逆転世界はもうどうしようもない 作:あああああ
ハイミシアとの別れは、多くは語らない。
いつかまた会う時が来るんだったら、別に大した別れってわけでもないからな。
「ギル、ちょっとここに座りなさい」
見送って拠点に帰り、ティアの第一声がそれだった。
嗚咽を漏らしながら飲み物を用意しようとしているエマがセルウィタに止められ、スクリータが抱きしめている。そのまま聖都組の部屋へ向って行く。
一応この拠点は六人向けなんだが、セルウィタが自室を持たずに生活しているため、そこを聖都三人組にあてがっている。
ちなみにエマは普段ルナの部屋で過ごしているため、そこは仲が深まっていたり。
「ギル、聞いているのかしら?」
「ああ、いや。座ればいいんだよな」
「違うわ。あたしの隣に座りなさい」
「そりゃまたなんでだ」
こうするからよ、とこちらに倒れ込んで――膝枕だった。
そういえば前回からちょうど一ヵ月が経っている。
「へえ、やるじゃん。よく私の前でお兄ちゃんにそんなことできたよね。感心しちゃう」
「怖いからそのナイフはしまおうな」
「お兄ちゃんに支えてもらわなきゃいけないほど重い頭なら切り落としてあげる」
「マズいぞ、ティア。あの目は本気だ」
「枕に頭を乗せてるのよ? 安らかに眠るくらいどうってことないわ」
大問題だよ。
俺のトラウマになる。
「あたしは正当な権利の行使としてギルに甘やかしてもらってるのよ、ギルベリタ」
「それ妹の権利を侵犯してるから。お兄ちゃんは私のもの」
「俺の人権は?」
「お兄ちゃんには私を愛でる権利があるよ」
「兄であることを強いられている」
あんまり他所様に迷惑をかけるんじゃない。
「ところでギルベリタ様。私めは九人の家事を担当しておりますので、少々お疲れでございます。まだ洗濯物を取り込まなくてはならないのですが」
「それが何? 本懐ってやつなんでしょ、まさか手伝えとか言うつもり?」
「私めは女ですから、一名分はお任せしようと思ったのですが。ギルベリタ様がそうおっしゃるのでしたら本懐を果たすことにいたしましょう」
「すみませんでした」
「では裏手に準備してありますので」
俺の服で釣るな。
そしてギルベリタも釣られるんじゃない。
声をかける間もなく裏口に向かっていったギルベリタ。追うには膝の錘が邪魔だった。
「それではイーティアお嬢様、差し支えなければお時間をちょうだいします。ではまず状況の整理から始めますが――」
「その話なら、普通に座って聞くわよ。少し待っていなさい」
そう言って、ティアは俺と目を合わせた。
「おはようのキスを所望するわ」
「寝言なら寝て言え」
「頬でもいいのよ?」
「口だと思って聞いてねえよ」
「……セルウィタ、このまま話しましょうか」
「お言葉のままに」
本当にそれでいいのか。
「さて。私めはセルウィタ・クーラ。ご存知の通りイーティア・セルペンスお嬢様に幼少の砌から仕え、そして今はセルペンス家の手先としてスパイに勤しむドジっ子メイドでございます」
「ギャグとシリアスを混ぜるな」
「ドッジ子メイドでございます」
「残すならシリアスを残せ」
肝心要の情報が何一つ上手く入ってこないんだよ。
「分かっていたことね。あたしを取り戻すために血眼ってわけでしょう? 何か不測の事態でも起きたのかしら」
「いいえ。至極当然の帰結でございます。アトラ様が跡目争いから脱落してしまったので」
「……アトラ姉様が? 嘘よ、あの人は方位爵の跡取りとして申し分ない能力を備えているわ。まさかサティアが蹴落としたわけでもないでしょうに」
「それでも逃れ得なかったということです」
放心したような顔をして、膝枕の上からセルウィタを見つめていた。
ティアはセルペンス家の第二女だ。
姉がアトラ、妹がサティアという名前なのだろう。
「西方遠征かしら? それとも母様が? 何がどうなってアトラ姉様は脱落したと言うの?」
「色恋にございます」
「は?」
過去一番にドスの効いた声だった。
「アトラ姉様は庶民の方と駆け落ちなさいました」
「エレーナ母様は認めたのかしら」
「勿論、お怒りのあまり本邸が燃えました」
「は?」
ティアはしばらく考えたあと、俺の腹に顔を埋めた。
何やってくれてんだこのお貴族様は。
「もう意味分かんない……泣きそう……」
素直に弱音を吐くとは珍しい。
ただそれとこれとは話が別だから一旦離れろ。
「イーティアお嬢様。どうかセルペンス家をお継ぎなさってくだいませ。私めはそのために遣わされたメッセンジャーであり、そして、それを本心から望んでおります」
「死んでも嫌よ」
「本当に殺されてしまうとしても?」
「……あの家のことだから、サティアが家を継ぐとなれば不確定要素であるあたしを排除にかかるでしょうね」
