たぶん悪役貴族の俺が、天寿をまっとうするためにできること 作:嶋野夕陽
母上との約束だから外には出られないが、屋敷の中をうろつく分には制限がない。
さすがに父上の執務室の中に入ろうとするとミーシャに止められてしまうけれど、それ以外の場所なら黙ってついてきてくれる。
しかしルドックス先生が来ない日は、朝早くから書庫にこもることに決めているので、今日も朝から本の虫だ。本で知識を得るのが好きなのもあるが、意味もなく屋敷をうろついていると、母上との遭遇率が異様に高くて、その度じっと見られるので居心地が悪いので仕方ない。
最近では書庫の窓から見える中庭で、お茶を飲んだり花を愛でたりしていることが多い。
幾度か顔をのぞかせてみたことがあるのだけれど、二回に一回は目が合うので、最近ではちょっと怖くなって覗くのをやめた。
被害妄想じゃなければ、俺の行動は母上に完全に監視されている。
よくよく思い返してみれば、俺がこの書庫にこもるようになるまでは、母上は屋内の別の場所でお茶の時間を過ごしていたように思う。
とりあえず書庫へと足を運んだ俺は、数冊の本を手元に持ってきてパラパラとめくる。
ルドックス先生に教わったあたりの復習をするつもりだったのだけれど、両親のことを考えていると、なんとなく文字が頭に入ってこない。
しばらくの間ページをめくっては戻すことを繰り返して、集中できないことを悟った俺は、小さくため息をついて本を閉じた。背中側にある窓を見ようと体をひねると、途中でミーシャと目が合ってしまう。
椅子に座って編み物をしていたはずなのに、その手を休めて俺のことを見ていたようだ。
「今日はいい天気ですね」
窓を見ながら、話題がないときの典型的なフレーズを口にするミーシャ。
あー……これはあれだな。
気を使われてるんだな。
おそらく俺が窓の外ばかりを気にしていることに気づいて、そちらへ歩み寄っても不思議ではない理由を作ってくれたのだ。
俺は椅子を引いて立ち上がると、二歩歩いてミーシャの前に止まる。
「ほら、雲一つないですよ」
「……そうだね、ほんとにいい天気だ」
ミーシャの言葉に背中を押されながら、俺は窓際まで歩いて空を見上げず、中庭を見下ろす。
すると案の定そこには母上がいて、飲むわけでもないティーカップを片手に、ぼんやりと花壇を見つめていた。そこに母上がいることだけ確認して戻った俺は、椅子を少し引きずってミーシャの前に座る。
「母上は……、どんな人なんだろう」
「…………ルーサー様、今日はとてもいい陽気ですね」
「うん、まぁ」
話をはぐらかされてしまった。
父上が家にいないことも多いから、実質この屋敷の主は母上みたいなところがある。正直な感想は言いづらいのだろうか。
「暖かで、天気が崩れる様子もありません。外でお茶をするのにはピッタリじゃないでしょうか」
……違う、これは俺に、直接母上と話した方がいいだろうと言っているのだ。
それもミーシャに提案されてではなくて、自分の意思で行くように勧められているのだろう。
「……ミーシャ、中庭は外のうちに入ると思う?」
「いいえ、思いません。もし怒られたとしたら、それは私の判断が悪かったということです」
「やめてよ、僕のすることはちゃんと僕が責任を取るよ。ミーシャ、中庭に案内してくれる?」
「ええ、喜んで!」
ミーシャは待ってましたと言わんばかりに、さっと手に持っていた道具を全てエプロンのポケットに仕舞い込む。そうしてすぐに立ち上がって、俺の前を歩きだした。
中庭が近づくにつれて、胸の鼓動が速くなるのが自分でもわかった。実の母親の元へ行くだけなのに、どうやら俺はひどく緊張しているらしい。
中庭へ向かう扉を開けると、ほんの少しだけ冷たい風が頬を撫でて、草花の香りが鼻に飛び込んでくる。
普段は二階の窓から外を眺めることが多いので、実に新鮮な気分だった。
二階にある書庫の窓を見上げていた母上は、扉が開いたことに気が付き振り返る。そして俺の姿を見ると、いつものようにきゅっと眉間に皺を寄せた。
ここに来るまでの間に覚悟を決めていた俺は、母上の機先を制す。
「母上、お茶をご一緒させていただいてもよろしいですか?」
俺が問いかけると、母上の表情がぽかんとしたものに変わる。
眉間の皺が取れて、いつも以上に幼い表情になった母上は、何か言おうとして開いた口をとじて、視線をさまよわせながら両手の指をすり合わせて答えた。
「え、ええ、いいわよ。……でも、もう少し暖かい格好をなさい、この時期の風はまだ冷たいことがあるわ。ミーシャ、この子の上着を取ってきてあげて」
「承知いたしました、奥様」
一礼して屋敷の中へ戻っていくミーシャを見送ってから、母上は空いた椅子のうち、少しだけ背の低い物を示しながら言う。
「ルーサー、あなたはこっちの椅子に座りなさい」
「はい、母上」
俺が座るにはまだ背が高いけれど、座れないほどでもない。
椅子に腰かけると、母上についているメイドが、俺の足元に足置きを滑り込ませた。何とも準備のいいことである。プラプラとしていた足にぴったり収まりがついてしまった。
「ルーサー、体の調子はどう? 寒くないかしら?」
「今はそれほど。今日は、ほら、天気がいいですから」
先ほど自分で話題がないときに話す典型と思った天気の話をしてしまっている。だって何から話したらいいのかわからないのだから仕方がないじゃないか。
そんなことを考えていると、母上の表情がまたきゅっと険しくなってしまった。
何がいけなかったんだろう。気まずいから早く戻ってきてくれ、ミーシャ!
