パルテノン 言語を追加
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パルテノン(欧字名:Parthenon、1980年〇月〇日 - )は、日本で生まれ、アイルランドで調教を受けた競走馬で、現在は繁殖牝馬である。1983年にアイルランド牝馬三冠競争を全て制し、史上初のアイルランド三冠牝馬となった。
概要[編集]
パルテノンは1980年生まれの日本産サラブレッドで生産者は武蔵ファーム、馬主は鍋島直茂、調教師はジョニー・オックス。
馬主の鍋島直茂が静内の武蔵ファームで種牡馬生活を送っていたメイヂヒカリと交配させるために、母Gaiaを日本に送り、その結果誕生した日本産馬である。その後、日本から愛国に移動してジョニー・オックス厩舎に所属した。
戦績[編集]
2歳時(1982年)[編集]
デビュー戦は6月XX日の未勝利戦でクリス・ロシェを乗せて大差を付けて圧勝。初勝利を挙げたあと、8月XX日にカラ競馬場でおこなわれたデビュタントステークスも連勝し、重賞を初制覇した。9月XX日におこなわれたメイヒルステークス、10月XX日におこなわれたフィリーズマイルに勝利し、4連勝でこの年を終えた。パルテノンはこの年の活躍で、欧州最優秀2歳牝馬に選出されている。
3歳時(1977年)[編集]
年明け緒戦はペネロープ賞に出走。レースでは後続に大差をつけて5連勝とし、無敗でアイリッシュ1000ギニーに挑むこととなった。迎えたアイリッシュ1000ギニーでは1番人気に支持され、1馬身差ながら勝利し、無敗のアイリッシュ1000ギニー馬となった。牝馬二冠を目指して出走したアイリッシュオークスではライトバンクに大差をつける圧勝で無敗の愛国牝馬二冠馬が誕生した。その後は休養をとらず、ディアナ賞(独オークス)に出走。ディアナ賞ではこの年の独ダービー馬ハイホークに差を付けて勝利。9月XX日には、三冠をかけて、歴戦の古馬相手となるアイリッシュセントレジャーに出走。1番人気に推され、レースではに馬身差をつけ勝利。愛国牝馬三冠を達成した。その後オーストラリアに向かい、オーストラリア最大のレースであるメルボルンカップに出走。1番人気の支持に応え、直線外から差し切って勝利した。また、この年の活躍により欧州最優秀3歳牝馬・同最優秀長距離馬に選出されている。
4歳時(1978年)[編集]
シーズン初戦はシドニーカップに出走。約5ヶ月の休み明けとなったが、6馬身差をつけて勝利。Galilee以来17年ぶり史上4頭目の豪州の2大長距離レース制覇を成し遂げている。5月にはオレアンダーレネン賞に出走すると大差で勝利。6月のゴールドカップも道中最後方追走から直線で抜け出し大差の快勝。続く、グッドウッドカップも直線で抜け出すと後続を突き放し、大差をつけて圧勝。8月のロンズデールカップも大差で制し、ステイヤーズミリオン完全制覇を達成。対象レース全てを大差勝ちという偉業を成し遂げた。9月には連覇を目指し中1週でアイリッシュセントレジャーに出走。直線半ばで抜け出すと後続を大きく引き離し、2着のリトルウルフに9馬身差をつける圧勝で同レース連覇を達成した。11月XX日のメルボルンカップでは58キログラムとトップハンデを背負いながらも、連覇を達成。優勝直後、馬主がスピーチで現役引退を発表した。2年連続で欧州最優秀長距離馬に選出される。
競走成績[編集]
血統表[編集]
繁殖成績[編集]
1985年XX月OO日、繁殖として初年度はSadler's Wellsと交配したことが発表された。 1986年XX月OO日、初子となる牝馬を出産した
カツラギエースとの交配を実施し、1987年XX月OO日に牡馬が誕生した。
更新が遅れてしまい、すみませんでした。
話は変わってウイニングポスト10 2026の情報が出ました。
開始年に1968年が追加されるらしいです。
エンシェントタイトルやラプレヴォヤンテ、スターアピールにデザートヴィクスンなどが自己所有出来そうでワクワクします。
史実ダークミラージュは1969年のレース後亡くなってしまうのでそこが懸念点ですが、きっとDLCで自己所有できると信じてます。