そうなったら俺たちは何が何でも抗うしかない。
ティアは大切な仲間だ。
真っ向からぶっ潰してやる。
「落ち着きなさい、ギル。一旦頭が代わってしまえばそれで終わるはずよ。エレーナ母様はそう暇でもないし、北西領や聖都にさえ立ち入らなければ解決するわ」
「サティア様もお嬢様を探しておいでです」
「ギル、あたしと駆け落ちっていうのはどうかしら?」
「もうちょっと考えないか?」
諦めが早すぎる。
「伝えなければならないことは以上です。それでは失礼、エレーナ様にご報告の通信の書かなければなりませんので」
「もうスパイであることを隠そうともしないんだな」
「バレてしまった嘘に執着するのは無様ですから。メイドの失態は主人の品格を揺るがしてしまうと存じております」
ドジっ子メイドを名乗っても品格は揺らぐと思うぞ。
セルウィタのペースは依然として全くブレない。まるで自分が一番上から見下ろしているかのように、余裕綽々を崩さない。
「セルウィタ」
ティアが呼び止める。
「あなたの行動で品格が下がる相手は、つまり今の主人は、いったい誰なのかしら」
「誰の目にも明らかなことと愚考いたしますが?」
「いいから答えなさい」
緊張感が走る――ことはない。
膝枕されたまま一方が喋ってるんだ、緊張なんかして堪るか。
「さて。今の所は、秘密にしておきましょうか」
「答えなさい」
「家事が溜まっておりますので」
「セルウィタ!」
言葉は虚しく、俺とティア二人しかいない共用スペースに響いていた。
なんだろう。
かなり大事なイベントだったはずが、どうしてこんなにも軽い手触りなのだろうか。
「膝枕やめないか?」
「死んでも嫌よ」
そっか。
そうかぁ。
俺たちの拠点には個人用の部屋が六部屋ついている。一階に二部屋、これはファトゥスと聖都組のもの。二階にある四部屋は、俺とリア、ティアやルナの部屋となっているわけだ。
そして一階の空きスペースには台所やお手洗いなどが備えつけられているわけだが、その隣には風呂まである。
なんとこの屋敷には風呂がある。
毎朝エマとセルウィタが井戸から水を汲んできてくれるため、お湯も潤沢に用意できる。火は台所から借りればいいわけだしな。
そんなこんなで、俺たちは毎日風呂に入る習慣を身につけていた。
公衆浴場の経験しかない我々にとってプライベートな風呂場とは想像だにしていなかった代物だ。火加減の調節はセルウィタがやってくれるので基本的にはいつでも入ることができる。
「ギルくんやっほー! お風呂上がりのファトゥスちゃんだよぉ! 悩殺されちゃった? ねえねえ、興奮した?」
「うるせえ、タオル一枚で歩き回るな。床が濡れる」
「んん? もしかしてギルくん、ファトゥスちゃんの力を忘れちゃった? ――
「床より自分を乾かしてくれ。それじゃいたちごっこだ」
「うんうん、だから今、ギルくんに手から温風を出せる魔法をあげたんだよ」
「軽率に魔法の常識を踏み躙るのやめてくれない?」
うわっ、本当に出た。
「ほらほらぁ、早くファトゥスちゃんの髪を乾かしてよ、ギルくん。床が濡れるのは嫌なんでしょ?」
「この風でより一層飛び散らないか?」
「それはファトゥスちゃんが何とかするから大丈夫!」
「何が何でも俺にこの変な魔法を使わせたいってわけだ」
「その通り」
「……普段に比べればまだかわいい方だな。分かったよ」
俺が頷くと、ファトゥスはノリノリで足の間に座ってきた。しっとりと濡れた赤い髪がだらりと垂れ下がっている。
手からちょうどいい温風を出して水分を飛ばしていく。
「なあ、ファトゥス」
「何かなぁ、ギルくん」
「当分は『混沌』の神族を追うことになるのか?」
「うーん、ファトゥスちゃんはぶっちゃけどうでもいいんだよね。東方戦線とかさ」
人間の存亡をそれなりに握っているとは思えない軽薄さだ。
「毎日生き残るために必死な一兵卒ちゃんたちは唆るけど、人間領を守るために戦ってる意識高い系の子とかファトゥスちゃん苦手だしさ」
「俺は今悪魔と話してるのか?」
「確かに生態は似てるけど、ファトゥスちゃんは立派な人間だよ!」
「立派ではない」
生き死にを前にして怯む終章軍兵士を嘲笑う道化師の想像が鮮明に浮かぶ。
「ファトゥスちゃんは使命に従うよ。それ以上でもそれ以下でもない。メア様が起きてくれたら、ファトゥスちゃんは自由になる。お行儀のいいサーカスなんてつまんないよ」
「……それで観客は喜ぶと思ってるのか?」
「独善的でインモラルな一人だけの舞台。――なんて滑稽! 今のうちから昂ってくるねぇ、ギルくん?」
「同意を求めるな、寄りかかってくんな、あっち行け!」
「あははははっ!」
いつもいつも楽しそうにしやがって。