俺の上着がある場所までは角を曲がって長い廊下を抜けて階段を上がって……、とにかくそれなりに遠い。
その上緊急事態というわけでもないから、ミーシャはきっと走って取ってきたりはしないだろう。なにせ今日は上着なんて必要なさそうな、ぽかぽかと暖かい陽気なのだ。
そもそもメイドのミーシャに俺と母上の会話に割り込めなんて言うのは無茶な話だ。戻ってきたところで、俺の気持ちがほんの少し穏やかになる程度で、言葉による援助は期待できない。
さぁ、どうする。
話題を広げようにも母上のことをあまり知らないから、どこに地雷があるかわからない。
「ルーサー、ルドックス先生との勉強は楽しい?」
「……はい。いつも僕の知らないことを教えてくださるので、会うたびに新鮮な気持ちになります」
当たり前の親からの質問が飛んできて、俺は戸惑いながらも一拍おいて返答する。
「……良かった、ルーサーは本が好きですものね。心配ないと思うけれど、あまりはしゃいだりしてはダメよ。あなたは体が弱いのだから」
「ええと、はい、わかりました」
体が弱い? 俺が?
生まれてこの方熱を出したこともなければ、風邪らしきものに罹ったこともない。命の危機を感じるような大病なんて一つもしたことがないはずなのに、母上の言葉にはやけに熱がこもっていた。
「あなたくらいの年だと外に出たくなる気持ちはわかるの。私がいるときにこの中庭に来るのは構わないから、一人で街に出たりしてはダメよ」
「はい、それは、わかったのですが……」
「ごめんね、丈夫な体に産んであげられなくて……」
「いえ、その、母上?」
すっかり俯いて紅茶に視線を落としてしまった母上は、いつもの厳しい表情から一変、庇護欲をそそるかわいらしい一面を見せていた。
しかしどうも話がおかしい。
何かを勘違いされている節がある。
「母上、僕は体調を崩したことなんてないと思うのですが……」
「私を気遣ってそんなこと言わなくていいのよ。本当なら友達を作って外ではしゃぎたいでしょうに……」
「いえ母上、そうではなく、僕は本当に健康体だと思うのですけれど……」
しつこく言い募る俺に、母上は顔を上げて少し唇を尖らせる。
「そんなことを言ってもお出かけは許可できませんからね」
ぷんぷんという効果音が似合いそうな怒り方だった。
無言で眉間に皺を寄せているいつもの表情の方がよほど怖い。
母上付きのメイドが「アイリス様、お耳を」と言うと、母上が耳を傾ける。俺に聞こえないような小声でメイドが何事かを告げると、母上は「ああ……」と頷いて悲しそうな目をしたまま微笑みをたたえた。
「怒ったりしてごめんなさい、ルーサー。そうよね、あなた自身は気づかないかもしれないものね……」
俺の気づかないところで、俺の体に異変が起きてる……?
