逆転世界はもうどうしようもない   作:あああああ

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60 ハイミシアは笑っていた

 

 冷たい夜の空気が窓の外から流れ込む。

 火照った顔も冷えていく。

 

 遠くに聞こえる笛の音は、祭りの盛況具合を報せてくれた。

 

 やっちまった。

 そんな感慨がないわけじゃない。

 これからハイミシアとの関係は、斜面を転がり落ちる岩のように、進んでしまう。

 俺が誰を選ぼうとも重くのしかかってくる。

 

「私も女ですから、責任は自分で取りましょうとも。あなたの枷になるつもりはありませんよ、ギルバート」

 

 ハイミシアが起き上がって言った。

 そうは言いつつも期待しているのが透けている。

 

「ふふ、冥府に持っていく思い出があれば、後生大事にいつまでも抱えていたい思い出だってあるのです。果てるその時までキスをしているか、そうでないか、ということですよ」

「セクハラが生々しくなった……」

「私はどちらも非常によいものだと思います」

「聞いてません」

 

 比喩から話を展開するな。

 

「きっと、あなたに言わせれば責任なのでしょう」

 

 黙って聞く。

 

「私が司教として生きることを決めたあの日に、あなたと出会うことも、こうして死地に向かうことも、選択の責任というものです。それは私の責任であり、私が背負うべきものでしょう」

 

 ハイミシアは発言こそ領内秩序に真っ向から喧嘩を売っているが、考え方は倫理的だ。一角の司教として充分認められるほどに。

 

 実際、ハイミシアの言うことに同調しない人間がいないわけじゃない。リアやティアもそうだ。行動にこそ移さないが、代わりにそれを咎めない。

 

「最後に、先生として助言いたしましょう」

「まだ最後だとかなんとか言ってるんですか」

「あ、いえ、その。……迫られるのも乙なものですね」

「そういうのいいから」

 

 マジで言ってるんだよ、こっちは。

 そう言えばようやく理解してくれたようだった。

 

「これが最後という意味ではなくて。次に会う時、私たちは恐らくこのように腰を打ち付けて――ごほんっ、腰を落ち着けて話すことはできません。変わってしまうのです」

「ハイミシア様、あなたでさえも?」

「勿論そのようになるでしょう。そしてそれは、きっと不可逆なこと。一度結ばれた相手をもはやただの他人としては見られなくなるように、絶対の、戻らない変化ということです」

 

 ハイミシアは西部遠征で手柄を挙げた経験者だ。それならばきっと真実なのだろう。

 俺たちに下された命令は東部戦線における『冷笑』の神族ファトゥスの護衛ならびに『嫌悪』の聖女キサラとの同伴。

 

 変化だ。待ち受けているのは凄惨な戦場と、関係性の上塗り。今までのようにはいかない。

 すぐに崩れ去るものと分かっていた一方で、どこか盲信していた日常の延長線。そこに俺たちの未来はない。

 無理矢理にでもレールが移る。

 今までのようには、いられないんだ。

 

「寂しがることはありませんよ」

 

 心のうちを見透かされていた。

 

「それは、必ずしも悪いこととは限らないのですから。戦友の絆があなたたちによりよい結束を与えてくれる、私はそう考えています」

「……しかし、前提がある」

「私は本当によい教え子を持ちました。自分を騙すことができない、誠実で潔癖な、あなたを」

 

 ハイミシアは悲しく微笑んだ。

 

「喜びなさい。あなたと言葉を交わす戦友が、幸運にも残ってくれていることを」

 

 ハイミシアは優しく微笑んだ。

 

「信じなさい。あなたと望みを繋ぐ戦友が、よき運命に導かれていることを」

 

 ハイミシアは痛みを堪え、優しくも悲しそうに、微笑んだ。

 

「恐れなさい。あなたの隣を歩む戦友が、挨拶もなく、突然に、奪われてしまうことを」

 

 その体躯を抱き締めようとして、唇を噛んだ。それで満たされるのは俺だけだ。ハイミシアの『安心』、『信頼』、そして『恐怖』は、何よりも深く心に根を張っている。

 それが真実であるからだ。

 

「終章軍が司るは『恐怖』。その意味を、あなたであれば履き違えることはありません」

 

 ハイミシアは笑っていた。

 

「きっとまた会いましょう、ギルバート」

 

 祭日の笛はどこか遠く。

 俺はもう甘えてはいけない。

 傲慢ではなく、怠惰になってしまう。

 

