焚火の炎が夕闇の中で揺らめき、森の深い緑の中に朱い光を投げかけていた。風が木々を揺らし、その音が遠くから聞こえる咎狂の呻きと重なる。私は革袋を手に、小川の冷たい水を汲みながら、ふと視線をキャンプ地に戻した。
そこにはアリセアの小さな背中があった。彼女は焚火の傍らに腰を下ろし、霊契の刻印が浮かび上がる右手をそっと見つめていた。淡い光を放つその刻印は、以前よりも禍々しさを増している。光の中には、異界の囁きが渦巻いているように見えた。
私は胸の奥で疼く不安を抑えながら、水を満たした革袋を抱えてキャンプ地に戻る。彼女を守るためにここにいる。その思いが私の全てだった。
「リリシア、水持ってきたよ。」
アリセアが微笑みながら振り向く。その笑顔はどこか痛々しいほど無垢で、同時に壊れやすいものに見えた。私はその微笑みを前に、一瞬息を詰めた。
「ありがとう。でも、あまり無理をしないで。」
私は彼女に近づきながら声をかける。彼女の顔には疲れが色濃く表れていたが、それでもその瞳には揺るぎない決意が宿っている。彼女は、自分を犠牲にしてでも周囲を守ろうとする。それがどれほど愚かで危ういことか、彼女自身は気づいていない。
「今日はセラヌスが大きな獲物を捕ってきたわ。」
コンヴァリアが獲物を手際よく捌きながら言った。彼女の右腕の蔦が動き、器用に作業を進める。その動きには長年の経験が滲んでいた。
セラヌスはその少し離れたところで焚火を見つめていた。彼女は短剣を手に、何かを考え込んでいるようだった。冷たく鋭い目が炎の光に照らされ、何度か唇を動かしては閉じる。言葉を選んでいるのだろうか。それとも、自分の中の葛藤を押し殺しているのか。
「保存食を作っておこう。」
私は仲間たちに声をかけた。余った肉や魚を無駄にしないために、塩漬けにして干し台で燻製にする準備を始める。塩は少しずつ使わなければならない。これからの旅路での生命線だ。
アリセアが私に近づき、小さな声で囁いた。「私も手伝うよ。」
その声には、どこか申し訳なさそうな響きがあった。彼女の小さな手が、私の手元に伸びてくる。その刻印が光るたび、私は心臓を締め付けられるような感覚に襲われる。
「無理をしなくてもいいのよ。」
私は優しく彼女の手を取った。その手は細く冷たく、まるで今にも壊れてしまいそうだった。
夜が深まる中で、保存食の準備は淡々と進んだ。私は干し台を組み立てながら、自分が何を守ろうとしているのかを改めて考える。アリセアの強さは無意識で、そして無防備だ。その強さに惹かれる者もいれば、憐れむ者もいる。そして私は、その両方を抱えている。
焚火の炎が弱まり、仲間たちはそれぞれの場所で眠りにつこうとしていた。私はアリセアの隣に座り、彼女が刻印を撫でる手をそっと止めた。
「あなたは十分強いわ。でも、その強さを使いすぎないで。」
私の言葉に、彼女は驚いたように顔を上げた。
「大丈夫だよ、私は平気。」
彼女の言葉は優しく、それがまた私の心を締め付ける。彼女は平気ではない。その強がりが、いずれ彼女を壊すことを私は知っている。
「平気じゃなくてもいいのよ。」
私は彼女の肩を抱き寄せた。その小さな体が震えているのを感じる。
「私が守るわ。あなたを壊させはしない。」
その言葉が、私の中で静かに響いた。
夜空には星が瞬き、森は静けさを取り戻していた。焚火の残り火が、私たちの足元を優しく照らしている。その光の中で、私は彼女を守る決意を改めて胸に刻んだ。