逆転世界はもうどうしようもない 作:あああああ
神性親和症。
俺がスクリータと家族以外から逃避した理由。
誰を見ても粘着質な欲望が透けて、俺を縛ろうとする感情が見えて、堪らず世界から目を背けてしまうことになった、忌々しい障害。
神族化は神性親和症の先にある。
親和症で神界の信号を受け取ってしまうということは、同時に、神界にある自らの神性が端末という容量を超えて供給される恐れがあるということ。
際限なく感情に対応してしまう神性の膨張は枠となるはずの端末を破壊してでも存在しようとしてしまう。
神性親和症は神界の信号を一方的に受け取る段階。
神性漏出症はその穴が拡大し、神性が端末に際限なく宿るようになってしまう段階。
神族化はその更なる悪化が招く成れの果てだ。
『不信』に支配されたエマを見る。
手足の指先から割れていたはずの罅が、今では肩のあたりまで拡大しているようだ。
前腕のあたりから先は完全に神性のみが渦巻いていて、もはや人としての輪郭を失いつつある。
同情せずにはいられない。
彼女がかつて抱えていたと窺える『悲観』や、現在抱える莫大な『不信』の感情は、もしかして、その神性親和症によるものが大きかったのかもしれない。
俺のように欲望と打算が見えるだけならいい。
スクリータやギルベリタのように、純粋な身内がいたならいい。
だが、そうでなかったとしたら。
害意や隔意をダイレクトに受け取って、悪意に満ちた人間ばかりの中を歩いていたとしたら。
神性親和症を患い、それがエマの人生において何よりも重い足枷になっていたとしたら。
俺は救ってやらなくちゃいけない。
エマを傷付けたこの忌々しい障害で以て、俺はエマを救ってやる。
同じような過去を持つ者として、自分を否定する材料を一つ、取り除いてやらなければならない。
だから。
見せてくれよ、世界。
俺たちの裏側を。
何よりも醜く、何よりも綺麗な、感情の色を。
――穴が開いた。
随分と、そう、随分と懐かしい。
文字通りの第六感が脳髄を侵していく。
クオリアが一つ増える。
言葉は無力だ。
世界からはみ出したこの感覚をどうやって既存の単語で言い表そうか。いいや、無理だ。
これは誰にも理解できない。
同類を除いて。
「ルナ。エマの姿は見えるか?」
「どこにも見えません!」
「それで結構。全力で二十歩前に出て、左を三歩分薙ぎ払え!」
「はい!」
ルナが駆け出した。
どうしたって、指示と実行には齟齬が生まれるものだ。
指示側と実行側の感覚が違うからな。
度量衡を決めたって、土壇場では測っていられない。
指示と単位と実行のすべてにズレが生まれて増々酷くなるだけだ。
最後に頼れるのは、互いの呼吸と経験だけだ。
だから。
「ここ、ですっ!」
エマの神性が僅かに乱れるのを感じる。
振るわれた戦鎚は確かに頭を捉えていた。
「ギルベリタにも同じことをやってもらう。できるよな?」
「お兄ちゃんが関わることで妹にできないことなんてないから。――ルナには、絶対負けない」
正直言って俺一人なら神性の波濤を対処できずに吹き飛ばされて終わりだろう。
だが、ルナやギルベリタのように素早く退避できる仲間がいるのなら話は大きく変わってくる。
エマの神性が爆発しそうなほど溜まっている。
波濤として飛ばす前準備だろう。
「ルナ! 左腕を振るおうとしてる!」
「分かりました!」
そう、こうして退避してくれれば――。
「せやぁっ!」
ルナがエマの左腕を掬い上げて弾く。
天に向かって神性が昇り、激しく爆発しながら消えていった。
「次の指示をください、ギルさん」
「お、おう……」
どうして認識できないエマの左腕について、位置関係を完全に把握してるのか。
まあ、いい。
ルナの感覚が研ぎ澄まされてるのは悪いことじゃないし。
さっきリアが同じようなことしてたし。
「よし、ティア。さっき伝えた通り、タイミングを計ってくれ」
「ええ、それくらいしかできないもの。全うするわ」
安心と信頼のティアなら機会を失することもないだろう。
ティアにはスクリータの点火役を任せた。
「スクリータ。ティアを守りつつ、言うことはちゃんと聞くようにな」
