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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この記事は「新馬齢表記」で統一されています。詳しくは馬齢#日本における馬齢表記を参照してください。
ハナコウジ(欧字名:Hanakoji、1970年〇月〇日 - )は、日本の競走馬、種牡馬。
主な勝ち鞍は1974年の安田記念、スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ、1975年の高松宮記念、安田記念、スプリンターズステークス、マイルチャンピオンシップ。デビューから2年間は重賞を勝利することはできなかったが、3歳以降は出走した全レースで連対を果たし、1974年の京王杯SCから1975年のマイルチャンピオンシップにかけてGI7戦を含む11連勝を果たして1974度及び1975年度のJRA賞最優秀マイラー、最優秀スプリンターに選出された。
馬名は清原家衡の愛馬である花柑子に由来する。
競走馬時代[編集]
デビュー前[編集]
母・シレトコノウミは、ガルカドールを父に持ち、1962年に生産された牝馬である。競走馬として6戦未勝利で引退後、繁殖牝馬となった。1970年XX月OO日、3番仔となる栃栗毛の牡馬(後のハナコウジ)が生産された。1歳となった1991年、馬主の鍋島直茂が1億1500万円で購買した。
2歳時(1972年)[編集]
美浦トレーニングセンター・奥開真治厩舎に入厩し、10月XX日の東京競馬場の芝1800mの新馬戦で合原洋行を鞍上にデビューし、2着馬に2馬身1/2差をつけ勝利を飾った。続く東京スポーツ杯2歳ステークスでは大咲昭一が騎乗し、10番人気の4着に敗れる。12月XX日、大輪田稔を鞍上に迎えたホープフルステークスでは、最後の直線で伸びを欠いて8着に惨敗してしまった。
3歳時(1973年)[編集]
2月XX日のあすなろ賞では戸島太が騎乗し、2勝目を挙げてオープン入りを果たした。その後の若葉ステークスでは1番人気に推されるもクリオンワードの3着に敗れ、京都新聞杯でも3着と勝ちあぐねる。2ヶ月の放牧の後、8月の月岡温泉特別に出走。2着馬に9馬身差をつけて圧勝すると、続く大原ステークスも勝利を挙げオープン入りを果たす。12月XX日、ディセンバーステークスに出走。後方一気の足で後続に5馬身差をつけて勝利。放牧明けを3連勝でシーズン終える。
4歳時(1974年)[編集]
前年に引き続き合原とのコンビで挑んだ東京新聞杯では前走同様、後方からのレースを展開すると、最後の直線で抜け出し2着馬のアグネスローブに2馬身半差をつけて勝利し、重賞初制覇を飾った。
3月XX日、キャリア初のG1レース出走となる高松宮記念では、4番人気に支持される。レースは最終直線での伸びに欠け3着に敗れる。
次走の京王杯スプリングカップでは2着に7馬身をつける圧勝をすると安田記念の優先出走権を確保。向かえた安田記念では単勝1番人気に支持されると、レースは最後方から直線で一気に突き抜け3馬身1/2差で勝利。G1初制覇を達成した。
秋初戦は前哨戦を使わずスプリンターズステークスへ直行。舛沢末夫に乗り替わり、16頭中本馬を含めた4頭がGIの優勝馬、重賞馬は9頭を数える好メンバーが揃った中で単勝1番人気に支持された。近走と同様、後方からレースを進めると直線で一気に他馬を差し切って優勝した。
10月には、富士ステークに出走。このレースの鞍上には池柄泰郎が迎えられた。レースでは、スタートから後方で待機し、直線で外に持ち出し、末脚で以て差し切った。
11月XX日、マイルチャンピオンシップに参戦。単勝オッズでは、これまでの活躍から1倍圏内という圧倒的な人気を集めた。
8枠17番から好スタートを切るも控えて後方で待機。エリモシルバーが逃げて平均ペースを刻んでいた。最終直線に向き、ハナコウジは大外に展開して追い上げを開始。伸びあぐねる先行勢を差し切った。最後は2番手に上がってきたスガノホマレに1馬身3/4差をつけ優勝を飾り、史上初の安田記念との同一年マイルG1二冠を達成した。レース後に合原は「堂々とした競馬だった」と称えた。
この活躍が高く評価され、最優秀スプリンター及び最優秀マイラーを受賞した。
5歳時(1975年)[編集]
1975年初戦は、シルクロードステークスを選択。単勝オッズ2.0倍の支持を受けて出走。スタートから後方に位置を取って直線半ばで先頭に立ち、後続を振り切って優勝した。
続く3月XX日の高松宮記念でも2.0倍の1番人気に支持された。レースでは好スタートを切るも最後方より進め、最後の直線で追い出されるとすかさず加速し、逃げ粘るサクライワイをかわして先頭に立ち、6馬身差をつけて快勝。
高松宮記念の後は6月XX日の安田記念に挑戦することが発表された。単勝オッズ1.8倍の圧倒的な支持を受けて出走。本番では直線入口まで最後方を追走、合原がスパートを掛けると先行勢を一気にかわして先頭に立つ。さらに先頭に立ってからは突き放す一方となりサクライワイに9馬身差をつけての勝利、連覇を達成した。
秋緒戦となった9月XX日のセントウルステークスは60kgの斤量を課されも、これをものともせず2着トイショーに4馬身差をつけ勝利した。
迎えた9月XX日のスプリンターズステークスは後方待機から直線で馬場の真ん中を割るように抜け出して勝利。連覇を果たすと同時に、同一年春秋スプリントGI連覇を達成した。
引退レースとして11月XX日マイルチャンピオンシップに出走。レースではこれまでの展開とは一転、好スタートを決めてハナを奪うとスタートから一度も先頭を譲ることなく、追い上げてくるニシキエースを振り切り勝利。2年連続の同一年マイルG1二冠を達成、6戦全勝でシーズンを終えた。
この年も昨年に引き続き、最優秀スプリンター及び最優秀マイラーを受賞。
そして翌1976年1月XX日、京都競馬場の最終レース終了後、引退式が行われた。同日付で競走馬登録を抹消、宮本ファームにて種牡馬となった。
競走成績[編集]
血統表[編集]