龍血の一族   作:流々毎々

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龍が生まれた日

 

「ぜえ…はあ…」

 

 龍血の郷に踏み入った数多の魔物を迎え撃った王子はかろうじて勝利を収める事が出来た。自らが手に掛けた魔物の数は既に20体を超えようか。物言わぬ(むくろ)と化した怪物たちの死体の山に囲まれながら、王子は肩で息を切らしながらその場に佇んでいた。

 他にもまだ遠目に魔物の姿は確認できていた筈であるが、王子の鬼気迫る抵抗と惨殺された同族の数の多さに恐れをなしたのか魔物たちは一時的に逃げ帰ってしまった。

 

 何とか魔物どもの撃退に成功した王子であったがその代償は大きい。魔物との戦いで負った全身の傷からは焼きごてのような熱を持ち、魔物の鋭利な牙で噛まれた左足は肉が抉れ露出した骨が折れ曲がり足先が明後日の方向に向いてしまっている。さらに道具を使う程度には賢しかった敵が投げた投擲物(凶器)が体にいくつも突き刺さってしまっている。腕や胴体に刺さる尖った石や骨。或いは朽ちて錆びた鉄くずは王子の体から出血を強いて、まるで毒蛇の歯牙に掛かったかのように彼から体力(けつえき)を奪い続ける。

 そして棍棒を振り回す魔物に殴られた影響か、肋骨の何本かにひびが入り息をするたびにその箇所に激痛が走った。

 

 右手に握りしめていた直剣は激しい戦いにより、その刀身が半ばから折れてしまっている。あまりにも力強く剣の持ち手を握っていた影響か手の筋肉が硬直してしまい指が開けず、その手の平は柄と握力の摩擦によって皮がズル剥けになっており酷く痛々しい。

 だが反対の左手の怪我はもっと酷い。郷に踏み入った魔物の数が多く孤剣だけでは飛び掛かって来る敵を捌き切れなかったのだ。その対処に王子は何度も魔物の硬い体を素手で殴りつけ距離を取った。殴り続けた影響で脱臼してしまった指は碌に動かず、手の甲からは折れた骨が皮を突き破り左手は歪な形に変形してしまった。

 

 誰が一見しても王子の体はボロボロだ。再度、魔物の進行が起きてしまえば今度はそれを防ぐことが出来ず満身創痍の彼は殺されてしまうだろう。

 死に体となってしまった王子だがその眼はまだ熱を失っていなかった。龍血の一族(家族)を皆殺しにされてしまった恨みと怒りの激情が、死に掛けている彼の体に息吹を吹き込みその命をかろうじて繋ぎ止めていた。

 

 しかし現実は残酷で。王子がどれだけ不屈の意思を持とうとも只人である彼の体は致命傷を受けた事によって死の淵に徐々に向かっていた。

 狭窄し始めた視界から自分の意識が失い始めている事を自覚する王子であったがこれといった解決策がすぐ思いつくことはない。彼を助けてくれるような第三者はおらず、また大怪我を負った体では動くこともままならない。

 

 例え彼の体が動いたとしても力辱を受けたばかりの龍血の郷はあらゆる物資が焼け落ちてしまっていた。包帯や傷薬さえないこんな状況では治療さえままならないだろう。

 

 つまるところ王子の今の状態は限りなく詰んでいた。それこそ、奇跡でも起きない限り助からないだろう。

 

「ま、まずい。このまま意識を失ったら本当に死んでしまう…」

 

 最低限、いま出血してる血を止めなければ失血死は免れない。そしてこのまま気を失い、野ざらしに体を横たえればまた戻って来た魔物に身体を食い散らかされるのは必須だ。

 

「はあ、はあ…どうにかしないと。せめて止血だけでも…」

 

 何とか体を動かそうとする王子であったが彼の意思とは正反対にその足は歩き出す事も出来ずに膝が折れ、地面に沈んで行ってしまう。魔物との生き死にの戦闘で興奮状態であった王子の体調は徐々に落ち着きを取り戻し、そのせいか体は風に煽られるだけでも激痛が走る。

 とうとう身体を持ち上げる事も出来なくなった王子は地面に膝を付き上半身はかろうじて倒れないだけで項垂れてしまう。

 

「僕は、ここで終わってしまうのか」

 

 悔しかった。何もできない自分が。いくら天上に吠えようとも何も変える事が出来ない己の無力さが。ここまで必死に命を燃やそうともたった独りの頑張りでは、この世界に生きる多くの者たちからほんの少しも見向きもされない現実が。

