ユメニオチル   作:OrengeST

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第二十三話:眠れる羊たちの沈黙

「おい、三宅」

 

 声が聞こえた。暗闇の中で、身体が揺れている。

 

「起きろ。交代だ」

 

 何かが左右のこめかみに触れる感触がした。耳の上方に、慣れ切った感覚を覚える。

 三宅が薄く目を開くと、目の前のテーブルに置かれたデスクライトが、直視できないほどに眩しく光って見えた。

 視界は像を結んでいて、自分が眼鏡をかけていることが分かった。

 

 上半身を起こす。床に着いたはずの手が、深く沈みこんだ。そこでようやく、自分がソファに横たわるように寝ていることに気がついた。

 

「……今、何時ですか」

 

 重たい瞼が再び閉じて、訊ねる。

 

「四時だ。これから私が寝るから、後は頼んだぞ」

 

 どさり、と倒れ込む音がした。三宅がゆっくり目を開けると、デスクライトの向こうで、美亜子がソファに横になっていた。顔の下半分まで覆うくらい、毛布を引き上げている。

 

 その様子を、三宅はぼんやりと見つめた。美亜子の像が、先ほど夢で見た何者かの姿と重なって、陽炎のように消えた。

 

 あのベッドにいたのは、夢子だったのか。

 

 FREAMにセットした夢は、昨日に引き続いて学園の夢だったが、機械は仕事を忘れたようである。

 

 だが、夢の光景には、どこか見覚えがあった。

 どこで見かけた光景なのか、しばらくの間、記憶の在り処を探してみたが答えは見つからなかった。

 千紗都の病室の記憶が再構成された、幻覚だったのかもしれない。

 

 目を瞑ったまま頭を揺らし、三宅はしばらく夢と現を行き来した。

 ようやく目を気力でこじ開けると、デスクライトの照明のみで照らされたリビングの様子が、明瞭に浮かび上がってきた。

 

 いつ眼鏡をかけたのか覚えがない。寝るときは普段、眼鏡を外しているので、起床時の違和感を踏まえると美亜子が掛けさせてくれたのだろう。

 

 つい今しがた眠りに入ったばかりの、美亜子に目線をやる。今まで自分が寝ていたはずなのに、すやすやと眠る美亜子をひどく羨ましく思った。

 

 三宅は大きな欠伸をした。肺胞に取り入れた新鮮な酸素が、重たい眠気を少しばかり覚ましてくれた。

 これから朝までが自分の見張り番だという認識が、ようやく実感を伴ってくる。

 

 テーブルの上に置いてある本を手に取った。自分の見張り番のときに読もうと思って、準備しておいたものだ。朝まで美亜子を凝視しているわけにも、いかないだろうから。

 

 三宅は、しおりを指で辿るようにして、読みかけのページを開いた。

 いつもの癖で、摘まみ上げたしおりを指に挟もうとした時、ふと、しおりを彩っている花柄が目についた。

 

 それは花柄というより、押し花がプラスチックのフィルムでラミネートされていた。その花の色合いや形が、夢でみた花によく似ている。

 花瓶で束になっていた中から小さい一輪を引き抜いてこれば、ちょうどこんな感じだろうか。

 

 なるほど、と三宅はひとり、得心した。

 

 美亜子は、夢は記憶が再構成されたものであると言っていた。

 だが、ある過去のワンシーンに限らず、複数の記憶のパッチワークとして再構成されることもあるのだろう。

 

 あの未だ姿の見えない少女も——夢子も、いつかの記憶なのだろうか。

 

 読書をしつつ、ときおり美亜子を眺めつつしているうちに、夜は明けていった。寝ている間、美亜子に特段の異常は見られなかった。

 

 四時起床の三宅は、朝からの重労働でさらに疲弊した。天体望遠鏡を抱えて家を出て、美亜子の家まで返却に行き、それから美亜子と共に登校する。

 

「放課後、集めた情報を交換しよう。……頼んだぞ」

 

 別れ際、美亜子はそう言って去っていった。心なしか昨日より元気そうに見え、三宅は、眠る順番を美亜子と入れ替えておけばよかったと後悔した。

 

 トイレへ行って眠気覚ましに顔を洗うと、鏡にひどく血色の悪い自分の顔が映った。

 口を歪めて笑ってみると、鏡の中の男も嘲るような笑みを見せる。

 笑うと元気が出てくると、以前、千紗都が言っていたのだが、なるほどその通りだった。鏡の中の男に負けてなるものかと、克する気持ちが湧いてきた。

 

 トイレを出ると早々に、保健室へと駆け込んだ。

 

 養護教諭にベッドの使用と、午後からカウンセラーの新堂晴陽との面会予約を申し出る。

 午前中は他の予約で埋まっていたらしく、午後ならばちょうどいいと、養護教諭は請け負った。もっとも、二日連続のためか、養護教諭には訝しんだ目で見られたが。

 それでも、ストップがかかるまでは続けようと思った。

 最悪、麻美まで連絡が行くかもしれないが、その時はその時だ。

 

