逆転世界はもうどうしようもない   作:あああああ

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51 その手で触れられるものは

 

 空気を読まないやつがいる。

 誰もが遠巻きにして噂する元お貴族様に、唯一臆さず話しかけるやつとか。

 まだ少し魔物にビビってる田舎娘の前で、満面の笑みと共に大怪我の傷跡を見せつけるやつとか。

 どう見たって厄介者の訳アリな男から仲間になりたいと言われ、即座に快諾するやつとか。

 

 知っていた。

 そいつは絶対に仲間を見捨てない。

 でも、知らなかった。

 

 そいつの背中がここまで大きいなんて。

 

「――ギルとルナってば酷いよね。エマが見えるようになる代わりにさ、僕らが見えなくなっちゃったの?」

 

 重い直剣を投げ捨て、駆け出して、飛びつく。

 ルナごとゴロゴロ転がり、神性の爆発を回避する。

 エマの神性が掠めた腕から血が噴き出して、それを物ともせずに笑っている。

 

「リアさん……!」

()()()なら僕も助けになれる、ルナを守れる。前に出るよ」

 

 均衡ギリギリだった胸の中が落ち着いて、どっと冷や汗が吹き出した。あのままリアが助けられていなかったら、ルナは死んでいただろう。

 その事実に、手が震える。

 

 このままではダメだ。

 頭の中で天秤にかける。

 

 スクリータというカードを消費することも含めて考える。

 理論上はエマの神族化段階を、タイムリミットはそのままだが、一つ下げることができるかもしれない。

 

 スクリータの手札を切ることで、俺以外がエマを認識できない中でエマの雷を相手することと、或いは、全員が認識できる中で神性の爆発を警戒すること。

 前者なら俺と完全な形で連携を取ることのできるルナは必須だろうが、さっきの今で精神面が不安だ。

 後者なら、リアやスクリータも前に出られる。だが、片方のリアはルナを助ける時に右腕を抉られている。

 

 どちらを選んでも負債が溜まる二者択一。

 

「ルナ、来るよ!」

「言われなくたって分かってます!」

 

 今だって、負傷したリアが、そして肩で息をするルナが、どうにか凌いでいるだけだ。

 このまま『選ぶことの責任』を放棄するつもりか?

 

 頭の奥で、ルナの視線が俺をもう一度貫いて。

 罅割れかけた心がほんの少し欠けたような気がして。

 

「リアに、無理をさせるしか――」

「ギルさん!」

 

 弱音でも吐くかのように指示を出そうとした俺を、その声が咎める。

 エマの神性がルナより二回りも大きな窪みを大地に空け、その横から、死の間際こちらに向けたものと同じ目で、少しの怯えも見せない声で、叫ぶ。

 

「迷ったなら私を信じてください! 私も、ギルさんを信じますから!」

「ルナ、そこ危ない」

「そんなこと、分かってますからっ! リアさんも過保護にしないでください、さっきはちょっと気圧されただけです!」

「大事な仲間だからさ。怪我してる僕にギルが下がれって言わないのと同じ、ルナが心配なんだよ」

「……むぅ。ありがとうございます!」

「どういたしまして」

 

 なんだあいつ。

 俺よりイケメンしやがって。

 

「リア。普段なら退けって言われてる怪我を負った自覚があるなら、さっさと帰ってこい」

「任せて大丈夫なんだよね?」

「さっきまでは、大丈夫じゃないってのが正解だ。でも――」

 

 ルナに視線を向ける。

 俺より年下の戦士は、小さく頷いた。

 

 それなら。

 

「もう大丈夫だ。任せとけ」

 

 リアは一度ルナの髪を上から撫でつけ、直後にエマが放った雷と爆発を思い出したように回避して、こちらまで帰ってきた。

 

「たとえそれが赤の他人でも、ギルが救うと決めたならそれを尊重する。でも、失ったものの責任までは負えない。分かってるだろうけど……ルナが死んだら、恨むよ?」

「死なせないし、恨ませない。ただ、もし次があるなら、巻き込むのはリアだけだ」

「うん、分かってくれてるようで何より」

 

