ユメニオチル   作:OrengeST

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第十七話:南美亜子は眠りたい

 病院に着く頃には、すっかり美亜子の作戦を叩き込まれていた。

 

 美亜子は大まじめな顔をして作戦を語ったのだが、それを実行する側の自分としては、恥ずかしいこと、この上ない。

 美亜子の説明で自分が何をするのかは分かったが、美亜子が何をするかについては、聞いても何も話してくれなかった。

 道中、美亜子はお見舞い用にと、花を購入した。

 

 夜間入口ではなく正面の玄関から病院内に入ると、院内は、昨日とは全く別の場所に思えた。

 診察に訪れた患者や見舞客、入院患者などが銘々に歩き回っているので、煩さこそないが活気がある。

 消毒液のような病院独特の臭いや光景に、三宅は懐かしさを覚えた。

 

 夜間には静まり返っていた吹き抜けの広間は、多くの人が席に座って談笑をしたり、読書をしていた。

 その一角に四台ものエレベーターが合って、その手前に可搬の名が机が置かれていて、簡易的な面会受付になっている。

 面会者はここで名前を記載する必要があるらしい。

 

 三宅は美亜子と共に受付に来意を告げて、五階にあるという千紗都の病室へ向かった。

 昨日は千紗都を集中治療病棟へ入院させる、という話だったはずだが、そうでないのは病状に変化が見られたからだろうか。あるいは……。

 

 不安と緊張が絡み合ったまま、エレベーターで五階に着いた。

 

 ナースステーションで看護師から千紗都の病室の番号を確認する。千紗都の病室は、ナースセンターから距離があった。

 病状急変の心配が低いとみなされているらしい。

 

 休憩室を通過して看護師に告げられた病室までやってくると、たしかに、病室の入り口には御舟千紗都、と書かれたプレートが掲げられていた。個室のようだ。

 

 その名前を見た途端、三宅の不安は頂点に達して扉の前に立ちすくんだ。鉛を飲み込んだように身体が重くなった。

 

 このプレートは彼女がここにいる、という無慈悲な宣告だ。さらに扉を開ければ、ただの宣告は観測される事実に置き換わってしまう。

 

 手が震える。猛烈に、この場から逃げてしまいたい願望が、襲ってくる。

 

 ……また、逃げるのか。

 

 心の内で難詰する声が聞こえた。

 だが、逃げてどうなる。

 千紗都はかつて、自分のために、たった一人で多勢無勢に立ち向かってくれた。

 勇敢で高潔だった。

 そんな彼女が、このままでは永遠に失われてしまうかもしれない。

 

 三宅は拳を固く握って、そっと扉にかざした。

 隣にいる美亜子に目線をやる。目が合うと、美亜子は力強く頷いた。

 扉を三回ノックする。部屋の中から、どうぞ、と女性の声が聞こえた。

 

 扉を開けると、消毒液の臭いに交じって、花の香りが漂ってきた。ゆっくりと、部屋の奥へ進んでいく。

 入ってすぐ左隣にトイレと思われる扉があり、右隣りには洗面台が設けられていた。正面にはベッドの端が覗いている。

 

 ベッドの隣に置かれた椅子に、御舟優香が座っていた。

 

「あら、雄一君と……美亜子ちゃん」

 

 優香は歓迎の意を表するために、虚ろな顔にぎこちない笑みを浮かべた。

 風が吹けば消えてしまいそうな儚い笑みを作る優香に、三宅の胸は締め付けられた。

 

「お邪魔します……」

 

 軽く会釈をして、三宅と美亜子は、ベッドの足元までやってきた。

 

 その光景は、無慈悲だった。

 

 千紗都の白い身体と薄桃色の患者衣の間から、幾本ものチューブが、ベッドの下やベッドの外に伸びている。

 ベッドサイドモニターのバイタルは規則的な音を鳴らして、彼女の身体が正常であることを告げていた。

 その機械の上部の突起には点滴がぶら下がっていて、透明なチューブが千紗都の身体に向かっている。

 科学の慈悲が、彼女の身体を生かしていた。

 