 カーテンを引いて養護教諭からの視線を遮ってから、三宅は鞄の中からFREAMを取り出して枕の下に置いた。

 そのまま、ベッドに入り込む。携帯電話を少しばかりいじった後、FREAMのリモコンデバイスを布団の下に隠し持った。

 寝ている時間も無駄にはできない。美亜子にできなくて自分にできることは、あの夢の中の少女を追い続けることだ。

 

 だが、夢での捜索は不発に終わった。機械はここぞとばかりに本領を発揮し、学園の夢を見せてくれたのだった。夢子との遭遇はかなわなかった。

 

 なんとか午前の授業の終了間際に起きることができたので、睡眠でほどほどに回復した頭で保健室を後にして、部室棟へ向かう。

 オカルト研究部の部室に用事があった。

 

 部室に入ると、客人のために部屋を暖め、ポットに水を入れて沸かした。準備が整ったところで、授業終わりのチャイムが鳴った。

 しばらく落ち着かない気持ちで、三宅は視線を部屋のなかに彷徨わせた。人形たちの黒い瞳が怖いが、致し方ない。

 何か布でも棚に掛ければ、視線を遮ることができるのだが……。

 

 考えを実行する間もなく、扉をノックする音が聞こえた。三宅が入室を促すと、おずおずと、ポニーテールの女子生徒が部室に入ってきた。

 手には小さな手提げを持っている。

 

「お邪魔します……。うわ」

 

 鮎川の視線は人形棚に向かって、身体をびくりとさせた。

 鮎川の姿に、三宅の手は思わず震えたが、拳を握って心を奮い立たせた。

 

「部長の趣味なんだ。僕の趣味ではないから、安心して欲しい」

「誰の趣味というより、普通に怖いよ……」

 

 苦笑する鮎川に、三宅は、不安と、ある種ほっとした気持ちで円卓の一席を勧めた。

 保健室で寝る前に鮎川に連絡を入れておいたが、反故にされる可能性もあると思っていた。

 

 鮎川が弁当を広げている間に、二人分のコーヒーを作った。一つを鮎川の前に、もう一つを手元に置く。

 口の中が渇いて、思わず自分の分を一口飲んだ。熱いコーヒーを胃に入れると、手の震えが収まったような気がした。

 千紗都や美亜子で忘れているが、同年代の女子と二人きりで話すというのは、まだまだ慣れないようだ。

 

 弁当を広げた鮎川が、じっとこちらを見ていたことに気がついた。

 

「今日は、来てくれてありがとう。お弁当でも食べながら、話を聞かせてほしい」

 

 視線から逃げるように、三宅は言った。

 

「三宅君は食べないの?」

「まあ、あまり食欲が無くて。今はいいよ」

「……最近、保健室に行ってるみたいだけど、だいじょうぶ?」

 

 鮎川の心配するような目と、視線が合った。

 

「だいじょうぶだよ。ちょっと、眠たいだけ。身体の方は全然問題ない」

「それならいいんだけど……。元気、だしてね」

 

 鮎川が、言葉に迷ったように途切れがちに言った。

 

 はたと、三宅の手の震えが止まった。彼女の心遣いだけではない。彼女の言葉は、彼女自身が言われたい言葉の裏返しのような気がした。以前、彼女を慰めた自分は間違っていなかったのだと、三宅は思った。

 

「ああ、ありがとう。元気はあるよ。どうにかしなくちゃいけないから」

 

 三宅は力強く続けた。

 

「だから……辛いことを聞くけど、鮎川さんのお兄さんの話を、教えてほしい」

 

 鮎川は少しの間、口元を結んでいた。口にするのは禁忌だと感じている様子だった。

 しばらくの間、三宅は彼女の言葉を辛抱強く待った。彼女は、話すつもりでここに来てくれたはずだ。自分からこれ以上の催促をする必要はない。

 ようやく、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「兄は……鮎川浩司《あゆかわこうじ》は、二カ月前から、意識が戻らない……」

 

 鮎川は、記憶をたどるようにして語り始めた。

 

 鮎川浩司は、都内の私立大学に通う、大学二年生だった。

 高校生の頃、野球少年だった浩司は、ある日、部活の帰り道で交通事故にあって入院までしたのだという。命に別状はなかったのだが、その時に肩を痛めたせいで、全力で肩を動かすような運動ができなくなった。

 

 悲嘆の最中に出会ったのが、当時、妹の鮎川が通っていた小・中学生向けの陸上クラブで、鮎川浩司は肩に負担の少ない陸上競技の道に入った。

 

 陸上クラブで基礎を学んだ後は、高校の陸上部に転部した。

 元々身体を動かすことが好きで、運動能力にも恵まれていた彼はみるみる成績を伸ばし、スポーツ推薦でインターハイ常連の私立大学に入学するまでになった。

 大学と家が近いため、家から大学に通っていたという。

 

