エルフ女王国首都中心に建つ、白亜の宮殿。その中でも、最も趣味の良い調度品で揃えられた部屋で、香り高く淹れられたティーカップのお茶に口をつける女性がいた。エルフ女王国の最高権力者、女王リーフ七世である。午後の会議を終えた彼女は、私室で束の間の休憩をしていた。お茶を飲み終わったら、書類仕事が待っている。仕事の効率を落とさないためにも、先ほどの会議での派閥間の睨み合いや嫌味の応酬で疲労した脳を、お茶と菓子で癒していた。
庶民にはまだまだ高級品の砂糖をふんだんに使ったクッキーの食感を楽しみつつ、窓の外に目をやるリーフ七世。思いを馳せるのは、任務中の愛しい息子、ハーディについてだ。彼は現在、マスター候補の少年の身柄を確保するという作戦行動中だ。交渉が決裂していれば、戦闘の真っ最中かもしれない。エルフ種最強のハーディが負けるところは全く想像できないが、それでも母として息子のことを案じてしまう。母としてだけではない。女王としても、この作戦の成否が心配だった。ここ数百年、マスターを国に取り込む試みは成功しておらず、マスターの血は薄まる一方だった。サブマスターの多さで他国との今の力関係を築いてきたという歴史から、これ以上血が薄まるのは避けたい。ターゲットの少年が本物のマスターであること、そして作戦が無事に成功することを祈りながら、残りのお茶を飲もうとカップに手を伸ばしたとき。
扉を殴りつけるようなノックの音が響く。入室の許可を出す前に扉が開き、一人の宮殿騎士が転がり込んだ。
女王の私室に、許可なく男が勝手に入るなど、死罪になってもおかしくない行為である。そんな蛮行を側付きのメイドが糾弾しようとしたが、それよりも早く男が叫んだ。
「陛下! ドラゴンです! 上空に、ドラゴンの群れが!」
「なっ、ドラゴンの群れ……?!」
強い怯えを含んだ男の言葉に、リーフ七世は気がつくと立ち上がっていた。
なぜ突然ドラゴンが? どこから来た? 野生のドラゴンか、それとも他国からの攻撃? 国外からドラゴンが飛来したなら、首都に到達されるまでの間になぜ報告や対処がされなかったのか? 次々と湧き上がる疑問によって脳内が埋め尽くされていく。
「陛下。緊急事態ゆえ、ご無礼お許しください」
フリーズしかかった彼女を再起動させたのは、開け放たれたままだった入り口から現れた、宮殿の警備責任者の男だった。彼の後ろに続いて、数人の騎士が部屋へと入ってくる。第一報を届けた男よりも落ち着いた声音で、警備責任者から簡潔に報告がされた。
「骨だけの姿のドラゴン、アンデッド・ドラゴンとでも言うべきものが六体、首都上空を飛び回っております。陛下、すぐに避難を」
そこまで聞いたところで、ようやく女王としての威厳ある態度を取り戻したリーフ七世が、険しい顔で頷く。ドラゴン襲来の原因について考察するのは後でもできる。ドラゴンの対応は騎士団に任せ、今は自身の安全の確保を最優先すべきと判断し、王族用の避難通路へ向かおうと足を踏み出した、そのとき。
「それには及びませんよ」
リーフ七世のすぐ後ろから、子供の声がした。
「な、何者か!」
あまりの驚きから、悲鳴のような声をあげ、振り返る。するとそこには、黒のローブを纏った少年が立っていた。突如として出現した子供に、騎士達も驚愕しながら剣を構える。身体的特徴から
「はじめまして、女王陛下。私はアインズと申します」
「お主が……!」
リーフ七世が一歩後ずさる。情報では、
「本日は貴方と交渉がしたく参りました」
アインズはそう言った直後、彼の背後の空間に高さ二メートルほどの漆黒の穴が空いた。リーフ七世からその穴がよく見えるよう、アインズが横に半歩避ける。すると漆黒の穴から、何かが吐き出されるように床へと落ちた。
それは、ボロボロになった白の騎士団の制服を着用した、三人のエルフだった。
「は、ハーディちゃん!」
その中に愛する息子を見つけ、人前だということも忘れて叫ぶ。そのまま駆け寄りたかったが、倒れているハーディ達を隠すようにアインズが立ちはだかったことで、リーフ七世は動けなくなった。
