逆転世界はもうどうしようもない   作:あああああ

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53 生きるって、難しいな

 

 

「ギル、さん……」

 

 放心したようなルナの声を耳朶にして、情けない思いで胸が詰まる。

 それでも頭を上げるわけにはいかなかった。

 エマが自らの意思で戻ってきてくれる以外に、もう、何もできないから。

 

 じっとエマの答えを待っていると、肩を掴まれ、強い力で起こされる。

 

「なんで、お兄ちゃんがそこまでするの?」

 

 痛切なまでに顔を歪ませたギルベリタ。

 分かってくれるはずはなくとも、後にしてくれ。

 

「お兄ちゃんが誰を助けたいのかは分からないけどさ。そのためにお兄ちゃんが何かを失うくらいなら、もういいよ。助からないままで」

 

 何もしなくたって全員が幸せでいられるならそれでいい。

 ただ、どうしてもついていけない誰かが出てしまうから、それを助けるために、少し後ろに下がって、背中を押してやる必要がある。

 その役回りが今回は俺に回ってきた、それだけの話だ。

 

「いいんだよ、ギルベリタ。強制されてやってるわけじゃない」

 

 多少のプライドを失っても、その先で得られたものが新しく俺の誇りになってくれる。

 何と引き換えにしても救われてほしい誰かがいることは決してマイナスじゃない。

 

「エマ。どうか、俺と、ハイミシアのために。戻ってきてはくれないか」

 

 半端に透き通った少女が俯いていた。

 下唇を噛みしめて、やがて口元から血が滴った。

 

「決めたのです。こんな思いをしたくないから……(しょう)のせいで、悲しむ誰かを、見たくないから……だから、神族化を受け入れて、皆様の手を、振りほどいて……」

 

 滂沱として滴る涙は暗赤色と交わる。

 何度手の甲で擦っても、落涙は止まらない。

 耐えきれなくて、ついに頽れてしまう。

 

 そんなことを許されるはずがない身分で。

 

「ずっと、こっ、こうなるのが、怖かったのです……っ! 皆様の期待を、妾はいつか、裏切ってしまうから……だから、そうなる前に、死んでしまおうと……!」

 

 身勝手だ。

 それが一番の裏切りだ。

 

「ギルバート様さえ妾を見捨てていれば、それでよかったのではありませんか……?ハイミシア様の記憶からも、きっと妾は消え失せるでしょうから……」

 

 それは受け入れられない。

 

「知らないことは幸せじゃない。知って受け入れられることが幸せだ。君がハイミシアから君自身の記憶を奪うなら、それはただの加害でしかない」

「加害などではありません! 妾が初めから存在していなかったと、そうすることの何が悪いと言うのですか!」

 

 ……傲慢極まりない考えだな。

 他人の記憶の価値を、勝手に決めるな。

 

「妾は、どうせ皆様を傷付けることしかできません! 期待に応えられず失望させてしまうくらいなら、こうして幕を引くことが、一番皆様に迷惑をかけない最期で――」

「やめろ、反吐が出る。他人を逃避の理由に使うな」

 

 気分が悪い。

 つい、口から咎める言葉が飛び出した。

 

「妾は、皆様、を……」

「どこの誰が『失望させるくらいならさっさと死ね』なんてことをお前に言ったんだ?」

 

 胸の奥が煮える。

 沸き立つ感情が留まることなく口から出て行こうとする。

 ただ感情のままに怒鳴りつけることだけはないよう、必死に抑え込む。

 

 その語り口だけは、許されない。

 

「お前は最初から、ずっと。期待や信頼に耐えられないから逃げるって、そう言っていたはずだ。お前の身勝手な感情で現実から向き合わずに逃げていたはずだ」

 

 それが悪いとは思わない。

 プレッシャーに負けて逃げたくなるのも人間だ。

 

 ただ、今のエマは違う。

 違うだろう。

 

「自分のせいで人を傷つけることが怖くなって、お前は理由をすり替えた。責任を押し付けたんだ。誰がお前に失望するんだよ。過剰な責任感を負って、身を削ってでも報いようとしてくれるエマを、誰が見放すって?」