 王子の決死の思いなど、対して珍しくもない数十体の魔物にたかられるだけで潰えてしまうか細い灯でしかないのだ。

 

 彼は現状を何も変える事が出来ない。怪我をすれば弱り、囲まれれば押しつぶされてしまうだけの人間であるが故に。不条理を、理不尽を前に叫び嘆くことは出来てもそれを撥ね退ける力がないありふれた凡夫。

 人独りの力では世界と渡り合う力には到底届かないのだ。

 

 只人を超越した暴力こそが世界に抗うことを許された唯一の権利なのだ。

 

 残念ながら王子にはそんな都合の良い天からの授け物などなかった。

 やがてゆっくりとではあるが彼の瞼が閉じ始める。抵抗できぬ泥沼のような鈍痛と虚脱感が彼の体を支配しその意思を奪い始める。

 本来なら王子の物語はここで幕を閉じる筈であった。全てを奪われ、復讐を誓えども何もなせず歴史の片隅に埋もれていくどこにでも有り触れた悲劇。

 

 だがここに奇跡が起きる。王子の潰えようとするその命に息吹を吹き込まんとするものが現れるのだ。

 しかし気を付けなければならない。無価値な石ころを捨てる神もいればそれに価値を見出し拾い上げようとする存在もいる。だがそれが万物の救いの主である確証はどこにもない。

 

 危機に陥った人間に微笑むのは救世主だけでないのだ。それが地獄から這い上がろうとする悪魔でない保証などどこにもないのだから。

 

ー力が欲しいかー

 

「ッ」

 

 突如として頭に響いく恐ろしくも力強い声が聞こえて来た王子は、項垂れていた頭を跳ね上げるように持ち上げ思わずあたりを見渡した。だが彼の周囲には依然動く者などおらず、朽ち果てた同胞の亡骸が変わらず鎮座するのみである。

 

 すわ今わの際に聞こえた幻聴か…

 そう判断仕掛けた彼の耳に、否。その魂に再び言葉が木霊する。

 

ー復讐の力が欲しいか。我が血を受けし継し一族の生き残りよー

 

「あ、貴方は…僕に話しかける貴方は一体何者なのですか!?」

 

 これは幻聴ではない。ましてや今わの際で見る走馬灯でもない。確かに意思を持った存在が己と意思を疎通しようとしている。そう確信した王子はどこか懐かしさを覚えるその声の主に問いかける。

 

ー我が名はアトゥルム。汝らが崇める守護龍也ー

 

「アトゥルム、様?…」

 

 守護龍アトゥルム。今わ昔の創世の時代に神々と争った最も巨大な龍。神々と龍との戦火において滅亡の危機に瀕していた龍血の一族の祖を救い、彼らに救世をもたらした大いなる存在。

 惜しくもアトゥルムは神々との戦いに敗れてしまったが、その姿は生き残った龍血の一族に脈々と受け継がれ彼らを庇護する偉大なる古龍として今日まで崇められてきた存在である。

 

 龍血の一族がかの古龍に対する畏敬の念は大きく、原始的な生活を送る中でも村の中心に立派な祭壇を用意していることからその思いの強さがうかがえる。

 子供の頃からアトゥルムの逸話聞いて育った王子もその事に例外は無く、毎日の祈りを欠かさず行って来た心のよりどころでもある。

 

 伝説の存在。龍血の一族を救世した偉大なる守護龍。それがアトゥルムである。

 

 だからこそ王子の驚きは大きい。過去に確かに存在した。そして我らを救ってくれた。それを信じる事は出来る。疑いの余地すらわかない。しかし、アトゥルムは神々の戦いで敗れたのである。その肉体は王子たちが住む大陸の基礎になったとさえ謳われている。そんなアトゥルムが未だに生きているとはどうやって想像出来ようか。

 

 唯一、龍血の一族でアトゥルムと交信できる巫女がいる。だが王子はそれを一族の希望として行う一種の優しい嘘(パフォーマンス)だと割り切っていた。なんせアトゥルムの存在を確かめる事が可能なのは100年に一度生まれる龍血の巫女だけなのだから。

 

 そんな存在が、伝説に謳われる龍が、特別な巫女にのみ交信が可能なアトゥルムがいま只人の王子に語り掛けているのである。故に彼の驚きもひとしおであった。

 

 その王子の姿を気にせず、アトゥルムは言葉を綴る。

 

ー汝の怒りと悲しみが我を再び微睡びの底(死の世界)から呼び覚ましたー

 