 俺は俺自身で向き合わなくてはならない。

 明朝の別離を恐れ、信じなくてはならない。

 

「また、お会いできる日を待っています」

 

 俺の言葉は掠れていた。

 

 

 祭りの中を一人、歩いていく。

 どこにも俺の居場所が見つからなかった。

 心の奥底で溜まっているものを受け入れる、ただそれだけが最も困難だった。

 

「あれ、ギルさん。どうしてここに?」

 

 振り返る。

 

「――教会へ行ったとリアさんから聞きました。きっとあの人なんでしょう」

 

 ルナは自分の背丈よりも大きな戦鎚を抜き放ち、殺気を出し始めた。

 こんな往来で何をやってるんだ。

 

「酷い顔してますよ。いつまで経っても恋愛と縁がない姉も、今のギルさんと同じ目をしています」

「そんなにか」

「だから、あの司教に話がある」

 

 戦鎚が空を唸る。

 

「俺の仲間を傷つけたならぶちのめしてやる。そうでないにしろ、顔を曇らせてんならぶっ叩いてやる。テメェが好いた男に面倒かけてんじゃねえよ、ハイミシア……!」

「はいはい、わかった。ありがとうな。俺より怒るのはやめてくれ。素が出てるぞ」

「では、平常心のままで殺してきます」

 

 待て待て待て。

 

「俺は優しいルナが好きだ」

「私は笑顔のギルさんが大好きです」

「それは、うん、まあ、そうか。そうなんだがなぁ」

 

 実際頭を悩ませているのはハイミシアだが、その理由は司教としての責任からくるもので、ハイミシア自身や俺たちの働きかけではどうすることもできない。

 

「私はとっても頭が悪いです。ギルさんが語ってくれる魔法の話は半分もわかってません。責任とかもよく分かりません」

「だったら何に怒ってるんだ」

「ダサいんですよ」

 

 ルナはビシッと中指を立てた。

 

「どんな理由があっても、今、ギルさんが苦しんでいるなら、そうさせたあの人は、ダサいです。止めないでください。同じ女として、恥ずかしくて堪りません。矜持が汚された気分なんです」

「ルナはかわいいなあ」

「何を今更、私はずっとかわいいですよ」

 

 ハイミシアや俺とは全く異なる感性だった。

 

「気晴らしに付き合ってくれないか。ハイミシアは放っておいて、祭りを楽しまないか」

「ですが……」

「頼む」

 

 もう決着したことだ。いつまでうじうじしてるんだって話だからな。俺はさっさと吹っ切れるのがいいんだろう。

 

 ハイミシアの言葉を忘れない。

 今は隣にルナがいることを喜びたい。

 戦線で失うかもしれないからには、それが一番だ。

 

 ルナは俺を見て、頭をガシガシ掻いたあと、頷いた。

 

「わぁーったよ。俺もお前も、ハイミシアを忘れよう」

「それがいい」

 

 祭りはまだまだ続いている。

 笛が鳴る方へ向かって、路地を歩き始めた。

 

 半分くらい行ったところで、ルナが静かに、ぽつりと溢した。

 

「ギルさん、ちょっと聞いてくれますか?」

 

 屋台のない路地は人通りも少なく、寂しいものだった。

 

「ファトゥスが出てくるまでの話です」

 

 陰を吸って暗くなった菖蒲色のルーズテールを揺らし、ルナは立ち止まる。

 

「生まれ育った村に、何かを――いえ、この手に残るすべてを諦めて逃げ出してしまう日が来るんだと、ぼんやり考えてたんです」

 

 ルナは戻るべき場所を持っている。

 村にカケラも愛着を感じていないリアや、訳アリのティア、もう故郷を捨てた気でいた俺とは違って、その椅子は唯一の居場所ではなかった。

 

「遊びだったんです」

「……それは露悪的が過ぎる」

「本当に、道草としか思っていなかったんです。みなさんといる時間は私の人生において幕間でしかなかったんです」

 

 均された価値観を共有するような閉鎖的環境では、得てして狭小な世界に閉じ込められるものだ。

 

 ルナは村ありきの考え方に染まっていたんだろう。

 悪いこととは思わない。

 それを幸福とする人も多いだろう。

 だが、しかし。

 

「私はもう帰りません。ここが私の居場所で、人生の道を正しく歩んでいると、そう思えるんです。帰るならここに、みなさんの隣に。どうか、置いていてください」

 