「妾は……」

「よくもまあ舐め腐ってくれたな、エマ。君は今、明確に俺たちを侮辱した。たとえ罪悪感が理由だったとしても、その自己矛盾だけは、君のためにも否定せざるを得ない」

 

 怒らなくてはならない。

 俺はその発言を受け入れることができない。

 

「……ぁ、あ……ご、ごめん、なさい。妾は、あぁっ、ハイミシア様を、ギルバート様を、軽んじていたのでは、なくて……ごめんなさい、ごめんなさい……!」

「だから、繰り返しになるけどさ。エマが恐れていることは起こらない。期待に応えられなくたって構わない。ただ生きてくれるなら、それでいいんだよ」

 

 エマはさっき俺がしていたよりも深く、蹲るように頭を地面につけていた。

 

「ギルバート様の、仰る通りです。妾は身勝手な理由で、皆様を傷付けて、死ぬのです。……本当に、救いようのない人間です。こうして、迷惑をかけてばかりなのですから」

 

 丸まった背を摩ってやろうとして、手のひらが通り抜けた。

 

「救いようはあるさ。救われようとしていないだけだ」

「人はそれを、救いようがない、と言うのです」

 

 それはそうかもしれない。

 ただ、それをどの口で言っているのか。

 

「重ね重ね申し訳ありません、ギルバート様。あなたにどれほどご期待くださっていたのか、ようやく……分かったような気がします」

 

 分かったような気がする、か。

 

「本当に分かってほしいことは分かってくれないんだな」

「……理解できていたのなら、妾は、今よりずっと、素晴らしい人間になれていたのかもしれませんね」

 

 ようやくエマが地面につけていた頭を上げた。

 微笑んでいるはずのエマから、痛切な悲哀を強く感じる。

 

「よくしてくださったこと、本当に、感謝いたします。妾と、ハイミシア様のために、手を伸ばしていただいて……妾があと少しでも強かったなら、その手を取ることが、できたのに……」

 

 ――ああ、もう、終わったんだな。

 

 もしエマの神族化を防ぐことができたなら。

 触れられなくなるほどに進行するより早く、捕まえられていたのなら。

 今ここで去り行くエマを繋ぎ止められたなら。

 

 卑怯者、と声が出そうになった。

 そう嘲ることで改心してくれるわけでもないから、言わないけどさ。

 俺の自分勝手なやるせない怒りでエマの旅立ちを汚すわけにはいかないから、言えないけどさ。

 

「妾はこのまま、消えていきますので……どうか、ハイミシア様に、お伝えください……」

 

 エマの透き通っていた体が溶けていく。

 この世界と異界とを結ぶ穴が閉じられていく。

 

「申し訳ありませんでした、と」

 

 つい手を伸ばした。

 黒に似た紫色の髪を、手で梳こうとして、からぶって。

 これが最後になるなら笑って見送ってやるべきだと思っても、ただ悔しいとしか思えなくて。

 

 エマが伸ばしてくれた右手を、俺の右手が、重ねて、透けて、温もりはどこにも感じられなくて。

 

 そして、エマの体が、消えて――――。

 

 

「失礼。少々道に迷っていたもので、遅れてしまいました」

 

 

 消えない。

 

 手に伝わる柔らかな感触を確認し、すぐさま抱き留めた。

 そうでなければ消えていってしまいそうだったから。

 

「へぅっ!? なんっ、なんでっ、ギ、ギギ、ギルバート様っ!?」

「ごめん。でも、離さない」

「ひゃうっ、あっ、あの、妾は、その、こういった経験が初めてでして、何卒ご容赦を、どうかっ!」

 

 エマの右手を掴む。

 ……命の危険でも感じてるのかってくらい暴れている脈拍は一旦置いておくとして、問題は手首に巻き付いた見覚えのある包帯だ。

 

「キサラのものか?」

「ご明察でございますね、ギルバート様。庶民にしてはよくやるものです」

 

