沼地だというのに、泥はね一つない綺麗なマントの男。ハチミツ色の長髪を緩く一本に縛っているそのエルフ種は、骨格を無視すれば女性に見えなくもない。エルフ種らしい美男子だ。こんな状況でなければ見惚れてしまうかもしれない。だが、切れ長な緑色のその瞳には、
「さて、言い残すことはあるか? 劣等種」
エルフ種の男は、手にした大剣を優雅な動作で肩に担ぐ。オマエが相手では戦闘にすらならないから剣を構える必要もない、そんな態度だ。それに対し、スバランは呼吸を落ち着けることに集中した。自分一人ではたしかに勝てない相手だが、傲慢な相手には必ず隙ができるはず。その隙をついて逃げ延び、情報をギルドに伝えるのだ。そうすれば、この冒険者殺しには討伐隊が差し向けられる。それが唯一自分にできる、ギルバートの仇の取り方だ。
「お前、いったい何者だ……」
必要なのは相手の情報、そして隙を作ること。逃走ルートを高速で計算しながら、スバランは男に問いかけた。
「いいだろう。貴様の運の良さを称えて特別に答えてやる」
男はニヤリと口角をあげると、片手を前に突き出す。スバランは咄嗟に身構えるが、男はそんなことは気にもとめない。突き出した手の先にステータスを表示させ、歌うように名乗りを上げた。
「僕様はカイト! エルフ女王国、いや、周辺国家最強の騎士団、『白の騎士団』に最年少で入団を許された『さぶますたー』、未来の英雄だ!」
カイトというエルフ種のステータス、そこには一五〇〇という数字があった。
「なっ……!」
あり得ない数字を目にし、スバランは驚きの声を漏らした。その反応に、カイトは満足げな笑みを浮かべている。
成長限界、と呼ばれる概念が存在する。
レベルというものは、無限に上がるわけではない。一定まで上がると、それ以上は上がらなくなってしまう。それが成長限界だ。
成長限界の数値は、種族ごとに異なっている。例えば劣等種と呼ばれる
このカイトという男は、その成長限界を大きく超えたレベルを持つ化け物、ということだ。
「チクショウっ!」
スバランはなかばヤケになって、懐から煙幕を取り出し投げつける。すぐさま白い煙がたち、辺り一面に広がると同時に、カイトに背を向けて駆け出した。
しかし、三歩も進まぬうちに後頭部に衝撃が走る。殴られたのだと気づいたのは、浅い水たまりに顔を突っ込んだ後だった。ドクン、ドクンと、鼓動に合わせて後頭部から血が流れ出ていくのを感じる。体温が急激に下がり、意識が遠のく。
「ふん、小賢しいマネをする……」
くそエルフが、いつか必ず報いを受けるときが来るぞ。そう言いたかったが、口を動かす力も残っていなかった。そうして、スバランの視界は永遠に暗転した。
◆◇◆
カイトが倒れ伏した劣等種を足蹴にしていると、後ろから声を掛けられた。
「カイトさん、その男、生きてますよね?」
振り返らなくても声の主はわかっている。片眼鏡をかけた、笑顔が胡散臭いダークエルフの男、ヤナークだ。
「ああ、思い切り殴りつけてやったが、今すぐ治癒すれば間に合うだろ」
カイトがそう言うと、ヤナークは慌てて劣等種に駆け寄り、治癒魔法をかけ始めた。
しばらくして、ヤナークがゆっくりと立ち上がる。劣等種は一命を取りとめたようだ。まあ、この後死ぬよりも酷い目に遭うのだが。そんなことを考えているカイトに対して、ヤナークが嘘くさい笑みを向けてきた。
「本当に素晴らしいですね、その剣とカイトさんの力は」
「ふん、当然だ」
カイトはうざったそうにヤナークから目を背ける。当たり前のことを言われて喜ぶ者はいない。
「その剣とカイトさんのご協力があれば、当方の研究はさらに迅速に進むでしょう!」
ヤナークは、カイトのそんな様子を気にすることなく世辞を口にする。つまらない、聞き飽きたセリフだ。
「ですが、そのためには実験材料が必要不可欠。カイトさん、くれぐれも殺しすぎないように、お願いしますね」
その小言も、既に聞き飽きていた。
「チッ……わかっている! だから早くオマエの研究を完成させろ」
苛立ちながらそう吐き捨てると、カイトは再びステータスを表示させた。
一五〇〇。その数値は、もう何年も変わっていない。たしかにカイトは、一般的なエルフ種の成長限界を超えたレベルを手にしている。しかし、それはカイトの成長限界が常識よりも上だっただけ。レベルは一五〇〇から動かなくなり、それからカイトにとっての地獄が始まった。
『カイトの奴、もう成長限界が来たらしいぜ』
『あんなレベルで止まっちまうなんてな。あれで団長の座を狙ってたとか、ほんと笑える』
『だよなー。ま、俺アイツのこと嫌いだし、ざまぁって感じだな』
そんな陰口を聞こえるように言われる日々に、カイトは耐えられなかった。
そんなときに出会ったのが、ダークエルフ孤島国を追われた研究者、ヤナークだった。彼の研究内容は、成長限界を突破させる方法についてだ。
最初はそんなことが可能なのかと訝しんでいたカイトだったが、同時期にこんな噂を耳にした。曰く、成長限界が来たエルフ種が、ある日粗相をした
ヤナークはカイトに囁いた。国を離れ、もっと自由に