「……ボクもギーくんの近くで戦いたかった」
「これが終わったら昼寝でも何でも付き合ってやるから、頑張れ」
「ほんと!?」
ほんとほんと。
スクリータは保険として、或いは最後のダメ押しとして動いてもらう。
この馬鹿みたいに素直なスクリータじゃなければ果たせない役目だ。
「キサラは継続して『嫌悪の魔法』で掌握された物質の動きを抑え、リアはセルウィタを神性の波濤から守ってやってくれ」
「分かった、頑張る」
「うーん、まあ、いいよ。それくらいしか役目はなさそうだし。でも……」
「でも?」
リアの視線がセルウィタを貫く。
ケロッとした顔で座り込んだまま紅茶を嗜んでいた。
なんだこいつ。
「失礼、暇だったので休憩をと」
なるほど、リアの複雑な感情は理解した。
「ふむ。砂埃が紅茶にも入ってしまったのでしょうか、少し舌触りがザラザラするような。……要りますか?」
「せめて濾してから言ってくれない?」
メイドとしてどうなんだ。
ってかこの状態でどうやって紅茶を淹れたんだよ。
いつのまに火を
「私めのことはどうぞお構いなく、と申し上げたい所ですが。ヴァレリア様が手持無沙汰というのもアレですので守られておきます」
「まあ、放っておくと死んじゃいそう、ってわけじゃないならそれが一番だしさ。僕とセルウィタのことは気にしないで頑張ってきて」
エマについてのあれそれは俺やファトゥスに責任がある。
だからセルウィタの他人事な反応には何も言えない、言えないが、もやもやする。
……信じていいのか悪いのか。
「それと、不躾ながら申し上げますと、先程エマ様の神族化が次の段階に移りました。どうかお気をつけて、ご苦労あそばせ」
その言葉で気が付いた。
作戦を共有することに
見れば、神性が見覚えのない挙動を取っていた。
「ルナ、戻ってこい!」
指示を出して、セルウィタをもう一度見つめる。
何を考え、何のために動いているのかは分からないが、まあいいさ。
今はエマのことに集中しよう。
「お兄ちゃん、準備はできてるよ」
「ああ。頼んだ、ギルベリタ」
ここからは俺とギルベリタ、そしてルナが前を張る。
タイムリミットは――挙動から推測するに、あと十分ほど。
「気合い入れるぞ!」
ギルベリタが駆け出した。
ターゲットはエマ。
目標は俺が手を届かせること。
時間制限はあと十分。
「しっかり捕まってなよ、お兄ちゃん!」
「私に道を示してください、ギルさん!」
苦難上等。
俺と俺の仲間を、絶対に信じさせてやる。
神性の波濤が形を変えていく。
まるでゆっくりと潮が満ちていくかのように、薄く広がり、空を埋め尽くしていく。
形こそ変わっても効果は同じだろう。
波濤が世界を上塗りし、その存在力が世界を引き裂くならば。
アレは蔓延した毒だ。
存在力の高い神性が撒き散らされたエマの近くでは極端な強さの外圧を受けることになる。
飛び込んだ瞬間に体が耐え切れず砕かれる。
それなら。
「
魔法は普通ズレを伝播させて現象を引き起こす。
しかし『悲哀の魔法』に関してだけは神性そのものが広がる独特な性質を持つ。
『悲哀』が持つ共感の側面が関係しているのかもしれないが、実際どうなのかはあまり解明されていない。
……今はそういうの関係ないか。
重要なことはただ一つ。
神性に真っ向から歯向かえるのは同じ神性だけで。
即ち、眼前に薄く広がった神性を処理できるのは、『悲哀の魔法』のみであること。
それだけだ。
「来る! 真っ直ぐ前からだ!」
「了解です!」
「しがみついてなよ、お兄ちゃん!」
当然、進行した神族化がそれだけに終わるはずもない。
『悲哀』で押し流された満潮の代わりにか、波濤は更なる勢いを増して放たれる。
一秒ほどの溜めがあり、そして、誰かの怒号にも似た轟音が耳を
来ると分かっていなければ避けられないスピードで、来ると分かっていても巻き込まれる勢いの――もはや波濤とは呼べない。それは雷だった。
すぐ横を通り抜けたそれに体が持っていかれそうになる。
ギルベリタは何とかその衝撃に踏ん張って、しかし堪らず重心が後ろに持っていかれる。
「お兄ちゃんに……土なんて付けられるかぁ!」