 キサラやエマが着けていた包帯。

 それは『驚愕』の神族ホルトゥスの後裔によって作られた、所謂マジックアイテムと呼ばれるものだ。

 

 ホルトゥスのその包帯には『驚愕』が持つ閉鎖と保存の性質が強く保持されている。

 それを利用して、異界に逃げる者の存在をこの世界に閉ざした、ということか。

 

 それにしても、とセルウィタを見る。

 

「……ここまでの展開、すべて察しが付いていたのか?」

「私めは貴族ですから。頭が足りない庶民の皆様とは血筋から違うのですよ」

 

 今日だけは素直に感嘆しよう。

 よくぞやってくれた。

 

「思い出した。そっか、お兄ちゃんはこの人のために戦ってたんだ」

「うぅ、忘れたり思い出したりで頭が痛いです……」

 

 二人の反応からも確信する。

 エマが完全にこの世界に戻ってきてくれた。

 それなら、やることは一つだけだ。

 

「エマ、ちょっと入るぞ」

「えっと、えっ、その、何がでしょうか? おっ、お待ちください、妾はまだ、状況が――ひゃぁっ!? んっ、んぁっ、ひぅっ!?」

「えっ、えっ、何が起きてるのお兄ちゃん!?」

「私たちが見てる前で、そんな……興奮します……!」

 

 エマの神性を探る。

 向こうも神性親和症だからか、動きやすくて助かる。

 

 肥大化した『不信』を抱える神性がある。

 適性は三つ。『嫌悪』と『悲哀』と『驚愕』だ。

 失われた『期待』の適性が萎れている。

 

 ただ、それ以外が何も変わらない。

 神族化したことで何が違っているのか分からない。

 

「ひぁっ、やめ、ギルバート様……どっ、どうか! どうか、妾にっ、説明だけでもぉっ、んはぁっ、や、ひゃぁっ……!」

「クソッ、何をどうすればいい」

 

 何も手掛かりがない。

 取っ掛かりすら見つからない状況に、最悪の可能性が思い浮かぶ。

 

 元々、ファトゥスへの偏見を元にしたティアの推測では神性親和症がカギとなるはずだった。

 救える余地があった方が俺の後悔が増すからだ。

 

 それが、今までのことを指しているのだとしたら?

 神性親和症はエマを捕獲するために必要な要素。

 認識できなくなるエマを唯一見つけられるものであって、それこそがカギという意味だったなら。

 

 神族化を止めることは誰にでもできるとして。

 神性親和症の使い所を間違えているなら、アプローチから変えなくてはならない。

 

「またまたご明察でございます」

「……何でも分かってるんだな。それなら、教えてくれ。神族化はどうやったら止められる?」

「思考停止とは怖いもので、一度ご自分でお考えなさってから……そう睨まれては堪りませんね」

 

 さっさと教えてくれ。

 神性をこれ以上弄ってるのも無駄らしいため、エマを一時的に解放する。勿論包帯は巻きつけたままだ。

 

「単純明快なお話にございます。一度止まったのですから、それを参考にすればよいだけのことでしょう」

「……ハイミシアが止めたように、か」

「さて。エマ様の無礼を咎めるために参ったのですが、既に辱めを受けているご様子。私めは退散するといたしましょう」

 

 イーティアお嬢様のお飲み物をご用意しなければなりませんし、あと私めも喉が渇きましたので。

 セルウィタはそう言って夜の森に消えた。

 

「単純な話とは言ってもなぁ……」

「はーっ、はーっ……ハイ、ハイミシア様……妾は、ようやくあなたのお話を理解することができるかもしれませ――わひゃあっ!?」

 

 地面に手をつき、何やら呼吸を整えていたエマを再度抱きかかえながら考える。

 エマの歳が十六くらいで、体もあまり大きくないため、拘束するのは割と簡単だ。

 手を回した時にはもうふにゃふにゃで抵抗しないし。

 

「エマ。君の神族化で俺も巻き込まれて死んでやる、って、言ったらどうする?」

「みっ、認めません! 何としてでも、妾だけが消えます。……たとえ、どんな手を使っても。皆様を傷つけるわけには、いきませんから」

「だよなぁ」

「はい、それで、その、は、離して、いただけますか……! 妾は、妾の、心臓が……もう、おかしくなりそうなので……っ!」

 

