逆転世界はもうどうしようもない   作:あああああ

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49 エマって、誰だ?

 

 これが、神族化か。

 『不信の魔法』が盤面を完全に支配している。

 目には見えない力が俺たちに圧し掛かっているのを感じる。

 

 その足下にハイミシアが倒れていた。

 

「スクリータ、司教様を回収してくれ」

「分かった!」

 

 巻き込まれる前にハイミシアを退避させておく。

 神性に塗り潰されたなら、皆殺しの司教と言えど即死だろう。

 

 今は存在力が奪われていることだし。

 

「ギル、解説して」

「『不信の魔法』で間違いない、と思う。ただ、従来に比べて規模と効果が違い過ぎる。別の魔法としか思えない……」

「効果は?」

「神性ある者に対する存在力の低下。そして神性を持たない物質の掌握。『不信の魔法』は他者を拒絶するための、自分の領域を確立する魔法と言っていい」

「つまり、僕たちはあの自己中心的な司教様に拒まれてるってことね」

 

 リアが額の汗を拭う。

 拒絶の効果を詳しく言うと、他者の存在力を一定までに留める効果であり、俺のような元から弱っちい存在にはあまりかからない。

 後方を確認すれば生まれ持った存在力が特に高いルナは戦鎚の重量で圧し潰されそうになっている。

 

 そりゃそうだ、あの戦鎚は俺が持てないくらい重いし。

 体格が子供のルナでは中々厳しいものがあるだろう。

 

「ティア。無理を押すのはその価値がある時だけでいいよ」

「……ごめんなさい。少し、立っていられなくて」

 

 周りを見渡す。

 常に『嫌悪の魔法』が垂れ流しになっているキサラや『愛情の魔法』を発動させているスクリータらは、魔法をよく使っているだけあって存在力が失われることに慣れているのだろう。そこまで影響を受けていないようだ。

 それ以外には。

 

「大丈夫なのか、ギルベリタ」

「士官学校生の時にこういう訓練あったし、平気。お兄ちゃんより動けるよ」

「頼りにしてるぞ」

「……うん。これ以上、失うわけにはいかないから」

 

 陰りを見せた妹に何を言うべきか分からず、視線を逸らしてしまった。

 その先にはキサラとエマが向かい合っていて。

 

 物質の掌握。

 捲り上がる地面と、根っこから掘り起こされた木々が棍棒のように振り回されている。『不信』に意識が占有されている今のエマは魔物に近い。行動原理の根本が他の神性に対する拒絶(破壊)だ。

 まるで埃塗れのカーペットが裏返された時のように、地面は砂埃を上げてひっくり返され、その勢いが波のようにこちらまで伝播する――。

 

「邪魔」

 

 ゆらりと振るわれた。

 彼女にとってはそれで十分だ。

 

 キサラの『嫌悪の魔法』はもはや物質に見えるほど高密度の光を纏っていた。その純粋な暴力が地面に伝わる波濤を上から押さえつけ、襲い来る木々を粉砕している。

 

「わたし、聖女。司教より上。エマじゃ、敵わない」

 

 ぶわっと広がる『嫌悪』に鳥肌が立つ。

 エマの『不信』が真綿で首を絞められているような感覚だとするなら、これはすり鉢だ。いつでも人型の肉を砕きうる力がキサラの認識ただ一つで行使される。

 

「神性の強化、とか、神族化、とか。あんまり、分からない、けど。関係ない」

 

 全部纏めて壊す。

 そう目が言っている。

 殺意が目に見えて高まった。

 キサラの手がエマを捉えるべく前に突き出され、そして。

 

 いやちょっと待て。

 

「殺すのはやめないか!?」

「ギルには、申し訳ない、けど。教会の不始末は、わたし、が。――えっ?」

 

 照準代わりの手がゆらりと行き場を失う。

 キサラが困惑と共にあたりを見回す。

 

 エマは動いていない。

 神性を体から漏出させ、神族化が止まらないままに、ただ立っていた。

 夜闇の中で光っているからいやに幻想的だが、それなのに、キサラはまるで見つけられないかのように視線を動かしている。

 

「わたし、エマ、どこに……?」

 

