たぶん悪役貴族の俺が、天寿をまっとうするためにできること   作:嶋野夕陽

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希望(サフサール視点)

 セラーズ家から帰ってきた父上は、珍しく機嫌が良いように見えた。留守を預かっていた僕の勉強の成果を確認して「引き続きしっかりやるんだぞ」とだけ言葉を投げて、退室するよう促してきた。

 いつももっとしっかりと成果を出せとか言われるし、場合によってはイレインと比較されて失敗作だと言われることもある。やっぱり何かいいことがあったんだと思う。

 

 聞いたら教えてもらえるだろうかと思って、足を留めて振り返ってみる。父上はすでに机の上に広げられた紙に気を取られているようだった。邪魔をしたらきっと怒られるんだろうな。どこかで、顔を上げてくれないだろうか。

 しばらく待っても父上は僕が待っていることに気づくことはない。諦めよう。

 

「何をしている、出ていくよう言っただろう」

 

 諦めて扉に手をかけたところで、背中に父上から叱責が飛んでくる。

 

「すみません」

 

 扉を開けて振り返り頭を下げる。

 外ではマゴット先生が待っていた。先生は僕の教育のほとんどすべてを担ってくれている。

 先生の言葉は厳しいけれど、いつも間違ったことは言わない。ただ、できていないことをできていないと、そう高い声で教えてくれるだけだ。

 勉強の時は他のおつきの人も離れていることが多いから、自由に質問をすることができる。街の人がどんな暮らしをしているのか。世間ではどんな行事があるのか。多分本当は教えちゃいけないような、領民たちがウォーレン家をどう評価してるか、なんかも私見を交えつつ教えてくれる。

 父上の前に出ると言葉が少なく、当然庇ってくれることはないけど、それでも僕はマゴット先生のことを信頼している。家人が重たいものを運んで苦労している時とかは積極的に手を貸しているのを見るし、きっといい人なんだと思う。

 

 家人は少し苦手だ。

 先生のように僕の尋ねることに答えてくれることは殆んどないし、僕が隠し事をしていてもそれがすべて父上と母上に伝わっている。

 

 イレインが才能を露わにしてからは、父上の言葉や家人の視線が、前にもまして厳しくなった。

 母上は……多分僕にあまり興味がない。話をする機会もあまりない。

 

 マゴット先生は言う。

 貴族の役割は、領地と領民を守ることだって。そのために、今日の食事に困ることなく過ごしていられるんだって。だから立派にならなきゃいけないけど、全部を自分でやる必要はないって。

 大切なことは才能ではなくて、学び続ける気持ちと冷静な判断力だって。

 

 先生に社会見学と称して真冬の外へ連れ出してもらって、領民の暮らしを間近で見せてもらったことがある。

 お金を稼いでいる商人が暖かな服を纏い、広い農地を持つ地主が火に当たり歓談する。探索者が大手を振るって通りを歩く賑やかな大通り。ダンジョンと隣国との小競り合いで儲かっている、ウォーレン領のにぎやかさを見た。

 それから裏路地に入って見たのは、やせ細った母子。裏路地で震える老人。酒瓶を抱えたまま路地裏で息絶えている片足しかない男。視線をたくさん感じて振り返ると、影からじっと僕たちを見ている浮浪者の姿があった。

 マゴット先生が銅貨をばらまき、呆然としている僕の体を素早く抱き抱えてその場から離脱する。

 

 会話もなく城へ戻って、いつものように父上に何かを言われて、ベッドに入って休んだ翌日。マゴット先生はいつもの高い声で僕に尋ねた。

 

「サフサール様はどんな領主になりたいとお思いですか?」

 

 僕は答えられなかった。

 今もまだ答えられてない。

 でも、できるのならウォーレン領を、豊かでみんなが今日生きることを諦めなくていいような領土にしたいって、今は思ってる。

 

 イレインは賢い。

 僕の戦略の勉強を見に来て、マゴット先生の模範解答を上回る様な答えを、すぐに思いついてしまった。

 その件から家全体の僕に対する当たりは強くなったけれど、それについてイレインを憎く思ったことはない。

 

 イレインは僕のことを馬鹿にしない。戦略の授業を一緒に受けるのが楽しいらしく、よく同席しているけれど、最初の一件以来積極的に回答をすることもなかった。  

 答えを求められても、僕の方を一度心配するように窺ってから答えるのだ。

 

 父上がたまたまやってきたときは、空気を読むように答えることはある。でもそれって、5歳で自分が何を求められてるかわかってるってことだ。きっとイレインは本当に天才なんだと思う。

 

 ある日僕は、先生が離席している間にイレインに話しかけたことがある。

 僕の顔色を窺っているイレインがちょっとだけ心配だったから。 

 

「イレイン。戦略の授業が楽しいなら、もっとたくさん答えていいんだよ。僕もその方が参考になるから」

 

 イレインは目を見開いてじっと僕を見てから、俯いて小さな声で答える。

 