そんなことを言われるとなんだか途端に体の節々が痛くなってきた気がする。もしかして気づいていないだけで、俺って難病を抱えていたりするんだろうか。
「驚かないで聞いてね。原因不明の意識消失。小さなころからあなたはそれをずっと繰り返しているの。お医者様も原因がわからないっておっしゃってたわ。最近は昼と夜に一度ずつになったから、成長に伴ってちょっとずつ良くなってきているようなのだけど……」
……あ、やばい。わかってしまった。
これ、俺が魔法の鍛錬をし過ぎて意識消失しているのが、原因不明の病気だと思われている。
どうしよう。これを正直に話すと、俺が赤ん坊の時からしっかりと意識があったことまで、全てつまびらかにしなければいけなくなるかもしれない。そうなったら、母上と父上はどう思うだろうか。
どうしたものか。
母上をちらりと見ると、いつの間にかその表情がいつもの眉間に皺が寄っているものになっている。
まずい、動揺しすぎて怪しまれたか。
しかし母上の厳しい顔は、徐々に緩みだしたかと思うと、今度はその目じりにうっすらと涙を浮かべた。
「そんなに不安そうな顔をして……。本当にごめんなさい、私があなたを健康にさえ産んであげられたら……」
どうやら俺が事実を知ってショックを受けていると思ったようだ。都合のいい勘違いではあるのだけれど、母上の悲しんでいる顔を見たら、心がチクチクと痛みだした。
俺が考え無しに興味本位で毎日気絶してたことが、今のこの母上の悲しみを作り出しているのだ。つまり俺が泣かせたということだ。罪悪感。
「は、母上! 気にしないでください。だんだん良くなっているということは、いずれ完治するということです。僕はこの家に、母上の息子として生まれてよかったと思っています。そ、そうだ、もし僕が元気になったら、一緒に街へお出かけしてください!」
励ますつもりでいろいろ言ってみたのだけれど、言い募るほど母上の表情が崩れていく。困った、どうしたらいいんだ。
「わ、私、あなたのことが心配で、外に出ることも多いし、近づいて病気を移したりしないか心配だったの。何もしてあげられないし、甘えさせても上げられなかったのに、こんなに、こんなにいい子に育って……。ルーサー、わ、私も、あなたが息子として生まれて来てくれて、本当に嬉しかったの……。本当は本を読んであげたり、一緒に花の世話をしたり、お出かけしたりしてあげたいって思ってたの……」
涙をぼろぼろとこぼしながら、母上が途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
なんだかだんだん、俺まで涙があふれてきてしまう。
「私のことが嫌いでなければ、元気になったら一緒にいろいろしましょうね、ルーサー……」
「母上……、嫌いだなんて……、そんなことありません……!」
俺の頬を温かい涙が伝う。
ああ母上は、優しく微笑んでくれた時の母上のままだったんだ。
俺が無駄に疑って、怖がって避けていたから、今までそれがわからなかったんだ。
実の息子から恐れをはらんだ視線を向けられていた母上は、いったいどんな気持ちだったのだろう。
いっつも泣きそうな気持ちをこらえて、俺に心配の言葉をかけていたんだろうか。
肩からそっと上着がかけられる。
振り返るとミーシャがすました顔をして立っていた。
泣いてるところを見られたのは少し恥ずかしい。
ぱちっと一度だけされたウィンクから『良かったですね』というミーシャの声が聞こえた気がした。
さて、気を取り直して話題を考えよう。
俺が普段していることといえば、本を読んで勉強するくらいのものだ。つまりこの世界における雑談の種をほとんど持っていない。
母上と話ができる共通の話題といえば、父上のことか毎日の食事、それから辛うじてルドックス先生のことだろうか。
何か役に立つものはないかと前世で母親と話していた記憶をサルベージしたけれど、全く役に立ちそうな気配はなかった。電話する度『あんたまだ彼女もできないの! かわいい顔に産んであげたのに……』と言われ、うんざりしていたことだけ思い出した。
そもそもうちの母親はこんなにお上品な美女じゃない。どちらかといえば肝っ玉母さん系である。でも、いつも息子の心配をしてくれていたって点においては、同じなのかもしれないけど。
「ルーサーは言葉遣いが上手よね? ミーシャが教えてくれたのかしら?」
「いえ、ルーサー様は本から学ばれたのだと思います。はじめてお話ししたときも、今とあまり変わらぬ様子でした」
「そうなの。私がルーサーくらいの時は、どんな風だったかしら? もっとたどたどしかったような気がするのだけど……。今度お父様に聞いてみようかしら」
喋らないでいるうちに、母上の方からまた触れられたくない部分に踏み込まれてしまった。もうちょっと演技力があって羞恥心がなければ、赤ちゃんっぽくしゃべったりもしたのだけど……。
後先考えない俺は、最初だけちょろっとそれっぽい演技をして、すぐに恥ずかしくなってやめてしまっていた。
丁寧な言葉で一人称を僕にすることが、辛うじてこの世界に馴染もうと努力した俺の成果である。会社に行ってるときは元からそんな感じだったけれど。
現実逃避はやめて、さて話題と思考を切り替えると、丁度良く小鳥が飛んできて花壇の縁に止まった。餌でも探しているのか、花壇の間をぴょんと跳ねている。母上はよく外に出ているようだから、あの鳥の名前くらい知っているかもしれない。
逆に普段外へ出ない俺が知らないこともまた、自然なことであるといえよう。
「母上……」
あの小鳥の名前は、と尋ねようとして俺はぎょっとする。
母上の顔、怖い。いつの眉間に皺を寄せた表情になっている。まさか小動物が嫌いなのだろうか。花を愛でるような母上が?
