嵐の吹き荒れる丘より。   作:■■■■■

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『嵐が丘』を読む
→「嵐が丘をどうにかブルーアーカイブに落とし込めねぇかな……」
→書いたはいいものの字数が増えて書き溜めが出来てない
→う・知・ぶ(うるせぇ知るかよぶっとばすぞ)

九割はノリ、残り一割は性癖(タッパのでかくて自己肯定感の低いかっこいい女が曇るのっていいよね)で書きました。対戦よろしくおねがいします。


嵐が丘より。

『「一側面しか知りえない存在を、完全に復元出来るのか」──時折、わたしはこう考えることがある』

『……なんと?』

 

 夜の寝静まった邸宅の居間で、本を読んでいた時の事だった。

 隣にいたジョウゼフ様が不意に開いた口だったので、意味がわからなくて、聞き返した。

 

『わたしの研究についての話だよ。わたしたちは普段目にしている存在しか知りえない。机を机の形でしか知らないように、椅子をそう設計された椅子としか知りえないように。また、人間の表の顔のみで人間が出来ていないように、人間の裏の顔のみで人間も出来ていないように。複雑な形で、そして奇跡的な配分で全てのものは出来ている。だから一概に、特定のものを完全に区分するのは、実際のところは不可能に近い。……わたしはさまざまな、この都市で言う、生徒と呼ばれるもの、怪談というもの、都市伝説として扱われるもの、……そういったものの情報を蒐集して、研究の糧にしているけれど、その崇高の完全形というものを、神秘、もしくは恐怖という一側面しか知らずに、果たして崇高を自らの手でクローニング出来るのか、なんて話だ。……難しい話だったかな』

『はい。まったくわかりません』

 

 パタリ。本を閉じて、ジョウゼフ様に目線を合わせながら言った。

 ジョウゼフ様はすこし唸った。

 

『そうだな、……どうにか例えを作ってみよう、……ふむ、では、この窓の向こう側に、円を形どっているものがあるとしよう。わたしたちはそれを、この窓越しでしか認識できない。けれどそれは、窓を越えて、横側を見ると、円錐、つららのような形をしていたのさ。それをわたしたちは、窓からの見せかけだけでなく、窓からでは見えない形をも含めて、完全な同一物として作り上げられるか。……という事で、通じるかな?』

『……』

 

 すこし考えて、私は言った。

 

『……できると思います。なぜかは、……その、言えませんけど。でも、ジョウゼフ様に出来ない事なんて無いですから』

 

 そう言うと、ジョウゼフ様は儚げなように笑った。

 

『ああ、そうだったらいいな』

 

 そうだよな、キャサリン。

 ジョウゼフ様は、写真立てに映る子供を見て、そう呟いていた。

 それをただ、ぼんやりとだが、覚えている。

 

 


 

 

 キシ、キシ、キシ。私は木製の廊下を早歩いて、一つの寝室へと向かう。

 執事服の胸ポケットにある懐中時計を見ずとも、自覚しているだけで、およそ三分以上は遅れているのだ。

 私の住まうここは、常から強風の吹き荒れる丘に建つ豪邸。常から曇って日の射さない屋敷。

 かつて復讐鬼によって没落させられて、しかし、その子孫たちが尽力したことで、上流階級へと返り咲き、だが他の人間たちとは孤絶した立ち位置となった一族の館。

 名を、「邸宅」。

 他人の言うには、「嵐が丘」。

 そう呼ばれているゆえんの通り、この邸宅は広い。単なる移動に十分も掛けるなどよくある事であるがために、私は走ることなく、しかし、可能な限りの速度で早歩いて、事柄に間に合わせんとしていた。

 そうして、とある部屋の前に着けば、すこしばかり異様な光景が見えた。

 純粋な働き手であるワーカー、招かれざる客の追放者も兼ねたバトラー、邸宅の敵対者と亡霊を必要であれば狩るハウンド。この館の総員が立ち並んでいた。

 そうするというのは、非常に効率が悪い事であるので、こうして全員が立ち並ぶ必要性はない、合理性に欠けていると言っておきたかったが、

 

