺すことは許しません。私が教えたすべては自死を望ませるためではありません。司教たればかくあるべし、という言葉です」

「ハイミシア様が仰ることも分かりますが……」

 

 言っていることは理解できる。だが、綺麗事だ。ヘレナの顔にはそう書いてあった。ハイミシアの弾劾は潔癖に過ぎる。

 

 確かに、エマという犠牲を出さず、ハイミシアがすべて解決すればそれが一番いい。

 しかし、実際的な物の考え方をする者であれば、今まで人間を相手にしていたハイミシアが魔物に対しても有効な手立てを講じられるのか、という疑いすら抱えているだろう。

 

 だから口を出せない。

 綺麗事を抱えていられるのは力ある者だけだ。

 それが戦場というものなのだろう。

 エマの自殺を手放しに喜ぶ者など、どこにもいない。

 

「エマ」

 

 びくりと震えた。

 怯えたように、俯かせていた顔をゆっくりと持ち上げる。その目が包帯越しにハイミシアを捉えた。

 

「覚えているのでしょう、あなたならば。私が洗礼を施した日に申し上げたことを」

「……信徒たるあなたが、悲観することなきように」

「あなたは望まれているのです。生きることを願われているのです。巡り合いはすべてあなたの未来を飾ってくれているのですよ」

 

 どうやらハイミシアとエマの間には並々ならない付き合いがあったらしい。あの人は厳しく、時に理不尽で、更に中々な頻度で変態だが、優しい人には変わらない。

 エマを気にかけないはずがなかったか。

 

「エマ。お姉さんは、もう全部伝えたからさ。好きなように選んでよ。エマの人生は、たとえそれが短くとも、長くとも、エマが決めるべきだよ。それを忘れないで」

 

 ヘレナが何を思って特攻させられるエマの世話をしているのかと思っていたが、今の科白を見るに、存外健全な仲だったらしい。

 俺が出る幕はないかもしれないな。

 

(しょう)は、でも、あぁ……」

 

 エマが手を彷徨わせる。

 視界を失っているものだから、何かを掴んでいなければ落ち着かないのだろう。しかし、いつも握ってくれていたヘレナの手が差し出されることはない。

 何かを頼りに決定することは禁じられてしまった。

 

 でも、きっと大丈夫だ。

 俺には彼女が生きることを諦めるほど愚かな人間には見えなかった。

 

 だから。

 

「――ごめんなさい、ヘレナさん。妾はあなたの手を取ることができません」

 

 震えた声で言った。

 

「妾は『不信』の司教です。かつては、『悲観』の聖女候補でした。そのすべては終章教会の皆様が良くしてくれたからです」

 

 少し驚く。

 

 『悲観』は『期待』と『悲哀』だ。

 『不信』は『驚愕』と『嫌悪』だ。

 

 『期待』と『驚愕』は対となる感情で共存しない。

 つまり、エマは『期待』の適性を失って『驚愕』の適性を手に入れたということだろう。

 人生観をそこまで変えてくれたのは終章教会である、と言っているわけだ。

 

「世界にさえ望みをかけられなかった妾を変えてくれた。今、食事が喉を通るのは、暗闇に眠ることを恐れずいられるのは、すべて皆様のおかげです」

 

 『期待』には色々な種類がある。

 それらはすべて予測や先入観とも呼べるもので、必ずしも良いものとは限らない。

 人生に対する深い失望があったならそれは悪いことが起こるだろうという『期待』だ。エマが持っていた『期待』の適性は恐らくそういう種類のものだろう。

 

「だから、ヘレナさん。妾の世界を守ってくださったヘレナさんには申し訳ありませんが、その手を取ることはできません」

「……うん、そっか。エマがそう決めたなら、お姉さんもそれがいいと思うな」

 

 これで一件落着か。

 などと思うのは、甘いのだろうが。

 嬉しそうに口元を緩めたハイミシアのせいで、このまま終わってくれればいいのに、と思ってしまった。

 