 だが、当の千紗都の瞼は、微動だにせず閉じられている。

 彼女の精神は、身体という容れ物を抜け出て、彷徨っているように見えた。

 

「今日もお見舞いに来てくれたのね。ありがとうね」

 

 優香は椅子から立ち上がって、自分が座っていた椅子と、側にあったもう一つの椅子を三宅と美亜子に勧めた。

 三宅が断ると、彼女はすんなり、椅子へ座りなおした。

 

「千紗都。雄一君と、美亜子ちゃんが来てくれたよ」

 

 か細い声で、優香が千紗都に語り掛けた。千紗都は眠ったままで、バイタルの無機質な音が返事を返した。

 

「……千紗都さんのご様子は、いかがですか?」

 

 それまで黙っていた美亜子が、訊ねる。

 優香は眠っているように見える千紗都を見つめていた。娘の、どんな些細な反応も見逃すまいとしているようだった。

 

「容態は安定しているから、一般の病棟に移されたの。先生は、辛抱強く見守っていくしかないでしょうって。

 でも……意識が無い状態が長く続くと、目が覚めても、どうなるか、分からないんだって……」

 

 涙に声を詰まらせ、絞り出すように優香は言った。

 

「だからね、話しかけてあげるといいらしいの。意識が少しあるから、特に、名前を呼んであげると、意識の訓練になるんだそうよ。千紗都。千紗都……」

 

 よちよち歩きから立ち上がった幼子を呼ぶような、愛おしむ声で、優香が呼びかける。

 

 三宅は、目を瞬いた。叫びだしたくなる感情を抑え、息を長く吐く。そうすると、熱くなった目頭がゆっくりと冷めていった。

 

 千紗都が元通りに目を覚ますためには、あまり、時間が無いのかもしれない。だとすれば、感傷に浸っている暇すら、勿体ない。

 

「優香さん。お話したいことがあって……病室の外に、いいですか?」

 

 優香は目元を指で拭って三宅を振り向いた。

 

「ここでは、駄目なの?」

 

 不思議そうな顔をして訊く。

 

「ええ。その、千紗都さんに聞かれたくない話なんです」

 

 三宅は鞄を美亜子に預けると、首を傾げた優香を尻目に、病室を出て行った。去り際に、美亜子が小さく頷いた。

 

 病室を出た三宅は、ゆっくりした足取りで休憩室に向かった。これも美亜子の作戦だった。

 

 休憩室には、電車のロングシートみたいに長いソファや、未就学児が遊ぶようなマット材でカラフルに彩られた区画があった。

 ぬいぐるみや、三角錐や立方体のクッションもあり、患者と見舞客が面会する場所でもあるようだった。

 長いソファの窓際には、患者衣を着て杖を突いた白髪の老婆が一人、じっと窓の外を眺めて座っていた。

 

 三宅は、ソファに腰かけた。後ろをついてきた優香も、三宅の隣に座る。

 

「それで、話って?」

 

 落ち着かないような様子で、優香が訊いた。千紗都の病室を離れたのが気がかりなのだろう。

 だが、優香の気持ちを、どうにか自分に引きつけなければならない。

 

 三宅は、考え込むような素振りをして、すぐには話を始めなかった。興味と不快の境界を見極めろ、と美亜子は簡単に言ったが、そんな駆け引きをしたことがない三宅には、難題だった。

 結局、沈黙に先にしびれを切らしたのは、三宅の方だった。

 

「千紗都さんのことで、気になっていることがあるんです」

 

 緩慢な動作で携帯電話を取り出して、画面を操作する。あらかじめ開いていたインターネットのページを前面に表示させて、優香に差し出した。

 

 優香は困惑した顔のまま、携帯電話を受け取ると、画面を見た。彼女が画面をスクロールするのを、三宅は辛抱強く待った。

 

「これは……?」

 

 優香が、画面を操作しながら、訝しげに訊ねる。

 

「千紗都さんの病状によく似た事例が、他にも何件もあるんです」

 

 三宅が見せたのは、黒い女の夢について取り上げたブログ記事だった。

 

