ユメニオチル   作:OrengeST

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第三十四話:夢に、墜ちる

 病室を出ると、ナースステーションの仄かな明かりに照らされた晴陽の姿が見えた。

 その後ろを、三宅は懸命に追った。暢気なエレベーターではない。晴陽は、階段で下の階に降りるつもりだ。

 

 もはや、足音など気にしている場合では無かった。三宅は必死で、静寂の廊下を走った。

 

 階段に差し掛かると、既に晴陽は五階のフロアに消えていくところだった。階段を大股で跳躍して、飛び降りる。

 脚に凄まじい衝撃が走ったものの、堪えて五階のフロアに入った。

 

 何をするつもりなのか。

 だが直感が告げている。あの女の狂気を、止めなければならない。

 千紗都の部屋に、急がなければ。

 

 ほの暗い廊下を疾駆し、音に驚いた看護師に呼び止められたのも無視して、三宅は千紗都の部屋の扉を乱暴に開けて、中に入った。

 

 冷たい風を、頬に感じた。

 音を立てて、カーテンが揺らめいている。

 

「千紗都!」

 

 三宅は叫んだ。

 晴陽は、ベッドの上の千紗都を抱き起して、胸に抱えていた。目を瞑った晴陽の姿は、千紗都の体温を感じているようにも見えた。

 ベッドの傍らに、月明りを受けて光る、注射器が転がっていた。枕元には、小さな絨毯のようにくしゃくしゃになったFREAMがあった。

 

「駄目だったの」

 

 晴陽は、目を瞑ったまま、詩でも吟じるように嘯いた。

 

「……千紗都を、放してくれ」

 

 肺が、心臓が。身体中が、酸素を求めて暴れ狂っている。途切れ途切れの言葉を、三宅はなんとか絞り出した。

 

「雨月の友達は、みんな夢に閉じ込めた。でも、私は雨月と永遠を過ごせない。それじゃあ、駄目だったの。結局ね。あの子の望みは、私の望みではないから」

「早く、千紗都を放せ!」

 

 頭の狂った女の言葉を、これ以上聞くことはできなかった。

 

 千紗都は、ゆっくりと晴陽の身体から離れていった。彼女の身体は、ベッドに倒れ込むかと思ったときに、ぴたりと静止した。

 千紗都は、誰の手も借りずに、ベッドから上半身を起こしていた。

 

「あなたは、だあれ?」

 

 どこかで耳にした言葉が、晴陽の歓喜に満ちた口元から漏れた。その言葉は間違いなく、彼女の目の前にいる千紗都に投げかけられている。

 

「……わたし。わたしは」

 

 声がした。その声は、聞き違いようがない。

他の誰でもない、千紗都自身の声だった。しかし声の調子が、どこかおかしい。

まるで初めて喋り出したかのように覚束ない。

 

「わたしは……エドゥ。あなたは、お姉ちゃん」

 

 晴陽は、深い溜息を吐いて、千紗都を強く抱擁した。両手で、愛おしそうに掻き抱いた。その双眸から零れ落ちた涙が頬を伝い、千紗都の背中に落ちた。

 

「あなたは雨月よ。いつも、言っているでしょう。でもよかった。本当に、よかった。もしかしたら、あなたが消えてしまうんじゃないかと……。これで、あなたは……」

 

 三宅の発した言葉は、掠れて声にならなかった。

 

 それは、誰だ。

 

 千紗都の中にいるのは、誰だ。

 千紗都ではない誰かが、千紗都の中に居る。

 言葉にならない呻き声が、口から零れだした。その音に、千紗都は振り向いた。

 

 千紗都の声で、千紗都の身体で。しかし、三宅の本能が覚えている千紗都の仕草とは、その少女の仕草は違う。

 認識が、違うと告げている。

 

 千紗都のような少女の、ぱっちりとした大きな瞳と、目が合った。そうして、不思議そうに、首をかしげる。

 

「……あなたは、だあれ?」

 

 堪えきれず、三宅は膝から崩れ落ちた。すべてが、遅かったのだ。

 その声の調子は、そっくりそのまま、夢で見た少女と同じだった。夢の中の、新堂雨月と。

 

「雨月。あなたはもう、何も気にしなくていいのよ。これからは、ずっと私が一緒に居るんだから。そうだわ、旅に出ましょう。草原を、空を、海を、砂漠を……」

「——それは、困るな」

 

 聞きなれた声がして、三宅は咄嗟に扉を振り向いた。扉はちょうど、閉じたところだった。

 白い服を着た少女が、床に突っ伏した三宅の隣に立った。少女の姿を見上げたまま、三宅は呆然とした。

 

「美亜子先輩……」

 

 美亜子は、患者衣に裸足という出で立ちで、晴陽と千紗都を見つめていた。

 

「あの子は、知ってる。美亜子」

 

 千紗都が嬉しそうに言う。傍らの晴陽は、嫌悪感をむき出しにして、美亜子を睨みつけた。

 

「何? 邪魔をするつもりなの?」

「邪魔じゃないよ。ただの事実を話すだけさ。あなただって、とっくに分かってるんだろう? 新堂先生。その子は雨月じゃない。エドゥという少女さ」

「何を、ふざけたことを」

 

 晴陽は吐き捨てるように言った。美亜子は動じることなく、晴陽を正面から見据える。

 

「あなたは少しでも、その子の言葉にしっかりと耳を傾けたことがあったか? 雨月だった頃の記憶をなくしていると、あんたは相手にしなかったんじゃないのか?」

 

