クモノウキナミ 言語を追加
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この記事は「新馬齢表記」で統一されています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
クモノウキナミ(Kumo no Ukinami:、1974年〇月〇日 - )は、日本の競走馬、種牡馬。
1976年にケンタッキーダービー・ダービー・アイリッシュダービーと3か国のダービー制覇。主戦騎手は伽賀武見で、すべてのレースに騎乗した。
経歴[編集]
出生・デビュー前[編集]
1966年にイギリスで生産された牝馬のマタティナ(父:グレイソブリン)は、競走馬として15戦5勝でナンソープステークス優勝馬。イギリスで繁殖牝馬として4頭の仔を産んだ後、1969年に日本へ輸入された。その後しばらく北海道白老町の社台ファームで生産を続けた。1973年には、クラシック2冠馬のクモノハナと交配、1974年OO月OO日、黒鹿毛の牡馬(後のクモノウキナミ)が誕生する。
戦績[編集]
2歳時(1976年)[編集]
1976年6月XX日、東京競馬場の新馬戦(芝1600メートル)にて1番人気でデビュー。スタートから先頭に立ち、逃げ切り勝ちを収めた。
次戦にイギリスのニューマーケット競馬場で行われるスーパーラティヴステークスに出走。レースはスタートの出遅れから先行勢に追い付いていく展開となるも、残り400メートルで先頭集団を捉えると、最後は2着馬ブラッシンググルームに1馬身1/2差をつけ優勝。重賞初制覇を海外で飾った。
9月XX日にはカナダに遠征し、サマーステークスに出走。ここでもスタートで出遅れるが、第3コーナー出口の地点では先頭から6番手の位置まで押し上げた。そして、最終コーナーに入った地点で先行勢を追走すると、内で粘るストロングガブスレイを一気に交わし、そのままゴールまで駆け抜けて1位で入線した。G1初制覇も海外で飾った。
1ヶ月半の放牧を経て、12月XXには全日本2歳優駿に出走。出走理由について調教師の埜平は「ダートでも走れる素質を持っている。ここで勝てればケンタッキーダービーも視野に入れたい。」と述べた。レースではスタートから積極的にハナを奪い、最後の直線でも脚色も衰えることなく逃げ切り、2着に4馬身差の圧勝劇でG1級競走2勝目を挙げた。
3歳時(1977年)[編集]
3月XX日、3歳初戦はキングアブドゥルアジーズ競馬場で行われたサウジアラビア国際競走のサウジダービーに出走。大外枠ながらハナを奪うとそのまま逃げ切り、2着に3馬身先着し、1番人気に応えた。
3月OO日、ドバイミーティングで行われるUAEダービに出走。好スタートを切ると道中は馬群中段のやや前方を追走。3コーナーを過ぎたあたりで徐々に順位を上げ、直線入口で先頭に並びかけそのまま後続を突き放す正攻法の競馬で人気に応えて勝利。
5月XX日アメリカクラシック第1冠のケンタッキーダービーに出走。スタートは出遅れて中段のやや後方を追走。最後の直線に入ると先頭で逃げ粘るシアトルスルーを差し切りハナ差で勝利。日本調教馬として初のケンタッキーダービー優勝馬となった。
6月XX日、陣営はアメリカ3冠へ挑まずイギリスのエプソムタウンズで行われるエプソムダービーに出走。レースはまずアーテイアスが逃げを打ち、クモノウキナミは2番手につけて直線を迎えた。内ラチから仕掛け、前を走るアーテイアスを抜き去り先頭に立つと、猛追するザミンストレルに1馬身1/2差をつけ勝利。史上初の英米ダービー制覇を達成した。
7月には勢いそのままにアイリッシュダービーに参戦。スタートで出遅れるも道中で中団に位置を上げると、直線に入ると先頭に立ち、押し寄せる後続馬をものともせずに押し切り勝利した。
陣営は凱旋門賞を目標に、ステップレースのニエル賞へ出走。レースでは好スタートから中団につけ、最終コーナーで進出を開始。残り200メートル付近で先頭に立つも、その外から勢いよく足を伸ばしたアーテイアスに交わされ、そのまま突き放されると3馬身1/2差の2着に敗れた。
10月XX日、目標通り凱旋門賞に出走。ニエル賞で勝利出来なかったものの、エクセラーに次ぐ2番人気に支持される。しかし、レースでは道中中団で脚を溜めたが直線で伸びあぐねて7着に終わり始めて初めて掲示板を逃すことになる。
凱旋門賞を最後に現役を引退し、1978年より武蔵ファームで種牡馬入りすることが発表された。
この年、JRA賞最優秀ダート馬及び欧州最優秀3歳牡馬を獲得。
日本でのダート勝利がない中での最優秀ダート馬獲得は史上初であり、ケンタッキーダービー勝利が大きく評価されての事だった。
競走成績[編集]
血統表[編集]