「主任、ずいぶんと遅れましたよ」

「把握しています。普段の終了時刻から、……五分二十二秒の遅れ。主人寝室前への移動時間も加味すれば、七分五十六秒の遅れ。ここまで業務に支障をきたすとは、私自らでも思いませんでした」

 

 日ごろから胸ポケットにしまってある、かつてプレゼントされた懐中時計を見て、私の遅刻を明瞭にする。約八分の遅れ。常態であれば考えられないほどの体たらく。

 これを鑑みれば、私にこの非合理的な行動を咎める権利、というものは存在しなかった。

 

「ジョウゼフ様は主任との二人きりでの対話を望まれていました。早く行かれてはいかがでしょうか?」

「ええ、わかっています。指示をしましょう。総員を業務に、……いいえ、ここで待機させておくように。このあとは私から連絡します」

 

 承知と言う声と共に、姿勢が正されて、衣服の擦れた音を聞き届けてから、私は主人への寝室へと入る。

 そこには床に臥せって、ずいぶんとやせ細っており、瀕死の人間特有の死臭をまとわせている、現当主であるジョウゼフ様がいた。

 ジョウゼフ様は私を見てすぐに、

 

「ああ、来てくれたのか、……わたしに顔を見せてくれないのかと思っていたよ」

「失礼しました。本日はおよそ八分ほどの遅延をなさってしまいました。その非は、焦燥を隠せず、業務を粗雑にしてしまった私にあります」

「気にする事はな、ガホッ、ガホッ! ……ああ、失礼したね。……君は、こんな時でもきっちりしているな。……幼い頃から変わらないようで、ありがたいよ」

 

 と言って、そばに寄って来ては膝を付いた私の、半分から折れたままの角、右を伸ばした、白の入り交じる黒の短髪、色黒の肌で、火傷跡のある右の頬全体を力無く撫でる。

 血色の無く、血脈を感じられない手の冷たさ。私を見る、弱々しくなった紫色の目。その2つが、ジョウゼフ様の死が近い事を直感させられていた。

 

「わたしはもう永くない。わたしが残せるのは、……ゲホッ、ゲホッ! ……この邸宅の他には無い。しかし、この館も、もう持たないだろう。解体するなり、売りに出すなり、……君の役に立つように使ってほしい」

「ですが、バトラーやワーカーたちはどうするのですか? 彼ら、彼女らにも、生活や家族、教育といった様々があるでしょう? 彼らはすでに、この館に縛られた身であります。ここで生活する他には、生きる術を持ちません。私は、バトラーたちを切り捨てるわけにはいかないのです」

 

 静けさが一瞬、部屋を支配し、ああ、そうだったなとジョウゼフ様は呟かれた。

 老いも、病の侵食もあるのだろう。聡明さが欠けてしまったジョウゼフ様を見るというのは、気分を悪くして、どことなく眼を背けてしまいたくなる感じがした。

 ──ジョウゼフ様は、治らない病に罹られた。外の医師を呼び、多様な薬を試し、それでも、もはや手遅れだろうと予言させられたのだ。

 診察した医師は言った。老衰も、気の弱りも重なっている。生きていられるとしても、三年程度が関の山だろうと。

 その予言は、より時期が早まってしまった形ではずれ、いま、こうして寝台に臥せっている。

 

「ああ、君に、何も残せない、……いいや、『嵐』を残した邸宅という、強すぎる負の遺産だけを残してしまったな、……君を、ずっとこの館に縛りつけてしまった」

「いいえ、そうではまったくありませんでした。捨て子であった私を拾って、ここまで育てていただいたのは、間違いなくジョウゼフ様の尽力です。貴方が私を、この邸宅に招いていただいたからです」

「褒めないでくれ、……わたしは、やってはならないことをしてしまったんだ、……君に、やってはならないことを、ゲホッ、ゲホッ、ゲホッ! ……だから、やめてくれ」

 

 どうして、私の恩人を見下さなければならないのだろうか。

 ──私は捨て子であった。

 キヴォトスという極まった銃社会の中で、住む家は持たず、衣服はボロ切れで、食は食べ物とは言えないものを食む。ましてや、銃なんて高級品は一挺も持たざる身であった。

 寒空の下、食えないゴミの散乱する地面で起きて、何年も使い回したボロ布を着て、見つけられた食べられるゴミを噛んで、僅かな稼ぎは奪われて、そうして、汚されていく。

 汚らしい身なりで、いつかは撃たれて、あるいは飢えて死んでいくのだろうと、ぼんやりと考え、何もかもが不全な社会に怒って、憎んで、亡霊のように生きてきた。

 いいや、気持ちの上ではほとんど死んでいた。

 

