展開や順位などはある程度史実のレースに準拠しますが、解釈はオリジナルです。
ゲートに入ると、肌を刺すような緊張感。両隣の子だけじゃない。発バ機の中全体が、異様な空気なように感じた。どのレースだってそうだけど、特に今回は出走する全員が掴み取りたいもののために走るんだと思った。……当然、私も。
大外の子がゲートに入って、一瞬の静寂。何かを感じたのか、隣の子がふらっと一瞬早くゲートを出ようとする。私もつられて身体が勝手に動いた。あれ、マズい――
その瞬間、図ったようにゲートの扉が開いた。どうにかギリギリの好ダッシュ。走りながら、空気に飲まれかけていたのを自覚する。今日はこっちが作る側なのに、こんなところで躓いてなんていられない。気合を入れ直して、ポジションを確保しにかかる。
東京レース場、2400m。ごまかしのきかない地力勝負のクラシックディスタンス。内側のいい枠順は、逆に言えば序盤のワンミスで取り返しのつかなくなる危険な枠でもある。だから偶然とはいえ、うまくスタートを決められたのはよかった。
その勢いのまま前にポジションを確保する。もし中団になってしまったとしても、しっかり主張してペースコントロールが効くように。長いホームストレッチでのポジションの取り合いは、とにかく熾烈だ。
「――さぁどいたどいた、行くよっ!!」
どこからか声が聞こえた。少し遅れて、青い勝負服の背中がするりと抜け出して内に寄せていく。パンサラッサ先輩だ。いつも通り、引き離しにかかられる。
とはいえ、天皇賞秋ならともかくこのレースは2400mだ。いつものペースなら息は切れる。だからあるとするなら、大きく突き放してから休憩を入れる溜めの大逃げ。
(……それは、たぶんない)
浮かんだ可能性を振り払う。――あのパンサラッサ先輩にその可能性を危険視するなら、もっと重要視しないといけない候補がいくらでもある。
(パンサラッサ先輩が2400mをあのペースで走れるようになってる可能性のほうが高いか……)
わき目もふらず全力疾走のパンサラッサ先輩はコーナーに入ってもテンポを緩めない。どうにか3番手を確保した私を尻目に、もう5バ身以上は差をつけてコーナーを回っていく。
私もコーナーを回りながら、ちらっと後ろを確認する。前にも後ろにも、見える限りはG1の常連ウマ娘。しかも、天皇賞秋と違うところがもう一つ。
(……誰も、無理についてこない)
私はミドルペースで走っている。だからもちろん、もっとびったりとマークしようと思えば簡単にできるだろう。当然こちらとしてはそれをされると困るから抵抗はするけれど、今はその気配も感じない。ただ、刺すような視線と雰囲気がこちらに向かっているだけだった。
要するに、天皇賞秋で私が使った作戦はそう簡単には使えない。私のペースに付き合うと潰される、というイメージができているのかもしれない。とにかく、ほとんどの人は自分のレースに徹する判断をしたようだ。私もミドルペースを維持したまま、遥か遠くに見えるパンサラッサ先輩の背中を追う。
遠くから地鳴りのような歓声。57秒中ごろ。きっと、パンサラッサ先輩が1000mを通過した。1000mを通過するだけで歓声が上がる、それが先輩の走り。
動きはない。こちらに競りかけてくるようなウマ娘もいない。ただ、パンサラッサ先輩が引き連れて歩む行進のように、少なくとも前のほうは淡々と。もう一度ペースを計算し直す。いける、はず。
気合を入れ直す。何十回と見たレースを思い出す。視界は良好で、先輩はただ一人第4コーナーを回っている。後ろからの緊張感はもう破裂しそうなぐらいに高まっていて、その中でもひときわ大きく、先月も感じた圧がある。
第4コーナーを回る。先輩はもう坂を上りはじめている。前にももう1人ウマ娘がいるし、後ろから引き絞られた緊張感が迫ってこようとする。
(――ここから)
目を閉じる。何十回と見たレースを思い出す。東京レース場、2400m。頭の中でイメージするのは、最終直線を行く18人のウマ娘。
最終直線が、来る。
今度こそ迷うことなく。
光る道へ、強く踏み込む。
「は、あああああっっ!!」
後ろの塊が雪崩をうって動き出すのと同時に、スパートをかける。一瞬で、風景が大きく流れだす。
誰もいないはずの空間で、ウマ娘をかわす。イメージを、上書きする。坂を駆け上がって、まだ前にはイメージのウマ娘が10人以上いる。まだ絞り出せる。踏み込む。激しい息遣いが後ろに流れていって、今自分が現実の先頭にいることを理解する。でも、まだ前にふたりだけ、いる。
周りを巻き込んで、大きな流れを作っていくなら。
絶対に勝ちたい相手がいた。
大きく踏み込んで、そのふたりに並びかける。
(――あの頃の、私とドウ)
(私、ようやく見つけたんだ。できるのかわからなくても、踏み出していきたいって思えた)
(だから――)
(あの時の私も、あの時のドウも。私に、背負わせてほしい)
心の中で祈りながら、私はそのふたりをほんの少しだけ追い抜いて。
そこが、ジャパンカップのゴールだった。