 ばくばくばくばくばくばくばくばく。

 異次元の拍動が背中越しに伝わってくる。

 

「ギルバート様……! 聞いていらっしゃいますか、ギルバート様ぁ……っ!」

 

 何やら縮こまったまま喚いているのを軽くあしらいつつ、セルウィタの言葉を何度も反芻する。

 どうすればいいんだ。

 エマの神族化を止めるには、何を言えばいい。

 

 頭を回しているその隙に――ぐい、と俺の腕を押しのけて、耳まで赤くなったエマが拘束から逃れる。

 いかに弱々しく見えても祝福を授かった一人の女性だ。

 力だけなら俺より遥かに強い。

 

「誰も巻き込まないために……妾は、もう、消えさせていただきます……っ!」

「ダメだ、エマ。包帯を外すな!」

 

 セルウィタが与えてくれた最後の時間だ。

 右手に巻き付いたそれを外そうとして――ブオン、と唸り声のような音がエマの動きを止める。

 

「ダメだって言われてるのが分からないんですか?」

「ひぃっ!?」

「……ルナって容赦ないよね」

 

 耳元を掠った戦鎚が、もう一度振りかぶられる。

 

人を動かすは嫌悪なり(homines odium moventur)っ!」

 

 手元に集まる紫紺の光が、迫る戦鎚を――弾き返した!?

 

 練り上げられた『嫌悪の魔法』が更に小さく圧縮されたことで、キサラに及ぶほどの、つまり物理的に干渉可能なほどの拒絶が現れたわけだ。

 

「はぁっ、はぁっ、うぅ……もう、終わりに、するんです……っ!」

 

 エマの目に覚悟が宿る。

 誰も傷付けないために、魔法の刃を向ける覚悟が。

 

「我が知りうる所であ(num scio)るか?」

「チッ。ほんと、最悪っ!」

「そんな小細工は無駄です。もう慣れましたから!」

 

 展開された『不信の魔法』がルナとギルベリタから存在力を奪う。

 

 これが、最後の最後。

 エマが全力を振り絞ったラストスパートだ。

 

「鬱陶しいんですよ!」

 

 せりあがる土の壁によってルナの動きが阻害される。

 振りかぶった戦鎚でその壁を打ち砕く。

 

「こちらこそ、無駄です。あなたの動きにはもう慣れましたっ!」

「そんなっ……くっ、舐めないで、くだ、さい……!」

 

 その一撃を待っていたかのように、地面から飛び出した木の根が戦鎚ごとルナの体を捉え、地中へと引きずり込もうとする。

 何故かただの腕力で幾本かの根を引きちぎっているが、縛り付けられた状態からは脱せないらしい。

 

 俺たちが戦ってきたエマは神族化によって意識が飛んでいた。

 理性的に動く今の彼女こそ、本来の実力を発揮できるってわけだ。

 

 唯一有利に働くとすれば、魔法の行使によってエマの祝福が失われたことだろう。

 接近すれば俺でも何とか抑え込める。

 

「お兄ちゃん、どうするの?」

「どうするも何もない。少しでも余裕を与えれば自分で包帯を外すはずだ。畳みかける他に手段はない!」

「……じゃあ、私から一つ策があるんだけどさ」

 

 ギルベリタと目を合わせる。

 

「あんまりやりたくないけど、お兄ちゃんが一発であの人まで辿り着けると思う」

「ほんっとに天才だな! 早くやってくれ!」

 

 エマがこちらの様子に注目している。

 次の瞬間には俺たちの拘束か、或いはその包帯を解いて異界へと逃げ出してしまうだろう。

 

 ギルベリタが一度大きく立ち方を変えて。

 俺の体が浮いた。

 

「じゃあ、行くよ、お兄ちゃんっ!」

「はっ? ちょっと、待って、何をする気でっ!?」

 

 そして持ち上げた俺の体を、ギルベリタが、投げた。

 

