ユメニオチル   作:OrengeST

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第三十話:最後のピース

 学校を休んで翌朝に訪れた医学研究科の八号棟は、つい数年前に建設されたばかりらしく、真新しい内観は白を基調としていて、まるで病院のようだった。

 もっとも、病院のように患者を運ぶストレッチャーの利用などは想定されていないようで、廊下はさほど広くなく、各部屋に通じる扉もレバー式のドアハンドルで開閉する一般的なものである。

 

 その一角にある、人が十人も入ればいっぱいになってしまうような小さな会議室に、三宅は通された。

 大きな机が部屋の大部分を占めていて、机の周りに椅子が並べられている。

 その椅子の一つに腰かけた三宅は、手持無沙汰を紛らわそうと、部屋を見回してみた。

 

 部屋には、机の上にプロジェクターが置かれているばかりで、他に物という物もない。

 がちゃり、とドアが空いて、慌てた様子の背の高い男子学生が入ってきた。パーマを当てた髪が洒落ているが、服装はジーパンにクリーム色のパーカーと、至って普通だった。

 

「すまないね、お待たせして」

 

 男子学生は、三宅の近くの椅子を引いて、腰かけた。

 

「いえ、こちらこそ。お忙しいところをすみません」

「かまわないよ。ちょうどいい息抜きにもなるし。ただ、できるだけこっそりお願いね。教授には内緒にしているから。あの人、部外者の立ち入りに口うるさいんだよねえ。自分は民間企業の人間と、よく打ち合わせしてるのにさ。越後屋と悪代官だよ、ありゃ」

 

 男子学生が嘲弄《ちょうろう》したので、三宅も顔だけ、張り付けたような笑顔で同調した。三宅は目の前の相手に、軽薄な印象を抱いた。

 

「ええと、三宅君だったよね。俺は、古畑《ふるはた》です。任三郎と同じ」

 

 ははっ、と笑って古畑は頭を掻いた。切れ長の目の下には血色の悪い隈ができていて、慢性的な睡眠不足を思わせる。

 大学院の博士課程の学生とのことで、年齢にすれば十近く離れており、三宅は自然と緊張してしまった。

 ちょっとした冒険をしなければならないことも、三宅の気を重くしていた。

 

「で、附属病院の事が聞きたいんだって?」

「は、はい。それも、四年前のことなんですけど」

「どんな話?」

「実は……。僕が、以前病院で大変お世話になった看護師さんが、病院で亡くなられたと聞きまして。

 お焼香でも上げさせてもらいたいと思って、その看護師さんの話を病院に聞きに行ったんですが、相手にされず……。どうして亡くなったのかとか、ご家族の話なんかを知っていたら、教えてほしいんです」

 

 三宅は、本当に困っているという風に声色を変え、声を潜めた。

 喋り切ると、口の中が渇いて仕方がなかった。僅かな唾液を嚥下して、古畑の反応を見守った。

 あまり踏み込んだ質問を受ければ、万事休すである。

 

「ふぅん。なるほどねえ」

 

 古畑は、遠慮ない視線を三宅に向け、じろじろと見た。後ろめたくなって、思わず目を背けたくなったが何とか堪え、あえてその目線を正面から受け止めた。

 交錯した視線を、先に逸らしたのは古畑だった。息を吸って、椅子の背もたれに身体を預け、小さく呻いた。 

 

「……あんまり、良い話ではないよ?」

「何か……ご存知なんですか」

 

 古畑は、溜息を吐いた。 

 

「言いふらさないでほしいんだけど……。よく覚えてるよ。当時は病院内が騒がしかったからさ。ちょうど、俺が附属病院で臨床実習をやってた頃なのよ。坂東さんが屋上から飛び降りて亡くなったの」

「飛び降り自殺……だったんですか」

 

 三宅は、気の抜けた声を上げた。

 看護師の名前は、坂東彩奈《ばんどうあやな》といった。古畑の口からは壊れた蛇口のように、病院の内情があふれ出した。

 

「当時、ニュースにもなってるから隠すことでもないんだけど、嫌な話だからね。連続して二人も亡くなるなんてねえ。

 坂東さんが担当していた女の子が、これまた病院の病室から飛び降りて亡くなったのよ。

 だからみんな、坂東さんは自分を責めて自殺したんだって思ってる。遺書はなかったらしいけど。

 でも俺は、他にも何かあったんじゃないかなって想像してるんだよ。坂東さん、あの病院で勤務医をやってた坂東先生と結婚したんだけど、どうも上手くいってなかったらしいんだよね」