「交渉、していただけますか?」
「……皆の者、武器を下げよ」
リーフ七世の命令を聞き、アインズに対して構えていた騎士達が剣を降ろす。たとえ逆に、アインズを殺してハーディ達を助けろ、と命じられても、彼らは動くことはできなかっただろう。不明な方法で宮殿に侵入し、エルフ種最強の男であるハーディを倒したと思われる子供に、勝てるとは誰も思わなかった。
リーフ七世の対応に満足したのか、アインズは笑みを深くした。
「さて、こちらの白の騎士団の三人の命ですが、いくら出しますか? あと、二度と私に手出ししないという念書も欲しいのですが」
「……わかった、お主の言う通りにしよう。金もお主が満足できる額を用意する」
苦虫を噛み潰したような表情をしながらも、間を置かずに要求を飲むことを決めたリーフ七世。その返答の早さに、アインズは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにまた微笑を浮かべた。
「そうですか。では用件は済んだので、こちらは置いていきますね」
床に倒れている白の騎士団三人を跨ぎ、漆黒の穴にアインズは片足を入れる。そのまま穴へと姿を消すかと思われたが、その前にアインズは振り返った。
「ああ、もし約束を違えた場合は」
そう言いかけたところで、地獄から漏れ出る怨嗟の声のような咆哮が複数響いた。続けて宮殿の外から、微かに悲鳴が聞こえる。やはりドラゴンの襲来は、アインズによって引き起こされたものであったのだと、嫌でも理解させられた。
「この国を死の国に変えようと思いますので、そのつもりで」
アインズは笑う。一国を治める女王だというのに、劣等種の脅しで足が震えている自らを嘲笑っているようだと、リーフ七世には感じられた。
「それでは、さようなら」
アインズは穴の中へと完全に姿を消した。その数秒後には、漆黒の穴も跡形もなく消滅する。アインズがそこにいたということを示すのは、ピクリとも動かず倒れたままの白の騎士団の姿だけだった。
全身の力が抜け、リーフ七世はその場に崩れ落ちる。
「陛下!」
騎士達が駆け寄ってくるが、それを片手を上げて制止した。
「妾はよい……それより、ハーディ達の手当を」
「かしこまりました」
その場にいた騎士のなかで、携帯用のポーションを持つ者はハーディ達を起こして飲ませる。また別の者は、治癒魔法の使える魔術師を呼びに部屋をあとにした。
慌ただしく動く騎士達、そして意識を取り戻さないハーディから目を逸らし、リーフ七世は小刻みに震える身体を両手で抱きしめる。それでも震えは収まらず、彼女は無意識に小さく呟いた。
「あの子供は、我が国では手に負えない……」
アインズがマスターかどうかは、もはや関係ない。あれは世界にとっての脅威だ。野放しにはできない。しかし最強の騎士団でも太刀打ちできなかった相手を、エルフ女王国だけでどうこうすることができないのは明白。今この国にできることは、恥を捨て、他国に救援を求めることだけだ。
その他国というのも、二カ国に絞られる。
問題は、お互いをライバル視するこの二カ国に、同時に情報を流した場合、余計ないざこざが発生する可能性があるということだ。それでアインズ討伐までに時間がかかり、情報を流したことがバレたエルフ女王国が被害を被ることも考えられる。ならば、どちらの国に救援を求めるのが良いか。リーフ七世は考える。
結論が出るまでに、それから三日の時間を要することになった。
◆◇◆
アインズが<
村の上空まで来たアインズは、しまったなと思った。村の入り口で、心配そうな顔で立っているシリカを見つけたからだ。
「シリカさん」
彼女をあまり驚かせないよう、名前を呼んでからゆっくりと彼女の元へと降下する。アインズが空から戻って来るとは思わなかったようで、声がした方向を探してシリカはしばらく小動物のようにキョロキョロと首を動かしてから、ようやく空を見上げた。目を丸くしたシリカが叫ぶ。