 ルナは俺の言葉を必要としていなかった。

 

「どうして今、それを?」

「ハイミシアのせいで落ち込んでしまっているようでしたから。嬉しく思っていただけましたか?」

「ああ、嬉しいよ。ルナが俺たちのことを大切に思ってくれてるのは、よく伝わったから」

 

 大通りに出れば、祭りは盛況だった。

 準備のために走り回っていた昼よりずっと騒がしく、通りを埋め尽くしてしまいそうな勢いだった。

 

「手、繋ぎますか?」

「繋ごうか。はぐれたらいけない。ルナは小さいし」

「むっ」

「あと俺もはぐれたくない。一人で歩いていたらどうなるか分かったものじゃない」

「ああ、それもそうですね。仕方ありません。私が繋ぎ止めてあげましょう」

「助かる」

 

 さて、祭りを楽しもうか。

 何か忘れているような気もするが――。

 

「あっ、ギーくん!」

 

 思い出した。そういえばスクリータやギルベリタと回る予定だったんだ。ハイミシアとのあれそれですっかり頭から抜けていた。

 声がした方を向けば、両手に串物を持ったスクリータがこちらを見つけていた。

 

「ギーくんギーくん、偶然だね! こんなにおっきなお祭りなのに見つけられるなんて、もしかしてギーくんの方からボクを探してくれてたの? ギルベリタはもう寝ちゃったから二人っきりだね、えへへ」

「私もいますよ」

「ん、んん、ギーくん、ボクとの約束ほっぽり出してルナちゃんと回ってたの? ……ボクはお邪魔虫かな。い、一緒に、回るのは、ダメ?」

 

 相変わらずのフルスロットルだ。

 ルナと目を合わせた。ちらちらと不安そうに繋いでいる手を見ているスクリータ。アイコンタクトで意思疎通を図る。

 

 むふー、とルナは満足そうな顔になった。

 

「私とギルさんのデートです。邪魔しないでくださいっ!」

「一緒に回ろう、スクリータ。約束破って悪かったよ。また埋め合わせはするから」

「あ、そっちなんですね」

 

 断ったら俺は罪悪感で死ぬ。

 

「それならギーくん、ボクとも手を繋ごうよ。昔みたいにまたそうしたいの」

「何言ってんです? スクリータさんは両手が塞がってるじゃないですか」

「どっちもルナちゃんにあげる。両手出して」

「嫌です。私の手はギルさんと手を繋ぐためにあるんですから」

「ボクもそうなの!」

「だったら今手に持ってるのはおかしいですよね」

「……ルナちゃん嫌い!」

「じゃあ一緒に回らなくて結構です!」

 

 誰とでも仲良くやりそうな二人だが、なぜだか相性が悪いらしい。まあリアとキサラほどではないけど。

 

「スクリータさんを見てると以前パーティーを追放された時のことを思い出すんですよ。あの時もこういうピュアを装ったメンヘラ女でした」

「昔のギルベリタみたいに意地悪……!」

 

 お互いに地雷を踏んでいるらしい。

 不幸なこともあるものだ。

 

「スクリータ、さっさと片方の串を食べればいい。ルナはそれを言ってやれ。スクリータは自分の都合ばかり言い過ぎだ」

「むう、すみません。私とギルさんのデートなのに……」

「そっか、そうだよね。ギーくん、あーんして」

 

 美味い。

 シンプルな焼肉の串だが、味がしっかりついている。空きっ腹にガツンとくる甘辛にんにくのタレだ。

 

「や、やっぱり私が」

「えへへ、ギーくんにあーんしちゃった。なんだか照れちゃうね。……ちょっと、顔が熱いよ」

「私のギルさんが、目の前で、くっ、興奮してきました」

「ルナちゃんもやってみる?」

「大丈夫です。こっちの方が気持ちいいので」

「公共の場で何を言ってるんだ」

 

 ツッコミを入れつつ焼肉を食べ終え、おずおずと差し出された手を握る。幸せを満面に浮かべたスクリータが眩しすぎる。

 

「ずっと一緒にいたいな、ギーくん」

「もれなく私もついてきますよ」

「ルナちゃんならいいよ? ボク、みんなで楽しくいられたらそれでいいの」

「ギルさん、私って死んだ方がいいですか?」

「気持ちは分かる」

 

 でも今はちょっとナイーブになるからやめてくれ。

 

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