 最初は驚いていた王子だが次第にアトゥルムのその言葉に耳を傾ける。それが本物なのか偽物なのかなど彼には関係ない。魔物との激闘により体が壊れてしまった王子にはもうそうするしか選択肢が残されていないのだから。

 

ー郷を壊され、一族の命を穢され、運よく生き残った汝の命もまた付き欠けているー

 

「ならば…ならば僕らはどうすればよかったのですか!アトゥルム様!!このまま何も成せず、踏みつぶされる道しか残されていないなどあまりに不条理ではないですか…」

 

ー我が力を受け入れよー

 

「力…?」

 

ー我の、この古龍の力をその身に宿すのだ。そして果たせ。汝が思うがままの復讐の道程をー

 

「…」

 

 王子にとってアトゥルムの言葉は麻薬の魔力にも似た禁忌の提案だった。そしてそれが人を止める事にもなる事を本能で察する。己は今から人の道を外れた復讐の獣と化すのだ。

 

 外道に落ちることに生じるわずかな躊躇と嫌悪感。

 

 だが―――

 

ーそして思い知らせねばならん。おごり高ぶった連中に、蔑まれ敗者の汚名を被ろうとも、我らは生きることまでは捨てていないとー

 

 王子の内に宿る怨嗟の呪いが、烈火の怒りがその迷いを燃やし尽くす。ただ静かに生きたかった。平穏に暮らしたかった。そのために豊かな地からこの危険蔓延る辺境に身を移したと言うのに、そんなささやかな願いさえ許さない富める者ども。何も持たぬ我らから唯一残った命まで奪おうと言うのだ。許せる訳がない。

 

 王子は願う。そんな世界、壊れてしまえばいいと。いいや、己が壊すのだ。

 

 その為なら、彼はどんな存在にだってなり果てる。

 

 故に。

 

「力を、アトゥルム様の血を僕に下さい!その力で、この世界の全てを食らい壊し尽くす!僕は復讐を望む怪物()だ!!」

 

 契約は成った。

 アトゥルムのつぶやきと共に王子の体に何かが流れ込む。傷付いた体をさらに壊し、まったく新しいものへ造り直す。人ではない怪物へ誘う魔道の儀式。

 王子は強大な力を手に入れる代償に人としての生を捨てる。

 

「ぐぅ…うああッ、がああああ!!」

 

 作り変えられるその体の過程で、人としての王子は死に絶える。それがどのように世界へ広がる波紋に繋がるかはまだ未知数である。確かな事は創世の時代から久しく経ったこの世に、新しい龍が一体、生れ落ちた事だ。

 

 復讐を誓う若き龍はしばしの間微睡みに意識を失う。しかしそう長くない時の後に目を覚ますだろう。彼の瞳が世界を映した時、生きとし生きる者たちの全てが思い出す事になる。

 果てしない龍と言う脅威とその巨大な力の本流を。

 

 今はただ、アトゥルムのみが王子の誕生を静かに祝福した。

 

――――――――――

―――――

―――

 

『ごめんなさい。本来ならこの仕事は私の役目だったのに…』

 

 そう言って、とても申し訳なさそうにする婚約者(皇女)に王子は気にしないでくれと気軽に返答した。龍血の郷と交流をしてくれる数少ない外の村の一つ。この辺境にある場所でそれは龍血の一族にとっての生命線だ。

 その村に所用で出かけなければいけなかった皇女が怪我をしてしまい、代わりに王子がその使いを果たすことになった。

 

 正直に言えば色々な偶然が重なって一人で隣の村に行かなければいけなくなったことに不安はあれど、皇女の手前、王子は堂々と任せろと見栄を張った。

 彼は将来を誓いどんな困難からも守ると啖呵を切った恋人に情けない姿を見せたくなかったのだ。故に彼はことさら格好つけて己の胸を叩き太鼓判を押す。

 

 そんな王子の虚勢をきっと皇女は見抜いていたに違いない。故にどこか困ったように眉を下げつつも彼の誇りを傷つけないために、彼女はそれに気付かない振りをする。

 

『役目を肩代わりしていただいた私が言えたことではないのですが…ただ無事に帰ってきてください。愛しい人』

 

 皇女から伝わる真っ直ぐな好意にどぎまきしつつ、王子はその言葉を真摯に受け取る。なぜならこの役目の後、帰ってくれば自分と彼女の祝言が待っているからだ。それに差し障るような下手な怪我などする訳にはいかなかった。