 その時だった。

 

「そして、その、ハイミシア様」

 

 ぼうっ、と炎が噴き出した。

 突然のことで何が起きたのか理解が追いつかなかった。

 

 エマの手足を覆う包帯が燃えていた。

 

 ホルトゥスの包帯は強い『驚愕』を有する。『驚愕』は自己保存性が高く、閉鎖的であるため、燃焼という酸化還元反応など起こるはずがない。

 それなのに、どうして。

 

 ……リア、今「格好いい」って言ったか? そうか、じゃあちょっと黙ってろ。今シリアスだから。

 

「やっぱり、信じられない。信じられません。妾は、とうとう『不信』を抑えられなくて……ごめん、なさい」

「何故、どうしてです、エマ。私たちは本心からあなたを受け入れているのです。それを、何故信じていただけないのですか!」

 

 不審に思った聖職者たちがぼそぼそと小声で話している。

 そして、何を思ったか、一目散に撤収作業を始めた。

 天幕を片付け、荷物を馬車に放り込む。

 

 変なタイミングでハイミシアやヘレナに見つかったら雰囲気を壊してしまう気がしたので、俺たちは身を隠して事の成り行きを見守ることにした。

 

「これでも、あなたのために力を尽くしたつもりなのです。確かに私は聖職者として落第で、便宜を図って差し上げることも充分に出来ませんでした。しかし、それでも……!」

 

 ここまで必死なハイミシアはそうそう見ない。

 処女を捨てさせてくれと懇願してくる時くらいのものだ。

 それだけエマを思いやってきたということだろう。

 

 同僚や上司から悪評によって距離を置かれつつも尽力したハイミシアの努力は実って然るべきだろうに、エマは首を振った。

 

「エマ……」

 

 崩れ落ちるように膝をつく。

 まるで祈るような姿勢で、神に問うような口振りで、ハイミシアが言った。

 

「私の、何がいけなかったと言うのですか?」

 

 エマの目元から煤が落ちた。

 それはホルトゥスの包帯だったはずのものだった。

 

 露わになった藍色の瞳から涙を流しながら、エマは幾つか吃音を吐いて、答える。

 

「ちが、違い、ます。妾は、そんなつもりじゃ、なくて。妾は、ハイミシア様を信じています。こっ、心の底から、信頼しています! 妾の人生に現れてくださった、神族様のように、思っています……!」

 

 それならば、何故。

 ハイミシアの目が問いかける。

 

「妾は、妾を、信じられない、ただ、それだけです。それができずに、ここまでおめおめと生きてしまったんです。あれだけ救ってくれた皆様に、妾は何一つだって返していない、恩知らずでしかない……」

「それが何だと言うのですか! 生きているだけで、私たちは充分です。あなたがいつかその神族化を克服する、その可能性だけでも!」

「ダメなんです。妾に笑える日が来るということを、妾は一番信じられませんから」

 

 諦めているわけではない。

 諦めるということは、可能性が僅かであると思って、その手を伸ばさないという選択だ。

 エマにはその選択すらなかった。

 届かないと分かりきっているのだから、手を伸ばすという行動の意図すら分からない。

 

 どれだけ空を飛びたいと思っていても、身一つで窓から飛び出す者はいない。それはただの異常者だからだ。

 

 エマの指先に亀裂が走った。

 裂け目からは光が飛び出している。

 器の末端が肥大する神性に耐えられなくなっていく。

 

「それで、えっと、ヘレナさん、ハイミシア様。ど、どうか、逃げてください。このままでは、妾の神性に巻き込まれて死んでしまいます」

 

 神性の肥大と漏出。

 ヘレナは仄かに影を滲ませながら、あはは、と笑ってみせる。

 

「こんな早くにお別れなんて、お姉さん寂しいなぁ」

「……妾も、寂しいです」

「そっか。それなら、いいや。気が向いたらお姉さんの夢に来てよ、エマが好きなパイを焼いて待ってるからさ」

「はい。今夜にでも、向かいます」

 

