箱庭架空馬列伝   作:Folivora

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ドヌーヴ                              言語を追加

 

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この記事は「新馬齢表記」で統一されています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。

 

ドヌーヴ(Deneuve:、1981年〇月〇日 - )は、日本の競走馬、繁殖牝馬。

 

主な勝ち鞍は1983年の阪神ジュベナイルフィリーズ、1984年の桜花賞、優駿牝馬、秋華賞、1985年のヴィクトリアマイル、エリザベス女王杯。そのほか、宝塚記念2着、有馬記念2着など競走馬として通算17戦14勝。1983年の最優秀2歳牝馬、1984年の最優秀3歳牝馬、1985年の最優秀4歳以上牝馬に選出。競走馬引退後は繁殖牝馬としてランプリング、ブラシウ、フリードリヒという3頭のGI馬を輩出した。

 

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競走馬時代[編集]

 

出生・デビュー前[編集]

1981年O月O日、北海道静内町の武蔵ファームで誕生した。

 

父メイヂヒカリは、現役時代に1955年の菊花賞、1956年の天皇賞(春)、有馬記念などを勝利し、通算21戦16勝の成績を残した種牡馬。本馬はそのラストクロップにあたる。

 

母クウェリダ(父ハビタット)は、現役時代に通算13戦1勝の成績を残したアイルランド産の繁殖牝馬。クウェリダは英オークス馬ピア[(英語版)]を2代母に持つ血統馬で、その半弟にはジュライカップ優勝のチーフシンガー[(英語版)]がいる。1980年に日本へ輸入され、メイヂヒカリと配合。この結果、翌1981年に父にメイヂヒカリ、母にクウェリダ、青鹿毛の毛色を持つ本馬を出産した。

 

本馬は二天一ホースクラブによって、総口数500口、1口出資額18万円の総額9000万円で募集された。という競走馬名が与えられた。フランスの大女優カトリーナ・ドヌーヴの名前から、「ドヌーヴ」(英語: Deneuve)という競走馬名が与えられた。

 

2歳時(1983年)[編集]

1983年6月XX日、阪神競馬場で行われた第5競走の2歳新馬戦(芝1600メートル)でデビューし、3番人気に支持された。レースでは後方追走から直線で伸び、他馬を突き放すと、オオトリクラフトに5馬身差を付けて、1分38秒4の勝ち時計で優勝した。

 

1983年8月XX日、札幌競馬場のコスモス賞に出走し、5番人気に支持された。レースでは直線で馬群を割って抜け出し、2着のベルズラップに5馬身差をつけて、1分49秒1の勝ち時計で優勝した。

 

次走は10月XX日のアルテミスステークスへ向かう。2枠2番入り、単勝2.8倍の1番人気に支持された。レースは中団後方からの競馬を選択。4コーナーではまだ16番手付近に位置していたが、最後の直線では大外を強襲。2着馬ディスダイナに6馬身の着差をつけて重賞初制覇を果たした。

 

12月XX日に阪神ジュベナイルフィリーズに出走。単勝3.0倍、前走に引き続き1番人気に推される。レースは前半半マイル(800m)を最後方で進めると、加速を開始。最終直線手前で先頭に立つと、最後は追い込んだ2番人気エアポーターハウスを1馬身1/2差の2着に抑えて優勝した。

 

この年のJRA賞で、最優秀2歳牝馬に選出された。

 

3歳時(1984年)[編集]

翌1984年の初戦、3月XX日のチューリップ賞に出走。1番人気に推されると、その期待に応え、2着ベルズトラップに4馬身差をつけ優勝。桜花賞へ弾みをつける。

 

そして迎えた桜花賞は、道中はやや後方で運び、最後の直線で外に進路を取ると、並ぶ間もなく楽々と差し切り4馬身差をつけて優勝。クラシック一冠を獲得した。

 

5月XX日に迎えたオークスでは、単勝2.1倍の1番人気となった。スタートが切られると、スローペースとなったレース展開で後方に控える形で進んだ。最後の直線に入ってまもなく、トウカイテーストと共に追い上げを開始。先頭を走るエアポーターハウスを、残り100メートル地点でかわして突き放すと、最後はトウカイテーストとの叩き合いを制し1馬身3/4差をつけて優勝。前年のダイナカールに続いて二年連続で無敗での牝馬クラシック二冠を達成した。

 

この後は、宮本ファームで放牧。秋は、紫苑ステークスから始動の後、牝馬三冠の三冠目である秋華賞への出走を宣言。

「牝馬三冠」への展望を問われると、多原は「目標というより使命でしょう」と断言した。

 

9月XX日、予定通り紫苑ステークスへ出走。道中は中団に控え、最後の直線で抜け出すと、最後は2着のエアポーターハウスとの壮絶なたたき合いを制し、アタマ差で勝利を挙げた。

 

牝馬三冠最終戦・秋華賞は、単勝2.4倍の1番人気に推される。レースは好スタートを切ると、後方に控える形となっていたこれまでのレースとは違い、中団からレースを運ぶ。第3コーナーに入りゆっくりと位置をあげていくと、2番手で最後の直線を迎える。直線ではエアポーターハウスが独走状態を形成していた。ドヌーヴは末脚を発揮して追い上げて、残り50メートルで外から並びかけると、そのまま突き放し1馬身1/2差をつけ優勝。1976年のテイタニア以来8年ぶり、史上3頭目となる牝馬三冠を達成し、GI4勝とした。次走としてエリザベス女王杯に出走することを表明した。

