森は、朝霧に包まれていた。
冷たい空気が肌を刺し、静寂の中に小川のせせらぎが響いている。私は革袋を手に、小川のそばで水を汲んでいた。右手の刻印が淡い光を放ち、その光が波紋となって川面を揺らしている。
「これで足りるかな……。」
ぼそりと呟きながら革袋を揺らし、その重さを確かめる。こんな生活に慣れる日が来るのだろうか、と考えてしまう。
「次の行く先でも水が手に入る保証はないからね。」
リリシアが焚火のそばから声をかけてきた。彼女は穏やかに笑いながら、小さな鍋を火にかけている。その姿はどこか母親のようで、ほんの少しだけ安心を覚える。
彼女の視線の先には、木陰に座るコンヴァリアの姿があった。
---
コンヴァリアは、独りで生きてきた者の目をしていた。
右腕は黒く変色し、蔦のような模様が絡みついている。その異形化した指先は鋭く、どこか危うさを感じさせた。でも、彼女の顔には疲れた優しさが浮かんでいるように見える。
「……本当にいいの?」
コンヴァリアが低い声で尋ねた。その声には迷いが滲んでいて、どこか遠くを見ているようだった。
「私なんかと一緒にいたら、あなたたちまで危険に巻き込まれるかもしれない。」
彼女の目には、自分を信用していないような色が見えた。それは、きっと長い孤独の中で培われたものなのだろう。
---
「それでも、私は一緒に行きたい。」
私は強く言った。自分の中の迷いを振り払うように。彼女の孤独な目を見ていると、どうしようもない衝動が胸を突き上げてくる。
「ずっと一人で戦ってきたんでしょ? その孤独がどれだけ辛いか……私には分かる気がする。」
自分でも驚くくらいに正直な言葉が口をついて出た。
その瞬間、コンヴァリアは目を見開いて私を見た。その表情は、驚きと戸惑いが混じり合っているようだった。
---
「一人でいる方が楽な時もあるのよ。」
彼女は小さくため息をついて呟いた。その言葉には、彼女が背負ってきた孤独の重さが滲んでいるように感じられた。
「森の中で食べられるものを探し、咎狂を避けながら生き延びる。それだけで精一杯だった。でも、誰かと一緒にいると、その人を守る責任が増えるでしょ?」
コンヴァリアは右腕を見下ろし、その異形化した姿をじっと見つめていた。彼女が拳を握りしめた瞬間、どれだけの怒りや悲しみを抱えているのかが伝わってきたような気がした。
---
「それなら、私たちが力を合わせればいい。」
リリシアが静かに口を開いた。その声は暖かく、それでいて確固たる意志を感じさせた。私は振り返り、彼女の穏やかな表情に目を奪われた。
「一人では無理でも、三人なら乗り越えられるかもしれない。この刻印が私たちの運命を縛るとしても、生きるための選択を重ねることはできる。」
彼女の言葉には、諦めと覚悟が交じり合っているようだった。どんな過去を持っているのか、私はまだ知らない。それでも、リリシアの言葉には不思議な説得力があった。
「コンヴァリア、あなたもその一歩を踏み出して。」
---
「……私にそんな選択ができると思う?」
コンヴァリアの声が震えた。その目には涙が浮かび、その感情の奔流が押し寄せているのを私は見た。彼女の孤独と恐怖が、私の心にも伝わってくるようだった。
「もちろんできる。」
私は力強く頷いた。その言葉を口にするたび、自分が少しずつ強くなるような気がした。
「私は、あなたが一緒にいてくれるだけで十分だと思う。それ以上は求めないよ。」
---
その言葉に、コンヴァリアは静かに息を吐いた。
彼女の目尻がわずかに緩み、疲れたような笑みが浮かんだ。それは、私には新しい希望の兆しのように見えた。
「……分かったわ。」
彼女は小さく頷いて言った。
「でも、私のこの右腕……いつかあなたたちを傷つけるかもしれない。その時は……ためらわずに止めて。」
「それでもいい。」
リリシアが答える。その声には何か揺るがない決意が込められているようだった。
---
旅の準備は整った。
革袋に満たした水、焚火で温めた簡素な食事、それらを三人で分け合いながら、少しずつ旅路への覚悟を固めていく。
「これからどこへ向かうの?」
コンヴァリアが静かに尋ねた。
「森を抜けて、さらに奥へ。この世界の真実を知るために。」
私は静かに答えた。その声には、恐れと共に確かな決意が込められている。
朝日が木々の間から差し込み、三人の影がゆっくりと森の奥へと消えていく。