「うおおおおおおおっ!?」

「へっ、ちょっと、なんっ、何してるんですか!?」

「わぷっ」

「あ、危ない所でしたよっ!? 妾が受け止めていなければ、それこそ首の骨が折れてしまっていた可能性が……!」

 

 敵対しておいて優しいことばかり言う少女を、そのまま押し倒すようにしてマウントポジションを取る。

 ギルベリタの手段に問題はあれど、こうして近づけたならもう文句はない。

 

「聞いてくれ、エマ!」

「ひゃいっ!?」

 

 あとは俺次第だ。

 

「俺が全部一緒に背負う! お前の負債を、苦難も、恩も、全部俺が一緒に背負ってやる! お前が受けた恩を俺も返すんだ、お前だって、最後まで返す気概を見せてくれよ!」

「そんなの……か、勝手に、してください……妾は、妾は、絶対無理です……っ!」

 

 神性親和症の効果がないなら、あとは。

 言葉でエマの意思を挫くしかない。

 

「それなら罰してやる! お前が返しきれない恩を感じるたびに罰を与えてやるから、それを、生きていてもいい免罪符にしろ!」

「だったら、ここで殺してください! 妾が受けた恩は、この身一つでは到底返しきれない……! 未来さえも負債に充てなければならないほどのものなのです!」

 

 怒鳴りつけるように説得を繰り返しながら、とにかく考える。

 エマが生きることに納得してくれる逃げ道を。

 

 いや、逃げることを強制したっていい。

 すべてを差し置いてエマの命だけを優先する。

 それで助かるなら、それがいい。

 

「ハイミシアをどれだけ傷付けるつもりなんだ。家族のように思ってるなら、どうしてそうまでして死のうとするんだよ!」

「そん、なの……妾だって、妾だって、ハイミシア様と共に生きられたらどれほど幸せか……っ! ギルバート様のように思ってくださる方の隣が、どれほど心地よくて、そして、逃げたくなるか……!」

 

 キッと睨み返すエマ。

 

「ギルバート様には、分からないでしょう!」

「分かるはずないだろうが! 今までずっと溜め込んで、爆発した瞬間死のうとして! そんなヤツが考えてることなんか分かるかよ!」

 

 頭の中が熱くなる。

 エマの自分勝手な語り口がどこまでも気に入らなくて、置き去りにされるハイミシアを思えばその主張をどうやっても受け入れられなくて。

 

 互いにボロボロと涙をこぼして言い争う。

 

 エマの上から振り落とされて、それでも俺はエマの右手首を最後の頼りとして掴んでいる。

 ボロボロの司教服(キャソック)に土が付いている。

 耳の裏から垂れる二つの三つ編みは、片方がほつれてしまっている。

 

 二人、座り込んだまま。

 

 口論を重ねる。

 ただ、言葉が逸る。

 

「返せないかもしれない恩を感じて死にたくなる、って、どれほど馬鹿らしいことか分かってるのか? こっちは恩なんて返されなくたっていいんだよ! 勝手に、お前が笑顔になればそれでいいって、そう思ってやってるんだ! もっと理解しろよ!」

「わ、分かっています、それくらい!」

 

 逸る。

 

「妾が返せなくたって、返さなくたって、許される、などと……皆様の優しさは理解しています! それでも返さなければと思ってしまうのですから、もう、妾の、この考え方は、治らない……っ! 治せないのです!」

 

 逸る。

 

「なんでだよ、どうして、それで死にたがるんだ! 俺たちはただエマに――」

「もうやめてくださいっ!」

 

 エマが初めて怒鳴り返した。

 思考に一瞬の空白が生まれ、その隙にエマの両手が俺の肩を掴む。

 

「もう、やめて、いただけますか。これから、妾は、もう、消えてなくなるのですから……どうして、その最後に、こんなにも、妾を虐めるのですか……」

「こんな逃げ方をするからだ」

「ちが、違います。そうでは、なくてっ、妾は……妾を、望んでくださることが、堪らなく苦しくて……っ! ギルバート様が、妾のために、妾が生きられるよう、言葉をかけてくださって、それが……」