「ちょ、ちょっと待ってください。誰が、飛び降りたって」

「最初に女の子。その後を追うようにして、数日後に坂東さんだったな」

「それは、間違いないんですか?」

「ああ。ネットでも調べたらわかると思うよ」

 

 三宅は、深く吸い込んだ息を、ゆっくりと吐き出した。

 

 新堂晴陽は、妹の死後、担当看護師が亡くなったと言った。妹は病弱と聞いていたから、てっきり病死だと思っていたが、まさか、妹も自殺していたなんて……。

 

「坂東看護師は、女の子を自殺させてしまった自責の念で、自らも自殺を図った……。それは、確かなんですか?」

「まあ、それが世間一般の解釈だね。俺は、痴情のもつれなんかを想像しているけど」

「なにか、そう思う理由があるんですか?」

「いやね、噂だよ? 坂東先生が若い女の子に色々ちょっかいだしてて——まあ、若い女の子って言っても、坂東先生も若いんだけど——それで、彩奈さんと諍いがあったらしい」

 

 夫への抗議の意味もあったのではないか、と古畑は言った。

 

 古畑は、それ以上のことは知らないようだった。彼の態度を観察している限りでは、何かを隠している様子はない。ふと、ある疑問が頭をよぎった。

 

「坂東看護師の年齢は、いくつだったんですか?」

「え? たぶん四年前で二十の半ばじゃないかなあ。当時の俺より、少し年上だったはずだから」

「写真とか、お持ちですか?」

「写真ねえ……お、あるかも。忘年会で撮ったヤツに映ってるかもしれない」

 

 古畑は、携帯電話を取り出して操作し始めた。しばらくして、三宅の方に携帯電話を差し出した。

 

「ほら、これ。俺の隣の隣」

 

 自分で構えて撮影したと思しき写真の中から、色白の女性を指さした。目鼻立ちがはっきりしていて、面長の美人だ。

 この女性が、千紗都や美亜子たちを昏睡させている黒い女なのだろうか。

 写真の女性にはむしろ、平時そうであったように、看護師然とした白衣が似合うのではないかと、三宅は思った。

 

「ってか、三宅君は写真、持ってないの? 彩奈さんとは、何度か会ってたんでしょ?」

 

 顔を上げると、古畑は怪訝な顔をしていた。

 

「その、なんというか……恥ずかしいじゃないですか。写真を撮らせてくれとか、欲しいだとか、そんなこと。だから念のため、僕の探してる看護師さんと、坂東さんって方が同じ人なのか確認したかったんです」

 

 三宅は、慌てて取り繕った。是非とも坂東彩奈の写真が欲しかったのだが、これでは言い出し辛い。

 

「んー。君、ピュアだねえ……。まあ分かるよ? 彩奈さん、美人だしね」

 

 ニヤニヤと口元を崩して、古畑が言った。一瞬ひやりとしたが、納得してもらえたようで、三宅は、ほっとした。

 古畑が思いのほか単純で助かった。本物の任三郎なら、追及の手を緩めなかっただろう。

 そのとき、ドアをノックする音が会議室に響いた。

 

「古畑君。いる?」

「ああ、はい!」

 

 古畑は携帯電話を咄嗟に机の上に置くと、慌てて立ち上がってドアの方へ向かった。

 

 ドアが開き、眼鏡をかけた白髪交じりの男が顔を出した。目が垂れていて、顔のあちこちにあるシミは、狸を思わせる顔貌だった。

 歳の頃は五十代は間違いない。眉根に皺を寄せて、気難しそうな顔をしている。

 

「今週のミーティングだけど、都合悪くなったから来週に飛ばしておいて。年末だし、ちゃんと全員分の進捗聞きたいから、調整、よろしく」

「わかりました。ぬかりなく」

 

 古畑は男の視線を遮ろうと、さりげなく立ちはだかったのだが、遅かった。男の視線と三宅の視線は、かち合った。

 

「……誰?」

「ああ! 彼は、僕の高校の後輩なんですよ! うちの研究室に興味があるからって、来てくれたんです」

「君、高校は名古屋じゃ」

「そうなんです、わざわざ名古屋から来てくれたんです。だからこうして、僕がじきじきに話をしてたんですよ。僕、後輩思いですから」

 

 口から出まかせを言わせたら、自分にも引けを取らないなと、三宅はこっそりと思った。男の視線はなおも三宅を見つめていたので、小さく会釈を返す。

 

「いやあ、今泉先生のお手を煩わせたくなくて、黙っていてすみません。あ、そういえば、今進めてる実験でお知恵をお借りしたいことがありまして、ほんの少しだけ、いいですか?」

 

 古畑は、徐々に体を廊下へと押し進め、しまいには男と一緒に部屋を出て行ってしまった。

 

