【完結】さよなら、艦隊これくしょん――日本は抵抗をあきらめました――   作:河畑濤士

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■1.偽りの平穏。

 早朝。

 

 潮風香る、という美しい表現とはほど遠い生臭さが、彼の鼻腔を刺した。

 

 白髪頭に黒縁メガネ、プレスされた濃紺のスーツ、どこにでもいそうな初老の男はたまらず、敷地内の端に設けられた喫煙スペースに寄り、紙巻たばこを口にして火を点けた。

 

 ピースが放つ煙が、弱肉強食の海から漂ってくる臭いを打ち消した。

 

 続けて肺に煙を入れ、ぼんやりとした頭で、きょう予定されている業務を思い出す。

 

 とはいえ、いまのポストは単なる名誉職――文部科学省や文化庁の高官の天下り先でしかなく、大してやることはなかった。

 

 ……少なくとも、表向きは。

 

「鬼威カンチョー、おはようございます」

 

「おはよう」

 

 寒空の下の喫煙スペースに入ってきたのは、彼の部下――経理部門の人間であった。

 

「いやー、寒いっすね」

 

「本当にねえ。風邪だけには注意しなさいよ」

 

 初老の男――鬼威は彼と2、3言葉を交わすと、フィルターぎりぎりまで吸いきった吸い殻を煙缶に棄てて、喫煙スペースを後にした。

 

 向かうは“本館”だ。

 

 彼の職場は、米国政府から返還された在日米軍用地を転用した国立現代海洋博物館であり“本館”は立派な白塗りのコンクリート製3階建ての建物であった。

 

(博物館にしては堅牢すぎる)

 

 夏場は熱が籠って暑く、冬場は著しく寒いこの職場が、鬼威は好きではなかった。

 

 聞けば、海軍施設の司令部だったという。

 

 警備会社から派遣されてきている警備員に挨拶して通用口から入った彼は、“展示準備中”の看板の横を素通りして、1階バックヤードにある館長執務室の扉を開けた。

 

「おはようございます」

 

 入室と同時に投げかけられた朗らかな挨拶に、鬼威は顔をしかめた。

 

「……」

 

 挨拶の主は艦娘だ。

 

 常人ではありえない白銀の髪。

 

 どこまでも澄んだ藍鼠(あいねず)の瞳。

 

 まるでアニメやマンガから飛び出してきたかのような美少女。

 

 不気味なほど整った容姿――そう、鬼威にとっては不気味だった。

 

「……おはよう」

 

 抵抗を覚えながら、挨拶を返す。

 

 すると艦娘――練習巡洋艦鹿島は破顔一笑してから、鬼威のデスクの椅子を引いた。

 

「きょうも冷えこみますね。お茶でも淹れましょうか?」

 

「必要ない」

 

 鬼威は即答した。

 

 艦娘と会話するのが、彼にとっては苦痛だった。

 

 艦娘とは人間の被造物だ。

 

 つまり、人形と変わらない。

 

 相手をしてやらねばならないという義務感よりも人形に向かって話しているという気恥ずかしさが勝り、その気恥ずかしいという稚拙な感情を、仄暗い恐怖が塗り潰していく。

 

(不気味の谷、現象か)

 

 いま自身が抱いている感情に名前が付いていたとしても、自身に対する情けなさと相手に対する後ろめたさが消えるわけではない。

 

 彼は彼女を視界から外すために、机上のリモコンを取ると、部屋の片隅に置かれたテレビの電源を入れた。

 

 この時間帯の情報番組はおおむね新しいニュースを紹介し終え、暇している高齢者向けの政治談議を垂れ流していることが多い。

 

「あのー新谷さんはそう言いますけどね。実際、深海棲艦による被害はこの1年間、ゼロですよ。ゼロ」

 

「こちらが刺激しなければ、深海棲艦は攻撃してこないということがわかったのですから、戦う、戦わない、話はそういうステージではなくて、もう次のステージに進んでいるんですよ」

 

 語気強く喋る司会兼コメンテーターの男。

 

 他のコメンテーターたちもうんうん、と頷き、

 

「深海棲艦と共存する国際社会の到来ですよ」

 

「この十数年、戦って得るものはなにもなかったわけですし」

 

 などと迎合している。

 

 鬼威は舌打ちしてチャンネルを変え、画面は毒にも薬にもならぬ再放送のドラマを映した。

 

「……やはり私たちはもう必要ない、のでしょうか」

 

 艦娘の質問に、鬼威はゆっくりと頭を振った。

 