『そこの浮浪している子供。来るかね、わたしの館に。──嵐が丘に。君の望むものをきっと、揃えよう』

 

 そう言われて、どうせ意味の無い生であるからと、着いて行ったのをいまでも覚えている。

 どうせ暴行を受けて、捨てられて、そのまま野垂れ死ぬ。ようやく苦しいだけの生命が終わる。

 そう夢想して、それでも、受けた待遇は違った。

 風の当たらない、暖かい寝床を与えられた。汚れ一つ無い、着心地のよい衣服をずっと着ていられた。おいしいご飯を三食も食べられた。

 一口かじったパンの味を今でも覚えている。質素で、有機的で、雑味の無い、ただおいしい味。涙の染み付いた味。

 私はジョウゼフ様に「生」をもらった。窒息していた私に空気を分け与えてくれたのは、まぎれもないジョウゼフ氏だった。

 だから、私はあの日、名付けてもらった名前を呼んでもらいたかった。

 

「……私を、安晶(あんしょう)レイと呼んでください」

「……ああ、安晶レイ、……わたしの娘、……」

 

 ジョウゼフ様はそう言って、少しずつ、血の脈動が減っていって、かすかになっていって、

 

「レイ、……自由に羽ばたいておくれ」

 

 ついには止まったのが感ぜられた。すっかりと蒼白した顔色が、それはもう人間ではなく、単なる遺体であることを伝えていた。

 金色に鈍く輝く懐中時計を見れば、十一時三十八分十二秒の時刻であった。

 不思議と、涙は出ないものだった。

 悲しくはあっても、ただ悲しいというだけで、それが表情として形にならない。

 ……やはり私は、冷血で、強情、そして人の心など持たない、化け物のような性分であるのだろう。

 普通の人は、親しい人の死を目の当たりにした直後に、時計を見ないと聞く。普通の人は、遺体にすがり付いて泣くものだと聞く。

 それでさえも満足にできない私は、恩知らずで、人にも劣る虫畜生、──そう、虫畜生も同然だ。きっと、そうに違いない。

 そう思いながら、形式的な慰霊のように両手を組んで祈り、そのあと、立ち上がってドアを開いて、

 

「これより私、安晶レイが名実ともに邸宅の当主です。方針はジョウゼフ様が存命であった時から変わりません。『嵐』に備えて訓練を積む事、招かれざる客の排除をする事、そして、邸宅をたった一代であろうとも、永く存続させる事。その三条のみです」

 

 しかし、これだけでは冷血が過ぎると思い、

 

「……しかし、今日は特例としましょう。喪に服し、悼んでください。それも、人の権利であって、また、この邸宅のためでもありますから」

 

 と言って、私はそこから離れた。

 私が遠のいて行くにつれて、悼む言葉がかすかに響く。すがって泣く声が聞こえる。すすり泣きが耳に入る。

 

 ……分かってはいる。この決断を下す私はどこまでも無情な人間であることを。

 しかし、たとえ私一人でも、『嵐』を恐れ、『嵐』に備えなければならない。

 非情な人間。合理性の化物。そう罵られようとも、私はこの邸宅を、ジョウゼフ様の邸宅を『嵐』に崩壊させられるなど、他ならない「私」自身が許せないのだから。

 たった一年しか残っていない猶予を、すべて備えに費やさなくてはならないから。

 

 


 

 

 数日が経った。

 ジョウゼフ様の葬式は厳粛な哀悼の中で執り行われ、代々、当主であった者が埋葬されていた墓地、その一角に埋葬させられた。

 ……想像こそしていたのだが、やはり、「邸宅」に関心を向ける者は少なかった。私の記憶している上流階級出身のほとんどは便りの一通さえも送らず、送ってきたのは両手で数えられる程度。