 今度はエマの番だった。

 罅割れの酷い右腕が振るわれると、罅から漏れ出ていた神性が光と共に空間を走り、キサラへと向かって行く。

 『嫌悪』と『驚愕』で形作られる『不信』であるためか、暗い紫に水色が入り混じった神性の色だ。

 

 明らかな攻撃を前にキサラは迎え撃とうともしない。

 本当に、何をしているんだ。

 

「余所見するな、キサラ!」

「ひゃぁっ」

 

 お姫様抱っこで抱え上げて直線の軌道上から離脱する。

 まだ幾分か新品の雰囲気を残している軍服は肌と馴染んでいない。

 長ズボンが手首と擦れて、少しだけ痛い。

 

「ギル。さっき、のは」

「今は喋んな、舌噛むぞ!」

 

 振るわれた神性が世界を塗り潰していく。

 余波か俺の背中を強く突き飛ばして、堪らず抱えていたキサラごと転がった。

 引っ繰り返った土の香りとキサラの匂いに包まれる。

 

「ギル、近い。近くて、おかしくなりそう」

「異常から正常に戻ってくれるなら嬉しい限りだ。ほら、さっさとどいてくれ」

 

 相も変わらずマイペースな聖女様を放り出し、地面に手を付け、何とか心を落ち着かせる。

 

 キサラの異常は理解せずとも把握した。

 今は魔法が使えない、それを分かっていれば十分だ。

 

 状況の再確認をしよう。

 『不信の魔法』が破壊する大地と飛んでくる木々を何とか出来るのは、聖女の名に恥じにない出力を持つキサラと、俺と、今は気絶しているハイミシアだけだ。

 だから、ここは俺がやる。

 

「嫌悪によって動か(odium moventur)され、期待によって傷を負(sperato vulnerantur)う」

 

 『冷笑』、随分と久しぶりな感情だ。

 ファトゥスとの戦闘で使ったのが最後か。

 

 『冷笑の魔法』は相手の()()()()()()になる魔法だ。

 外向のベクトルによって他者の思考や行動が基準となり、それに反する形――対象の放つ矢がありえないほど曲がる、など――でしか効果が現れない。

 洗練されれば呼吸さえ制限することも可能だろうが、俺の感情密度では相手の攻撃(思い通り)を妨害する程度の出力でしかない。

 だが、それで十分だ。

 

 『地面に異常はない』

 『木々は大地に根を下ろす』

 

 巻き戻っていくかのように、持ち上がっていた地面が均されていく。何も不思議はない。

 

 すべてはエマの、エマの、思わない通りに。

 

 ……エマ?

 思考に歪な空白が生まれた。

 思わず顔を上げる。

 

「――いない?」

 

 荒々しく爪痕を残す神性の波濤痕。

 その先にいたはずの誰かが、見えない。

 

 どこにもいない。

 俺はずっと見ていたはずなのに。

 

「ギル。もう、いい。わたし、やるから」

「ぁ、ぐっ、いや、何が、エマは……」

 

 エマ。エマを探している。エマが神族化したから。俺がエマを止めたい。救ってやりたい。ファトゥスのせいだから。俺のせいだから。継いでやりたい。ハイミシアの、思いを。

 

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 

 この事態は俺のせいで引き起こされたんだ。

 信用されていないにも拘らず、無遠慮に近寄って行った俺のせいだ。

 

 だから、俺はエマを助けてやりたくて。

 

 ……あれ?

 エマって、誰だ?

 

「あのさ、ギル」

 

 構えていた剣を力なく下ろして、リアがこちらを向く。

 

「僕らが何と戦ってたのか、覚えてる?」

 

 分からない。

 思い出せない。

 

 夜の暗闇が頭の中にまで入り込んできたかのような。

 ただ棒立ちになって困惑する俺を、突然ギルベリタが抱えて跳び、その数瞬後にはそれまで立っていた場所が弾けた。

 

「はーっ、はーっ! お兄ちゃんが避けないから、ほんと心臓止まるかと思った! しっかりしてよ! 私一人になったら今度こそ立ち直れないからね!?」

「あ、ああ、うん。ごめん」

「うっぷ、やば、考えただけで吐きそう……」

 

 絶対やめろよ。

 今のままだと俺に全部かかるから。

 

 ギルベリタに抱えられたまま思考を戦場へと戻す。

 

 篝火に晴らされた闇の中で、漏出した神性による破壊の痕が広がっている。

 神性親和症、神族化。

 記憶の片隅に引っ掛かるものを感じる。

 だが、何も思い出せない。

 

 

 いったい誰の話だ?

