イクイノックス 育成ウマ娘イベント   作:土見

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※イベントシナリオではなく、走るイクイノックス視点からのレース描写話になります。
展開や順位などはある程度史実のレースに準拠しますが、解釈はオリジナルです。


皐月賞、ターフの上から

 

 

 

 ファンファーレが鳴っても、歓声が止んでも、熱は引かない。

 今まで体験してきたレースとは質が違う、気温で言い表せない異様な熱気。おかしくなりそうだった。

 

 トレーナーさんの言葉を思い出す。「身体は練習を覚えている」……って言っていたような気がした。心臓がうるさいし、手のひらはベタベタだ。頭はサウナの中にいるみたいに、あつく靄がかかっている。それでも私は、何かの間違いだったとしてもここに来てしまった以上は走らないといけない。

 ゲートの係員さんが合図を送って、何人かが入っていく。一番外の私は最後まで待たないといけない。この熱気と雰囲気の中で。はやく順番が来てほしいと思いながら、レース場内の少し音が割れた放送が何か喋っているのを聞いていた。

 

「イクイノックスさん、最後お願いしますー」

 

 ぼーっとしている間に係員さんに声をかけられて、慌てて正気に戻る。返事がうまくできた自信は無いけど、とにかく私はゲートに入って――

 

 

《スタートしました!》

 

(――えっ)

 

 

 気がついたら、身体が勝手にスタートを切っていた。

 心の準備もへったくれもあるわけがない。それでも身体はゲートが開いてとっさに飛び出してくれた。気が抜けてる間に大出遅れをしているとかじゃなくて本当によかったし、もしそうだったらと思うとぞっとする――

 

(って、違う! レース!)

 

 そんなことを考えている場合ではなかった。私が全然違うことを考えている間に他の子たちはポジションを取りにじわじわとスピードを上げていて、そこそこにいいタイミングでゲートを出たはずだった私のポジションはやや後ろめ。

 選択肢は2つ。このまま後ろで待機して最後にスパートするか、ここで少し無理して前めの位置を取るか。

 

(前! 前に行かなきゃ……!)

 

 コーナーでポジションを上げながら考える。実際皐月賞は確かペースが比較的速くなりがちというデータを見たような気はしていて、しかも外を回してポジションを取るとなると余計にスタミナは消費する。だから単純にそれだけを考えるなら、控えたほうが有利だったかもしれない。

 ただ、中団以降にポジションを取るのもリスクはある。

 

(前壁っ、包まれるのは良くないっ……!)

 

 包まれて進路がなくなる、いわゆる前壁。ある程度レース展開を見られれば回避できるけど、実際に遭遇してしまうとだいたい負けてしまうトラップじみた状況。もちろんそれをねじ伏せるだけの実力があれば抜け出すこともできるけど、私にそんな実力があるわけもない。

 だからこの瞬間に私が選べる戦術は、「このまま外に他の人が来ない好位置をキープして前から押し切る」しかなくなっていた。

 残り1000mの看板が流れていく。ペースはそこまで速くも遅くもない、ような気がする。もし自分が正しくペースを守れていたなら十分に前から押し切りの目もあるペースなような気がするけれど、スタートがふわふわしていたせいで本当にそのペースなのかもわからない。わからないけれど、もうブレーキを踏む時間の余裕もなかった。

 押し切るなら最終直線より手前で仕掛けに行く必要がある。もう向こう正面側の直線は終わりが見えていて、3コーナーが近い。少し先頭の子との距離が詰まった。スパートを待てるかもしれない。でも後方の子に追いつかれないタイミングではスパートをしてないといけない。そもそも今自分より後ろには誰がいるんだろう。後ろのほうの子がもうスパートの準備に入っていたら――

 

(ダメ、だ)

 

 考えすぎて、何をしていいかわからなくなる。

 でも、それだけは。それだけは嫌だった。

 だって、今それをしてしまったら。

 

(あのころと、一緒に戻っちゃうのは)

 

 トレーナーさんが教えてくれたことが、一緒に考えてくれたことが、全部無駄になってしまう。

 それだけは、絶対に、避けなきゃいけない。

 

 コーナーを曲がり始めて数歩。

 その1歩だけ、身体が勝手に大きく踏み込んだ。

 

(――じゃあ、ここにするしか!)

 

 勝手に身体が踏み込んだ1歩を最初の1歩にして、私は前との距離を詰めにかかることにして。

 

 

 

「――しッ!」

 

 

 

 覚えのある息遣いを、すぐ後ろに聞いた。

 

(え、)

 

 理解する。コーナーでも向こう正面でも、私は前と横しか見ていない。特に、自分の真後ろに誰がいて、自分をどれぐらいマークしに来ているかなんて。だって、強くもない私のことをマークするような変わり者なんて、2人しか考えられなくて――

 

 一気に汗が噴き出す。外に吹き飛んでしまいそうな遠心力に逆らいながら、必死にスピードを上げる。上げようとする。上がらない。息遣いは近づく。ハナを切っていた子の背中はもう近い。きっと追いつける。

 でも、それじゃ足りない。

 

「っ、ぁ、うあああっ!!」

 

 喉はからからで、それでも振り絞る。坂を駆け上がる。焼けつくようなプレッシャーが左から迫ってくる。見ない。私は左を見ない。ゴール板がようやく霞んだ目に見えた。あと何m先かはわからない。そこが――

 

「はああああッ!!」

 

 そこが、私の先頭が終わる場所だった。

 目をそむけようとしても、嫌でも見える場所。

 私より前にいるその子は、あまりにも見慣れた勝負服を着て、見慣れた後ろ姿をしているように見えた。

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