 桐藤はなかなかに心情のこもっているであろう哀悼を送ってよこしたり、百合園や聖園、蒼森は形式的なものであったが、それでも届いている。

 しかし、残りは形式的にも満たない一言か二言。どうでもいいとでも思っているように思わされた。

 ……これが、かつて没落した一族に対する扱いなのか。

 期待はしていなかったが、品性は、階級と比例はしないものである事。それを改めて認識した。

 私は愛用のトランクケースを持ちながら、薄い紫色のヒースが咲き乱れている丘の外庭、そこの舗装されている道を歩きながら、過去を思い出す。

 

 ──彼女らに、品性は無かった。

 肌の浅黒と角の有無、世間知らずと礼儀知らず。それら個人の問題を嘲笑して、拡大解釈し、邸宅を貶す材料としたのは、他ならぬ幼少の彼女らであった。

 白色主義者、内輪主義者、作法主義者。私の意見としては、こういった負の感情がほとんどを占めていて、いまだ深く根付いている。

 当然、その場に全員が居たとは思わない。その大多数があのような根の悪い品性であるとは考えない。聖園や羽川、歌住は断じて違うだろうと、帰り道の途中でジョウゼフ様は弁明していた。

 しかし、それであの全員を許せたという事は無かった。

 幼い頃の無邪気や無躾なのだから。まだ世間知らずであるがための過ちであるから。世間はそう言ってくれるだろうが、それでも私は許すまい。

 そもそも、彼女たちに理解をするつもりがないのだと言うに、どうして私が譲らなければならないのだろう。

 私はカラスである。恩はいつまでも覚えて返すつもりだが、受けた仇は死ぬまで記憶し、報復する。

 …………でも、ああ、いや。

 私がみすぼらしい生まれでなければ、賎しい性根が混じっていなければ、いつまでも(くすぶ)っているルサンチマンさえ無ければ。

 

 ──私が普通であれば。

 ──もしも私が普通の生まれなら、嘲笑の的にならなかったのだろうか?

 

 そう回想しながら、門の方向を見れば、そこには、不可思議にも、一人の影が見えた。

 純白の目立つ制服。風にたなびくクリーム色の髪。

 桐藤ナギサであった。

 

「桐藤様、この邸宅への招待状を手渡した覚えはないのですが」

「一つ、話し合いをしにきました。不躾であることは理解していますが、よろしいでしょうか?」

「そうですか。……よろしいでしょう、邸宅にお上がりを。茶の一つは出しましょう」

 

 そう言い、重々しい金属音を立てながら門を開けて、招き入れる。

 天気はどうだろうかと、空を見上げる。空は変わらず、黒い雲に覆われている。珍しく雷の遠鳴りは聞こえず、更には雨の香りも漂っていないので、おそらく降雨はしないはずだ。

 珍しい日であった。

 なにせ、ここはよく雨が降る。雷もよく落ちてくる。対称に、晴れた日というのは一度も無い。太陽の光の差さない、薄暗さの支配する領土。

 ここは、そういう土地だった。

 

「……葬式は、身内だけででしょうか?」

「はい。およそ邸宅に関心を向けるトリニティ自治区の人間は少ないでしょうから、邸宅外の人間にわざわざ合わせる必要も無いと考えました。……ジョウゼフ様の墓であれば右手の墓地、中央の奥手にありますので、祈りに行かれるのはいかがでしょうか」

「では、お言葉に甘えて」

 

 そう言って、墓地へと向かう。ジョウゼフ様の墓前で膝を付いて、祈りの構えをして、数分が経って。

 そうして、戻ってきた桐藤ナギサの顔はやや浮かないものだった。私が世間一般で言うような「普通」の生まれ方、「普通」の育ち方であればこういう表情も出来たのだろうか。一つの疑問を持って、いまは関係しないからと保留した。

 ただ、一つ、桐藤ナギサの今の感情については聞いてみる事にした。

 

「やはり、思うところはありますでしょうか」

「ええ、はい。……懇意にしていた人物、でしたから」

 