 とっくに覚悟していたからだろう。

 別れを惜しむ二人。

 会話に割って入ろうとした俺の足を、その涙が止めた。

 

 仮に俺がエマを助けられなかったなら、最後の瞬間、交わせなかった挨拶を悔やんで死ぬかもしれない。

 それはあまりにも最悪な未来だ。

 俺の知識通りならまだ猶予はあるはずだし、もう少し見守っておこう。

 

 ……スクリータ。

 涙が止まらないならハンカチ使うか?

 

「ハイミシア様、ごめんなさい」

「昔から申し上げていることでしょう。あなたの謝罪は、何に謝っているのすか?」

「良くしていただいたのに、さ、最期まで応えられず」

「いえ、よいのですよ、エマ。あなたがそうしたいと望んでくれた、それだけでも嬉しいことですから」

「……ハイミシア様が妾のお母さんだったらよかったのに、なんて思ってしまうのは、ダメでしょうか」

「ふふ、エマが娘だったなら、私は今よりずっと幸せだったことでしょう。夫もいるのでしょうし」

「できれば妾だけで比較してほしかったです」

 

 なんであの人はこんな時までその調子なんだ。

 

「さようなら、ハイミシア様。妾の、妾のことは、あまりすぐに忘れないでくださいね」

「……いえ、私は残ります」

「えっ? ど、どういうことですか!?」

「私はあなたと共に死ぬと申し上げているのです」

 

 頭の中に空白が生まれた。

 上手く処理ができなくなった。

 今、あいつは、ハイミシアは、何を言った?

 

「……血迷ったのですか?」

「ダメです、絶対ダメです!」

「私は爪弾き者ですから。エマのように支援している子も今はおりませんし、私がいなくなって安心する者の方が多いのですよ」

 

 なんだよ、それ。

 おかしなことを言うなよ。

 ハイミシアは、司教様はそんな人じゃない。

 エマだけじゃなくて、俺やキサラに生きることを望まれているのに、それなのに、自殺するような人じゃない。

 

「ギルバート様のことは? 確か、その、す、好きだと仰られていたと……」

「ええ。懸想しています。彼ほど私に優しくしてくださる男性には出会ったことがありません。しかし私が私の信念を貫くならば、彼と結ばれることはまずないでしょう」

「どうしてですか?」

「本人から、セクハラをしないことは会話の大前提とまで言われてしまったので」

 

 言ったけれども。

 

「そもそも教え子に言い寄るのってアレですし」

「その感覚あったんですね……」

 

 びっくりだよ。

 

「私はきっと西方遠征で成果を挙げるためだけに生まれてきたのです。これ以上ギルバートの、かわいい信徒の旅路を邪魔するわけにもいきません」

 

 邪魔なんて思ったことは一度もない。

 なんでそう勝手に一人で判断するんだよ。

 言ってくれればよかったのに。

 

 だからモテないんだぞ。

 

「がふっ。おかしい、ですね。誰かにとんでもない鋭さで心を抉られたような気がします」

「西方遠征のため、なんて、何を言っているんですか!」

「――ごぶぇっ!?」

 

 エマがハイミシアを勢いよく殴った。

 溢れ出した神性によって手足が一時的に高い存在力を持っているのだろう、一瞬地面と平行に吹き飛んでいた。

 

「ハイミシア様は、他の人を救うために、犠牲が生まれないようにしただけです! ど、泥を被ることが目的などではなかったはずです!」

「そ、そう、ですが……」

「妾の前でハイミシア様を侮辱するようなことは、たとえハイミシア様自身であっても許しません!」

 

 そのハイミシアは今虫の息だぞ。

 ちゃんと加減しような。

 

「妾は、妾は……っ! ハイミシア様に生きていていただけるなら、何だってします……! たとえ何が起ころうとも、妾は必ず、ハイミシア様の味方ですから!」

 

 声高らかに宣言する。

 その瞬間、手足から漏れ出していた光がゆらめいたかと思えば、溶けるように姿を消した。

 

 己を信じられないことで進行した『不信』であるから、確固たる意志の下、何にも変えられない芯を一つ認めることで克服できた――ということだろうか?

