遠征が決まってからはてんやわんやだった。
もしかしたらいつか、と思ってレースの
基本的な部分や遠征の手続きについては
調べていたのだが――
とにかく、やることが多い。
準備するものも提出する書類も、
集めるべき情報も大量にあった。
ある程度は一緒にドバイへ向かう
ドウデュースやパンサラッサたちにも
手伝ってもらい……
Ωこ、これで行ける……!
すべての準備が終わったのは、
本当にギリギリだった。
今までになく情報収集は足りない。
対峙するウマ娘についても調べきったとは
到底言えなかった。
飛行機の中でもホテルに着いても、
とにかく思考を回し続ける。
少しでも、イクイノックスが選べる
選択肢を増やしてあげられるように。
あっという間に、そして無情に。
時間は進んでいった。
―//―//―//―
「う、うぅ……
やっぱりギリギリになるくらいなら
1年待ってもよかったかな……?」
控え室。少し鳴りを潜めていた
イクイノックスの弱音癖だが……
Ω(さすがに今回は仕方ないか……)
イクイノックス自身も慣れない環境に
適応するのでかなり精一杯だった。
こちらも色々試してはみたが……
天皇賞秋や有馬記念の時と比べれば、
今回が万全の体勢じゃないというのは
明白だった。
……それでも、こうなることを分かって
自分とイクイノックスは招待を受けた。
Ωイクイノックス
「……はい。」
Ω今できるだけの全部をぶつけてこよう
勝とう、とは言えなかった。
ただ、挑戦するからには出しきって、
何かの収穫を得てほしかった。
情報が完全ではないことを逆に捉えて、
レース中の判断と軌道修正をする
練習にしたっていい。
そうであるなら、この場所に来た
甲斐があるだろう――。
そういうことを伝えると。
「――」
「……わかり、ました。」
イクイノックスは何かを飲み込んで、
こちらの言葉に頷いた。
Ω全力出してきて!
「――はいっ!」
―//―//―//―
祈るような気持ちで、控え室の
モニターからレースを眺める。
Ω頑張れ……!
ゲートが開く。イクイノックスに
大きな出遅れはなかったが……
「えっ、ちょ、イクイ!?
先頭って大丈夫!?」
「ついにイクイのも逃げ魂に
目覚めたかー……」
「……で、実際トレーナーさんとしてはどうなの?
この逃げは想定通り?」
首を横に振る。
確かに逃げる可能性についても考えはしたが
実際にやるのはあまりにもリスクが高い。
だからイクイノックスが逃げを選択したよりも、
逃げになってしまった可能性のほうが高い。
――そこまで考えて、ふと気付く。
Ω……えっ、いつの間に!?
「そりゃイクイのレース見るなら
この控え室でしょ! ほらレースに集中!」
いつの間にか控え室にドウデュースと
パンサラッサが入ってきていた……。
ただ、彼女たちの言うことも事実だ。
いったんモニターに視線を戻す。
モニターの中のイクイノックスは、
相変わらず先頭のまま向こう正面を
走っている……。
Ωイクイノックス……!
祈ることしかできない。
それでも、目だけはモニターから逸らさないよう
しっかりと向き合う。
全体としてはスローペースのまま、
第3コーナーに差し掛かる。
わずかに全体に緊張感が走る。
「……ん、イクイの?」
「どうしたんですパンサラッサ先輩?」
「なんか…… まだ、余裕ある?」
その言葉の真意を確かめる時間もなく、
一団は最終直線へと差し掛かり――
イクイノックスは、逃げていたのを
まるで感じさせないようなスパートを
かけ始めた。
「――えっ?」
「お、おおっ!?」
Ωっ、行ける、イクイノックス!!
あっという間にイクイノックスは後ろとの
セーフティリードを作り――
最後に、一瞬だけスピードを落とすような
素振りを見せてゴールした。
「おおおおっ!!
イクイ、勝ったーっ!!」
「逃げ切り…… 去年から引き続きノリノリだね、
イクイの……!」
いてもたってもいられず、地下バ道に向かう。
確認したいことは山ほどあった。
―//―//―//―
「……あ、トレーナーさん。」
Ωイクイノックス!!
大声を出しすぎたのか、一瞬
イクイノックスが肩を震わせる。
それについては後で謝るとして、
まず最初に確認するべきことがあった。
Ωケガ、してない!?
「……え?
いえ、今のところ特に脚が痛いとか、
そういうのはないですけど……。」
最後に一瞬見えた減速が、
痛みによるものでないことを知って
まずはホッとする。
Ωよかった……
「……トレーナーさん、ありがとうございます。
なんというか、やっぱりまだちょっと
ふわふわしてるんですけど――」
「トレーナーさんが背中を押してくれたから、
こんな舞台で勝つことができました。」
今度は先に感謝を伝えられてしまった。
こちらからも負けじと言葉を返す。
Ω今日は、君が誰にも負けないぐらい強かった
今回、自分にできたことは少ない。
それでも勝ちきったのは、間違いなく
イクイノックス自身の実力だ。
この経験はきっと今後の自信に、
今度こそ間違いなく繋がっていく――
そう言おうとしたところで。
「イクイーーっ!!」
「やるやるイクイのーーっ!!」
後ろから突撃してきた2人に、
イクイノックスがもみくちゃにされた。
「わ、わあっ!?
ちょっと、ドウはともかく先輩までっ……!」
じたばたと抵抗するイクイノックスだったが、
その表情はほがらかに笑っていた。
レースの振り返りは帰国してからにしよう。
そう思い直して、とりあえず今は肩の荷が下りて
笑顔のイクイノックスを眺めることにした。