 懇意にしてもらっていたから。

 それだけで、こうも心から悼むような顔つきが出来るのか。

 思わず考え込んでしまう。

 私は変わらずがらんどうなままなのだろうか、人の気持ちもわからないがらんどうがゆえにこの邸宅の人間の真似事をして生きている怪物、スワンプマン、あるいは哲学的ゾンビに生まれてしまったのだろうか、私が普通の生まれであったのなら、私が普通の育ち方をしていたのなら、理解出来たのだろうか、仮にそうだったとして、それは私なのだろうか、それは「私」というテクスト、「私」の人格をかぶった別人ではないだろうか、いや、それも「私」なのだろうか、ありえた「私」を望もうとするのは普通なのだろうか、それとも普通ではないのだろうか、ああ、わからない、わからない、──。

 そうして、考え込んでいるうちに、邸宅の玄関口に着いた。

 ……ああ、礼儀のなっていない真似をしてしまったな。

 気を取り戻した私は桐藤ナギサの顔を見据えて、私が現実にいる事を確認する。

 そうして、玄関の扉を開け、直通の応接室に案内する。靴の泥を丁寧に落とさせる。

 入って応接室の椅子に着席させておくと、賓客を通した際のマニュアル通りに、未成年であるバトラーの一人が、音や水紋の一つもなく、ティーカップを桐藤ナギサの前に置く。

 

「お茶をご用意いたしました。本日は邸宅内がお寒いですので、冷めないうちにお召し上がりください」

「ありがとうございます。……香りも、味わいも、変わらず良いものですね」

「当然でしょう。邸宅の管理区域にて生産した茶葉を、輸送術に長けたワーカーが、茶葉の一欠片たりとも傷つけることなく運んでおりますので。賓客には良いものを提供するのが邸宅です」

 

 桐藤ナギサは一口付けてティーカップを置き、本題に入る前に、「再度、不躾である事は理解していますが」と前置きをした。

 

「トリニティ総合学園に、来るつもりはないのですね」

「ありませんよ、一切」

 

 予想の出来ていた話題であった。

 私は言葉を区切って、

 

「桐藤様、あなたもご存知でしょう。私は底辺も底辺の生まれで、だからこそ、当時は上流階級の行儀を知らなかった。それを嘲笑ったのは、高嶺の花を演じる、トリニティ自治区の子供だった」

「……ええ、覚えています」

「いまでも、明瞭に記憶しています。『嵐の館も、とうとう気が狂ったな』、『なんとまあ、行儀の悪い。肌色のように、品性も薄汚れている』、『見なさいよ、あの右の顔の火傷痕! そしてあの折れた角! 目に入れたくないくらいに汚らしい!』、……その中で嘲笑わなかったのは、片手で数えられるほどでしょうね」

 

 蒼森、剣先、百合園。そして、桐藤。

 その時に居た中で、クスリともしなかったのは、その四家だけだった。

 

「あなたたち、……桐藤家は、たしかに嘲笑っていませんでしたね。それは評価しています。けれども、それは、トリニティ自治区に住まう集団を評価する理由にはなりえません。トリニティ総合学園への入学は、辞させてもらいます」

 

 そうですかと、桐藤ナギサは目を伏せた。思慮しているようにも、また、憂いているようにも見えた。

 そうしてしばらく経ち、どうか怒らないで聞いてくださいと言って、

 

「私は一度、この屋敷を出て、外を知ってみるべきだと思います」

「なぜです」

 

 私自身でも感じられるほど、眉間にしわが寄ったのが知覚出来た。

 

「私たちには猶予がありません。一日も、一時間も、いえ、たった一分一秒でさえ惜しいというのに? どうして当主たる私が出奔(しゅっぽん)する必要性があるとのたまうのですか」

「この屋敷は伝統に則っていすぎるからです」

 

 何気なさそうに、そう言った。

 

「あなたの言いたいことはわかります。伝統とは軽んじられてはならず、むしろ、重んじられるべきものでしょう。ですがこの屋敷はその特有の伝統を重んじすぎた結果、有体に言えば旧時代的な様相となっています。灯りはガス灯、銃は前装式が未だ主流。電波は通わず、遠方への連絡手段は壁に掛けられた電話機のみ。屋敷の方々は、私たちの視点から見れば、あまりに古すぎる世界に生きているのです」

 

 そうですかと、静かに一言呟く。

 反論の出来ない事実だった。

 光源はガスであるために時折硫黄臭がしていることがあり、室内の黒ずみの清掃業務も発生することがあり、また頭痛やめまいを訴えるワーカーやバトラー、ハウンド、ゲストも少なくなかった。

