【完結】さよなら、艦隊これくしょん――日本は抵抗をあきらめました―― 作:河畑濤士
「えっ……」
瑞鶴は構えた弓箭をそのままにしつつ、しかしながら表情を弛緩させた。
「パ、パパ?」
彼女の言葉は疑問というよりは呟きに近い――にもかかわらず、その声はかなりの距離まで通った。
先程まで吹きつけていた潮風は止み、海もまた不自然に凪ぎ、冷涼な空気とともに鈍色の雲が集まり始めていた。
その雲の下に立つ白い深海棲艦は、ただ小さくうなずいた。
「私は美雪、鬼威美雪。わかるでしょ、パパ」
「……」
鬼威は、押し黙っている。
実際のところ、言葉などいらなかった。
彼が夢想した“未来”が、目の前にあった。
白い深海棲艦は、嘘偽りの存在ではなく、どこまでも美雪だった。
天龍と龍田が深海棲艦のどす黒い体液にまみれた刀槍を携えたまま、磯風と彼女の合間に割りこんだが、しかしながらふたりは白い深海棲艦に対して即座に斬りかかろうとはしなかった。
「ねえ、パパ。一緒に暮らそ。本当だったら続くはずだった暮らしをしよう?」
鬼威美雪は不器用に笑い、その黒い瞳から涙をこぼした。
「もう戦わなくていい。責任なんか背負わなくていい。テレビの電波で知ったよ。パパ、すごい頑張ってる。でもみんな、酷いよ。パパはまだ知らないかもしれないけど、私たちの家も燃やされちゃった」
“燃やされちゃった”と言葉を紡ぐ瞬間、美雪は赤錆と硫黄の入り混じった煙を吐いたが、彼女自身それに気づかないまま一歩前に出た。
「パパ、帰らなくていい。こっちに来て。一緒に暮らそうよ」
そう言ってから、彼女は唇を噛んで押し黙った。
鬼威の返事を待っているのだ。
「司令――」
遅れて磯風に追いついた霧島は、視線をふたりの間で往復させた。
「……」
鬼威は、といえば、艦娘たちが驚くほどに無表情で、冷徹で、つまらなさそうな顔をしていた。
「言いたいことはそれだけか?」
「パパ?」
「鬼威美雪は死んだ」
彼の言葉は、事実を告げただけである。
それでも同時に明確な拒絶の意志が滲んでいた。
美雪は視線を逸らし、不器用な泣き笑いの表情をつくった。
「そ、そうだけど、でもいま私はここにいる。長い間、眠ってた。でもパパがテレビの電波に乗って頑張ってる姿が流れてきて、帰りたいって。できなかったことを、パパとしたいって思って――」
「葬式は挙げた。小学校にも連絡したさ」
「ありがとう。悲しい思いをさせてごめんなさい。でもそれは過去のことで、昔の、間違ってることで、おかしいことで、私はこれから」
鬼威は美雪の言葉を遮った。
「お前は死人で、深海棲艦だ」
美雪は、たじろいだ。
「だから一緒には暮らせない」
しんしんと、雪が降りはじめた。
◇◆◇
その数日後、磯風はぼんやりと国立現代海洋博物館の館長執務室でテレビを眺めていた。
報道番組が取り上げているのは、1か月後に迫った衆議院議員選挙についてである。
当然ながら鬼威の奮闘や艦娘たちの戦果について取り上げる番組は存在しない。
あの一戦以来、深海棲艦の動きもまた沈静化していた。
「失礼します」
蝶番が壊れたために仕方なく立てかけてあるドアをずらして入ってきたのは、戦艦大和であった。
「鬼威館長は?」
磯風は大和の顔を2、3秒じっと睨んでから「文化庁へ出張中だ」と答えた。
「自宅は焼かれ。それで次は館長職を解任ですか」
「なぜそれを」
大和は自身の予想を口にしただけにすぎなかったが、磯風は愚直にそれを肯定してしまった。
実際のところ、鬼威はそう明言したわけではない。
しかしながら「このタイミングで本庁に呼び出されるってことは、俺もいよいよか」と解任の可能性を示唆する言葉を口にしていたのも事実だった。
「……」
