「アクっち、フェルズから連絡だ。ベルっちたちは37階層に居るらしい」
「うーわー、紙一重! ですけど、リリルカさんたちには黙っておきましょう。統率が乱れかねません」
フェルズを経由したウラノスからの連絡に、
オアシスの近くということで湿り気を帯びていた空気は影を潜め、代わりに冬場のようなひやりと乾いた冷気が頬を撫でる。肺いっぱいに吸い込めば、埃すら混じらない澄み切った感触が胸の奥へと流れ込み、その静けさがかえって肌を粟立たせた。
「分かる所にいてくれたら良いんだがなぁ」
「そこは運ですね。リドさん、運良いです?」
「そこはベルっちじゃねぇかな」
リドに返事をしたと同時に、アクスたちはどこまでも白い空間に視線を向ける。
壁や床。天井までもが、まるで一つの岩山から削り出されたかのように白濁色に染め上げられている。美しく思えるほどに一貫性を持った色だが、安心感を与えるどころか不安を見る見るうちに募らせる魔性が籠った白い回廊を前に、あれほど煌々と灯っていた勇気の灯が徐々に萎んでいく。
今までは【ロキ・ファミリア】やヘイズたちの案内でここに来たことはあるが、今回はそんな
さらに、捜索範囲も広大である。37階層はオラリオ全体を納めてしまうほど広く、加えて地図にも載っていない『未開拓領域』が多い。そんな階層で冒険者2人を見つけるなぞ、肉食動物が生息している巨大なプールの中から小さな石ころを見つけるようなものだ。
いくらアクスでも、中身は12歳のお子ちゃまである。深層特有の空気によって、うっかり弱音が出てしまうのも仕方のないどころか当たり前の行動だ。
ただ、彼とは対照的に
「行くぞぉ!」
『オオォォ!』
流石はダンジョンに居を構える
しかし、リドたちが言わんとしていることは分かる。
ここで立ち止まっても迷宮は待ってくれないし、安全にもならない。それどころか、せっかくアレンが先行してお膳立てしてくれた環境をぶち壊すことになってしまう。
ならば、少しでも前に進む。そうすることで自分たちや後ろから追いかけてきている派閥連合の安全性を高めるはずだ。
「ミスター・アクス、グロスとラーニェからノ指示デす。今の内ニ退却スル条件を決めてオキましょう」
「分かりました、話が分かる方を集めてきてください」
走っている最中、レットが向けて来た言葉に応答したアクスは
アクスはフィンの豊富な経験から来る直感や常軌を逸した危機察知能力を持つ親指の類は持っていない。それでも、ミアハやタケミカヅチから学んだ『物事の機微』には聡かった。
ダンジョンの修復機能を用いたモンスター出現の抑制だが、思った以上に修復速度が早い。まるでこちらを妨害しているかのように感じた彼は、ベルたちが未だ生きているという謎の勘が働いた。
ただ、いくら勘が働いたとしても見つからなければ何の意味もなさない。そして、その前に全滅してしまえば笑いごとにもなりはしない。
だからこそ、絶対に死守すべき『撤退条件』は今の内に決めておかねばならない。
『机上の空論』ではなく、
少なくとも、グロスたちはそう言っているのだろう。そう推測したアクスの横にフィアの足に掴まったレットが声をかけて来た。
「ミスター・アクス、フィアを連れテきまシタ」
「ありがとうございます。では、撤退条件についてそれぞれ話しましょう」
言い出しっぺのアクスが、初めの撤退条件として『
無論、アクスもアミッドやヘイズと一緒で『死の数歩先までは無理矢理息を吹き返すことできる
だが、そこらの冒険者よりも強い
フェルズ曰く『自分の蘇生魔法はウィーネ以外成功したためしがない』らしい。そして。アクスの魔法もスキルによって変質してしまっている。それに、仮に出来たとしても寿命を削る蘇生を他の神々が許しはしないだろう。
「特に前衛をしてくれているリドさんたち。彼らが居なければ、戦闘力が激減します」
「分かりマシた。デハ、リドたちの場合は即座ニ撤退。それ以外は協議……とイウ形で構イマせんか?」
「本当は1人でも欠けた時点で撤退なんですがね……」
そのことからアクスは話題を撤退条件に戻すと、今度はフィアが提案してきた。
「後ろノ方々ハどうしますカ? 深層ですカラ……」
「まぁ、当然ですね」
元々深層はLV2でも力不足な層域である。アミッドが潜った時には
そんなところにLV1が2人も混ざっている。そんな彼女たちへモンスターを近づければ……碌に対処も出来ないまま命を散らすだろう。