 銃器は後装式が優先的にハウンドたちへあてがわれ、他は私と二人のチーフ、残りは極少数の卓越したバトラーに留められている。『嵐』からの自衛も、日頃の亡霊狩りも考慮すれば、急速的な新型の配備も必須。

 電波が無いというのは、現代社会において、邸宅外の世界の移り変わりを知る方法が無いという事。また、邸宅外との連絡手段も極端に限られるという事。

 ──前世紀的な世界か。

 邸宅内の教育施設ではどうにもできない課題を見つけてしまった以上、ここに住まう皆のためにも変えるべきだろうと感じられた。

 私自身は不便であるとは思った事がない。それよりもはるか下を知っている。

 何日もの空きっ腹と喉の乾きに比べれば、硫黄臭や頭痛は痛くもかゆくもない。銃は前装式だろうと、全て充分以上に扱えるように訓練した。外の世界などろくでもないと決めつけていたから無視していた。電話も取り決め通りにできるなら問題ないと軽んじていた。

 だが、他は違う。頭痛は辛いものであろう。銃は安易に使いこなせるものではない。外の状況を知りたいだろう。困った時には各班チーフに聞いておきたいこともあるはずだ。

 いままでの現実逃避。ゆえに今、知らなくてはならなかった有様(ありさま)

 万全では無い体調と扱いにくい武器、心残りのある思いで「嵐」を狩ろうとするのは、槍で風車に挑むようなものか。

 私が目を背けて来た、いわゆる「ツケ」の支払いどきなのだろうと予感した。

 嘆息しながら目をつぶり、すこし落ち着かせ、目を開いて、

 

「……実用的な助言、ありがとうございます。……失礼ですが、あなたを頼らせてもらいます。あなたの知る限り先進的な技術を持った学園を教えていただきたい」

「それでしたら、……最近大きな盛り上がりを見せているミレニアム・サイエンススクールがよろしいでしょうか。キヴォトス内の技術の最先端を担っていますし、トリニティでもミレニアム制作の機械への置き換えも進んでいます。かのゲヘナと我が校に並んでいますし、相応に信用の出来る学園かと思いますね。……ああ」

 

 そういえばと、桐藤ナギサは呟いた。

 

「私の家はミレニアムの方とコネクションがありましたね。それを使って推薦をしておきましょう。ええきっとそちらがいいはずですね、ええそうですとも」

「桐藤様、やや強引がすぎるようですが」

「あなたの気性では『まだ時期尚早のように思われます』だと言って先延ばしにしかねないでしょう? ちょうど学園に入学出来る適齢のいまがいい機会ですよ」

 

 確かに、私のやりかねない言い訳がそうである事には違いなかったが、いい具合に丸め込まれたようで、どことなく虫の居所が悪いように感じられた。

 すこし冷めたカモミールティーを一口、二口と飲む桐藤ナギサに、ため息を付きながら、

 

「……これで、したい話、というのは終いでしょうか?」

「ええ、これでほとんどは。他は世間話がしたい、と言ったものですし……」

「では桐藤様、ここにサインを」

「無視ですか……」

 

 若干拗ねたような態度を取る桐藤を横目に、トランクケースの中から台帳を出して、開いた形で桐藤ナギサの前に置く。

 

「これは?」

「ホワイトリストです。ブラックリストは、私には向いておりませんでしたので、方式を変えました」

「そうでしたか。……いつかは、ホワイトリストでいっぱいになってほしいですね」

「私は、そうと願いませんが」

 

 風の吹きすさび、雨の打ち付けて、雷の降りしきる、寒々しい邸宅。しかし、私は静寂で、人気の寂れたこの邸宅のいまを愛している。だからこその反論だった。

 しかし、それは私としての意見に過ぎない。桐藤ナギサはそれを真剣に、不可能ではない芸当だと思っており、それを否定するつもりはさらさらない。

 そう考えているのならば、私も一言添えておくべきだった。

 

