霊峰ルナーモの風は、どこか清らかで、そして厳しかった。
空気は薄く、吐く息がすぐに白くなる。けれど私は、その冷たさに心地よささえ感じていた。
ここは旅の終着点。そして、ひとつの時代が終わる場所だった。
目の前に、最後の咎霊器が置かれている。
その金属の輪郭は、どこか歪で、けれどかつては希望を映す鏡だった。
それが何人の命を救い、そして何人の命を奪ったのかを思うと、胸の奥が痛んだ。
「これで、最後だね」
隣でリリシアがそっと言った。
彼女の手には、浄化の紋を刻んだ封印具がある。それを用いて、霊峰の封印台座に咎霊器を収める。
私たちはもう何度もこれを繰り返してきた。
咎霊器を封じること、それは罪を、力を、過去を閉じることだった。
「……終わるんだね、私の旅も」
私はそう呟いた。
リリシアは小さく微笑み、私の手を握った。
「旅は終わっても、あなたはまだここにいる。
アリセア、あなたが選んできたことは、誰かの命の形を変えてきた。
それは、終わりじゃなくて“残る”ってことよ」
その言葉が、深く胸に染みた。
咎の力に目覚め、右手が異形化し、仲間に憐れまれ、誤解され、でも信じられて——
そのすべてが、私の旅だった。
私は、世界の“代償”を肩代わりしながら、自分の居場所を探してきたのだと思う。
私はそっと咎霊器に触れた。
指先に、かすかに熱い感触。
それはもう暴走しない。ただ静かに、私の内側と呼応している。
セラヌスが遠くからこちらを見ていた。
彼女は何も言わなかったが、目がこう語っていた。
「これで全部終わると思うなよ」
——うん。私もそう思ってる。
咎霊器は一つひとつ封印され、力を失った。
けれど、それを求める者がいなくなるわけじゃない。
新たな咎霊器を造ろうとする者も、異形化を力として崇める者も、きっとこれから現れる。
だからこそ、今、終わらせなければならないのだ。
この“連鎖”を。
封印具が刻印台に置かれると、台座が紫に発光し、淡い霧が立ち上った。
霊峰ルナーモの力が、それを静かに受け止める。
「これで、全ての咎霊器は……封じられた」
リリシアがそう言ったとき、私は深く息を吐いた。
ようやく終わった、と思った。
——けれど、その瞬間だった。
私の右手が、かすかに疼いた。
かつて異形化していた箇所。今はもう人の形を取り戻していたはずの、その手が。
「……アリセア?」
リリシアが私の顔を覗き込む。
私はその場に膝をつき、右手を見つめた。
痛みではない、熱でもない。
もっと深く、もっと根の底から響いてくるような何かが、そこにあった。
「……終わってない」
私は震える声でそう言った。
「まだ……私の中に、残ってる……“咎”の気配が……」
空気が揺れた。
風がざわめく。霊峰全体が、何かに反応するように、低く鳴いた。
「でも、それはおかしい。咎霊器は全部封じたし、あなた自身ももう……」
リリシアの戸惑いの声が耳に届く。
——そう。すべてを終わらせたはずだった。
それでも、私の中に“何か”が残っている。
それはきっと、咎の欠片。
世界中の“代償”を吸い込んできたこの身体の、最深部に沈んでいたもの。
封印では届かない、私自身の“咎”。
「ねえ、リリシア……もしかして、私……」
私はそこで言葉を止めた。
自分で口にしてしまったら、もう後戻りできなくなる気がした。
リリシアは黙って、私の肩に手を置いた。
「……なら、それも“あなたの選択”で決めればいい」
私は、その手の温もりにただ頷いた。
世界の咎を浄化してきた私が、最後に浄化しなければならないもの。
それが——私自身なのかもしれない。
風がまた吹いた。霊峰の雪を巻き上げながら、私たちの頬を撫でていく。
終焉は、まだ終わっていなかった。