たぶん悪役貴族の俺が、天寿をまっとうするためにできること 作:嶋野夕陽
魔力量だけの話をすれば、俺はすでにルドックス先生やクルーブを上回っている。
これは初めて会ったときからのことで、だからと言って戦って勝てるかというとそんな話ではない。
ルドックス先生は幼少期よりおよそ7年近く俺のことを見続けてくれた。
時に優しく……、うん、いつも優しくだ。
この世界の魔法のすばらしさを見せてくれて、俺のどうにもならない悩みを受け止めてくれた。
「来られる日が減って申し訳ない。しかしルーサー様は優秀じゃから、自習させておくだけでメキメキ成長するから心配がないのう」
「いえ、そんなことはありません」
「謙遜することもあるまいて。クルーブとも仲良くしているようで何よりじゃ」
「……魔法に関して、尊敬すべき点が多いので」
「……仲良しじゃな」
長く伸びた眉を上げて、見えた目をきらりと輝かせてルドックス先生は笑う。
それから控えめに、ゴホッと湿った咳をした。
ずいぶんと腕が細くなった。
会話の間がほんの少し長くなった。
「さて、見て分かる通り儂も随分と老いた。調子のよい日はこうして散歩がてらやってくることができるが、いつそれができなくなるかもわからん」
「……明日からは僕が先生の家に通います。これまでもそうするべきでした」
「いやなに、ルーサー様に教えに来ることは、儂にとっていい運動になっておったんじゃよ。しかし、そろそろ基礎も応用も教えつくした。後は知っているか知らないかと、経験だけじゃと思うておる。じゃからルーサー様、これからはこの本を読み学ぶんじゃ」
先生は重たそうに足元に置いた手提げを持ち上げて、デスクの上へ滑らし、中身を取り出す。
きれいに装丁された、辞書のような分厚さの本が俺の前に差し出された。
タイトルはない。
「儂がここ一年で書き上げたものじゃ。儂が魔法に関して知っていることを全て記しておいた。ぼかして書いている部分もあるんじゃが、それは教えたことを思い出せば理解できるはずじゃよ」
「……これからはこれを先生の家へもっていって教えを請えばいいんですね」
髭を撫でながらルドックス先生は顔にクシャリと皺を寄せた。
ああ、皺も増えたなぁ。
「わかっておるじゃろう?」
俺は頷く。
頷いてしまった。
「おいぼれとの約束じゃ。この本は信頼できるひとにしか見せてはならん」
「……はい」
「ルーサー様でなくば使ったら危うい魔法理論も記してある。研究途中の部分もあるから、ルーサー様も頭から信じ込まず、これが正しいかどうかきちんと自分で検証するんじゃよ?」
「わかりました」
「いい子じゃ」
先生は枯れ枝のような腕を持ち上げて、俺の頭を撫でて大きく息を吐き、また湿った咳を幾度か繰り返した。
「……先生の体調は、治癒魔法で治らないのですか?」
「治らんよ。人には寿命というものがあるんじゃ。先延ばしにできても、いつかは必ず訪れる」
「そう、ですか」
先生に断言されると、それ以上俺はあがく気にもならなかった。
そもそも俺、まだ治癒魔法使えないし。
先生ほどの魔法使いだったら、自分に治癒魔法くらいかけていたはずだろう。
「さて、折角やってきたのだから、今日も講義をするとしようかのう」
「……お願いします」
先生の帰り際、屋敷の門まで送っていく。
片手に杖を突いてゆっくりと歩くルドックス先生の姿は、完全に老人だった。
外までもう一歩というところで、先生はゆっくりと俺の方に体を向ける。
「ルーサー様よ、魔法は楽しいかのう」
「はい」
「そうかそうか。ルーサー様よ、生きているとたくさんの面白いことがあって、もしかしたらそれ以上の辛いことがある。それでも自分の心に嘘をつかなければ、概ね満足いく人生が送れるはずじゃ。大事なことは心と向き合い続けることじゃ。心は平気で主にも嘘をつくからのう」
難しくてすぐには理解できそうにない。
でもすごく大切なことを言われているような気がする。
自分の中で幾度か繰り返して、分らないまでも記憶に刻み付けた。
「……はい」
「ふむ、ではこれでさらばじゃ」
ルドックス先生の背筋がピンと伸びた。
少し前に戻ったような錯覚を覚えて、それだけで少しだけ嬉しくなった。
「家に行ってはいけませんか?」
思わず口をついて出た言葉に、先生はいたずらっぽく笑った。
「うむ、ルーサー様に情けない姿は見られたくないのう。どうしてもというのなら構わんが……?」
「……やめておきます」
無理やり笑って見せたけど、きっと先生にはこっちの内心なんてお見通しなんだろうと思う。久しぶりにほっほと声を出して笑った先生は、そのまま門を押し開けて外へ出て行ってしまった。
「達者でのう、ルーサー様!」
いつかこんな日が来るんだろうなと最近ずっと思っていたけれど、背中を見送るのは覚悟していた以上に辛い。
思わず声をかけたくなるのを我慢していると、いつの間にかミーシャが横に並んでいた。
「ミーシャ……」
「はい」
「寂しい」
ミーシャはイレインを除けば、俺が一番素直な言葉を伝えられる相手だ。
俺はまだまだ子供だし、これくらい言ったっていいはずだ。
先生だって、自分の心に嘘をつくなって言っていたし。
「そうですね」
「先生は本当に体調が悪いのかな。しゃんとしているように見える」
「…………ルーサー様に、元気な姿を覚えておいて欲しいのではないかと」
なんだそれ、猫みたいだなぁ。
猫って死期を悟ると姿をくらますんだって聞いたことがある。
死期かぁ。
「……ミーシャ、寂しいなぁ」
「そうですね。代わりにはなれませんが、私はまだまだずっと、ルーサー様と一緒におりますので」
「うん……」
いつも嬉しく思う言葉も、今日の心の隙間を埋めることはできなくて、咄嗟にお礼の言葉が出てこなかった。
◆
「ルーサー様が最近元気ないんですよ」
俺が魔法の訓練をしている横で、ミーシャとクルーブがひそひそ話をしている。
魔法を放つたびに音が鳴っているから、聞こえないと思ってるな、これ。
「あー、先生の件でしょ。先生まだ生きてるじゃん」
お前はもうちょっと悲しめ。
先生ともうすぐお別れかもしれねぇんだぞ。なんでそんなあっけらかんとしてんだ。
「僕昨日会ったし」
三つ同時に放った魔法がすべて少しずつ的から外れて着弾する。
は? なに? クルーブには会うのに、俺には会ってくれないの?