こちらも蘇生には神々の許可がいる。今後の作戦を考えるなら、彼女たちを死なさずに帰還させるのが
「探索不能なほどの重傷。もしくは四肢の欠損が発生した時点で、無理矢理にでも帰らせます。部位さえ残っていれば、団長が治してくれるはずです」
部位を繋ぎ合わせる施術は地上でやるのがセオリーである。そのため、派閥連合の1人でもそういった被害が出た場合はベルを発見できていなくても即座に地上へと戻らせる。2人という『小』のためにそれよりも多い『大』を活かすというアミッドの願いの埒外にある決断だが、
夥しい量の灰を道標に、大きな回廊から伸びる小さな通路を右へ左へと抜けながらアクスはそう決断した。
「ミスター・アクス。【フレイヤ・ファミリア】にツイテはドウしますか?」
「あの人たちは滅多なことも無ければ大丈夫でしょう。最悪の場合、"置いて行きます"。なので、ベルさんを置いて撤退する場合は前と後ろに実力者を配置する形で最高速。それしかありません」
自分たちとは違ってヘディンとアレンは何かしらの成果が無ければ帰れないだろう。しかし、アクスたちはそれに付き合う義理も無い。ドライな言い方だが、そもそも手伝おうとしても足手まといになる実力で志願しても自殺になるだけだ。
だが、彼はそれでもフィンやヘディンといった時に非常な決断を下す指揮官にはなれなかった。
そんな時だった。
「──っ!」
それは、僅かな違和感。例えるなら、
一般人なら『気のせいか』と言えるような感覚だが、冒険者にとっては決して無視できない感覚。それに従ったアクスが咄嗟に槍を振り抜くと、穂先の方から
【トート・ファミリア】の
「敵襲! スカル・シープ!」
見えたわけではない。ただ、
力比べでは圧倒的に不利。ユーノを含めた周囲の
そこから導き出される答え──それは時間稼ぎだった。アクスは数か月前に同行した遠征前にフィンたちが行ってくれた『数秒生き残るための自衛術』の通りに槍を構えた。
突進、跳躍、急停止と緩急をつけた動きに加えて保護色である皮の動きで消えたように錯覚させるスカル・シープの動き。それに対して彼が行ったことは、目を閉じることだった。
別に気がふれたわけではない。|どこかの都市最大派閥のお兄さん、お姉さんたち《【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】》のせいで気配を読む力が多少備わったからである。
……『気配を読む力が無ければ即座に痛い目に逢うため、覚えざるを得なかった』というのが正しいかもしれない。
「そこっ!」
僅かな空気の揺らぎ。それを敏感に感じ取ったアクスが槍を
しかしながら、その攻撃に対してスカル・シープは軟体生物のようにぬるりと回避すると、そのままアクスに噛みつこうと顎を開く。その瞬間に
九死に一生を得たことで大きく息を吐き出したアクスだが、噛みつきが失敗したことでかなり距離が離れたスカル・シープはさらなる攻撃としてその身を2回りほど膨張させる──が。
「ガァァァア!」
アクスたちの前にトロールの
その数拍後、数本の『槍』がトロルへ急迫する。骨で出来た槍は彼の腕や足に突き刺さるが、
投げつけられた自身の一部を跳躍することで回避したスカル・シープ。ただ、そこに乱入者ならぬ
嘶きと共に周囲に被害が出ないギリギリの速度で走って来たユーノは、女性の腕よりも太くなった自慢の角での刺突──かと思いきや、大口を開く。そのまま跳躍中でまともな回避行動をとれないスカル・シープの脇腹当たりに狙いを定め、口を突っ込んだ。
バキバキと何かを噛み砕く音が何度が響いたかと思えば、唐突にスカル・シープの身体が灰になっていく。落ちていく灰の中から現れたユーノの口には、2つに分かれた紫紺の塊が咥えられていた。
「治療します」
「後ろヘ停止を連絡してキマス。ヘルガ、手伝ってクダさい」
「バウ」
「マッタク ムチャ ヲ スル」
想定していた被害よりも少なく済んだが、被害は被害。治癒魔法が見えないよう後ろのリリルカたちを停止させるためにレットとヘルガが走り出すと、そこにグロスがやってきた。仲間の危機に最高速度で飛んできたものの、既に戦いが終わっていたことに少しばかり申し訳なさを感じたのだろう。その小言には力が無かった。
「ケーリュケイオン。守ってくれてありがとうございます」
「グォ」