「もし、心の底からこの邸宅を賑わせたいと望むのなら、教育をしっかりと施す事です、桐藤ナギサ様、──次代フィリウス分派の候補者様」

「……ええ、心得ておきます。あなたにも、いつかは、トリニティを居心地がいい所だと言わせてみせますからね?」

 

 サインを終えた桐藤ナギサの筆跡を確認して、手渡された台帳をパタリと閉じる。

 それを手元に持ったまま玄関口へと案内して、扉を開けて見送り、

 

「またの来館を、お待ちしております」

「ええ、今度は友人として会いに来ます」

 

 余計な一言を残して、立ち去っていくのが見えた。

 さて、業務を再開しなくてはならない。──そう思った所で、背後から人の気配を感じられた。距離は近いように思われる。

 ジョウゼフ様の、……いや、私の邸宅では、バトラーもワーカーも、そしてハウンドも、このような事をする人物は、一人でさえ思い当たらない。

 ……つまりは、彼だろう。

 一つため息をついて、

 

「玄関口以外から入館されるのは、お控えいただけるのであれば喜ばしいのですが」

「これは失礼した、ジョウゼフの令嬢、──いいや、こう呼び替えるべきかね、──ジョウゼフの継承者よ」

 

 マエストロ。

 ジョウゼフ様との知り合いである人だった。

 

「本日の要件は? そちらの集会というのも、予定帳には記載していた覚えは無かったはずですが」

「ジョウゼフ氏の遺品を、令嬢に渡しに来ただけだ」

 

 遺品は継承者に渡されるべきであろう、と言葉を添えて、 渡されたのはアンティーク調の手持ち式望遠鏡。

 

「厳密にはジョウゼフの遺された技術を、この邸宅の風情に合わせ調律されたものであるが、いかがかね?」

「悪くはありません。ですが、これに一体どの意味を有していられるのですか」

「すなわちは、有り得た可能性を見ることのできる望遠鏡。万華鏡のように、しかし手の届かない様々な可能性を見るになぞらえ、ジョウゼフは、これを「万華(ばんか)の窓」と名付けていた。この技術には、……いや」

 

 これは我が成果の品ではないからと、自制する声を呟いたマエストロとは反対に、私は驚きと、しかし、思い当たる節が無くもなかった。

 幼い頃、ジョウゼフ氏は何かに腐心していた覚えがある。「専門ではないけれど、研究の一つだよ」とジョウゼフ氏は言っていた。

 あれは、この「万華の窓」なるものに起因していたのか。しかし、こうも現実離れしているようなものとは思えなかった。

 ……これを覗けば、私の疑問は晴れるのだろうか。

 その私の思惑とは裏腹に、マエストロは続けて、これを渡しておこうと、一発の銀色をした弾丸を手渡した。

 丁寧な事に、私の持つ銃器、──ジョウゼフ様の言っていたにはスナイドル銃と同じ「.577スナイドル弾」であった。

 

「これは『嵐』の日、『嵐』を覆すことが完全に不可能となってしまった時にのみ使うといい。しかし、それ以外で使う事のないように」

「なぜです」

「それをいま言う事はできない」

 

 マエストロは彼の制作した「芸術」の講釈をしたがる悪癖を持つが、しかし、こうとなった時のマエストロは、口を割らない。

 一度、非合理的であると承知の上で、一日中付きまとってみた事があり、それでも、なにかを口から零してしまうという事は無かった。

 つまりは、諦めるほかにはない。

 納得はいかない。しかし、そういうものだった。

 

「……いいでしょう。では、言葉の通りにしておきます。相応の理由があると考えておきます」

「助かる。この魔弾は、いまの未熟な継承者には荷が重い代物であるために」

「では、これだけであるのならば、台帳に記入を。……本来は本人の直筆のみですが、特例としてベアトリーチェ以外の代筆を認めます」

「ベアトリーチェはお嫌いかね?」

「端的にまとめますと、無作法でありますから。賓客は賓客らしく、邸宅の規律に従っていただきたいのです。邸宅漁りとは、感心しない」

「そうだろうな、ジョウゼフもベアトリーチェには渋い顔をしていた。……とりわけ、崇高をさして求めていなかったジョウゼフと、どこまでも貪欲なベアトリーチェとでは、意見も反駁し合っていた」

 