 煽情的な文言を控えて、比較的、事実に依拠した内容が書かれている。

 十数人ほどの、意識不明者の名前、意識不明になった日付、黒い女の夢に関してSNSで投稿した日付と、その投稿内容が掲載されていた。

 事実の羅列であり、何らかの結論を導くものではないが、読者にはそこに関連性を見出させるような、巧妙な作りになっている。

 

「黒い女を夢で見た人間が、意識不明になっている……という話です。半信半疑ですが、偶然にしては出来すぎているような気もする。

 もしかしたら悪質なデマかもしれない。でも、まったくのデマだと切り捨ててしまうのは、惜しいと思っています」

 

 画面をスクロールする優香を見て、三宅は口を閉じた。彼女の反応を待つ。

 しばらくして、優香がさっ、と顔を上げた。

 

「こんなこと、初めて聞いたわ。誰も、何も……」

 

「言わないでしょうね。テレビでも、警察でも、病院でも、ご友人も……こんなものは、はたから見れば何の根拠もない都市伝説です。

 信じれば笑い者、口に出せば赤っ恥です。

 でももし、少しでも千紗都さんが助かる可能性があるのなら……僕は恥を被っても、この話を突き止めたいと思ってます」

 

 優香は、困惑した顔で目を伏せた。画面を見つめたまま、黙している。

 

「優香さんは、信じなくていい。余計な期待を持つべきじゃありません。

 僕を馬鹿だと笑ってくれて構わない。

 ただ優香さんには、千紗都さんの話を聞かせてほしいんです。倒れた日の前の、彼女の様子を。

 そして千紗都さんの部屋で、彼女のFREAMを調べさせてほしい」

 

 この捜査交渉が、三宅に託された一つ目の仕事だった。

 

 昨日が優香との初対面だった美亜子には荷が重く、説得は三宅に任された。千紗都の行動履歴を詳細に追うためには、優香の協力が不可欠である。

 懸念を正直に白状した方が、様々な話を進めやすい……そう考えてのことだった。

 

 依然として、優香は思いつめた顔をしている。噂の真偽もそうだが、しばらく疎遠だった自分をどれだけ信じてよいのか、測りかねているのだろう。

 もう一押しだ。

 

「……あの部屋で、僕がこの話をしたくなかったのは、彼女に、僕の気持ちを知られたくなかったからです」

 

 三宅は、意を決して優香を見つめた。

 

「気持ち?」

「はい。僕は、千紗都さんを……とても大切に思っています。中学の頃に彼女から受けた恩を、忘れていません。僕は恩を返したい。千紗都さんを助けるためなら、何でもしたい」

 

 三宅は言葉の節々に力を込めた。

 

 美亜子の計画したように「千紗都を好きだから助けたい」などとは言えなかった。本人に告白する前に、その親に告白する奇怪な人間など見たことがない。

 それに、千紗都を好きだという嘘で優香の気を引くのは、申し訳ない気がした。

 

 三宅は、言葉にするまでは台本を読むようで顔が火照る気分だったが、喋り終えると、発した言葉は本心であると思えた。

 

 ぽかんと口を開けて話を聞いていた優香は、困惑顔をした。

 

「まあ、それは……。そうなのね。なんと言ったらいいか……。その気持ちは、たぶん、千紗都も嬉しいんじゃないかしら……」

 

 もごもごと、気まずそうに優香が呟く。

 一世一代のつもりで演説した三宅は、優香の反応を見て急に気恥ずかしくなり、被せるように言葉を続けた。

 

「それで、いいですか? 先輩と一緒に、話を聞きたいんです」

「構わないけど……」

 

 優香は言葉を濁した。

 

「正直、不安なの。馬鹿馬鹿しいって思うけど、もし本当だったらって。二人に、申し訳ない気がして」

「覚悟はあります。それに、実際のところ、迷信なんだろうって気持ちもあるんです。

 だって噂が事実なら、もっと多くの人が意識を失っていて、大問題になっているはずだとも思うんです。毎日、世界中の人間が、眠ってるんですから」

 

 三宅の言葉に、優香も思い直したようだった。

 

