夜の闇が廃村を覆い尽くしていた。
月明かりが木々の間から細く差し込み、朽ちた家々の影を浮かび上がらせている。私たちはその一軒家に身を寄せ、冷たい夜を凌ぐ準備をしていた。
リリシアが古びたテーブルの上にランタンを置き、淡い光が部屋を照らした。埃まみれの家具やひび割れた壁が、ここにかつての生活があったことをかすかに物語っていた。
「アリセア、大丈夫?」
リリシアの声が優しく響いた。私は返事をしようとしたが、胸を締め付けるような痛みに息が詰まり、ただ首を振るしかなかった。
---
刻印が疼いていた。
右手を布で隠しているのに、それでも模様が光を放っているのが分かる。蔦のような模様が脈動し、冷たい火が燃えるように腕全体を蝕んでいる感覚だった。
「無理をしすぎたのね。」
リリシアが膝をつき、私の額に手を当てた。その手のひらは驚くほど温かく、痛みの中にほんの少しだけ安堵を与えてくれる。
「刻印がここまで暴走するなんて……普通じゃないわ。」
彼女は静かに呟きながら、布越しに刻印を撫でた。その手つきには、母親が子供をあやすような優しさがあった。
---
コンヴァリアは部屋の隅に立ち、右腕を抱えるようにしながらこちらを見ていた。
「これ以上刻印を使い続けたら……どうなるか分かっているの?」
彼女の声は冷静だったが、その奥に恐れと不安が滲んでいた。
「でも……誰かを救うためなら……。」
声に出した瞬間、その言葉が自分をどれほど追い詰めるかに気づく。私の身体はもう限界だった。それでも、動かないわけにはいかない。そう思っていた。
「アリセア、あなたは自分を犠牲にしすぎている。」
コンヴァリアがため息混じりに呟く。その視線はどこか遠く、自分自身に語りかけるようでもあった。
---
リリシアが、小さな革袋を取り出した。
「とにかく、今は休むことが最優先よ。」
彼女は布に水を含ませ、私の右手を優しく拭った。冷えた布が刻印に触れるたび、模様がかすかに光る。その光は生き物のように蠢き、見ているだけでぞっとするような不気味さを感じさせた。
「これ……異形化が始まっているのね。」
リリシアが低く呟いた。その声には恐怖が混じっていた。
コンヴァリアが近づいてきて、異形化した私の右手をじっと見つめた。彼女の右腕もまた異形化が進んでおり、黒い蔦のような模様が肩まで達している。
「この腕、私と同じようになるのかもしれない。」
コンヴァリアが力なく呟いた。
---
私は顔を伏せた。
「……怖いです。」
弱々しい声が自分の口から漏れたのが信じられなかった。それでも、胸の奥に押し込めていた恐怖が溢れ出していた。
「大丈夫よ。」
リリシアが私の頭をそっと抱き寄せた。彼女の温もりが、冷え切った身体にじんわりと染み込む。
「あなたは一人じゃないわ。私たちが支えるから、何も心配しなくていい。」
その言葉は優しく、力強かった。
---
しばらくして、私は目を閉じた。
痛みは残っていたが、二人の存在がどこか私を安堵させてくれた。意識が薄れる中で、ぼんやりと聞こえる二人の会話が耳に届く。
「これ以上、彼女に刻印を使わせてはいけないわ。」
リリシアの声は静かだったが、その響きには確かな決意が込められていた。
「でも、アリセアは止まらない。あの子は、自分が壊れることを気にしていないもの。」
コンヴァリアの声が低く響く。その言葉には、自分自身への苛立ちと諦めが混じっているように感じた。
---
月明かりが差し込む廃村の静寂の中、刻印の光だけがかすかに部屋を照らしていた。
ランタンの炎が揺れ、壁に不気味な影を作り出す。二人の視線が私の右手に集まり、その模様を見つめていた。
「彼女を守れるかしら……。」
リリシアが小さく呟いた。その声が、私の意識が完全に途切れる直前に聞こえた最後の言葉だった。