 

 信じられることが。

 こうして引き止められることが。

 

「痛くて、仕方ないのです……っ!」

 

 エマの顔が悲痛に歪んでいた。

 そこで、一つ、ストンと落ちるものがあった。

 

『単純明快なお話にございます。一度止まったのですから、それを参考にすればよいだけのことでしょう』

 

 ああ、そういうことか。

 よく分かったよ、セルウィタ。

 本当に単純な話だった。

 

 ハイミシアが言ったことをそのままに、「エマの神族化に巻き込まれて死ぬ」と言ったって効かない。

 それはエマが既に被害のない神族化を目指しているからだ。

 異界に逃げてしまえば、それで俺やハイミシアを殺すことはない。

 だから効果がない。

 

 だったら。

 

「なあ、エマ。聞いてくれ」

「……何ですか、ギルバート様」

 

 目を見て、真っ直ぐに、俺の言葉で。

 

「君が死んだら、俺は果物ナイフで喉を掻っ切って死ぬ」

「――えっ?」

「君が生きることから逃げたそのとき、ハイミシアの目の前で、俺も君に倣って死んでやる」

「何を、じょ、冗談では、済みませんよ!」

「俺の命の責任を君に預ける。最も仇として返せるよう最大限努力して、俺は君と死ぬ」

 

 狂気的な言い分だと理解している。

 それでも、そうでもしなければ止まってくれない。

 

「なんで、そんな、どうしてそこまで、妾を……!」

「それは全部話したことだろう?」

 

 俺の肩を掴むエマの両手を、持ち上げて、俺の首に添えさせる。

 その間もずっとエマの目を見つめる。

 

「君はこのまま死ぬんだよな。だったら、もう殺してくれて構わない。君が、殺してくれ。これから君は君自身に同じことをするんだから、予行練習だと思ってくれていい」

「ひぅっ!」

 

 怯える彼女と視線を合わせ続ける。

 

「君が死ぬために、俺を殺せよ。死ねば終わりならそれでもいいはずだ。俺を殺した罪さえ消えてなくなるはずだ。だったら、同じだろう?」

「や、やめて、ください……っ!」

 

 何の力も入らないエマの手。

 俺を絞め殺すことはできないらしい。

 

「君が死んだら、俺は死ぬ。ルナも、ギルベリタも、無視して、俺は死ぬ。リアも、ティアも、スクリータも、キサラも、そして勿論ハイミシアも。全部無視して、俺は死ぬ。君が殺す」

 

 ようやく飲み込めてきたのだろう、エマは蒼白な顔でぱくぱくと口を動かす。

 何を言えばいいか分からないままに、何かを言おうとしている。

 

 優しい人だ。

 責任感がある人だ。

 だから、もう、死なせない。

 

「大して変わらないさ。君はハイミシアや教会の方々から大いに好かれているだろう。その命を絶つんだ。初めから君が殺す命には価値がある」

 

 笑いかける。

 それが一番、俺を殺せなくなるから。

 

「俺という命が上乗せされたって、別にその手を止める道理にはならない。そうだよな?」

 

 エマの行動は論理的じゃない。

 返さなければいけない、というわけでもない恩に押しつぶされて死にかけているんだ。

 何一つ合理的じゃない。

 

 だからこそ効くはずだ。

 論理的には路傍の小石でも、感情的には受け入れがたいこの話に、揺さぶられてしまうはずだ。

 

 涙は止まっていた。

 エマの目は大きく見開かれたままだ。

 

「それが嫌なら――生きるしかない。俺の命が、君の死ねない理由を作るほどに重く感じられたなら、あとは単純だ。生きて苦しむしかない」

 

 呪いはかけられた。

 安心させるよう、抱きしめてやる。

 体温を感じさせてやる。

 

 君が死ねば、これは失われることになる、と。

 

「……妾のため、なのですか? だとしたら、どうして、こんなにも……命をかけるほどに、妾を……」

「生きて幸せになりたいのに、今を生きることが辛いなら。誰かがそれを踏ん張れるよう支えてやらなくちゃいけないと思う。それが、今日は俺だったんだ」

 