 ルナを心配しているのは当然として、自分が命を懸けずにただ見ているだけって状況が気に入らなかったんだろう。誰かを救うために立ち向かうのは冒険譚あるあるだし。

 良くも悪くも、リアは通常運転だった。

 

「行こう、ギルベリタ。限界まで近づいてくれ」

「……お兄ちゃんを抱えたままの私じゃ、あの人に最後まで近づくのは無理だけど?」

「それはスクリータが何とかする」

 

 だから、ルナが耐えられている今のうちに。

 

「分かった。ルナには悪いけどお兄ちゃんが一番だから――っと。ちょっと遅くなるかも」

 

 流れ弾の雷を咄嗟に躱すギルベリタ。

 

 認識できる状態ならエマの予備動作だけで超高速の攻撃すら避けられるらしい。

 『不信の魔法』で存在力を削られたということは、つまり身体能力を下げられたのであって、目や勘の良さは失われていない。それにしても大概だけどな。

 

 突然、エマの神性が分かりやすく膨れ上がる。

 神性が噴き出すのは恐らく一秒後。

 

「ルナ、一歩下がれ!」

「はい!」

 

 今までスレスレで回避していた攻撃に余裕を持って対処する。

 

 神性親和症を利用すれば予備動作の前段階から回避に移ることができる。

 生まれた隙を逃さず、戦鎚がまたもエマを捉えた。

 

 インパクトの瞬間まで力を抜き、当たってから押し出すように振り抜いたことで、エマの体が少し宙に浮く。

 存在力の強化がもたらす被干渉性の低下を逆手に取ったのか。

 重力がかからなくなることで、傷は付けられずとも、吹き飛ばすことはできる、と。

 見ないうちにルナが戦いで頭を使うようになっていて感動する。

 

 ……いや、これはティアの入れ知恵か?

 

「お兄ちゃん、行くよ!」

「ああ、頼んだ」

 

 エマが神族化から戻れなくなるまで――あと、五分。

 

 

 罅割れはもはや首にまで広がり、焦点の合っていない目が緩慢にこちらを見据える。

 溜め込まれた神性がコントロールできずに暴発する。

 左腕が弾けて、肉片や血液ではない何かが飛び散った。

 

 形を失くしたはずが、再生してすぐに元通りだ。

 恐らくは祝福の魔法や『絶望の魔法』に見られる、神性と身体の相互作用によるものだろう。

 破損した肉体が溢れんばかりのエネルギーを貯めている神性に引っ張られることで、常に元通りになる力が働いている。

 その参照される元が、華奢で頼りない、けれど確かな熱を持つ、あの腕であればよかったのに。

 

 肌を埋め尽くした真っ白な裂け目が光を放つ、神秘的なようで悍ましい腕。が、はちきれんばかりの神性を纏っている。

 その手で触れられるものは何もない。

 すべてが神性に塗り潰されてしまうだろう。

 たとえ、それがハイミシアの手であったとしても。

 

「雷だ。右寄りに二発、左に一発」

「……こんなの当たるはずないけど。数打てば当たるとでも思ってるなら、奢りすぎ、でしょ!」

 

 踵を少し浮かせた前傾姿勢から一息に飛び出し、ギルベリタは滑らかに重心を前へと運ぶ。

 凝縮され、解放された神性がすぐ横を掠め、後ろへと抜けていく激しい強風が髪を靡かせる。

 

「抉られた空気が小さな真空になって風を作る。それさえ分かれば、見かけには騙されない」

「……なるほどな」

 

 真空。

 どこかで聞いたことがある。

 俺たちが吸って吐く空気さえもない空間のことだ。

 

 周囲の物質は真空を埋めようと流れ込む。

 よって空気の流れが、突風が生まれているわけだ。

 

「雷が地面に当たった痕を見れば、風はそこまで強く巻き込むものじゃないって分かるし」

 

