私は今、学校の屋上にいる。
正面からは夕焼けが見える。そして私。明智冬子はこの屋上から飛び降りようとしている。
これはテンプレートだ。病んでいる女子高生が飛び降りるというテンプレートにすぎない。それを喜んでいるか?いや、喜んでなどいない。全ては茶番だった。出来レースから降りるという選択をするために、私は"これ"をやるのであって、病んでいる少女達のエモのテンプレートに乗っかってやろうなどという気はさらさら無かった。
ただ、降りたかった。この世界から。
上履きを脱いで、飛び降りる準備をしようと格子に手をかけた時、金属のドアが開くキュッという独特の音が背後から聴こえた。
「やっぱり冬子ちゃんいた~」
また彼女だ。いつもこの子はこうして私を見つけてくる。
桐原風花。短髪にとぼけた顔が印象的な同じクラスメートの女の子。今は頭に包帯を巻いている。
風花はいつだって私のそばにくっついていた。
授業の時に先生に名指しされて国語の教科書を読む時に「聴いてませんでした」といつも私は言う。先生が舌打ちした後に立ち上がって「じゃあ私が朗読しま~す!」と言って、勝手に朗読を始める。そういうバカな子だった。
彼女は私に笑いかけて、こういう事があったとかこういう楽しいことをしたとか、そういう事を学校の外を冷たく見つめる私にずっと話し続けていた。
私が親と進路で揉めて、喧嘩した次の日も「ねぇ、こんな事が~」と話しかけてきた。
私はその時、完全に限界だった。「うるさい!」と突き飛ばすと、風花は机の角に頭をぶつけ、血を流して倒れてしまった。
それでも、こうやって何事も無かったかのように私を見つけて、今こうして飛び降りようとしている私にいつものように話しかける。
「うわ!夕日綺麗だね~」
バカすぎる。あまりにも状況が見えていないのか。この状況で死のうとしている事すら理解できない。なんてバカなんだろう。
「そういえばね~。昨日帰り道で柴犬が」
「いいから消えてよ!」
私はそう叫ぶ。拒絶の言葉を口にした理由は、恐怖心から来るものだった。
「そんな事言わないでよ~冬子ちゃんはいつも綺麗じゃん。長い髪とか透き通るような目とか、全部きらきらしてるんだから」
私は彼女が怖かった。
いつも明るくて、この世界が美しいという事に疑いが無いのだ。この世界に生きる価値があるという疑いを持ったことが無くて、生きることに意味があるのかなんて考えた事すら無い。つまりこの世界を疑わずに肯定できている。
他者も社会も世界のありようも、全部に疑いが無い。間違いなくその目に映り込む全てが美しいと信じている。
だから私は彼女が怖かった。私には全てが愚かに見える。スマートフォンの中ではいつも誰かがくだらない事で争っている。テレビでは愚かな悪行が全世界で続いている事をずっと私に知らせている。社会はどうしようもないほど腐りきっていて、人間はどうしようもないほど争っていて、この世界に戦うだけの価値があるとは思えなくて、この世界から"降りる"選択を10代の内にすべきだとしか思えなかった。
この世界を信じられる。そんな風花の事が、怖くてしょうがなかった。だから突き飛ばした。なのに、何も考えずにまたこうして私を探してくれる彼女の明るさが、私には凄く怖かったのだ。
「・・・なんで風花は、そんなにきらきらしてるの?」
私はかすれる声で風花に質問する。
「それはね・・・甘いお菓子が食べられて、綺麗な景色が見れて、夜になると星が見えたり月が見えるのがとってもきらきらしてて、コンビニでアイスを食べながら月を見ているだけで、私ってなんて幸せだろうって思うの。晴れの時の空のてっぺんの水色が好きでね。それを冬子にもわかってほしくてずっと話しかけてたんだ」
私の中に黒い感情が渦巻いている。彼女と私は生きている世界が違う。この世界を肯定できてしまう風花。そして全てを疑ってしまった私。もうこの世界を疑えない頃には戻れない。みんな死んでしまえと冷笑するしかできない私は、風花に永遠に勝てない。ぐるぐると苦しみの情念が頭の中に蓄積していった。
本当は生きてて良いと思いたくてしょうがなかった。けれど世界は私の理想を裏切る。だから冷笑するしか無かった。心の奥底では「この世界を私に肯定させて欲しい」と願っていた。皮肉でしか物事を見れず冷笑するしかない私はいつしか、私が軽蔑する人種そのものに変わっていた。
私に生きる資格などあるのか。そういう自罰感情が体の中を満たしていく。
息ができなくなる。体の平均感覚が消えていく。涙が崩れるようにこぼれていく。
「いいのかなぁ」と私は涙声で口にする。こぼれ落ち続ける涙を制服の袖で拭う。
「いいんだよ」と、風花は私に近づいて抱きしめながら口にする。
「生きていて」の言葉が欠けているのに、彼女はいいんだよと言ってくれる。彼女は賢かった。わかっていたのだ。最初から。
「この世界にはね、とっても綺麗なモノがたくさんあるんだよ。星でも月でも、街でも映画でもアイスでも、きらきらがいっぱいなんだよ。私と一緒に見つけていこう。きらきらを」
「そんなのもう私にはできない」と懇願するように叫ぶ。
「冬子ちゃんはね。とっても立派だと思ったんだ。頭もよくて、なんでもわかってて・・・そんな冬子ちゃんを幸せにしてあげたいなと思ったんだ。だからずっと話してた。あの時はちょっと痛かったけどね」と言って、彼女は頭の包帯をさする。
「一緒にいようよ、何でも言ってよ。私はそばにいるから」風花の真っ直ぐな目が夕焼けで輝いている。
風花の言葉に耐えきれず、私は膝を落として泣いた。その間も風花はずっと私の手を握ってくれて、それはとっても柔らかくて暖かかった。
この世界には意味なんか無いと思っていた。世界にも私にも価値は無い。だからここで世界という舞台から降りようと、そう思っていた。
でも風花となら、この子と一緒ならきらきらを見つけられるかもしれない。
私は風花の手を取って「友達になってくれる?」と聴く。
「もちろん!」と風花は答えた。
私は全てを諦めていた。けれど、本当は求めていたんだと思う。
信じられるものを。この世界をきらきらだと思わせてくれる人を。
風花なら、私と一緒にきらきらを探してくれる。
きらきらを見つけて、綺麗なドングリを見つけた幼子のようにそれを私に見せるのだ。
彼女と一緒にきらきらを探していこう。
月を見よう。空を水色と青の間の美しさを見よう。花火を見よう。雪だるまを作ろう。彼女となら、きっと私もきらきらを感じられる。
「冬子ちゃん、夕焼けが綺麗だよ」
風花が屋上の向こうを指す。
屋上の手すりから上には、今にも沈む太陽と、オレンジと赤と紫のグラデーションの空が広がっている。そこに雲がぽつりぽつりと浮かんでいるのが本当に綺麗だった。
「きらきらだね」と私。
「きらきらなんだよ」と風花。
綺麗だな。なんて素直に思ってしまっている自分に気づいて、私はつい笑ってしまった。
ありがとう。風花。これからも一緒にきらきらを探そうね。
大好きだよ。