夜の森は、砂漠とは異なる闇を孕んでいた。
灰の砂漠を抜けた先に広がる森は、一見すると安らぎの場のように思える。しかし、その実態は別物だった。木々の葉は黒く変色し、幹は奇妙にねじれている。地面には奇妙なキノコが生え、その毒々しい光を放つ胞子が空気中に漂っている。
リリシアは手に革袋を持ちながら、小川を目指して森の奥へ足を進めていた。森の奥から微かな水音が聞こえるたびに、冷たい空気が頬を撫でていく。
「こんな場所で生き延びるには、少しでも水を確保しなきゃね……。」
呟きながらも、彼女の心は別のことに囚われていた。
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アリセア――彼女は、何も知らない。
まだ幼い少女のような姿をしたアリセア。その右手には異質な刻印が刻まれているが、彼女自身はその意味を完全には理解していない。それでも、危険を顧みずに咎狂に立ち向かう姿を見たとき、リリシアの胸の奥にかすかな痛みが走った。
「なぜ……そんなに自分を犠牲にするの……?」
リリシアの口から漏れたその問いは、アリセアに向けたものではなく、過去の自分自身に向けたものだった。彼女は、かつて仲間を失った記憶を思い出していた。
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革袋を水面に沈めながら、リリシアはふと自分の顔を覗き込む。
暗い水面に映る自分の姿。その表情には疲労の色が濃く浮かんでいる。それだけではない。彼女の左手――すでに異形化の進んだその手も水面に映り込んでいた。蔓のように絡みついた黒い模様が、彼女の指先まで覆い尽くしている。
「こんな体になってまで、何を守ろうとしているのかしら……。」
自嘲気味に呟いた声が、小川の流れに掻き消された。
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焚火のそばでは、アリセアが不器用に火をくべている。
戻ってきたリリシアは、革袋をアリセアに手渡すと、少し離れたところに腰を下ろした。アリセアは水を口に含み、少しだけ表情を緩める。それでも、その顔にはどこか張り詰めたものが残っていた。
「リリシア、私……弱いよね。」
突然アリセアが口を開いた。その声には、どこか自己否定の色が混ざっている。
リリシアはその言葉に少し驚きながらも、すぐに微笑みを浮かべた。「あなたが弱い? それは違うわ。弱い人が、あんなふうに咎狂に立ち向かえるわけがない。」
「でも、怖いんだ。」
アリセアは震える声で続けた。「右手の刻印が私をどこかに引っ張っていこうとしている気がする。この力を使えば使うほど、私が私じゃなくなる気がして……。」
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リリシアの胸の中に、かつての記憶が鮮明によみがえる。
同じように咎の力を恐れながら、それでも仲間を守るために自分を犠牲にした者たちの姿。彼女もまた、その一人だった。異形化しつつある自分を恐れながら、それでも歩みを止めることはなかった。
「アリセア。」
リリシアはその名を呼び、彼女の目をまっすぐに見つめた。「その力があなたを変えていくことを恐れるのは当然よ。でも、それを恐れるあまり、何もしないことが本当に正しいと思う?」
アリセアは答えられなかった。ただその瞳に、涙が浮かんでいるのが見えた。
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「私が守る。」
リリシアは穏やかに微笑みながら言った。「私もかつて、あなたと同じように自分を責めていた。でも、それでも私は生き延びて、こうしてあなたと出会った。だから、あなたのすべてを守るわ。」
アリセアは驚いたように目を見開いた。その瞳に映るのは、まるで母親のような優しさを湛えたリリシアの顔だった。
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遠くから、風がまた森を揺らした。
その音はどこか不吉で、森の奥に何かが潜んでいることを暗示しているようだった。だが、焚火の炎はまだ燃え続け、二人を包み込んでいた。
リリシアは再び革袋を取り出し、それを自分の唇に近づけた。そして小さな声で呟く。
「私は、もう二度と失わない……。」