 龍血の郷での生活はいまだ安全には程遠く、厳しい現実を突きつけられるばかりな日々ではあるけれども、王子はその未来に希望があることを疑わなかった。皇女と共に歩めるならばいかなる困難でも乗り越えれると信じていたからだ。

 

『いってらっしゃいませ。あなたの帰りを一番に迎えるために、私は毎日、ここであなたの帰りを待っています』

 

 怪我の療養に集中してほしいと思う反面、彼女の心使いが王子にはありがたかった。己の帰りを待ってくれている家族がいる。それだけで彼の体には無限の勇気と力が宿るからだ。

 王子は進む。険しき道なれど、決してそれだけではない未来を信じて。

 

 そんな過去の思い出を夢に見ながら王子は目覚める。ゆっくりと身を起こす彼の傍に帰りを待っていてくれた彼女はいない。旅に出た彼を迎えるために村の入り口で待ち続けていた彼女は、きっといの一番に郷を襲った凶手に命を奪われたのだろう。

 

 彼女の言葉も笑顔も未来も、二度と王子は得る事が出来ない。改めて突き付けられる現実に狂おしいほどの哀愁と怒りが彼の体を襲うが、頭の中はそれに反するように静かであった。凪のような面持ちを抱きながら王子は己の体を見下ろす。

 

 魔物との戦いでボロクズのように擦り切れていた体の面影はなく、そこにあったのは赤と黒の配色が複雑に絡む新生された龍の肉体であった。

 

 両の腕は龍の鱗で覆われたドラゴンガントレット。龍の鱗は鋼より硬くあらゆる剣を弾く盾となるだろう。さらに右腕からはずっと握りしめていた折れた剣と混ざり合ったのか収納式の鍵爪が飛び出る。軽く振るったそれは鉄をも切り裂く鋭い刃だ。

 次に目に映ったのは太腿を覆う大樹のような筋肉と脛を包む外骨格を持つドラゴンレッグ。ひとたびその足で踏み出せば、地平の彼方まで最速で踏破できる全生物一の強靭な龍脚。

 

 そして一番の違和感。腰の少し下。尾てい骨から伸びるドラゴンテイル。骨が結合した、人体で例えるなら背骨のような突起物を生やす尻尾の先端はまるで龍の(アギト)のように二股に分かれていた。試しに動かしてみると骨の結合部分が外れ、中に納まっている軟体生物のような筋繊維の働きにより見た目以上に尻尾が伸びる。人の歩幅でおおよそ10歩分の射程がある事を王子は把握した。

 

 只人ではありえないその生まれ変わった己の姿に、されど王子はそこまでの衝撃は受けなかった。

 ただ静かに変わり果てた自分の姿を凝視していた彼に、アトゥルムが語り掛ける。

 

ーその異形の姿は汝が復讐の力を手に入れた証ー

 

「復讐の力。これが…」

 

 アトゥルムに諭されることによって王子はようやくその実感を得る。

 

ー古龍の力を宿したものを止められる存在などいやしない。それを手に入れた汝はようやく奪う側に立ち、怨敵共に報復する権利を手に入れたのだー

 

 やってやる。もはや王子に迷いの心はない。わずかに残っていた良心も龍に生まれ変わった事により削ぎ落された。ふらりと立ち上がった彼は地平の彼方をねめつける。報復を受けるべき敵の姿を夢想しながら体に漲る力を奮わせる。

 獣の心と人の執着を合わせ持った最後の龍は、その顎で怨嗟の元の宿敵の喉笛を食い千切るまでその歩みを止める事はないだろう。

 

 今にも駆け出して行きそうな王子にアトゥルムは警告の言葉を発する。

 

ー気を付けよ。前方から忌まわしき気配がするー

 

「忌まわしき気配、ですか?」

 

ー我の、我らの宿敵。白神の使いだー

 

 アトゥルムの忌々しそうなその言葉の後に、何かがこちらに駆け寄って来る音を王子の耳が拾い上げる。ドドッ、ドドッと規則正しい力強い足音からその存在が生中な相手では無いことを王子は感じ取る。

 

 ほどなくしてそれは彼の前に辿り着く。神々の使い。人類の守護者。古龍の天敵。神の先駆者(ディーヴァ)の名を関する正義の賢者。

 王子とて今日までその存在の噂は聞けど実際に目にするのは初めてだ。

 

 神の命令を忠実までに遂行する異形なる使徒。きっとその裁きを受ける罪人は彼の使者と同じように顔から血の気が引く(青ざめる)のではないだろうか。

 

 白神の使者。青ざめた馬(エクウス)が王子の眼前にその姿を現した。

 

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