 私の返答に、マエストロは苦々しさがほのかに香る声を上げながら、手は次々と代筆をしていく。

 デカルコマニー、ゴルコンダ、「黒服」、そしてマエストロ。

 一通り見知った名を書いたあとに、マエストロは言う。

 

「ジョウゼフは、娘のひとり立ちを望んでいた。しかし、それは何も、この邸宅の物事や、背負った感情を全て捨てろ、という意味合いではない。邸宅ではなく、しかし生まれ落ちたかの場所でもない、他なる外の世界を知ってみてはいかがだろうか」

 

 一方からの目からではなく、多角的な視野を持ち、解釈をより広げていただきたい。

 そうと言い残して、今度は玄関口から出て行った。

 二人に、それも比較的好印象であった人物たちに言われてしまったら、この邸宅に居続ける、という考えも、すこしは改めるべきではないかと思わされた。

 

 


 

 

 懐中時計を見る。現在時刻は六時三十三分六秒。ここからミレニアムまでは、それなりと言うにはかなりの距離がある以上、早期にこの邸宅を出て間に合わせておく必要性があった。

 片手には持ち慣れたトランクケース。中には折りたたまれた制服、愛用の筆記用具と数着の衣服の最小限のみ。

 身なりも最初から舐められる事の無いよう、丁寧に仕立てられた、黒く、生地の滑らかな燕尾服。

 上に羽織られているのは、黒一色な、色鮮やかでないが、絹の光沢のあるステンカラーコート。

 底に鉄板の仕込まれたロングブーツも忘れていない。

 手を覆う黒い手袋、銀フレームのモノクル、金色の懐中時計のセットも変わらないまま。

 現状の私に出来る、最大限の正装であった。

 見送りは無い。私が必要ないと、そう言いつけたからであった。

 ……大丈夫、だろうか。

 本来なら、思わなくてもいいはずの事を思う。

 食料に関しては、必要なら買い出しに行くようマニュアルを組んだが、どうか従ってくれるだろうか。

 邸宅の主人はいなくなるが、主任がどうか、マニュアル通りに取りまとめてくれるだろうか。

 湧いて出てくる邸宅の亡霊共は、心配ないはずだが、どうか万が一の事態にならないだろうか。

 ジョウゼフ様がくれた、外の事が書かれた本では、本来なら大人が考える事。

 しかし、今は、責任者の考えるべき事。

 とりわけ、一つの、──ある一人に向けた心配事が、私の中にあった。

 ──ヒンドリー。ヒンドリー・ヒースクリフ。

 ジョウゼフ様と、一応の血縁がある男の事。

 いいや、決してそいつが、どうか食べていけるかしら、どこかで苦労していないかしら、などとは思ってはいない。

 むしろ、その逆だった。

 どこかで野垂れ死ね。そうでなければ、邸宅の関与しないところで、勝手に苦しんでいろ。

 ──これまで一切、このことを口に出しこそしなかったが、常から賭博と酒用の金をゆすり、ジョウゼフ氏に困り眉を作らせていたその男に対して、ただ、その一心だった。

 その癖して、死に目どころか、葬式にさえ顔を出しさえしなかった。よりいっそうと、惨めに死んでいろとばかり、どこまでも強く憎んでいた。

 そいつが金の無心をするために、ここを訪れやしないかどうか。更には、仮にも邸宅の関係者であるそいつの行動で、邸宅自体の価値が貶められないかどうか。

 それだけが、ただ気がかりであるが、……どうにか、慣れない楽感的な考え方をするしか無かった。

 

 ──ヒンドリーが来た所で、追い払えば良い。あるいは縁を切るか、必要なら、適当な土に埋めるだけだ。

 

 そう思い込んで、今一度、邸宅の方向を振り返り、そして、思う。

 

 ──特段、楽しみだという感情は湧いてこない。むしろ先が不安に感じられる要素ばかりだ。

 今後、理解したくない事が起きるのかも知れない。館の中で、変わらないでいれば良かったと、そう思わされる事も、きっと、何千回も起きるだろう。

 ……それでも、変わらないといけない時があるのだろう。それがちょうど、いまだった。

 邸宅も、……そして、私の価値観も。

 だから、これは初めて言う言葉だった。

 

「いってきます」




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