 続く雷をまたも回避し、接近しながらも論理的に分析する我が妹。

 昔は算術さえなんとなくでこなしていたギルベリタがここまで科学的論理性を身に着けてくれていたとは。

 ルナとはまた違った成長を遂げていて、涙がほろり。

 

「あとはがっと避けてぐわっと耐えるだけ!」

「なんて?」

「大抵のことはフィーリングで何とかなるものだよ、お兄ちゃん!」

「土壇場でそのスタンスはやめないか!?」

 

 何度も放たれる雷をひょいひょいと回避するギルベリタだが、感性の違いによるものか、俺は全く生きた心地がしない。

 できることは初めからエマの動きを注視することだけだとは分かってるが。

 

 半ばやけっぱちの心持でエマを見つめれば、神性が膨らんでいるのが分かった。

 雷ではない、ゆっくりとしたこの解放は――。

 

「爆発が来る! 左腕だ!」

「手じゃなくて、腕ですか……?」

 

 ルナが訝し気に様子を窺い、一瞬後には大きく目を見開いた。

 これまで緩慢に「照準を合わせるために腕を持ち上げる」動きと、そして「振り向く」動作しかしていなかったのが、今は明確に、腕を振り上げている。

 

「ルナ、下がれ!」

 

 神性の充填が完了した瞬間、振り下ろされる腕の輪郭が崩れた。

 鞭のようにしなり、本来の腕より伸びたリーチで地面に叩きつける。

 

 存在力の増幅によって、鞭の一撃は本来より遥かに高い干渉性を持つ。

 巨人が何トンもあるハンマーを力の限り振るったような、非現実的な衝撃が大地を揺るがせる。

 直撃した木の根を押しつぶし、柔らかな土がレンガの硬度まで押し固められ、土埃が充満した。

 

 静かに、ゆっくりと、エマは体勢を戻す。

 反作用で弾けた腕は肩から生えるように再生する。

 

「期待しないで、ください……」

 

 明瞭に聞こえた少女の声。

 数秒の間、それがエマの声だと理解できなかった。

 それは俺が今まで聞いたどんな声よりずっと、感情が乗っていて、力強かったから。

 

「優しくしないで……!」

 

 真っ白だった神性の色が塗り替わっていく。

 否定や拒絶を示す『嫌悪』の紫が爪先から染め上げて、次に内向と閉鎖を象徴する『驚愕』の水色が混じっていく。

 

 毒々しい色の神性がエマの四肢を代替する。

 誰に触れられることをも拒むように、そして自らでさえも自らを拒むかのように、両腕が溶け、ドロドロとした何かに変貌する。

 

「妾は……もう、妾のままで、生きたくない……!」

 

 一滴零れた。

 落ち葉に当たって、消えた。

 

 (しずく)が、ではなくて。

 その落ち葉ごと存在がどこかに消えた。

 

「ルナ」

「はい、何ですか?」

「……頼んだ」

「頼まれました!」

 

 消耗しているはずだ。

 それでも、任せられるのはルナしかいない。

 俺にしか見えないエマと戦うのは、きっとギルベリタにもできないことだろうから。

 

「殺して、殺してください……!」

 

 瞑られた目から涙が溢れ出している。

 暴走した感情に乗っ取られ、意識を取り戻すことなく、ただ深層にある自己不信と希死念慮を吐き出すだけの存在。

 人間の在り方としてあまりに歪だ。

 

 連れ戻してやるしかない。

 

 ここで、事態は引き止められる最終段階にまで至った。

 このまま神族化が進行し、エマの体を構成する要素が神性だけになった瞬間、それは端末としての必要条件を失ってしまう。

 ただ神界とこの世界を繋ぐ穴となり、その穴を介して世界に流入する神性がここら一帯を上塗りする。

 

 何も残らず、消し去られるんだ。

 

「いなくなります、から……妾を、許して……」

「うざったいんですよ、さっきから」

 