 

「わーお、お姉さん感動しちゃったよ。エマがまさか自力で神族化を解くなんてさ」

「えっ? ……あぁ、本当、ですね」

「エマ!」

 

 ハイミシアがエマを抱きしめた。

 

「もう自分を諦めてはいけませんよ、エマ。あなたはあなたが思っている以上に素敵な女性なのですから」

「……ハイミシア様も、諦めないでくださいね」

 

 どうやらもう大丈夫らしい。

 俺たちが何かをする必要もなさそうだ。

 

 雰囲気ぶち壊して駆け寄っていきそうなスクリータを押さえつけつつ、踵を返した。

 

「あれ、帰るの? せっかく来たならおめでとうの一つくらい言ってもいいんじゃない?」

「気付いてたのか、ヘレナ」

「聖騎士ヘレナお姉さんを舐めない方がいいよ、ってね」

「ギルバート。来ていたのですね」

「へっ? あ、あの方がギルバート様……?」

 

 エマと目が合う。

 一瞬で逸らされた。

 

「傷つく〜」

「勝手に人の気持ちを代弁するな」

 

 そんなに傷付いてない。

 ちょっとだけ、ちょっぴりだけだ。

 

 いつから神性漏出症を患っていたのかは分からないが、少なくとも数年は前のことだろう。

 それくらい間を空けていたんだ。

 男に慣れていないのはまず間違いない。

 一度視線を逸らされるくらい普通のこと、そうだろう。

 

「改めまして、ギルバートです。よろしくお願いします、エマ様」

 

 彷徨う手を取ってやる。

 まるでダンスの誘いでもしているかのような格好だが、そうでもしないと逃げられそうだし。

 

 しばらくフリーズしていたエマが戻ってくる。

 両の目が途轍もない速度で泳ぐ。

 

「しゃっ、社交辞令、建前、笑いもの……」

「エマ様?」

「結婚詐欺……っ!」

「お、おい、エマ……?」

 

 頭を抱えて蹲った。

 それが意味することなど一つだけで。

 

「なん、っで、こうなる――ッ!」

 

 エマの手足が一秒も経たずに裂けて閃光を放つ。咄嗟に飛び退いた俺をハイミシアが引っ掴んで投げ飛ばし、ギルベリタに受け止められる。

 

「ほら、ギルくんが余計なことするからぁ〜」

 

 今日もまた余計なことを言うファトゥス。そのジェスターハットごと強めに殴りつけたティアが、声を張り上げる。

 

「全員、備えなさい!」

「うわっ、おい、ギルベリタ、どこ触って」

「偶然だよお兄ちゃん、ラッキースケベってやつ!」

「備えろって言ってんでしょうが」

 

 気の抜けた会話を交わす俺たちとは対照的に、リア、キサラ、スクリータの三人はエマを最大限に警戒している。

 ルナとセルウィタは後ろにいるのか。

 

 キサラがするすると包帯を解けば、強い負のベクトルが俺たちの神性に入り込んでくる。

 

汝が隣人を汝の如く愛せ(diliges proximum tuum sicut te ipsum)

 

 そして、スクリータが『愛情の魔法』を唱え、構えた瞬間に、『不信』に濁ったエマの瞳が輝きを失い、それは唱えられた。

 

「我が知りうる所であ(num scio)るか?」

 

 『不信の魔法』が場を支配する。

 神族化が、始まる。

 




 
どうして戦闘開始までこんなに長引いてるのか。
こういうストーリーはシリアス少なめでサクッと行きたい作者です。
 
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