 ただのエゴと、ハイミシアの願い。

 生きたいと思うエマの本心。

 

 全部解決するためなら俺の命くらい引き合いに出すさ。

 

「さあ、選べよ。早くしないとスクリータが耐えきれなくなって、ここら一帯を君の神性が更地にして終わりだ」

「……神族化は、そう制御できるものでは、ありません。答えは、もう、出ています」

 

 エマがするすると包帯を解く。

 ホルトゥスの包帯が完全に解けきっても、腕の中に温もりが残っていた。

 

「妾は、妾は、思って、しまいました。ギルバート様を殺してでも死ぬことなどは、不可能で……妾が殺すことなどできないと、確信できてしまったのです」

「それは、ごめん、どういうことなんだ」

 

 それでどうして神族化が解けたのか。

 

「誰かを傷付けるかもしれない、と。その可能性を排除しきれない思いが『不信』となって宿っていたのです。妾が、妾自身のことを確信してしまったなら……それは、もう自己『不信』にはなりえません」

「殺せないことの自信、ってことか?」

 

 ハイミシアのそれも、確かそんな感じだったか。

 

『たとえ何が起ころうとも、妾は必ず、ハイミシア様の味方ですから!』

 

 エマは、自殺願望を語るハイミシアに対して、その味方であることを誓った。

 ハイミシアの味方であることだけは、それ以外の可能性を見つけられなかった。ハイミシアの味方になり損ねる自分が想像できなかった。

 だから『不信』が入る余地もなかったわけだ。

 

「妾は……もう、死ねないのですね……」

 

 しみじみと呟く。

 どんなことを思っているのかは分かっている。

 だから、俺は何も言えず、ただ黙った。

 

「お話は終わりましたか、ギルさん」

「おう、まあ、多少は……なんで怒ってらっしゃるので?」

「分かってないんだ。ふーん、これはお説教だね、ルナ」

 

 何故だか怖い顔をしている二人。

 

「情緒不安定な人に『俺を殺せ』って説得するの、見てて本当に不安だったんだけど」

「ああ、そういう。どうせエマには殺せないし」

「そんなの分かりませんよ、ギルさん。――少なくとも! 私たちには判断付かないことだから、不安だったんです!」

 

 それを言われるとどうしようもない。

 

「分かったよ、分かったから……」

 

 立ち上がろうとする。

 引っ張られて上手くいかなかった。

 

「あの、エマさん?」

「ちっ、違います! ちょっと引っかかってしまっただけで、お邪魔するような意図はなくてっ……!」

「本音は?」

「もう少しこのままで、と思う気持ちが全くないわけでも……はっ!?」

「よーし、ルナ。まずこっちから説教しない?」

「それがよさそうですね」

「えっ、あの、ごめ、ごめんなさい……っ!」

 

 説教タイムに入りつつ、三人はみんなの待っている方へと歩き出す。

 ルナの言葉を必死な様子でわちゃわちゃと否定したり、ギルベリタの追及に顔を赤くして俯いたり。

 見せかけだけでも普通の女の子のように戻ってくれたエマを少しだけ眺めて、俺もついていくことにした。

 

 聖都から俺たちの拠点となる街まで、旅程で見ればあと少し。

 最後の最後でとんでもないトラブルが起こったものだ、と溜息を吐かずにはいられなかった。

 

 これで良かったのかは分からない。

 少なくとも、ハイミシアにとってはいいことだ。

 ただエマにとって残された人生が幸せなのかは、やはり分からない。

 俺が幸せにするってのもそう簡単に言えることじゃない。

 

 ……生きるって、難しいな。

 

 

 

 




 

ただのデータ置き場になりつつあるなぁ、と思いながら久しぶりに作品情報見たら結構最新話まで追ってくれてる人いて作者はびっくりしました。
こんなふざけた作者名で匿名投稿してるふざけたタグ付いたふざけた作品についてきてくれてありがとね。

そろそろ三人目アンケート作るか……

 
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