「兄は私より遅く陸上を始めたんだけど、みるみる上達していってね。最初の頃は、怪我の不満を発散させるみたいにがむしゃらに走ってて、私は不安だった。

 でもそういう、怪我にも負けないで前に進み続けるお兄ちゃんの姿は、カッコよかった」

 

 ぽつりぽつりと、鮎川が語った。喋っていくうちに、兄からお兄ちゃんへと呼称が変わっていることに、鮎川は気付いていないようだった。

 

「……自慢のお兄さんだったんだな」

 

 鮎川は、はっとした顔をして、それから頷いた。その目には、涙が溜まっていた。

「……そうなのかも。わたしが辛くても陸上を続けて来られたのは、すぐ近くで頑張ってるお兄ちゃんのお陰だったかもしれないし。もちろんわたし自身、走るのが好きだったってことも、あるんだけどね」

 

 鮎川の憔悴していた様子を見て感じていたことだが、鮎川の兄妹仲は良いようだった。同じ陸上競技に携わる者として、お互いに良きライバルであり、良きアドバイザーでもあったのかもしれないと、三宅は思った。

 

 それゆえに、次の質問のため、三宅は心を鬼にした。

 

「……浩司さんが倒れていた時は、どんな風だったんだ?」

 

 鮎川は、肩をびくりと震わせて、俯いた。

 

「……あの日の朝、私がランニングを終わらせて家に帰ってくると、まだお兄ちゃんが寝ていたの。いつもなら、大学で朝練があるからって、ずいぶん早くに家を出て行くんだけど……。お母さんの代わりに、私がお兄ちゃんを起こしに行った。何回揺さぶっても起きてくれなくて、それで……」

 

 意識不明の浩司を発見したのは、鮎川だったのか。

 三宅は驚き、また居た堪れない気持ちになった。死んだように眠っている兄を見て、強いショックを受けたことは間違いない。

 

「何か、その時に変わった様子はあった?」

 

 鮎川は、返事をする代わりに首を振った。何かを堪えて、それから絞り出すように言った。

 

「なにも、なかった。寝ているお兄ちゃんを普段から見ているわけじゃないけど、乱れたような様子も無くて、普通に寝てたよ。最初は二日酔いか何かで、まだ酔っ払ってるのかもって、思ったくらい」

 

 鮎川の言葉に、三宅は違和感を覚えた。視界の端に害虫を捕らえたような、寒気が走った。

 

「酔っ払う? どうして、そう思ったんだ?」

「どうして? それは……。そうだわ。その前の日だったかな。お兄ちゃんが珍しく、夜遅くに帰ってきたの。私が寝る前だったから、十時か十一時くらいかな。具合が悪そうで、飲み会で羽目を外しすぎたんだろうって、思ったの」

 

 目の前に閃光のような物が走った。

 しかしまだ、確証はない。他の可能性を潰さなくてはならない。

 逸る気持ちを抑えて、三宅は努めて冷静に、口を開いた。

 

「実際に、お兄さんは飲み会に行ってたの?」

 

 鮎川は首を振った。

 

「お兄ちゃんの友達から、そういう話は聞かなかった。お医者さんも、呼気や血中に過剰なアルコールは見られなかったって。よく考えれば、秋の大会が近いから、飲み会なんて絶対に行かなかったと思う」

 

 予想通りだった。

 三宅には、着実に、何か得体の知れない物に近づいている感触があった。

 

「じゃあ、その日は、お兄さんは何をしてたんだ?」

 

 鮎川は初めて、そこで悩ましげな顔をした。

 

「それが、わからないの。大学で授業を受けて、部活が終わったのが夜の七時くらいっていう話は聞いたんだけど……。それから、十一時まで何をしてたのか……」

 

 思わず、三宅は心の中で膝を打った。

 これだ。千紗都との共通点を、一つ見つけた。

 

 意識不明になる前に、二人は謎の体調不良に襲われている。行方の知れぬ時間を経て、帰宅が遅くなる。この謎の時間に、何かがある。

 

「もし、よければ……お兄さんの、写真を一枚、貰えないか? お兄さんが、いったいどこにいたのか、調べたいんだ。

 それと、鮎川さんがいいなら、お兄さんのお見舞いもさせてもらいたい」

 

 三宅には、自分の推測に直感があった。そのためには、警察の真似事のように、人に聞いて回るしかない。

 どれだけの協力が得られるのか分からないが、手段はそれだけだ。浩司の顔を実際に見ておくのも、捜査に役立つはずだ。

 

 鮎川は、すぐさま頷いた。

 

「うん。どっちも、いいよ」

「お兄さんのいる病院は、遠いの? もしそうなら、休日にでも……」

「だいじょうぶ。学校の近くの大学病院だから、今日の放課後でも」

 

 三宅の心臓が高鳴った。背筋を冷たいものが流れ落ちる感覚があった。

 わなわなと、口を開く。

 

「その、病院って」

 

 鮎川が口にしたのは、浩司が倒れた鮎川家からほど遠い、千紗都の入院している大学病院の名前だった。

 

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