 ほっとしたのも束の間、三宅は急いで自分の携帯電話を取り出した。机の上に放ってある古畑の携帯電話には、幸いなことに、まだ坂東彩奈の写真が映されたままになっている。

 その写真を携帯電話で撮影した。画像の撮り映えを確認する前に、廊下を歩く音が聞こえたので、三宅は慌てて元の姿勢に戻った。

 

 ドアが開いて古畑が入ってくると、頭を掻きながら元の椅子に座った。

 

「参ったよ。あんなんじゃ、誰も碌に研究室見学もできないって」

 

 古畑は呆れたようにひとりごちる。

 

「なんだか、すみません」

「いいのいいの。あれは今泉先生が悪いんだから」

「今のが、今泉教授ですか。FREAMの」

「へえ、よく知ってるね。もしかして、ここの研究に興味あるの?」

「ええ、まあ。FREAMも使ってますし。こちらの研究室で、フリームテックと共同開発されてたんですよね」

 

 幸いなことに、話題がもう一つ予定していた質問の方向へと流れていった。王登から調査を依頼されていた内容だ。

 

 王登が調べた美亜子の携帯電話に、検索履歴が残っていたのだ。その履歴に、病院やこの研究室について、また、FREAMの根幹となる技術の論文を調べた形跡を発見した。

 その論文の共同著者の中に、今泉涼秋《いまいずみりょうしゅう》教授の名前が書かれていたのだ。王登の指令は、研究室と病院の関係を調べろという漠然としたものであった。

 

「そうそう。俺がここに来たときには、研究が終わって商品化もされてたけど、先輩の代は色々実験やらで大変だったってさ。フリームテック社にも、早くしろってせっつかれたりねえ。この会議室にも簡易ベッドを置いて、学生を寝させて実験データを取ってたらしいよ」

「でも、実験といっても、言われたからって眠るのは大変じゃないですか? 夢を見るのなら、なおさら」

 

 すると古畑は、専門分野だからか、得意げな顔になった。

 

「それがねえ、そうでもないんだよ。夢はレム睡眠の時によく見られる、ってのは知ってるかな? 

 アセチルコリンという神経伝達物質があるんだけど、このアセチルコリンが脳内で増えると、レム睡眠が長くなって夢を見やすくなるんだ。

 そこで大切なのが、ある薬。認知症治療薬にも使われるコリンエステラーゼ阻害薬って薬を使うと、アセチルコリンを分解するコリンエステラーゼ酵素の役割を抑えることができる。

 つまりは、脳内のアセチルコリンを薬で増やせるってわけ。これを健康に害のない範囲で使って、実験を進めてたんだと」

「夢を見るための、ドーピングみたいなものですか」

 

 古畑は、うなずいた。

 

「まさに、寝ても覚めても研究ってわけだ。大変だったと思うよ。俺だったら、現実と夢が分からなくなるかもしれない」

 

 ぴくり、と頭の中で得体の知れないものが鎌首をもたげた心地がした。無意識の帳に、何かが張り付いて、蠢いている。

 

「……その実験は、すべてこの研究室で行われたんですか?」

「そうだと思うけど。どうして?」

 

 古畑は首をかしげる。

 

「例えば、()()()()()()()()()()、といったことは?」

「さあ。でも、ないと思うけどね。薬も使ってるから、入院するほどの病気を抱えている人にそんな実験をしたら、何が起こるか分からないし」

 

 身体中を血液が激しく巡っているのが分かる。突如として浮かんできた悪夢は、頭にこびりついて、とうてい離れそうにない。もし美亜子が、化け物に限りなく近づいたのだとしたら、彼女の身は……。でも、どうして。なぜ昨夜は……。

 ——王登たちが居たからか。

 

「……古畑さん。ありがとうございました。僕は、これで……」

 

 そう言って立ち上がったとき、足元がふらついて思わず机に手をついた。

 

「おい、大丈夫か?」

「……問題ありません。すこし、立ち眩みがして」

 

 歯を食いしばって、三宅は廊下に出た。その後ろを、心配そうに古畑がついてくる。

 笑い声が聞こえた。思わず声のした方を見るが、廊下には誰もいない。どうやら、廊下の奥の方にある部屋から聞こえたらしい。

 古畑が大きな溜息を吐いた。

 

「まったく、愉快愉快で結構なことだよ。たぶんフリームテックだな。どうも今日は男らしいが、この前まで、頻繁に若い女の社員を連れこんでいたんだぜ。ったく。妻子持ちだってのにな」

 

 古畑の軽口は、それ以上、耳に入らなかった。

 

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