 戦鎚を構えながらエマに接近すれば、ルナを排除せんとして『不信』の拒絶が活性化する。

 

「妾は、こんなにも、生きてはならないっ!」

 

 不定形の腕に更なる神性が入り込んで膨張し、二メートル以上の神性の塊がドロドロのまま振るわれた。

 飛沫が着弾したものは次々に消失していき、その先にいるルナさえも同じ未来を迎える、ことはなく。

 

 小さな体を利用して掻い潜り、エマの首に両手で戦鎚の柄を押し当てる。

 引っ掛けたままエマの頭上を飛び越した。

 振り上げたような両腕を強く引き寄せ、エマの首を絞めようと試みる。

 

「どうして、妾などを……」

 

 舌打ちを一つ。

 膝裏を押し蹴って、エマの重心が浮いた瞬間に、両腕を振り下ろす。

 首を絞めていた柄が今度は顎に引っ掛かり、振り回される頭ごと体が浮き上がる。

 

 そして――。

 

「ルナ、爆発が来る!」

 

 即座に柄の拘束を外して飛びのけば、弾けた神性はエマの周囲を丸ごと抉り取った。

 一筋縄ではいかない。

 あと少しでエマは神族化を完了してしまうと言うのに、最後のピースがハマらない。

 

「ギル! ……潮時よ。今を逃せば、もう有効な手札として使えないわ」

「そうか。そう、だな。分かった。それでいい」

 

 もっと確実な時まで待ちたかったものだ。

 どれほどの効果を出すのか、理論上でしか分からないことだから。

 この手札を切ることなく、或いはダメ押しとして使いたかった。

 

「スクリータ、出番よ」

「うん、分かった。えへへ、ギーくんの役に立てるなんて夢みたい」

「何か手伝う必要はあるかしら?」

 

 スクリータは首を振った。

 

「この魔法はボクにとって根っこの部分なの。だから特別なことはしなくていい、ってギーくんが言ってた!」

「そう。それなら、きっと大丈夫ね」

 

 もしかすると何の効果もないかもしれない。

 その魔法が正常に作動するだけなら、とんだ見込み違いだ。

 

 ただ、その魔法が理論として立証されているように、神界を経由して、他者の神性とのパスを繋ぐ魔法だったなら。

 神族化に対する切り札となりうるはずだ。

 

人の住処は間柄にありて(nisi fides est, homines personae non sunt)

 

 『信頼の魔法』が発動する。

 誰よりも無垢で純粋な少女によって。

 

 

 

 ゆらり、立ち上がる。

 並外れた頭脳と優れた教育によってこの戦闘の終着点を見定めた従者が一人、存在力の低下など最初からなかったように。

 

「やっぱり、動けたんだ」

「……そんなことだろうと思ったわよ」

 

 砂の混じった紅茶を飲み干して、ほんの僅かに顔を顰め、ヴァレリアより前に、イーティアより前に、キサラの元へと。

 ティーカップを投げ捨てる。

 

「ご苦労様です、キサラ様。『嫌悪の魔法』で『不信の魔法』を押さえつけるのも楽なことではありませんでしょう?」

「誰?」

「……ティアお嬢様にお仕え申し上げております、セルウィタと申します」

「何が、したいの?」

「失礼を承知で申し上げますと、その包帯をお借りしたいのです」

 

 『嫌悪の魔法』を抑え込むためだけの布切れ。

 聖女としてではなく、ただの少女として、愛する人と向き合うための、精一杯のアクセサリ。

 それが役立ってギルバートを救うことになるならば、それがいい。

 セルウィタは恭しく頭を下げ、両の手で受け取る。

 

「確かに、拝借いたしました」

 

 ホルトゥスの包帯を握り、澄まし顔で戦場を見据える。

 

「セルウィタ、あなたは何をする気なのかしら?」

「……立場には責任と義務が付き従うものです。かの司教様はどうやらそれをお分かりではないようですから、それは、僅かばかり、ええ」

 

 ――私めの主人に無礼ではないかと。

 

 

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