ぐわん、と視界が一回転する。
一瞬何をしたのか理解できなかったが、段々と思考が現実に追いついた。
俺を抱えたまま宙返りを決めやがったんだ。
「私が全部、踏み越えて、守ってみせるから」
息を切らし、汗を垂らしながらも、そう強く断言する。
キュンです。格好良すぎる。
俺も頑張らないとな。
神性親和症の感覚に集中する。
神族化による神性の暴力は超が付くほど強力だが、こうして神性を捉えられるようになってからはそう脅威でもない。
理性なき『不信』による排除は単調かつ読みやすく、大型の魔獣を相手取っているような感覚に陥る。
元より俺は一撃でもまともに喰らったら死ぬ貧弱な体で冒険者活動を続けてるんだ。これくらい慣れている。
「ルナ。二歩下がって、左前に突っ込め。
「あのさ、お兄ちゃん。ルナがそんなに複雑な指示覚えられるはずないでしょ」
ルナは俺の指示を理解しない。
「理解」とは、自分の言葉で噛み砕くことだ。
しかし、今、ルナは頭の中で俺の言葉の辞書を引いている。
俺が出した指示を、ルナの解釈ではなく、俺の想定に沿って叩き込んでいる。
理解じゃない。
ルナは俺の想定を模倣する、それだけだ。
「……分かりました。合図を」
目を細めて怪訝そうにしているギルベリタはさておき、ルナの心強い返事に頷く。
全く頼もしい背中だ。
全幅の信頼と共に、エマの神性が膨らんだ瞬間、告げる。
「今だ!」
とん、とん。
二歩下がって、神性が限界まで膨張。
エマの腕が照準器のようにルナを捉える――が。
体勢を低くして勢いよく突っ込むルナには雷すらも当たらない。
それまで居た場所を通過して、空しく消えるだけだ。
続けざまに撃たれた雷の一撃が、『不信の魔法』による掌握で掘り起こされた地面を消し飛ばした。穿たれた大穴は暗闇をその中に囚えている。
一拍遅れて鳴動する大地。
ただでさえ破壊力の高い神性が更に集約された一撃なんだ。
地面が耐えられるはずもない。
ルナには何も見えていないはずだ。
エマという存在を忘れきっているだろう。
だが、俺の指示は覚えている。
だから動ける。
「えっと、嘘だよね?」
俺は理論派だが、腐っても後衛だ。
飽きるほど見たルナお得意の間合いは完全に把握している。
『良い感じの場所』の感覚は寸分違わず共有され、その少し奥を、即ちエマがいる場所を戦鎚が唸る。
「修正、もう一撃だ!」
神性の揺らぎが想定より大きい。
フルスイングから更に一回転して振り下ろす。袈裟の軌道をなぞるようにエマの頭蓋を打ち、そのままの勢いでくるりとステップを踏む。
ルナの息遣いを知っている。
あの小さな戦闘狂はよく一回転してタイミングを合わせる。
ティアの矢が刺さった後の隙を狙うだとか、リアに向いた注意を咎めるだとか、そういう時のルナは決まってルーチンワークのようにくるりと回る。
そのリズムを覚えている。
だから。
とん、とん、とん、とんっ、たたん。
俺はルナに合わせる。
そのターンのリズムを完全に共有している。
そして、ルナもまた俺に合わせる。
歩数を指定するだけで、どこに足を置いて、更にはどのタイミングで何をすべきかまで汲み取ってくれる。
結果は見ての通りだ。
ルナの動きに追従して放たれる雷がすべてギリギリにルナの肌を滑っていく。
まるで舞踏を楽しむかのように、ルナがステップを踏んで、踏みつけて、踏みしめて、跳ぶ。
回避に使った四歩をなぞって、エマを捉えた位置まで帰ってくる。振りかぶった得物が夜を吸ったように黒く光っていた。まるで処刑台に置かれたギロチンだ。
ノックバックするエマの体から神性が血液のように迸る。
「赤く彩って、殺してあげます。綺麗なままに死んでどうぞ!」
思ってたより数段強めの殺意と戦鎚が、年若い司教を何度も殴りつけ、吹き飛ばす。
「名前とか敬語口調のかわいい司教様とか……キャラが、私と、被ってるんですよッ! 死ね!」
「お兄ちゃん、ルナ疲れてるのかな」
「間違いない」
何はともあれ隙が生まれたんだ。
今のうちに接近する他ない。
「ギルベリタ」
「はいはい、出番だよね。お兄ちゃんは眠かったら寝てなよ? その間に近づいちゃうからさ」
――なぜ?
