霊刻の咎(れいこくのとが)   作:くにゅたろ

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第75話「鍵の封印」(コンヴァリア視点)

水の音が、祈りのように静かに響いていた。

 

アクア・スペリウスの地下聖堂。

この神殿の最奥、誰も立ち入らぬ禁域に、私は今ひとり膝をついていた。

 

私の指先には、咎霊器の“鍵”がある。

アリセアが手にしてきた、あまりにも強大で、あまりにも悲しい力。

浄化という名を与えられたそれは、確かに咎狂を鎮めることができる。

けれど同時に、その力は世界の構造さえ歪めてしまう。

 

「あなたが、すべての源なのね」

 

私は鍵を見つめた。

紫の光が、私の手のひらの蔦に絡みつくように明滅している。

左腕の蔦は、かつて私が禁忌の儀式で負った異形。

その代償として得た知識が、今ようやく意味を持とうとしていた。

 

アクア・スペリウスの古文書に記されていた、「水封の儀式」。

それは、“咎”そのものを水の循環に還元する、特異な封印法だった。

だが、それを発動するには、咎の媒体として機能する存在が必要だった。

 

——つまり、“咎を内に宿した者”が、自らを代償として鍵を封じる。

 

私は笑うしかなかった。

 

「やっぱり、こうなるのね。滑稽なくらい、予想通り」

 

リリシアは反対した。

フローリアは泣きそうな顔で肩を掴んできた。

アリセアは、何も言わなかった。ただ、目をそらした。

 

私は、みんなに守られてきた。

 

でも、だからこそ、私はその手のひらに咎を残したままではいられなかった。

 

「鍵よ」

 

私は語りかけた。

蔦が揺れる。水脈が震える。

この神殿の聖水は、異界との境界を繋ぎ、封印と儀式の導管となる。

ここでなら、可能なのだ。

 

「私の咎をくれてやる。

 だから、もう眠りなさい。

 もう誰かを代償にしないために。

 ——あの子を、アリセアを、これ以上壊さないために」

 

光が、噴き上がるように鍵から解き放たれる。

水面が歪み、聖堂全体が震える。

咎霊器が共鳴し、私の左腕の蔦が黒く変色し、軋む。

 

痛みは……不思議なほど、なかった。

 

いや、痛みすら感じないほど、私はここに来るまでに——

たくさんのことを諦めていたのかもしれない。

 

「……コンヴァリア!」

 

名前を呼ばれた。

 

リリシアだ。

後ろから、水をかき分ける音とともに、彼女が飛び込んできた。

 

「どうして、一人で背負うのよ!」

 

私は振り返らない。

振り返ったら、迷ってしまいそうだったから。

 

「ごめん。これだけは、私の咎だから」

「バカ……! そんな言葉、もう聞きたくないのに……!」

 

リリシアの叫びが、震えていた。

 

私は、ただ鍵を水面に沈める。

光が、波紋の中で溶けていく。

咎の力が、私の左腕から剥がれていく。

痛みのない感覚が、むしろ喪失を際立たせていた。

 

「あの子には、未来がある。私は、もう……背中を押すくらいしかできないもの」

 

小さく、笑った。

水が腕を包み、蔦が消えていく。

これで、咎の力は私の中から去る。

 

完全に“魔女”としての力を失う代わりに、鍵もまた、その力を封じられる。

 

これが、たぶん、私にできる“選択”だった。

 

全身が軽くなる。

代償として手放すものは多かったけれど——

 

「ありがとう。私を魔女として、見てくれて」

 

私は、最後に鍵の光を見つめた。

 

それは、まるで小さな炎のようだった。

希望のようにも、絶望の残り火のようにも見える。

 

水がすべてを飲み込むとき、私は確かに思った。

 

——これで、終わってもいい。

でも、あの子たちが歩く道は、まだ続いていく。

 

そう思えたから、私は目を閉じた。

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