 

 

 

 キサラによる『嫌悪の魔法』が暗い紫の光となって夜空を砕けば、何もなかったはずの場所から木片が降り注いだ。

 

 ――エマ。段々と思い出してきた。

 俺が戦っている相手はエマだ。

『不信』の司教であり、神族化で壊れゆく運命にある少女。

 

「ギルベリタ、もう大丈夫だ。降ろしてくれ」

「ヤダ。お兄ちゃんの大丈夫が本当に大丈夫だったことないもん。私に任せてよ。……昔みたいに、お兄ちゃんのこと守らせてよ」

 

 分かったよ。

 分かったから、そんな顔しないでくれ。

 

 ギルベリタにお姫様抱っこで抱えられたまま、考える。

 

「対象に、すること。わたし、も。ギルも。エマに、魔法を、使おうとしたから。たぶん、それが理由」

 

 まず『不信の魔法』ではない何かをエマが持っていて、それの効果として俺たちは「認識できない」状態にさせられた。それはエマがそこにいるという事実だけではなく、エマに関する記憶や、エマが放つ攻撃さえ効果の内にある。

 

 キサラの分析はそれのトリガーについてだろう。

 

 それまで防御にしか使っていなかった『嫌悪の魔法』をエマに向けたから。

 そして、『冷笑の魔法』の対象がエマであることを意識してしまったから、俺たちはエマを忘れた。

 

「僕にも見えないんだけど」

「たぶん、条件は、魔法じゃない。敵意とか、害意とか、意識が向いたことに、反応する」

 

 ふーん、と曖昧に返しつつ、神性の波濤をするりと受け流す。

 見えないくせになんで攻撃避けてんの? えっ、勘? ……マジ?

 

 バケモノでしかないリアはともかく、常人の俺たちに認識不可能の攻撃は避けられない。

 

 どうやって近付く?

 そもそも、どうにか近付いたところで、そこから認識不可能を掻い潜る手段も必要だ。

 何がある。俺には何のカードが残ってる。

 

「そういえば、ファトゥスはどこに行ったんだ」

「『不信の魔法』が発動する頃にはいなかったわよ?」

 

 人のことをからかうだけからかって早々に離脱か。

 次帰ってきたら顔の雫マークを取ってやる。物理的に。

 

 他だ。

 残っているものを確認しろ。

 

「真剣に悩んでるみたいだけど、ギルベリタに抱えられてるままなんだよね」

「ああいう顔、好きです。メガネかけてほしいです……」

「あれ、ルナ。もう大丈夫なの?」

「無理です。でも、こういう大事な時にギルさんのことを助けられないなんて、情けないじゃないですか」

「うぐっ」

 

 なんか今ティアから潰れたカエルみたいな声が。

 

「私には力しかないんです」

 

 ルナは元々身体能力が体格と比べて抜群に高い。

 恐らくはメアの祝福が人よりもよく機能していて、存在力が高いのだろうと考えていた。

 つまり『不信の魔法』に奪われる存在力も大きくなり、本来ならティアのように座り込んでいるのが普通だろう。

 

「何ができるかは分からなくても、戦います」

 

 力強く戦鎚の柄を握りしめるルナ。

 自分で考えることをやめ、ティアが組んだ作戦を盲目的に信頼して遂行する様は見ていて不安になる。

 だが他を何一つたりとも見ていないからこそ、どんな指示にも100%で応えてくれる。

 

 ルナが動けるのは大きい。

 ティアや俺の指示をいつも通りにこなしてくれるだろう彼女はかなりの手札となるはずた。

 勝つための材料はきっと、もう揃っている。

 あとは見つけるだけ。エマの「認識できない」能力をどう突破すればいいか、それさえ思いつけばいいだけのことなんだ。

 

 頭を回せ。

 