 もっとも、三宅の本心は違った。意識不明に黒い女が関係していることには、ブログ記事を見てほぼ確信があった。

 二度や三度なら偶然かもしれないが、十数度も続けば、それはもはや必然だ。

 それに、報道がなされたりSNSで投稿が追跡できる人物のみが騒ぎの俎上に上がっているだけで、実際の被害者の数はもっと多い可能性すらある。

 

 優香の承諾を得られたので、三宅は今後の段取りを交渉した。面会時間が限られているために、優香もこれから帰宅するらしく、共に御舟家へ向かうことで話は決まった。

 

「でも、できれば千紗都の部屋に入るのは、美亜子ちゃんだけにして欲しいの。別に、雄一君がどうって話じゃないのよ。

 ただ千紗都も、知らない間に男の子が部屋に入るのは、気になるんじゃないかと思うの」

 

 それもそうだろうと思い、三宅は承諾した。美亜子一人だとしても、FREAMを調べるだけなら十分だ。

 

 優香から携帯電話を返してもらって、現在時刻を確認する。三十分近くが経っていた。

 美亜子の取り決めは、最低三十分という作戦だったので、何とかノルマは達成したことになる。

 

 三宅は静かに息を吐いて、立ち上がった。

 

「病室に戻りましょうか」

 

 優香を連れて病室に戻った三宅が見たのは、異様な光景だった。

 

 椅子に座ったままの美亜子が、自前の枕を千紗都の頭のそばに置いて、突っ伏すように寝ていたのだ。美亜子は扉の空いた音にも気付かず、すやすやと寝息を立てている。

 

 しばし唖然とした三宅は我に返って、ベッドサイドに近付いて美亜子を揺り起こした。

 

「先輩、起きてくださいよ」

 

 寝ぼけ眼の美亜子が、驚いたように体を起こした。

 

「あぁ……。すまない。眠ってしまったようだ」

 

 さも過失のように美亜子は弁明したが、枕を持参していては、明らかな故意だ。もしや寝たいがために、この部屋から優香を連れ出させたのか。

 

 三宅が呆れ、疑念を膨らませていると、美亜子は思いついたように、背後の窓際に置いていた自身の荷物を探った。

 三宅の荷物も、おなじ場所にまとめて置かれている。美亜子はそこに置いていた、道中に購入したアレンジメントの花を取り出して、三宅に手渡した。

 

「これ、御舟さんに渡してくれ。お前からの方がいいだろう」

 

 美亜子が小声で囁く。

 

「え? いいですけど……」

 

 寝起きだから立ち上がるのすら億劫なのだろうか。受け取った花を、部屋の入り口で困惑顔で立っている優香に手渡した。

 

「まあ、ありがとう。綺麗ねえ。さっそく、飾らせてもらうわ」

 

 優香の顔がほころんだので、三宅は、ほっと胸をなでおろした。花を手にした優香は、病室の入口のそばの洗面台へ向かっていった。

 

 振り返ると、美亜子は自身の鞄に枕を詰め込んでいた。鞄がやけに膨らんでいたのは、枕を詰め込んでいたためのようだ。

 隙あらば睡眠をとる美亜子の姿勢は、呆れつつも、感心してしまった。

 

 鞄のファスナーを閉じようと苦戦している美亜子に近付いて、声をかける。

 

「優香さん、承諾してくれましたよ」

「お、そうか。万事順調だな。ありがとう」

 

 美亜子は、小声で返した。その横顔は、昨日にも増して青白く不健康そうに見える。よ

 ほど眠れていないのかと、三宅は不安になった。考えてみれば、今日の作戦は美亜子が考えてくれたもので、ブログ記事も美亜子に教えてもらった。

 諸々の作業量は多かったに違いない。

 

「手伝いますか?」

 

 三宅は、自然と手を差し出していた。美亜子の小さな体が、なぜか、急に影を薄くしたように思えたからだ。

 振りむいた美亜子は、ぼおっとした覇気のない目を向ける。

 

「じゃあ、これを頼む」

 

 美亜子が差し出した鞄のファスナーを、三宅は苦労して閉じた。よくこんなものが、鞄に収まっていたと思った。

 

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