「……いえ、私が余計なことをしたせいで、兄様は嫌な思いをしています。ずっと謝らなきゃいけないって思ってました。ごめんなさい」

 

 僕はその時改めて思ったんだ。

 イレインがすごく優しい子で、そして改めて本当に天才なんだって。

 

 

 

 父上が帰ってきてからしばらくして、マゴット先生との勉強中にイレインと二人きりになることがあった。最近の父上は以前にもまして手紙を送ったり、視察に出かけたりと忙しそうにしている。

 一緒に出掛けたイレインならば、何か知っていることがあるのじゃないかと、僕は声を潜めて話しかけてみた。

 

「イレイン、セラーズ家に行っている間に何か父上が喜ぶようなことってあったかな?」

 

 イレインは眉を顰めて答えない。負の感情を僕に対して発露するのが珍しい。

 

「ごめん、変なことを聞いたかな。聞いたことは忘れてくれていいから……」

「……許婚」

 

 慌てて発言を撤回しようとすると、イレインがぽつりと小さくつぶやく。

 

「許婚……?」

「ルーサー様と私が、許婚だそうです。少し交流を持ちました」

 

 平静を装っているけれど、イレインの眉間にはわずかに皺が残っている。

 許婚関係の何が父上にとって嬉しいことなのかわからないけれど、どうやらイレインにとっては嫌なことだったようだ。

 

「……ルーサー殿は、あまりいい人じゃなかったのかい?」

「はい、いえ、間違えました。いい人でした」

 

 一度肯定した気がするけど、何かされたのかな?

 

「何か、嫌なことでもされた?」

 

 イレインはむっすりと黙り込んだが、それは僕の言葉を肯定しているようなものだ。5歳の男の子だったら、髪の毛を引っ張ったりくらいはするかもしれないしなぁ……。

 

「イレイン、嫌なことがあったら話してね。僕はイレインのお兄ちゃんなんだから」

「……ありがとうございます」

 

 この調子だと話してくれることはなさそうだけれど、なんだかルーサー殿のことがすごく気になってきてしまった。いつも静かにすました顔をしているイレインの感情を乱すような人だ。

 出会うようなことがあったらちょっと気をつけなきゃいけないかもな。

 

 

 その機会は思ったよりも早く訪れた。

 

「私はサフサールだよ。よろしく、ルーサー殿」

 

 少し背伸びして、精一杯偉そうに見えるように胸を張った。普段は僕って言ってるのに、私なんて言ってみたりして。

 どんな暴れん坊なんだろうと思っていたのに、ルーサー殿は穏やかな微笑を崩すことなく、丁寧にあいさつを返してくれる。

 

「ルーサーです。よろしくお願いします」

 

 あれ、なんだか思ってたのと違うな。

 すごく優しそうだし、賢そうに見える。

 周りにいる家人の人たちも、すごく穏やかで優しい視線をルーサー殿に送っているようだ。愛されてるんだなっていうのがわかって、なんだかずきりと心が痛んだ。

 

 イレインが毎日むっとした表情でルーサー殿の元へ出かけていく。初めの数日僕は心配してそれを見送っていたけれど、一緒に勉強をするようになってから、すぐに誤解があることに気づいた。

 イレインはルーサー殿と一緒にいるときは、普段よりかなり饒舌になる。ルーサー殿が何かを間違えたときに指摘をしてみたり、ほんのちょっとだけ誇らし気な表情を見せることがある。

 ライバル視しているのかと思えば、こっそりと二人きりで内緒話をしていることもあるから、おそらくちゃんと仲がいい。話の合う同年代なんて今まで出会ったことが無かったろうから、きっといいことなんだ。

 僕よりもルーサー殿に懐いているのは、少しだけ寂しいけれど。

 

 思えば僕も、同年代の仲のいい友人がいない。

 父上や母上に連れられて交流を持つことがあるのだけれど、なんとなく話が合わなくて閉口してしまうのだ。真面目に話すような機会なんてほとんどなくて、それぞれが自慢話ばかりして、たまに僕の顔色を窺ってくる。

 ウォーレン家が世話をしている家の子ばかりと会っているから、仕方ないのかもしれない。

 

 ルーサー殿は魔法に関していえば、すでに大人でも勝てないくらいの実力を持っている。使える魔法の数は限られているようだけれど、使用回数とその威力が、僕の知っているものとはかけ離れていた。

 かの有名な『賢者』ルドックス先生がつきっきりで教えているようだから、その才能は折り紙付きということなのだろう。

 僕は魔法の訓練で少し無茶をして痛い目に遭ったことがあるから知っている。

 どんなに才能のある人でも、魔力を増幅させるには苦痛を伴うものだって。

 

 そういえばルーサー殿は、何かの病にかかって長く臥せっていたと聞いたことがある。父上と母上が数年前に、セラーズ家の嫡男は病弱だから、イレインの婚約相手には出来ない、というようなことを話していた。