いや、違う。母上はきっと心根の優しい人だ。
そんな前提のもと、母上のことをよく観察して気づいたことがある。
あの仕草、俺は過去に見たことがある。
「……あの、母上」
「なにかしら?」
俺の方を向いた母上は、元の優しい表情に戻っている。
「母上はもしかして……、目が悪いのでしょうか?」
「目が悪い……? どうかしら? 確かにここ数年遠くのものは見えにくくなってきているのだけど……」
「ええと、目を細めると遠くのものが見えやすいですか?」
「そうね、確かにそんな気がするわ」
俺の言葉に従って目を細めたときの母上の表情は、いつも俺が怖い顔と評していたものだった。……どうしてこんな単純なことに気が付かなかったんだろう。自意識過剰でなければ、母上があの表情を浮かべていたのは俺の顔をよく見たかっただけということになる。
「母上、眼鏡を使ったりはしないのでしょうか?」
「うーん、どうかしら、貴族の間だとあまり使う人はいないの」
「しかし不便でしょう」
「……目が悪くなるのは、苦労をしたからと捉えられてしまうの。私が眼鏡をかけると、オルカ様が私に苦労をさせていると見られてしまうわ」
「なぜ父上が関係してくるのですか?」
「目が悪くなるのは暗い場所で細かい作業をしたせい、と言われてるわ。つまり妻が内職をしなければいけないような経済状況、と思われてしまうの」
貴族、めんどくさいなぁ。
眼鏡くらい自由に使わせろよ!
当然コンタクトレンズなんてものはないだろうし、そうだとしたらあとは治癒魔法を使うくらいだろうか。治癒魔法使いは貴重らしいから金銭はそれなりにかかるだろうけれど、伯爵家にその支払い能力がないとは思えない。
まして父上は財務大臣だ。なぜその手配をしないのだろうか。
まさか……。
「……父上はこのことを知っているのでしょうか?」
「いえ、お伝えしていないわ」
「なぜです?」
「ルーサー、あなたのお父様は忙しい人なの。私の体のことなんかで煩わせたくないわ」
この優しい母上に『私の体のことなんか』と言わせた父上に、すごく腹を立てている自分がいた。ついさっきまで自分も母上のことを怖がっていた癖にと、心の中のもう一人の自分があきれた顔をしているけれど、それはそれ、これはこれだ。
「母上は……最近父上とお話しされてますか?」
「……ええ、もちろん」
嘘だ。あからさまに目を逸らした。
子供だからと思ってるからなのか、それとも噓が下手なのか。純粋そうな母上のことだから後者な気もする。
「いつからお話しされてないんです?」
「オルカ様と私は仲良しよ? 子供がそんな心配をしないの」
「しかし……」
「ルーサー、この話は終わり」
ぴしゃりと言われると、それ以上しつこく言うことができない。
咎めるような言葉でも柔らかく聞こえてしまうのは、きっと俺が母上の内心を知ったからなのだろう。
「……そうだ、ルーサーは魔法の勉強が好きだと聞いているわ。もし立派な治癒魔法使いになれたら、私のこの目を治してくれないかしら?」
目を伏せた俺のことを心配したのか、母上が手を軽くたたいて首をかしげる。かわいらしい仕草に気が抜けてしまう。
魔法の訓練をし続けたせいでずっと心配をかけてきたのだ。それくらいの恩返しはして当然なのかもしれない。
「わかりました。きっと治癒魔法を使えるようになって、母上の目を治して見せます」
「ふふ、頼もしいわね。楽しみにしているわ」
完全に夢を語る子ども扱いだ。実際子供だけど。
約束はともかくとして、これはやはり父上のこともよく知る必要がありそうだ。
こちらも俺の勘違いであればいいのだけれど、母上との関係を考えると、なにか隠し事の一つや二つあるんじゃないかと思えてしまう。
そうでなければ、こんなにかわいらしくて優しい母上を放っておく意味が分からない。
今日からマザコンにジョブチェンジした俺は、母上とたわいもない会話を続けながら、どうやって父上を問い詰めるべきか、頭の中で作戦を立てるのであった。