不遇水魔法使いの禁忌術式 後追いを超えた後追い版 作:ゴリラ
でも、こうしないと砂漠脱出が遅くなるだけだったんだ……しょうがないんだ……
町に戻った頃には、太陽はすっかり登り切り、空の真上から強烈な光を降り注いでいた。乾いた大気は揺らめき、砂の上には陽炎が立ち昇る。石造りの建物の壁は熱を帯び、長く伸びた影の中だけが僅かな涼をもたらしていた。広場に足を踏み入れると、地面にこびりついた砂が靴の裏でざらりと音を立て、時折、風に舞い上がる細かな砂塵が頬をかすめる。
どうやら、僕達の班が一番最後だったようだ。朝、あれほど活気に満ちていた町の入口は静けさに包まれ、耳を澄ませば、遠くの市場からわずかに人々の話し声や、荷車の軋む音が聞こえる程度だった。空には数羽の鳥が飛び交い、砂漠の厳しい日差しをものともせずに旋回している。他の班の者たちの気配はもうどこにも見当たらず、町全体が昼の怠惰な空気に支配されているようだった。
そんな中、アンバースさんの姿が視界に入った。彼は、町の入口近くの柱に寄りかかりながら、どこか落ち着かない様子で僕たちの帰りを待っていたようだった。僕たちの姿を見つけた瞬間、彼は目を見開き、すぐさま駆け寄ってくる。近づくにつれ、その表情は緊張から安堵へと変わっていき、額ににじんでいた汗を手の甲でぬぐいながら、しっかりと僕たちを見据えた。
「お疲れ様です。無事に戻ってきたようで、安心いたしました」
「もしかしたら、砂漠で干からびておられるのではないかと冷や冷やしておりましたので」
アンバースさんがそう言って微笑む。彼の声はどこか冗談めいていたが、その奥には本当に心配していたのが伝わるほどの温かさがあった。ははっ、ナイスブラックジョーク。笑えないって点を除けば完璧だ。
「しかし……カマホル様、なぜ今日はここまで帰還が遅れたので?」
「いつもでしたら、他の班よりも先んじて戻ってこられますのに」
アンバースさんの問いかけに、カマホルさんは軽く髪をかき上げながら、深く溜息をついた。彼の肌にはうっすらと砂埃がついており、長い髪は汗で首筋に張り付いていた。その仕草には、戦いの疲れと、それを物ともしない彼女らしい余裕が滲んでいる。
「そーれーが、大変だったのよぉ~なぁぜか、今日のサソリちゃんは異様にタフだったのよねぇ~」
「いつもならあたしの拳か、ゲイドスちゃんの呪法ですーぐ終わるんだけどねぇ」
「それに、アミヤちゃんを異様に追いかけ回してたし……アミヤちゃんに恋しちゃったのかしら」
いや、それは無いだろう。と言うか、もし仮に惚れていて、その上で求愛行動がアレ(毒液飛ばし)なのだとしたら、さすがに生態が野蛮すぎる。今すぐ絶滅して欲しい。切実に。
アンバースさんは「なるほど」と短く相槌を打ちながら、少しだけ考え込むような仕草を見せた。陽光が彼の黒い装束に影を落とし、額の汗がきらりと光る。そして、穏やかな口調で言葉を続けた。
「それは大変でしたね。ですが、こうして無事に戻ってこられたのなら、何よりです」
その言葉に、僕はようやく一息つくことができた。背中に張り付いた服の不快感を感じながら、ここまでの戦いの疲れが一気に押し寄せる。まるで砂漠の熱気が、今になって体にまとわりついてくるかのようだった。
そうして僕達がこの町に来て、数日の月日が過ぎた。
◇◆◇◆◇◆◇
咎人の町6日目
◇◆◇◆◇◆◇
今日は休日だった。仕事も狩りもなく、静かな朝である。窓から差し込む陽光は柔らかく、砂漠の乾いた空気がゆっくりと部屋に流れ込んでいる。外では、砂風に混じってかすかな鳥の鳴き声が聞こえ、町の目覚めを告げていた。まだ人々の足音もまばらで、町全体がのんびりとした空気に包まれている。窓の外に広がるのは、どこまでも続く砂の大地。乾いた大地の向こうで、陽炎がゆらゆらと揺らめいている。だが、そんな荒涼とした風景も、朝の光に包まれているとどこか穏やかな気持ちにさせてくれた。