『冷笑』の神族らしいと言えばらしいが、付き合わされる俺たちは頭を抱えることしかできないんだ。もう少し加減してくれよ。
タオル一枚、紅いロングヘアを濡らした美しい女。
ただし中身が残念過ぎる。
頭を押さえていると、背後から声がした。
「ファトゥス様。お着替えを準備いたしました」
「ん、エマちゃんか。そうだねぇ、ギルくんに着替えさせてもらおうかなぁ?」
「誰がやるか」
「であれば、妾が」
「いいのいいの、エマちゃんはギルくんにお仕えしたいんだもんね?」
「神族様には心よりの忠誠を捧げております」
ファトゥスの顔がぐにゃりと歪む。
「ギルくんを取られたくないって言うだけがそんなに難しいの?」
「そのような私心ではありません」
「……へえ、腐っても司教だねぇ。イヴ様はいい仕事してる。うんうん、その通り。エマちゃんはとっくに身も心も自分のものじゃないんだよ」
嫌な予感がした。
ファトゥスはくっきりと『冷笑』を顔に浮かべる。
「だったら、ギルくんだって殺せるよね?」
頭上越しに会話をしているため、ソファの後ろにいるエマの顔を見ることはできない。
ただ静かだった。
ファトゥスはエマで遊ぶのが目的だ。
今すぐにでも止めるべきなのだろうが、そうしたとしても、どうせ俺がいない所で再び始まることだろう。
妙な口出しはしないでおく。
「ファトゥスちゃんはこの世界に退屈しちゃったんだよね。今はぁ、真っ赤なショーが見たい気分! エマちゃんが震えながら懺悔してるのも見たい!」
「ファトゥス様、お戯れはよしてください」
「意見を言っていいのは人間だけだよ、エマちゃん。道具なら願いを叶えてくれなきゃ。それとも、人間だって認める?」
底意地の悪さが透けて見える。
だから嫌いなんだ。
ファトゥスが俺を抱きしめた。
頸がエマに見えるよう、心臓を背後から狙えるように。
「殺して?」
エマはまた答えなかった。
ファトゥスはじれったそうに身を捩る。
「ギルバート様は、妾の恩人です」
「そうだねぇ」
「恩人を自らの手で殺めるような聖職者には罪と罰が必要に違いません。今から頷きますので、ファトゥス様、妾を殺していただけますか」
信仰心と報恩の天秤はどちらにも傾かなかったらしい。
エマが死んだら俺も死ななくてはならないわけだが、少しでも生き残る方へ賭けたということだろうか。それも、俺が。
自己犠牲と言うのは単純化が過ぎるか。
「エマちゃん覚悟決まってるね。うーん、合格! それに免じて満足してあげましょう。素直なエマちゃんが見たかったけどなぁ」
「まずお前が素直になったらどうだよ」
そんなぁと笑うように言い、エマから着替えを受け取って自分の部屋に帰っていく。
「災難だったな」
「……神族様ですから。妾は司教として、私を滅する覚悟を備えていなくてはなりません。たとえどのような願いであっても、それに殉ずることは決定されています」
苦笑して返す。
聖職者は一般人ではない。
その理由を改めて確認した。
エマやハイミシアの信仰心は、つまり創造神への従属は、一人の人間が背負うには重すぎる責任を伴う。だから人間であることをやめている。
「ギルバート、様。……もし、もしも、あなたが死んでしまうなら、その時は……どこか、神性が行き着く先へと、し、妾を、ご一緒させてください」
うん?
「すべての恩を清算し、できるだけ早く追いつきますので」
「えっ、いや、後を追うのはあんまり急がなくたっていいけどな? いや、急がない方がいいけどな?」
「そんな、お、お役に立ちますので! どうか、どうかお許しください……っ!」
「そういう意味じゃねえよ」
もしかして俺が間違ってるのか?
そんなわけないよな。
そうもポンポン死なれたら困る。
何てったって既にギルベリタとスクリータのコンビで死後の両脇固められてんだよ。ただでさえそれなのに、エマまで連鎖するのは罪悪感がすごいことになる。
「エマまでいなくなったらハイミシアが悲しむだろう」
エマは困惑気味に首を傾げた。
「ハイミシア様は妾より先を行くことでしょう」
「四人目ェ!」
「ギルバート様はもう少しご自身の大きさを、その、再確認なさった方が……」
してるつもりだったとは言えない。
「はっくしゅん!」
体が冷えてきた。
濡れた髪を散々押し付けられて俺の服までびっしょりになっていたからだろう。
俺も風呂に入ってくるとしようか。
「エマ、ソファの方は頼んでいいか」
「分かりました。我が知
『不信の魔法』は物質の掌握と存在力の抑制とを両立する。ソファから水だけを選り分けるのも簡単だ。応用感情の魔法は相変わらず無法だな。
「お役に、立ちます……!」
「まだ言ってたのか」
「妾がここにいることを許される、ただ一つの意味ですから」
「重いよ」
重すぎるよ。