 

11月XX日、予定通りエリザベス女王杯に出走。ダイナカールに次ぐ2番人気に推される。道中は後方で進めると最後の直線に入り、そこから脚を伸ばし、残り200m辺りで2番手まで上がる。しかし、先に抜け出していたダイナカールを捉えきれず、ダイナカールから4馬身差の2着に敗れた。GI連勝記録は4でストップ、GI初黒星となった。

 

1984年の活躍をうけ、JRA賞では最優秀3歳牝馬に選出された。

 

4歳時(1985年)[編集]

4歳シーズンの始動戦には小倉牝馬ステークスを選択。後方からの競馬を展開し、第4コーナー手前で加速を開始。そのまま、抜け出すと2着グローバルダイナに3馬身差をつけ優勝。

 

4月XX日、ヴィクトリアマイルの前哨戦である阪神牝馬ステークスに出走。後方でレースを進めると、最後の直線手前で加速。馬群を割って先頭に立つと、そのまま後続を突き放し優勝。

 

迎えた、ヴィクトリアマイルでは良いスタートを切ると4、5番手の位置をキープ。そのまま最後の直線に入ると足を伸ばしあっさり先頭に立つと、追いすがるダスゲニーを寄せ付けず、最後は6馬身差をつけ優勝。史上初の牝馬G1完全制覇に王手をかけた。

 

次走として宝塚記念に出走すると表明。宝塚記念のファン投票では無敗3冠馬のシンボリルドルフに次ぐ2位となる。

 

6月XX日、予定通り宝塚記念に出走。3冠馬シンボリルドルフとの同世代3冠馬対決が実現。シンボリルドルフに次ぐ、単勝2.8倍の2番人気に推される。レースは、外側の15番枠から抜群のスタートを切ると内側に移動してシンボリルドルフの機先を制して先頭に立ち逃げを展開。一度もハナを譲らないまま、最後の直線を迎えると、インを突いてきたシンボリルドルフに残り200m辺りでかわされると、そのまま差を広げられ6馬身差の2着に敗れる。鞍上の多原は「素晴らしい走りをしてくれた中で、さすがシンボリルドルフだなという感じですごく強かったです。」と述べている。

 

この後放牧をはさみ、秋初戦にはアイルランドトロフィーを選択。スタート直後から最後方に控えると、最後の直線に入り大外一気の脚で全馬を差し切ると2着のグローバルダイナに4馬身差をつけて優勝。地力の違いを見せつける形になった。

 

11月XX日、エリザベス女王杯に出走。史上初の牝馬GI完全制覇が有力視され、単勝2.3倍の1番人気に推される。レースが始まると、抜群のスタートから難なく先頭に立ち、1馬身のリードを保ったまま最終直線に突入。最後の直線でさらに末脚を伸ばすとそのまま逃げ切り、2着のダイナグレイスに7馬身差をつけて優勝。牝馬GI完全制覇を成し遂げる。多原は「宝塚(記念)での走りが素晴らしかったから、同じ距離のレースだし同じ展開に持っていこうと思った。うまくいきました。」と述べた。

 

次走を有馬記念とするとともに、引退レースとなることが決定した。

 

12月XX日の有馬記念に出走。出走メンバーには、1歳年上で三冠馬であるミスターシービー、同じく三冠馬であるシンボリルドルフがおり、史上初めて三冠馬3頭の対決が実現。ドヌーヴは、2番人気の支持。シンボリルドルフが1番人気、ミスターシービーが3番人気と、人気の面でも三冠馬3頭が「三強」を形成した。スタートが切られると、ハナを奪って逃げるシンボリルドルフを追う形で4、5番手の好位で追走。第3コーナー付近で追い出して第4コーナーでシンボリルドルフに並ぶも再び離され、最後はセーフティーリードを保ったまま逃げ切られ、4馬身半差をつけられ敗れた。レース後、多原は、「いつも通り一生懸命走ってくれました。相手はシンボリルドルフでしたから。」と述べ、両家は「勝った馬が強いなと思いました。勝った馬に負けず劣らず、うちの馬もすごくよく頑張って走ってくれたと思います」と語った。

 

全レース終了後、予定通り引退式が行われた。引退式で優駿牝馬優勝時の馬着を着用した。

現役最終年となったこの年はヴィクトリアマイル・エリザベス女王杯での優勝が評価され、JRA賞では最優秀4歳以上牝馬に選出された。

 

 

競走成績[編集]                                     

 

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繁殖牝馬時代[編集]                                     

年明け、初年度の交配相手がガリュウバイとなることが発表された。

1987年XX月XX日、初仔となる牝馬を出産した

 

1989年6月XX日、東京4Rの2歳新馬戦で、初仔のランプリングが1着となり、初戦にして産駒が初勝利を挙げる。同年10月XX日、アルテミスステークスを勝利し産駒の重賞初制覇。同年12月XX日のホープフルステークスも制し、産駒のG1初制覇となった。1990年には勢いそのままに桜花賞も勝利し、クラシック初制覇を達成。この年、ランプリングは牝馬3冠を達成する。

 

2番仔ブラシウ(父・カツラギエース)が、1990年8月XX日のサラトガスペシャルステークスを勝利し、産駒の海外重賞初制覇。さらに同年10月XX日のブリーダーズフューチュリティも制し、産駒の海外G1初制覇となった。

 

繁殖成績[編集]                                     

 

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血統表[編集]                                      

 

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