今日は何をしようか……そんなことを考えながら、ぼんやりと時間が流れる。そして、ふと思いつく。サーシャさんと町を見て回るのもいいかもしれないなと。思い返せば、なんだかんだと忙しくて、ゆっくりと町を見て回ったことはなかった。砂漠の町には、まだまだ知らない景色があるはずだ。
リビングに行くと、サーシャさんはすでに起きていて、テーブルに朝食を並べていた。木製の食器に乗せられた焼きたてのパンが、香ばしい香りを漂わせている。乾燥した空気のせいで、食材は少しでも新鮮さを保つのが大変だろうに、彼女はきちんと手をかけて準備していた。パンと共に並べられたのは、砂漠で育った果実のジャムと、薄く切られた干し肉。そして、少し甘いハーブティーの香りが部屋の中を優しく包んでいた。こうした穏やかなひとときが、どれほど貴重か。改めて感じる。
「おはようございます、悠太さん。今日は……なにもなかったはずなので、ゆっくり出来そうですね」
彼女は微笑みながら、湯気の立つカップを僕に差し出す。その仕草に、どこか懐かしさを感じた。
「おはよう、サーシャさん。……今日はさ、どこかに出かけてみないかい?」
僕がそう切り出すと、サーシャさんは少し驚いた顔をした。
「それはいいですね! けど…どこに行きましょうか?」
と彼女は疑問を投げかける。僕はしばらく考え込んでから、答える。
「うーん、そうだな……市場とか、広場とか、町の中をのんびり見て歩くのもいいかなって」
そう言うと、サーシャさんは少し考えてから、「いいですね、そう言えば、ゆっくり町を見て回ることはありませんでしたし」と嬉しそうに頷いた。
朝食を済ませた後、僕たちは身支度を整え、市場に向かうことにした。普段なら狩りや買い出しで慌ただしく通り過ぎる場所も、今日はどこか新鮮に見える。砂ぼこりが舞い上がる広場には、色とりどりの布が風に揺れている。商人たちが活気よく声を上げ、露店には様々な商品が並べられていた。干し肉や乾燥果実、保存のきく穀物の袋が積まれ、異国の香辛料が漂っている。革細工の職人が小さな道具を器用に動かしながら、革袋やベルトを作っていた。そんな賑やかな光景の中で、サーシャさんの目がふとある店に留まった。
「悠太さん見てください! あれ、すごく綺麗ですよ!」
サーシャさんが指さしたのは、露店に並ぶ色とりどりのガラス細工だった。透明な小瓶や、淡い青や赤に染められたアクセサリーが、陽光を受けてキラキラと輝いている。一体どうやって、こんな乾燥した環境で精巧なガラス細工を作ることができるのだろうか。おそらく、魔法の力が使われているのかもしれない。
「こういうの、好きなの?」
僕が尋ねると、彼女は恥ずかしそうに笑いながら、「綺麗だと思っただけです。でもこういうの、見てるだけで楽しいですよね」と答えた。その声には、日常の忙しさから解放された心地よさが感じられた。
市場を回った後、僕たちは町外れの広場で休むことにした。町の喧騒から少し離れたこの場所は、わずかな緑が目に優しく、木陰の下では心地よい風が頬を撫でる。遠くでは子どもたちが追いかけっこをして遊び、どこかの商人が道端に腰掛けて煙草をくゆらせている。僕たちは地べたに座り、買ったばかりの果物を分け合いながら話した。サーシャさんが楽しそうに笑いながら話す声を聞いていると、この町で感じる乾いた空気や砂の熱さがどこか遠くに感じられるような気がした。まるで、時間がゆっくりと流れているように感じる。
「今日は、なんだか特別な日みたいですね」
ふとサーシャがそう呟く。僕は彼女の横顔を見ながら
「特別?」
そう聞き返す。
「……こうして何も考えずにのんびり過ごせる日なんて、滅多になかったので……なんだか夢みたいです」
僕はサーシャさんの言葉を聞きながら、ふと空を見上げた。どこまでも続く青空に、雲がゆっくりと流れている。その風景は、確かに現実離れしていて、彼女の言う通り夢のようにも思えたのだった。
夕方、家に戻る頃には空は茜色に染まっていた。広がる夕焼けの中に、乾いた大地が赤く染まり、静けさが広がる。軽い疲れを感じながらも、心は満たされている。サーシャさんもどこか穏やかな表情で、帰り道を歩いている。