 美亜子の言葉は、徐々に語気を強めていく。その声は、明らかに怒りを含んでいる。

 

「デタラメよ! 妄想も良いところだわ!」

「私は聞いたよ。その子から全てね。短い夢だったが、語る時間はたっぷりあった。その子は、雨月と出会っただけだ。悪意のないまま、容姿も、声も、雨月を真似ている」

「いったい、誰なんですか……。このエドゥという子は」

 

 訳も分からぬままに、三宅は喘いだ。美亜子はちらりと目線を寄越すと、再び千紗都へ視線を戻した。

 

「オカルトだよ。それも、特級のな。雨月という子は、随分読書家だったようだ。その慧眼に恐れ入るよ。たしかに、ハルトマンじゃあ男性名だし、エドゥというのが、少女の名前としてふさわしかろう」

「黙りなさい! この子は、雨月よ!」

 

 晴陽が、絶叫した。

 晴陽の荒い息遣いだけが、響く。

 沈黙を先に破ったのは、美亜子だった。

 

「あなたも心理学を学んでるなら、知っているはずだ。こんな話、私は今まで聞いたことが無かった。人類と邂逅した無意識。無意識そのものの少女。生きとし生ける人類に潜む超越存在。……エドゥはな。『少女』という、集合的無意識のアーキタイプそのものだ」

 

 風が、鳴った。

 音という音を、風が奪い去ってしまったかのように、部屋は静まった。

 一言も、言葉を発せられないくらいに。

 晴陽は、恐怖で顔を歪めていた。

 

「エドゥは言ったよ。とても、とても、長い時間を雨月と過ごしたとね。雨月は寝たきりの病床で、随分長いこと、夢を見ていたんだろう。

コリンエステラーゼ阻害薬と、FREAM。それらが組み合わさって人類で初めて、雨月と集合的無意識——エドゥは邂逅した」

「違う……違うわ……」

 

 いやいやをするように、晴陽は首を何度も横に振った。

「だって、この子は雨月と同じ姿で……」

「本当に? 二人は、鏡写しなんじゃないのか? 例えば、雨月の顔の右側にあった傷が、夢の中のエドゥには、左側にあるように」

 

 呼吸を忘れたように、晴陽は口を開け放った。

 

「目尻の、黒子……」

 

 三宅は呟いていた。夢の中のエドゥは、右の目尻に黒子があった。その、反対側、左の目尻に黒子のある少女もまた、記憶にある。夢子が……あの子が、雨月だったのか?

 

「それだけじゃない。あなたは不思議に思ったはずだ。FREAMはあくまで、本来用途で使えば、夢を見させるためだけのアウトプット装置だ。

それなのになぜ、その子は、昏睡した被害者全員たちとの夢の記憶をインプットしてネットワークのように共有し、保持できているのか」

 

 晴陽は目を見開いた。口元をわなわなと震わせ、必死に、言葉を吐き出そうとして、声にならない声で喘いだ。

 

「あなたは気付くべきだったんだ。亡き雨月の夢を見させるという目的が、次第に、雨月を孤独にさせないという目的に変わったときに。

彼女がただの夢の投影ではなく、精神存在として確立したと認識したときに。その子が新堂雨月ではないことを、気付くべきだったんだ」

 

 おもむろに、晴陽は、抱きしめていた千紗都を放した。千紗都は——エドゥは、不思議そうな顔で、晴陽の顔を見つめている。

 

「じゃあ……雨月は? いったい、どこに?」

 

 美亜子は、三宅の方をちらりとみた。三宅はぐっと唾を飲み込んだ。

 

「さあね。ただ一つ言えることは、新堂雨月の命は、あんたによって永遠に奪われたし、その精神は……今もどこかを彷徨っているってことだけだ」

 

 晴陽はしばらく、自失したように、その場に立ちすくんだ。その目はもはや、何も見ていないようだった。

 

「お姉ちゃん?」

 

 エドゥの言葉に、晴陽の目は命を取り戻したように、再び動いた。晴陽はもう一度、エドゥの身体を抱いた。

 

「たしかに、そうなのかもしれない」

 

 晴陽は、ぽつりとつぶやく。毒気が抜けたように、落ち着きが戻っていた。

 

「この子は、雨月じゃないかもしれない。でも、私の妹よ。四年間、私は毎晩、夢の中でこの子と過ごしていたんだもの。……ねえ、エドゥ。あなた、雨月のことは好き?」

「うん。好きだよ。雨月は、私の親友だから」

「そう。よかった」

 

 無邪気に抱きしめられるままのエドゥの頭を、晴陽は優しく撫でた。

 

「じゃあ——」

 

 晴陽は、強く、強く、エドゥを両手で抱きしめる。もう二度と、妹を手放しまいとするように。

 

「私たち二人で、雨月のところへ行きましょう。永遠の夢に……墜ちるの」

 

 風が、また鳴った。

 ——二人を、助けて。

 どこからか、そんな、声が聞こえた。

 

 三宅の身体は、誰よりも早く動いていた。

 

 晴陽は千紗都の身体を抱いたままで。

 背後に開け放たれた窓に向かって、身を投げ出した。

 

 その瞬間は、スローモーションのように流れる。

 

 重心を窓の外に移しつつある二人に向けて、三宅は必死に手を伸ばす。

 手は、しっかりと、結ばれた。

 

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