小さな手の平でトロルの壁のように大きな手にタッチをしたアクスは、レットたちが戻ってくる前に陣形を再編成。トロルをアクスの後ろに配置することで、今回のような奇襲を凌げば必ず壁役が間に合う形に入れ替えた。
しかし、それもすぐに済んでしまう。手持無沙汰になったアクスは、ふと魔石をモチャモチャと食んでいるユーノの口元を凝視する。
「美味しい?」
背中に乗ってから問いかけると、『リンゴより遥かにマズい』という答えが返ってくる。そんなことを言われると、逆に興味が出てくるのが子供というもの。『食べさせて』とアクスはユーノから降り、その口元で手を差し出す。
その行動にちょっと困ったような表情を浮かべつつも、ユーノは食んでいた魔石の一部をアクスの手に落とす。まずは唾液がついていない部分を舐めるが、特段味はしない。続いて歯を立ててみるが、『我、石ぞ?』と反抗してくる始末。『結論:食べれない』と残念がりながら魔石をユーノの口へと戻したアクスは、再びベルの捜索を再開する。
「居たか!?」
「イナイ!」
ここで見つけることが出来なければ、口惜しいが撤退するしかない。それほどまでに深層は地獄なのだ。
それに、
それこそ、リドたち以外の手が空いた
このままではいずれ修復速度が破壊する速度を超えてくる。その前にベルとリューを救助して元来た道を戻らなければならないが、見つからない。
何とかならないか──と思っていると、事態が動いた。
「ミスター・ヴェルフたちが!」
「横の通路から!?」
レットの叫びに振り替えると、先ほど通過した横道から飛来してきた棘がヴェルフたちに襲い掛かっていた。アイシャたちがそれらを迎撃していたが、数本ばかりが桜花に突き刺さってしまう。
「あの冒険者の方が見落としたんですか!?」
「違います、彼らはベルさんたちの救助"だけ"を優先しているだけです」
明らかに強者の風格を漂わせていたアレンがモンスターを見落としたことにフィアは驚くが、アクスはユーノを反転させながら否定する。
あれだけ話し合ったにも関わらず、ヘディンたちの考えは変わらなかった。つまり、彼らは依然として『ベルとリューの救出と護送』という女神からの神託をこなすために動いている。そこに派閥連合やアクスたちを気遣うような余白はないに等しい。
下層の安定具合から、アクスはいつの間にか【フレイヤ・ファミリア】を共にダンジョンを駆け抜ける同士と勘違いしていた節もあるため、改めてかの派閥は『目的が一緒なだけであんまり頼れない存在』と定義しなおす。
彼の脳内に住み着いているイマジナリーヘイズがなにやらがなり立てているような気がするが、この際無視である。
ちなみに、ここまでアクスが知り得る中での『予想』。本当の理由は『フローメル兄妹』の関係にあった。
彼らの種族は獣人である。付け加えれば、
さて、ここで問題だ。いくら『切り捨てられた』からと言って、アーニャがそんな理由だけで
答えは否。
そんな予感があったからこそ、アレンは
だが、アーニャに気取られずにそれを行うことは
そこから連鎖的に【フレイヤ・ファミリア】の存在が露呈すれば、今でも亀のように遅い進みがさらに遅くなることはアレンもよく分かっていた。
ただ、それらの『建前』や
「アイシャさん!」
「ペルーダだ!
ペルーダ。毒針を飛ばす竜種のモンスターだ。
その毒は
「フィアナ様……」
「安心してください、解毒します」
そう言ったフィアナは桜花とヴェルフの身体からペルーダの毒針を引き抜くと、戻って来たアイシャと椿に2人を無理矢理立たせるように頼む。圧倒的速度で回る毒によって桜花たちは暴れ回るが、レベル差であっと今に抑え込まれてしまった。
「では、頼みます」
人の目があるため、フィアナは治癒魔法を使うことは出来ない。
しかし、この場には治癒魔法以上の適任者もとい
「桜花ぁ!?」
「千草殿、落ち着いてください!」
突然の攻撃に千草が動揺し、それを命が抑える。傍目から見れば明らかに追撃どころか、もはや『トドメ』になっていたものの、フィアナは特に何も言うことなく治癒魔法入りの幻影を1体。こちらに近づけさせる。
さらにはヘディン側に留まっている幻影への伝令も忘れない。
ペルーダの奇襲と負傷者の発生。解毒作業のために一時的に移動を停止。奇襲を防ぐため、今後は
これぐらい書いておけば、ヘディンも納得するだろう。本当は『ヘディン様たちがもっと協力してくれたらこんなことにはなってないんですがねぇ』と脳内で中指を立てながら煽るイマジナリーヘイズの言葉をそのまま伝えたかったが、その瞬間に狙撃されそうなので止めておいた。