「悠太さん、今日はすごく楽しかったですね」
彼女の声には、リズムよく歩く足音とともに、どこか嬉しそうな響きがあった。
「こちらこそ、誘ってよかったよ。たまにはこういうのもいいよね」
そう言いながら、僕たちは二人並んで、砂漠の風に吹かれながら家のドアを開けた。
この町の中でも、こんな穏やかな時間を大切にしていきたいと、僕は心から思った。
◇◆◇◆◇◆◇
その影は、風を切り裂き飛び続ける。まるで、地上に広がる世界そのものを拒絶するかのように、どこにも目を向けることなく、ただ一つの目的地だけを目指し、突き進む。
黄金に呑まれた樹海――虫が、動物が、人間が、木々が、樹海に存在したその全てが黄金と化し、かつての色を失った地。下品に光り輝くその樹海の上を、影は迷うことなく通り過ぎる。風が舞うたび、黄金の葉が音を立てて落ち、まるでこの地の過去が剥がれ落ちていくかのようだった。
巨樹そびえる荒れ地――天を突くような巨樹が聳え立ち、その根元には荒廃した土壌が広がる。生命の象徴であるはずの巨樹も、その下では何物も生きられない。影は、その巨樹に目もくれず、高空を一直線に飛び抜けた。朽ちた木々の間に潜む獣たちが、影の存在に恐れおののき、物陰に身を潜める。
分かたれた大陸――大地が無理やり引き裂かれたように、深く刻まれた溝が全てを隔てている。冷たく光る断崖の奥底では、見えないほどの深淵が広がり、何かの鳴き声が風に乗って響く。それでも、その溝に目を留めることなく、影は羽ばたき続ける。
燃え盛る大地――紅蓮の炎が広がる土地では、地面さえも溶けていた。熱波が空を歪ませるが、影はその熱を感じていないかのように力強く飛んでいく。赤黒い炎の合間に、何者かの焼け焦げた亡骸が転がっていたが、影はそれを一瞥すらしない。
広大なる大海――果てしなく広がる海の上では、波が影の存在を拒むように荒れ狂う。雷鳴がとどろき、黒雲が空を覆い尽くすが、影の進行を止めるには至らない。羽ばたくたびに、水面が切り裂かれ、深海に潜む巨影が束の間姿を見せる。
樹木に侵食された廃都――かつて文明が栄えた街並みは、今では無数の樹木に覆われ、完全に自然に回帰している。その名残さえ風化するその場所を、影は一瞥すらせず通過した。崩れかけた建物の奥から、影を見上げる小さな瞳が一瞬だけ光るが、それが何者であるかを知ることはない。
金属毒に汚染された地――錆びた金属と毒の霧が立ち込める、命断たれた地。それを象徴するかのように、地表には何も動くものはない。その死の世界も、影の翼を止める理由にはならなかった。翼の風圧が毒霧を吹き払うと、一瞬だけ朽ちた都市の輪郭が浮かび上がる。
時空の歪んだ山脈――そこでは空と地上の境界が曖昧になり、現実がねじれる場所。影の輪郭も歪むが、それでもその進む力だけは揺るがない。狂った時の流れに囚われた幽かな囁きが、影の後ろを引き留めようとするが、すぐに掻き消えていく。
死者が蔓延る亡国――屍が無数にさまよい、絶え間なく腐臭が漂う。影の存在に気づき、死者たちは手を伸ばそうとするが、その手が届くことはない。影はその忌まわしい地を風のように駆け抜けた。影の飛び去った後、死者たちはしばらく空を仰ぎ、やがてまた静かにさまよい始める。
そして、すべてを飛び越えたその先に、影が目指す場所があった。その目的地――全ての始まりの場所、ペカトゥム砂漠。
翼を広げ、長い旅路を駆け抜けてきた影──竜は、その場でようやく飛翔を止める。砂が舞い上がり、周囲の空気が一瞬だけざわめく。乾いた大地がその足元で軋み、熱気が立ち上る。
そして、その双眸は鋭い輝きを帯び、行く手を阻む邪魔な結界を見やる。それだけで、長年咎人を閉じ込め続けてきた大結界が軋みを上げ始める。目には見えない巨大な力がぶつかり合い、空間が震える。やがて、空気が裂けるような音とともに、結界に無数のひびが走る。砂漠の風が一気に荒れ狂い、まるでこの瞬間を待っていたかのように、大地が不吉な唸り声を上げる。
そして――――。