なんで?
俺ちょっとイレインのこと刺した女の子の気持ちわかったけど、どうしたらいい?
魔法の標的クルーブにしたらいいの?
「先生さ、ルーサー君のことめっちゃかわいがってたし、どこ行っても自慢してたし、かっこ悪いとこ見せたくないんだろうねぇ」
やっぱ身内を狙うの良くないよね。
ルドックス先生、俺、真面目に魔法の練習するよ。
「いずれ儂を越えるとかいってさぁ。先に僕が越えるからって言ったら、お前には無理じゃとかいうの。先生さ、ルーサー君の前でいい格好しすぎなんだよぉ。僕だってかわいい弟子なのにさぁ、ね、ミーシャさんもそう思うでしょ」
ルドックス先生俺のこと大好きじゃん。
「ルーサー様の方がかわいいしかっこいいですが?」
ミーシャも俺のこと大好きじゃん。さすミー。
「みんなルーサー君に騙されてない? あいつ意外と生意気だよ?」
「あいつとか言うとその口縫い付けますよ」
「冗談やめてよ、怖いから」
「冗談ではありませんが」
でもミーシャはたまにちょっとだけ怖い。主にクルーブの相手をするときに。
横目で二人を見ると、ミーシャはちゃんと針と糸を取り出していた。それも多分、固い布地を縫う時に使うぶっといやつだ。
クルーブが黙り込んだ理由が分かった。
気づかないふりをして魔法の練習を続ける。
俺にとってはミーシャは優しいお姉さんで、家族みたいなもんだからな。見られたくないだろう部分は見ないようにしてあげるべきだ。
怖いから目を逸らしたわけではない。
「はい、というわけで、最近ルーサー様の元気がないんですよ」
「……さっき聞いたよ?」
控えめに、機嫌を窺うように上目遣いのクルーブ。
君、立場弱いね。
「何とかしてもらえませんか?」
「何とかって……。最近スバリが領地から帰ってきたから、一緒に街でもぶらついてみる?」
「いいかもしれませんね。ルーサー様は街をぶらつくのがお好きなようですから」
「何が楽しんだろうね、僕にはよくわかんないけど」
それからも二人はぽつりぽつりと会話していたけれど、クルーブは時折ちゃんと俺に声をかけて至らぬ点を指摘してくれる。こういう部分はしっかりしてるし、技術的にも本当に天才なのに、性格だけがちょっと残念な奴である。
「えー……、ちょいとばかし久々ですね、お二方。それにお嬢様のお兄様でしたか、本日はよろしくお願いいたします。……おい、クルーブ、名前」
「え? ルーサー君とイレインちゃんとサフサール君だけど」
次期伯爵家当主二人を君付けで呼ぶとか、こいつまじで怖いものなしかよ。
「はいはい、サフサール様ね。ややこしいのでお坊ちゃまのことも名前でお呼びした方が?」
「いえ、そのままで構いません」
「…………確かに、どことなく元気がなさそうですね。ちゃんと護衛はしますが、街歩きであまり気を抜いたらいけませんぜ」
「いつもと変わらないつもりなんですが」
「だったらいいんですがね」
いつも通り、クルーブが先頭を歩き、スバリが後方から全体を見守って歩く。
今日はサフサール君が初めて一緒だったためか、スバリは自分の隣にサフサール君を配置する位置取りをしていた。
二人で何やら話をしているようだけれど、クルーブのがばがば会話と違ってちゃんと声を潜めているからよく聞き取れない。
スバリはウォーレン伯爵領出身だから、故郷の話でもしているのかもしれない。
すると横に並んでいたイレインが、これ幸いと身を寄せて小声で話しかけてくる。
だからお前、誰に影響されてるか知らねぇけど、仕草がちょっとずつ女の子になってんだって。
たまにローズとかと遊んだりしてるせいなのか?
言ってやった方がいいのかもしれないけど、もはやよくわからなくなってきた。
「ルドックス先生、体調わりぃの?」
「悪いらしい。……クルーブに会う元気はあるらしいけどな」
付け足してから、自分の狭量さにため息をつく。
理解してても、折角生きてるんだから会いたいという気持ちが、俺に余計な一言を付け足させた。
「うん、まぁ、ルドックス先生、お前のことかわいがってたもんな。あんまり落ち込むなよ」
「わかってるよ。マジで調子が悪いのも、なんで俺に会わないのかもわかってる」
「……いや、でもマジで珍しいな。お前が眉間に皺寄せてるのなんて、そんなに見ないもん。まじで元気出せよ、お前がそんなだと調子が狂う」
手のひらを顔へもっていき、指先で眉間をなぞって、初めて俺はしかめ面になっていたことに気づいた。
もしかして家でもそうだったんだとしたら、かなり良くないな、これ。
エヴァとか、怖がっていないだろうか。
家に帰ったら、ちゃんと謝らなきゃな。