「うっ……ぐっ……」
毒素に蝕まれたことで、桜花の黒く変色した身体から角へと見る見るうちに毒が移っていく。
ユニコーンの角。あらゆる毒を無毒化する超がつくほど希少な存在に、
「強引でしたが、無事に解毒できそうですね。次はそちらの方をお願いします」
桜花の身体を蝕んでいた毒素を全て吸収すると、フィアナは続けてヴェルフの解毒をするように指示。先ほどのように傷口に角を突き入れることで、身体の毒素を全て角へ吸収させる。
やがて、ヴェルフの傷口から角を抜いたユーノは頭を振りながら嘶く。すると、真っ黒い炭のような色合いになったそれが、まるで汚れた布を水に浸して濯いだかのごとく薄まっていく。
「ユニコーンの角……」
「え、気付きませんでした? この子、ユニコーンですよ?」
「いや、その見た目でユニコーンは無理があるだろってイダァ! 噛みやがったぞ!」
『ほら、角』と指差すフィアナに、ボールスはその輓馬のような見た目にツッコみを入れたと同時に噛みつかれる。だが、見た目だけで判断する方がより礼を失する行為なためか、擁護する者は誰も居なかった。
こうして無事に解毒が完了したついでに、フィアナが幻影に込められた治癒魔法で再び派閥連合全体の体力や傷を癒していると、ヘディン側から返信が来た。
文面は『手綱を握っておけ』という1文のみ。どこまでも他者を思いやれなさそうな雰囲気に、アクスはちょっぴり頭を痛めたのは内緒である。
さりとて、いまさらそんなことを言っても和を乱すだけ。ゆえにアクスは、【ディアンケヒト・ファミリア】でよく用いる怒りを一旦右から左へ受け流す方法。言わば『アンガーマネジメント』を用いることで一旦落ち着くことにした。
「ひとまず、これからは奇襲がないとは言い切れません。もう少しこの子たちと近づいてもらえないでしょうか?」
「むしろ、一緒に行動した方が良いさね」
「手前も構わんぞ。ここまでの道のりでこやつらが襲ってこないのは十分わかったしな」
「うーん、モンスターと共闘ってのを地上で言ったら頭を疑われそうだけどね」
「リリたちも異論はありません」
アイシャの提案にボールス以外の全員が了承する。相変わらず言い出すタイミングを逸したボールスに冷たい視線が投げかけられるが、彼も彼でこの深層で甘っちょろいことを言っていられる場合ではないことは重々承知しているのか、『分かったよ!』とやけ気味に了承する。
こうして、中央から派閥連合、アイシャたち、戦闘が出来る
たかが陣形を変えただけと思うなかれ。冒険者よりも探知能力が高い
「リリルカさん、回復のタイミングかと」
「そうですね。フィアナ様、お願いできますか?」
その陰に2人のパルゥムの指揮官の尽力があったとか……。
***
そんなこんなで
「どうした? ウィーネ」
「……聞こえる」
「え?」
「ベルの声が聞こえる!」
そう叫んだウィーネは、春姫の手を振り払って駆けだしていく。突然の単独行動に呆気にとられたのも束の間、アクスはリドとグロスに護衛を頼み、それ以外は警戒しながらゆっくり進むよう指示しながらユーノを走らせた。
しばらく正規ルートを進んでいくと、唐突に巨大な壁に寄りかかるアレンを見つける。
「アレンさん、ここに──」
「……」
無言で彼が親指で指し示す方向に目を向けると、巨大な広間目掛けてウィーネが走っている姿が。さらに彼女の進む方向に視線を移すと、そこにはベルとリューが並んで倒れていた。
要救助者確保ぉ!
アクス
流石に深層に補助輪無しはきついよ。
この子、まだ12歳でLV3なりたてっすよ?
ミアハとタケミカヅチ
女心を弄ぶ邪神共かと思いきや、物事の機微という戦いにおいて役立つものもちゃんと教えてくれている。
差し引き込みで未だ邪神だと思う。
撤退条件
指揮官になるうえで必ず決めなければならないこと。
これには金髪勇者様もにっこりである。
アレン、手抜き説
妹に感知されたくない。面倒くさい。進みが遅すぎてイライラしている。等々の不満により、ちょっと手を抜いただけなんです。
普段は舌打ちマシンガンが得意な猫舌なお兄さんなんです。許してあげて。
ぶっちゃけ、フレイヤ・ファミリアだから仕方ねぇよ。(暴論)
ユニコーンの角
ベルと同じ解毒方法だが、こちらは下降していない純粋物。
誰が何と言おうが、ユーノはユニコーンです。輓馬でも、バイコーンでも、アリコーンでもないです。