「待ってくれ、何かおかしい」
「何が? あのエマとかいう司教の所までお兄ちゃんを運べばいいんでしょ?」
「それだ。それがおかしいんだよ」
ギルベリタだけならまだいい。
注目の対象をルナに置くことで回避しているのだと考えられる。
しかし、ルナまでもがハッキリ「司教様」と認識して戦鎚を振るっている。
もう一度、今度は何一つ見逃すことがないように、じっくりとエマの様子を窺う。
そして、分かった。
波打つように、鼓動のように、寄せては返していた神性が
「神性の動きがおかしい! 次に用意されてるのは雷じゃない!」
「それって――、ルナっ!」
「っ、回避します!」
それができるなら越したことはないが、今のルナは存在力を失った状態で無理矢理にいつもの動きをなぞっていた。
瞬間的な回避速度で何とかなる雷とは違うんだ。
今度の攻撃は肩を上下させているルナが一人で避けられるとは思えない。
あっ、と声が漏れた。
一歩後退ろうとして、何かに踵が引っかかって、尻餅をついた。
ルナの顎から汗が滴って落ちた。
それが、今まで上手く動いてくれていたことの代償で。
これから支払うことになるものを強く脳裏に刻みつけてくれた。
「ギルベリタ!」
「いくら小さくても、さすがに私の体格だとルナを持って帰ってくるのは無理」
「それなら俺が行く、降ろしてくれ!」
「私より力がないお兄ちゃんにできるわけないんだから、大人しくして! ルナなら、きっと大丈夫だから」
ギルベリタの目には不安がそのまま浮かんでいる。
動かなければいけないと分かっていて、しかしそれが無駄だとも分かっている表情だった。
「大丈夫、だから……」
普段のルナなら飛び上がってそのまま優れた機動力を見せてくれたはずだ。
しかし、今は尻餅をついたまま、エマを見上げている。
「認識できない」能力が解除されるほどに神性を溜め、神族さえ霞むほどの存在力を湛えた少女が、『不信』としてルナを見下ろしていた。
真っ白に染まった腕。
すべての光を反射するほどに高まった存在力が、罅からほんの少しだけ漏れた。
咄嗟に、跳ね起きるようにして回避し、足がもつれて、そのまま地面に倒れる。
そうしなければ消えていた。
満杯のコップから溢れた一滴が弾けたことで、今までルナが座り込んでいた場所は、音を立てることも、衝撃を周囲に伝えることさえもなく抉られていた。
コマ送りのように消えてしまうそれが、自分の命にまで届かんとしている。
まるで最初からなかったかのように、静かで、何にも残らない最期を示されている。
「ひっ、あぁ……!」
ルナは腰が抜けたようで、上手く離れることもできず、恐ろしいほどにゆっくりと振り向くエマを見つめていた。
次はもう避けられない。
ルナの視線が、ギルベリタに抱えられ、何もできずに見つめている俺を、射抜いた。