風が変わった、と感じたのは、もういくつ目の都市国家を巡った時だっただろうか。
霊峰ルナーモで最後の咎霊器を封印してから、私たちは、各地を歩いた。
セプタ・アエテルナの石壁の影に咲いた花を見て、アクア・スペリウスの水路に映る月光に祈り、フェリス・インファーニスの火の谷で子どもたちの笑い声を聞いた。
咎に覆われていた世界が、少しずつ変わり始めていた。
魔女たちは、自分たちの力と向き合う場所を手に入れた。
都市の人々もまた、恐怖からではなく、理解と共存の中で新たな秩序を築こうと模索していた。
そのすべてが、私たちの旅が残した“痕跡”なのだと、私は思いたかった。
けれど、完全に終わったとは、どうしても言い切れなかった。
「……アリセア、疲れた?」
そう問いかけたのは、リリシアだった。
私たちは今、翠光の森を抜けた先にある小高い丘に腰を下ろしていた。
眼下には、新たに築かれた魔女の集落の灯が、星のように瞬いている。
「ううん、まだ終わってない。むしろ……ようやく始まったのかもしれない」
私は空を見上げる。
夜は静かだった。咎の影に染まった雲はもうなく、月が澄んだ光で地上を照らしている。
「咎霊器は封印した。魔女たちにも自由が与えられた。
でも、“咎”そのものが消えたわけじゃない。
あれは“力”として、誰かの心にずっと残ってる」
私はそっと、自分の右手を握った。
かつて異形化したその手は、いまや普通の肌の色に戻っている。
でも、感覚の奥には、あの“疼き”が確かに残っていた。
「あなたが受け取った咎は、世界が押し付けたものだった。
それでも向き合って、背負って、ここまで来たのよ。……私には、もうそれだけで十分に思える」
リリシアの言葉は、優しさと痛みが混じっていた。
私が選んだ道は、いつも他人の願いや代償に囲まれていた。
でも、だからこそ最後の選択は、自分の意志で決めたいと思っていた。
「この世界にはまだ、たくさんの“終わっていない物語”がある。
都市国家の再建も、咎の監視も、そして……新たな争いの芽も」
「ええ。でも、それを誰かが見ている限り、きっと“未来”にはなるわ」
リリシアがそう言って、隣で微笑んだ。
その笑顔は、かつて“誰も守れなかった”と泣いていた彼女とは、まるで違っていた。
今のリリシアは、信じることができている。私たちが歩んできた道と、その先に広がるものを。
私は思い返す。
咎に飲まれかけたコンヴァリアの静かな決意を。
過去と向き合い続けたセラヌスの怒りを。
自らの記憶を代償に、誰かの未来を照らしたフローリアの祈りを。
「……私たちの旅は終わった。でも、これからは“世界”の旅が始まるんだと思う」
誰かがまた咎に手を伸ばすかもしれない。
力に魅入られ、同じ過ちを繰り返すかもしれない。
でも、その時は——
「今度は、“私たち”が止める。選び直すことを、教えてあげられる」
私は、リリシアと並んで立ち上がった。
夜風が二人の間をすり抜ける。焚き火の火が揺れ、星が瞬いた。
歩き出そう、と私は思った。
この右手にまだ残る“咎”の気配と共に、それでも私は前を向いて歩いていく。
「旅の終わりは、いつも、新しい旅の始まりになる」
それが、私たちの歩いてきた道の、唯一の答えなのかもしれない。