咄嗟に自身の手で口を塞ぐ磯風を笑うこともなく、大和は無表情のままテレビの画面に視線を遣った。
「当然の展開でしょう。政権交代が成され、全国各地の鎮守府が再建されれば、もう鬼威館長とこの国立現代海洋博物館に存在価値はなくなる」
大和に対して磯風は「そんなことはない」と反駁したが、どこか自信はなかった。
「それでいいんですか?」
歩み寄りながら問うてくる大和。
いいわけないだろう、と磯風は思ったが口にはしなかった。
鬼威邸は、全焼だった。
磯風も現場を見に行ったわけではなく、その他大勢の人々と同様にテレビの画面越しに映像で灰燼の塊になった戸建の一軒家を見ただけだったが、しかしながら彼女は一度、あの家に行っている。
(
放火の実行犯は速やかに警察によって逮捕されたが、彼女にとってそれはどうでもよかった。
あの一軒家は鬼威の居宅であると同時に、彼の一人娘との思い出が遺されたいわば墓標だったのだ。
それが焼けた。
(これが国のために、人のために戦った者に対する仕打ちか)
と、磯風は絶望に伴う仄暗い怒りを覚えざるをえない。
「それでいい。覚悟のうえだ」
が、先程の大和の問いへの答えは、大和の背後から返ってきた。
「……」
大和は振り返って、立てかけられたドアの脇を睨む。
そこには鬼威が立っていた。
「賞状や勲章が欲しくて戦ったわけじゃない。俺はこの国が再び守りを固めるまでの“つなぎ”だ」
「鬼威館長、本当にあなたは――」
「大和。それから磯風」
鬼威はぴしゃりと言った。
「お前たちは軍事兵器だ。同情は余計だ」
それでも大和は食い下がろうと口を開いた。
――本当にそれでいいのか。
同時刻、防衛省防衛政策局の
衆議院議員選挙になんとか漕ぎ着けた超党派議員・有志官僚・地方自治体の首長から成る“継戦派”だが、ここにきて彼らは“割れた”。
もちろんそれは鬼威の処遇を巡って、である。
……時間は、遡る。
「この映像は
「彼の娘が深海棲艦に――?」
「そんなことがありえるはずがない」
「この深海棲艦が鬼威美雪であるかそうでないかが問題なのではない。鬼威館長は艦娘たちに攻撃を命じなかった――彼はこの深海棲艦にどこかで同情したのだろう。彼が今後、この意思疎通ができる深海棲艦と内通する可能性がある」
「鬼威館長が白い深海棲艦に対する攻撃を行わなかったのは、艦娘たちの攻撃が通じないとわかっていたからでしょう」
「それよりもこの白い深海棲艦だ。これを殺す手段はあるんだろうね?」
想像以上の働きをみせた鬼威に対して警戒する者も出始めていたところに、先の一戦に参加した艦娘のボディカメラの映像が、“継戦派”のなかで共有されたのである。
「鬼威館長が深海棲艦と手を組んでみろ。艦娘に通常兵器は効かない。白い深海棲艦には艦娘の攻撃が効かない。日本国はこの一個人に屈服することになるぞ」
ひとりの国防族議員の発言が漠然とした不安に形を持たせた。
彼らは、国立現代海洋博物館の艦娘たちは日本国に忠誠を誓っているのではなく、鬼威館長に協力しているにすぎない、ということをよく知っていた。
仮に鬼威が艦娘たちの協力を取りつけ、国に対して反旗を翻して海に出てしまえば、日本政府としてできることはそう多くはない。
「白い深海棲艦についてですが、自衛隊の装備品によって撃破できる可能性が高いです」
鬼威の処遇についてから話題を逸らしたかった弄橋は、会議の場でそう発言した。
「白い深海棲艦――我々は“未来棲姫”と呼称しますが、次にあれが出現した場合は、93式空対艦誘導弾B型や誘導爆弾を装備した航空機で攻撃を実施します」
「“未来棲姫”に現代兵器は通じるのか」
「00年代に製造された武器であれば、通用する可能性は高いです」
と答えつつも弄橋は、良心が痛んだ。