 

 ルーサー殿が5歳になるまでどんな生き方をしてきたのか想像して、なんだか背筋がぞくりとした。セラーズ家がすごく恐ろしいことをルーサー殿に強要していたんじゃないか、なんて失礼なことをちょっと考えてしまったのだ。

 

 しかしいくらこっそりと観察しようと、それらしい部分は全く見つからない。一度マゴット先生にセラーズ家について尋ねてみたけれど、後ろ暗いところは全くなさそうだった。

 それどころかマゴット先生は、セラーズ伯爵の人間性については手放しで褒めていた。実はマゴット先生は、陛下や父上、それにセラーズ伯爵と同い年で、学校に一緒に通っていたらしい。

 その三人が世代をけん引していたのだと、マゴット先生は懐かしそうに語ってくれた。

 

 無暗に他家の当主様を疑うようなことは良くない。

 実際、セラーズ伯爵は僕なんかに声をかけてくださるし、王誕祭では一緒に社交場へ出ることを約束してくださっている。

 今僕がはっきりわかっているべきことは、きっとルーサー殿が並々ならぬ努力によってあの魔力を得たということだけだ。

 

 ある時ルーサー殿が、イレインの魔法訓練を眺めながら僕に語り掛けてきた。

 僕が勉強家だと、努力家だと。

 僕にはイレインほどの天才性はない。ルーサー殿のように痛みをこらえて魔力を伸ばすほどの根性もない。

 凡人だから人並みに頑張るしかないと、今思えば卑屈になって答えると、ルーサー殿は僕の目を見て、僕の努力を認めてくれた。

 イレインもたまに『兄様は頑張っている』と言ってくれるが、あれはたいてい僕が叱られたり馬鹿にされたりした後だ。多分、自分のせいでっていう罪悪感から出てくる言葉なんだと思う。

 

 でも今回のは別だ。ルーサー殿の言葉には、感心以外の気持ちが入っているようには見えなかった。すごいって思ってもらえているのが、ちゃんと伝わってきた。

 僕はただそれが嬉しくて、涙が出そうになってしまっていた。

 

 そうだ、僕は頑張ってる。イレインやルーサー殿には及ばないけど、ちゃんと頑張ってるんだ。

 

 涙をこらえて何とかお道化てみせたけど、ルーサー君はそのあとも僕の喜ぶような言葉ばかり投げかけてくる。イレインがルーサー君に懐いている理由が、ちょっとだけわかってしまった。

 

 

 

 初めての社交場。

 同世代の人たちではなく、大人たちに紛れるとすごく心細くなる。

 隣にセラーズ伯爵がいてくれるお陰で、定型の挨拶だけしていればよく、多く言葉を発する必要はなかった。

 本当に良くしてもらって、感謝の気持ちしかないのだけれど、それと同時に思ってしまう。どうして僕の隣にいるのは、父上ではなくセラーズ伯爵なのだろうかと。

 

 最近父上は、隣接している小さな国との小競り合いを積極的に行っている。こちらから何か手出しをしているように見えるけれど、会議の場にいれてもらえない僕では詳しいことはわからない。

 ただ、それによって傷つき困窮する人がいることは知っている。

 父上は何をしているんだろう。

 あれは、必要なことなんだろうか。僕にはまだわからない。

 

 丸一日過ごしてぐったりとしてしまったけれど、イレインと合流するとなって、少しだけ背筋に力を込めた。去年は殿下に付きまとわれてぐったりしていたけれど、今年はどうだろうか。

 いざ合流してみると、イレインはすました顔をしてルーサー殿の横に立っていた。

 どうやら去年よりは上手くやったか、ルーサー殿が守ってくれたかしたのかな?

 

 馬車から降りる前に、セラーズ伯爵から励ましの言葉を頂いた。

 ルーサー殿と同じように、今の僕を評価して、父上も僕に期待しているのだと言ってくれた。

 親子でよく似ている。

 ……こんなことを思ってはいけないのだけど、セラーズ家に生まれたルーサー殿のことが、またちょっとだけ羨ましくなってしまった。

 

 でも外に出てみれば、僕の頑張りを見てくれる人はいる。

 父上には納得してもらえないかもしれないけれど、僕は僕なりのやり方で、立派な領主を目指したい。

 

 翌日、王誕祭の話にかこつけて、今まで調べてきた市民の生活の話を、ルーサー殿にあれこれと語ってしまった。貴族にしてみれば面白くもない話だろうに、ルーサー殿は、興味深げに表情を変えながら相槌を打ってくれる。

 ルーサー、とそう呼ぶように言ってもらえたわけだけど、僕は彼の友人になれたのだろうか。

 ルーサーは、僕の将来の夢を尋ねた。

 

 僕は漠然とこうなりたいと思っていた未来を想像する。

 大人になった時、ルーサーと肩を並べても恥ずかしくないような領主になれていたら、それはとても素敵なことのような気がした。

 

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