「アインズさん! どこに行っていたんですか!」
驚きから安堵へ、そして怒った顔へとコロコロと変わる表情に、アインズは笑いを噛み殺しながらまずは謝罪した。
「すみません、何も言わずに村を出てしまって」
「心配しました! 何かあったんじゃないかと思って……!」
怒っているようにも、涙が溢れ出す寸前にも見える瞳で真っ直ぐ見つめられると、流石に罪悪感で胸の奥がチリチリと焦げるような感じがした。
「イアンさんのところに案内してもらえますか? 事情はそこで話します」
アインズの言葉を聞き、黙って歩き出すシリカ。その後をついて行くと、馬の世話をしているイアンの姿が見えた。
「お父さん! アインズさん戻ってきたよ!」
シリカの声でこちらに気がついたイアンが駆け寄ってくる。
「アインズさん! 一体今までどちらに……?」
「ここに着いてすぐ、近くの森に野盗がいることに気づいたんです。この村を狙っているようだったので、退治してきました。ですが黙って行くべきではありませんでした。ご心配をおかけしてしまったようで……」
そこまで言って、チラリとシリカのほうに目をやる。彼女は恐ろしい野盗の姿を想像してしまったのか、眉根を寄せてアインズを見つめていた。
「申し訳ありません。この分は報酬から減額してください」
そう言って、アインズは頭を下げた。
「確かに一言声をかけてほしかったですが、アインズさんが対処してくださらなければ、この村にいる者の命が危なかったんです。どうして減額なんてできますでしょうか」
顔を上げると、イアンが困ったような面持ちでこちらを見下ろしていた。彼にも言い分はあるものの、これ以上アインズを責めることも憚られるからこその表情だろう。
「ありがとうございます」
もう一度アインズが頭を下げると、イアンは世話の途中だった馬のところへ戻っていった。
「あの、アインズさん。これ、忘れないうちにお返しします」
シリカが父親が離れたのを確認してから一歩こちらに近づき、両手を差し出してくる。そこには、彼女に貸し出していた銀のドングリのネックレスが乗っていた。
「そうでした、ありがとうございます」
アインズがそれを摘み上げると、シリカがさらに一歩こちらに近づき、顔をぐいっと寄せてきた。思わず後ずさるよりも先に、耳元に口を寄せられる。そして、
「嘘ですよね? 野盗のこと」
シリカはそう囁くと、ぱっと距離を取った。イタズラを成功させたような、自信に満ちた目でこちらの反応を伺っている。
「どうしてそう思ったんですか?」
アインズは努めて冷静に尋ねた。
実際、野盗というのは百パーセント嘘というわけではない。緋色騎士団と白の騎士団が村を滅ぼそうとしていたのは事実だ。<
アインズの問いかけに、人差し指を唇に当て、シリカは答えた。
「女の勘です」
あと三年、いや五年後であれば妖艶な仕草だったかもしれない。だが今の彼女では、背伸びしてお姉さんぶっているようにしか見えなかった。和ましい気持ちになり、笑ってしまいそうになるのをぐっと堪える。意外な一面を見せたシリカに、今度はこちらが仕返しする番だ。アインズは彼女との距離を一息で詰め、耳元で囁いた。
「じゃあ、俺とシリカさん、二人だけの秘密にしてくださいね」
まさか同じことをやり返されるとは、全く予想だにしていなかったようだ。シリカの顔が、ボンッと音がしそうなほど一瞬で耳まで真っ赤に染まる。それから、こくこくと首を縦に振った。
これにて第二章は終了です。
ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。
ここで残念なご報告です。
話のストックが尽きました。
モチベーション低下と私生活のゴタゴタで、執筆ペースが維持できず······
そのため、次回更新日は未定です。
拙作を楽しんでくださっていた皆様、大変申し訳ございません。
『無限ガチャ』アニメ化の続報が出る頃には更新再開できたらなーと思っております。
そのときには、また御アクセスいただけましたら幸いです。