「そんなわけがあるかよ」

 

 思ったよりも低い声が出たことに、彼は驚いた。

 

「いや。うーん。みんな、少し疲れただけさ」

 

 自身に対しても、艦娘に対しても、日本政府に対しても、何のフォローにもなっていない言葉が口を衝いて出てきた。

 

「このまま終わり。そんなことは絶対にありえない」

 

 突如として海の底から湧き出してきた深海棲艦との戦争は、既存兵器による海上哨戒戦術と新兵器の艦娘による機動防御・攻勢戦術が確立されるとともに、戦えば人類側が必ず勝つという格好に落ち着いた。

 

 が、その兵站は国家、地域、国民の多大な負担と協力によって成立するものであり、一方の深海棲艦は無尽蔵の戦力を有していた。

 

 当然の泥沼化。

 

 日本政府と日本国民は10年を越える長期戦に疲弊し――目の前の戦線と奮闘する鎮守府から少しずつ眼を逸らし“放置”するようになっていった。

 

 否、艦娘をサポートする鎮守府の人間でさえ、傷つき、傷つける日々に消耗していった。

 

 そしていつしか日本列島周辺における深海棲艦が沿岸部や大陸棚を忌避し、侵入を回避するようになったことで、政権交代を果たしたばかりの時の内閣は一方的な勝利と休戦状態の突入を宣言した。

 

 もちろんそれは、外洋を深海棲艦に明け渡し、目の前の脅威を無視することで成り立つ“休戦”でしかない。

 

 加えて究極の窮乏を迎える未来が、横たわる平和でしかない。

 

 現状、日本国内の物資不足、インフレーションは局限されている。

 

 が、日本が頼る沿岸伝いの交易路――ロシア連邦沿岸を経由する北米ルートと、中華人民共和国を経由する東アジアルートは、日米の艦娘が凍結されたことで、深海棲艦側がやろうと思えばいつでも遮断できてしまう。

 

 ……また政治的に不安定でもある。

 

 それを現政権は、是としていた。

 

 “友愛政策”――攻勢作戦と海上護衛を放棄するのみならず、鎮守府を解散させ、深海棲艦に対して有効な兵器である艦娘を凍結したのがその証左。

 

 目の前の艦娘が、補佐として限定的な稼働状態を認められているのも、秘書としての能力を買われてのことではなく、低速かつ比較的非力な練習艦であるから、ということを鬼威は知っていた。

 

(3万という人命を喰らってきたあのバケモノどもを一方的に信用しての無防備宣言――)

 

 ……唾棄すべき、赫怒すべき状況だ。

 

 ゆえに鬼威はこの瞬間だけ瞳を輝かせ、彼女の眼にその熱い視線をぶつけることができた。

 

「再び我々は必ず深海棲艦と戦うことになる。そのとき深海棲艦に対する切り札――艦娘は絶対に必要になる」

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

「再び我々は必ず深海棲艦と戦うことになる。そのとき深海棲艦に対する切り札――艦娘は絶対に必要になる」

 

 鹿島は興奮と喜悦に頬が紅潮するのを自覚した。

 

 彼女ほど自身が置かれている状況を理解している者はいない。

 

 なにせ他の艦娘はすべて、収蔵庫の中にいるからだ。

 

――いまこの国は艦娘を必要とはしていない。

 

 自身を取りまく環境を客観視すれば、その一言に尽きる。

 

 戦争を放棄すれば、戦争は起きないと政府首脳陣は本気でそう思い、公言してはばからない。

 

 戦争に疲弊した人々はそのまやかしを享受し、艦娘に力を与える異能を有したために10年以上戦争に拘束されてきた提督たちは「艦娘が傷つかない明日が待っているなら」と目の前の戦場を放置するに至った。

 

 そんな平和に、目の前の人間は逆らおうというのである。

 

 カネもなければ、武器もない。

 

 提督としての異能もない。

 

 彼にあるのは艦娘という異形に対する恐怖と、それを超越する怒りだ――と、彼女は鬼威の内面を推測していた。

 

 彼女は業務に携わるなかで、鬼威の経歴、過去の一端を知った。

 

(館長は開戦劈頭の混乱期に、お子さんを亡くしている……)

 

 ゆえに、その期待は重い。

 

 憎悪という陳腐な、だがどこまでも純粋な感情。

 

 が、いまの鹿島はどこか心地よさを感じていた。

 







◇◆◇



次回更新は1週間以内を予定しております。



◇◆◇


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