カイトはステータスを見つめながら、手にした大剣――グランディウスを強く握りしめる。このダンジョンに潜ってから、すでに何匹も劣等種を殺しているが、レベルは上がらない。いつになったら、自分を見限った母国の連中を見返せるのか。
すぐ近くから、ヤナークが劣等種を腑分けする不快な音がしている。成長限界さえ突破できれば、こんな男とつるむ必要もなくなるのに。そう思い、カイトは小さく舌打ちをするのだった。
◆◇◆
「本当に来ちゃったな、二階層……」
「うん……すごいね、お兄ちゃん」
「そうッスね……」
赤茶色のひび割れた大地が広がる世界を眺めながら、エリオ達は呟いた。
アインズを武器屋や魔道具屋を案内するという名目で、五人は街を巡り、アインズ以外は装備を一新させる。今までよりも良い装備に身を包んだエリオ達を見て、アインズは少しだけ満足げな表情を浮かべていた。
さてこれからどうしようか、というときに、アインズが二階層に行きたいと言い出した。一階層の浅い場所での狩りでも足元を掬われそうになる自分達に、二階層はまだ早いと、正直エリオ達は思った。しかし今はアインズがいる。彼がいれば大丈夫なのではないか。少しだけ、将来のために様子を見てみるだけなら……と、二階層行きを決定した。
そして今日、アインズの誘導で森の中を進み、あっという間に二階層へと降りる階段を発見。その間モンスターに遭遇することもなく、ほぼ最短距離だったのではないだろうか。こうして五人は、二階層の荒野に立つことになった。
「少し歩いて様子見をして、その後は一階層に戻って野営準備、って感じですかね」
「そうですね、それが良いと思います」
アインズの言葉に、エリオが同意する。いきなり二階層で野営するのは、流石に怖かったからだ。アインズ抜きで夜番をしていて何かあっても、対処できる自信がない。
「あの、アインズさん……」
ミヤがアインズのローブを、くいと引っ張る。
「どうしました、ミヤさん」
振り返ったアインズに、ミヤは思ったことを口にした。
「アインズさんがいなかったら、私達が二階層に到達するのは、もっとずっと先になっていたと思います」
思いがけない報酬が手に入り、装備をグレードアップしていなかったら。そして何より、アインズという存在がなかったら、この景色は見られなかった。
「だからあの……本当に、ありがとうございます」
感謝はすぐ相手に伝えなさい。故郷で母からよく言われていたことだ。だからミヤは、感じた想いをストレートにアインズに伝えた。
「こちらこそ、ミヤさんには色々なことを教えていただいて、お礼を言わないといけないのは俺のほうです」
急にお礼を言われ、アインズは少し戸惑った様子だが、眉尻を下げつつお礼を言い返した。
「そんなこと……! 私の知識では、大したことをお教えできなくて……」
両親を亡くしてから学費を払えなくなり、魔術学校を中退していたミヤには、魔法の基礎しか教えることができなかった。それでもアインズは新鮮な面持ちで、いつも真剣に話を聞いてくれた。
アインズは優しい口調でミヤに反論する。
「そんなことないですよ。俺は本当に、とても助かりました。あと、お礼を言うならエリオさんに。俺を
たしかにアインズの言う通りだ。ミヤは兄の手を取り、真っ直ぐな目で言った。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
「お、おう……」
ミヤの圧のある感謝に、エリオは若干引き気味だ。そんなエリオに、ギムラがそっと話しかける。
「ミヤちゃん、ついに春が来たんスかね?」
「なっ……!?」
それを聞いたエリオが、裏返った声をあげる。まだまだ小さいと思っていた妹が、ついに初恋をする歳なのか。嬉しいような寂しいような気持ちでエリオは目を閉じ、腕組みをした。
「あ、アインズさんが相手なら、兄ちゃん応援するからな!」
「ぇえっ?!」
そんな兄の宣言に、今度がミヤが裏返った声をあげた。顔面が一気に熱くなるのを感じながら、慌ててブンブンと首を横に振る。
「ち、違う! そんなんじゃないもん! ただ、いつもと違う景色を見たら、なんか感動しちゃって……」
そこまで言って、ミヤは景色へと視線を向ける。森と草原が広がっていた一階層とは、全く異なる光景。ゴロゴロと大きな岩が転がり、植物はほとんど生えていない、荒れた土地だ。しかしミヤにとっては新鮮で、口から感謝が自然と出るような貴重な経験だった。だから、アインズに対するこの気持ちは、きっと初恋と呼ばれるものではない。そんな言葉では表し切れない、もっと大事なものだ。
ミヤが遠い目で、少女特有の甘酸っぱい気持ちに浸りかけていたときだった。ふいに、視線の先の岩陰から一人の男が姿を現した。
「おーい、お前さん達!」
壮年と思しき
「こんなとこで立ち止まって、何してるんだー?」
ダンジョン内での自分達以外の冒険者との接触は、良いことよりも悪いことのほうが多い。モンスターや野営地の取り合い、最悪はカツアゲなどもあり得る。実力以上に質の良い装備をしている自分達は、格好のカモだろう。
警戒するミヤ達を見た男は、少し困ったような表情で両手をあげた。武器を持っていないことのアピールだ。大声を出さなくても対話ができる距離で立ち止まり、男は改めて口を開いた。