「エマの――恐らくは神性による影響。認識できないのは恐らく『驚愕』による閉鎖性と『嫌悪』がもたらす否定や拒絶の性質。こちらに働きかけるのではなく、何らかの性質を持つことで自身を認識されない状態に置いている、と見るのが妥当か」

「自己肯定感が欠如している様子を見る限りはそうでしょうね。根底にあるのは他者への不信ではなく自分への不信。『嫌悪』の否定が対象に取っているのは、自分自身かしら?」

「……この世界と重なっていながらに隔たれた世界。神界のような異界が俺たちの世界に隣接しているとすれば、エマはそこに自分を隔離している、というのはどうだ」

 

 エマの根底は自己不信。

 それならば俺たちが攻撃されて「認識できない」ようにされているのではなく、そもそもエマがそういう状態にあると考えるのが自然。

 ティアの考えは俺の仮説を補強してくれている。

 

「お兄ちゃん、しっかり掴まって!」

 

 ぐん、と大きく揺れた。

 ギルベリタが神性の波濤を回避したからだ。

 俺という荷物を抱えていながらに、上手く衝撃をいなす。

 

 集中力が途切れかかったが、何とか取り戻す。

 

 『嫌悪の魔法』は本来神性の傾きを変える程度の効果しか持たない。キサラが物理的に攻撃を跳ね返しているのは、実を言うと本来の働きじゃない。

 そこから更に効果を拡張させて神性の波濤を防ぐ、というのは無理な話だ。

 エマの「認識できない」ことについても同じく。

 

 キサラの『嫌悪の魔法』は『不信の魔法』に対して有効だが、それ以外には効果がない。

 神性の波濤は物理的に避けられるとして、「認識できない」のは回避不可能だ。

 

 何かあるはずだ。

 この状況を覆す何かが。

 

「ねえ、ギーくん」

「……スクリータか。司教様は?」

「あっちに置いてきた。ボクもギーくんのために戦いたいから」

「ああ、うん、木陰にな。分かった。それでどうしたんだ」

「うん、えっとね、エマさんを助けるのって具体的にどうすればいいの? ボクは、どう動けばいい?」

 

 それが分かれば苦労はしない。

 ただ、現状の整理がてら伝えておくか。

 

「この戦闘のゴールは俺がエマに接触することだ。俺の神性親和症ならエマの神性に直接干渉して抑え込める可能性が高い」

 

 リアの魔法を手伝ったように、俺ならエマの神族化をコントロールできるかもしれない。

 可能性の話だ。

 随分な確率で負ける賭けに見えてしまう。

 だが、ファトゥスの性格の悪さを信じるなら、これが通る。

 

「近付く手段が必要だ。ただ、俺たちが認識できない異界に逃れることで、エマは強く意識されることを避けることができる」

「ギーくん、ちょっと何言ってるか分かんない」

「えーっと、近付こうとした瞬間、エマの存在が薄れる。分からなくなる。何に近付こうとしたのか、何故近付こうとしたのかすらもな」

「……ボク、もっと勉強がんばるね」

 

 スクリータが悲痛な笑みを浮かべる。

 うん、まあ、頑張って欲しい。

 

 スクリータとの会話で今一度確認できた。

 鍵は明確なんだ。

 最後の扉を開けるのは神性親和症。

 他者の神性にさえ干渉できる先天性の障害。

 

 これは本来見えもしないはずの神性と触れ合うことができてしまう。

 この世界と神界で感覚が混戦してしまう。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それだ、スクリータ!」

「みゃうっ!?」

 

 それだ、それに違いない!

 

「わっ、ギ、ギーくん、ギーくん!?」

「そうだよ、それしかない! 俺たちができることで異界に繋がるものなんて、神性親和症以外にないんだ!」

 

 道が開けた。

 スクリータのおかげだ。

 

「よし、スクリータ。指示を出してやる!」

「えっ、う、うん! ボク何でも、何でもする!」

 

 いい返事だよ、まったく。

 

「エマのことは考えるな。俺の声だけ聞いてろ」

 

 スクリータは数秒間停止し、思い切りのよかった返事とは打って変わって、もじもじしながら目を伏せた。

 

「……ごめんね、ギーくん。さすがにえっちだと思う」

「何が!?」

 

 本当に何が!?

 

 

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