嵐の吹き荒れる丘より。 作:■■■■■
この都市は──キヴォトスという世界は、弱肉強食で出来ている。
弱っちいカスはどこまでも毟り取られ、強い野郎は全てを毟り取る。その理由は、弱っちいカスに力が無いからで、強い野郎に力があるからだ。
弱い事は、悪だ。悪には悪相応の生き方しか与えられない。
飯は普通にも劣る、寝床も路上だけで、服はボロ切れで靴無しが当たり前だ。何かに甘えようなんざ数世紀は早く、与えられる物なんて一つも無い──人間としての尊厳でさえ。
……それがこの都市の構図だ。
自分を尊ぶなど馬鹿馬鹿しい。夢を持つなどアホらしい。
現実を見て、己の無力さを身をもって理解し、如何に自分が脆弱で矮小で、卑賤である事を知って、……否応無しに、受け入れて生きる。
それが弱者として生まれた存在の、身のわきまえ方だ。
昔に、似た境遇の誰か(名前は聞かなかった)が言っていた記憶がある。
「弱者が何も施しを受けられずに生きていかなきゃいけないのは、
……あながち、間違いでも無いのだろう。そうでなければ、こんなにも酷い格差を黙認していられるはずが無い。その黙認を、そいつは「病気」、……もう少しだけ言い換えるならば「流行り病」として例えたのかも知れない。
ソイツとは、……まあ一定の交流はあった。周りから見たら、「悪くは無い仲」と評されるだけはあるんじゃないかとは自認できる。
スラム社会で『ネズミ』と『ネズミ』──何にも属せない最底辺層の蔑称だ──が組むのは相当に珍しい事だ。ネズミになるなんてのは、人格がよほど出来ていないか、重度の妄言をいつまでも吐き散らすキチガイか、だからだ。
お互いネズミ同士で出会った時、近況やら名前やらは一切聞かず、だが争いもせず、成果は何も言わずに分け合う程度の何かはあった。
ソイツの現状は知らない。今も這いつくばっているか、死んだか、あるいは誰かに買われたか連れられたか。並べた前者2つはスラムじゃ見飽きるような事で、後者2つはとびきりありえない事だ──そうそう聞くような話じゃない。
……どれにせよ、今更知った事じゃない。
──霧雨が降りしきっている。
一匹のネズミが複数に囲まれて蹴られている。
一匹のネズミの服装はボロ布同然に汚らしく、反対に複数の奴らの服装は、汚れてこそいるがある程度の体裁は成している。
今起きている事を鑑みれば、その場における力量関係など一目見てわかるようなものだった。
だが、相対的な話だ。絶対的にはどちらも底辺で、下の下と下の中が争っているだけの醜い一幕だ。
醜い奴ら同士が、醜い奴らの脚を引っ張り、黙らせ合う。周りの
何かを愛する事の出来ないまま、自らと向き合わないまま、何も変わらないまま、……巡り続ける。
そんな事など視界になど一つも入らず、普通のやつらは普通の世界を生きて、上流階級は上流階級のまま、生きていく。
悪に規定もされず、心の擦れ違う事も無ければ、夢の終わる心配もしなくていい。
下水と上水が分けられているように、淀みと清浄とで断絶されている。
昔も今も、そして未来も決して変わりえない、世界のあり続ける構図だ。
……この都市は、力こそが全てだ。
弱いゴミは生き方を選べず、強い畜生は弱者の生き方を手前勝手に決めてしまう。
どこまでも不平等で不公平、理不尽に満ちている。這い上がるチャンスなんてのは夢のまた夢で、如何に足掻こうが何も変わらず、それどころかより惨めに、より無様に、より下等へと貶められる──自らの手によって。
つまりは己の脆弱である事を受け入れるしか無い。
それが嫌なら最初から力を持っていなければならない。
だが、膂力が強い、……それだけで終わるなら、世界は素晴らしく簡単だ。もう少しばかり悪感情を飲み込んで、全てを諦観していられる事も出来ただろう。
金がある、休める場所がある、組織にいられる人格がある。
家族がいる、弱さを出せる場所がある、良い飯が食える。
──銃を手元に持っている。
それらを纏めて、「力」と、世界は見なした。
……そんな力は、断じて持てやしなかった。
家族もいない、金も無い、休める場所も弱みを出せる場所も無い、良い飯もマシな人格も無い、果てには銃もない。……ただ生きるしか出来ない奴ってのは、一言に纏めてカスでしかない。
いっそくたばっていれば来世にも賭けられよう。だのに、意地汚く、醜く、這いつくばって生きていこうとする──自分を含めた何もかもを不幸にしてまで。
だから、……最初から自分という生き恥は、諦観して、何もしないで、死ぬべきだったんだ。
──冷たい霧雨が降りしきっている。
冷たい地面に転がっている一匹のネズミが複数に囲まれ、勢い強く蹴られている。
蹴られているネズミはオレだ。
不健康に痩せた身体、浅黒い肌。丸型や放射状の火傷痕、裂傷痕、打撲痕の耐えない生傷が、全身の至る所に刻みつけられた、ボロ布を被る惨めなそれが、オレだ。
──死ね、死ねぇっ! 路地裏のネズミ如きが、歯向かって来てんじゃねぇっ!
汚れたパーカーを着ている大人の蹴りが腹に入る。粗末な布の
鉄条網で引っ掻いたような寒さで全身が痛い。
──おいマヌケ、殺すのはやめておけ。SRTにバレたら面倒だろうが、ちったあ頭使いやがれ。
──けどよぉ、こいつぁ歯向かったんだ! しかも何度も! んなら、殺しちまった方が……。
──話聞けねぇのかよ? アニキがやめろってんだから、やめとけよ。
──……へいへい、わかりました、……よぉっ!
最後に大きく振りかぶられた一蹴りが入り、つられて呻き、目の前が暗転しかけた。悲しい訳でもない涙が頬を伝った。
けれど、耐えた。耐えなければ、野垂れ死ぬかもしれなかったからだった。
そんな、踞るしか出来なかったオレを見てようやく満足したか、その連中は悪態を口々に、さっさと引き上げて行った。
……アイツらのバカな事に、
だからなんだよ、それがなんの役に立つんだよ。
鎌首をもたげる至極当然の疑問をマトモに対面しようとしないで、
そのまま、上を向いて寝転がった。動こうにも体力が無かったからだった。脱力感からか自然と涙が滲んでしまったが、舌を噛んでそれ以上流れ出る事を強引に堪えた。
弱者に泣く権利を許されているほど、この世界に温情は無い。
弱者に人権は無い。
……独りは寂しい。誰にも頼れないのは苦しいばかりだ。誰かから大切に思われる事も無い。
孤独は、人を壊す。性根を捻れさせる。孤独で異常になった人はより阻害され、孤独になり、そして悪循環を回りゆく。
人間社会とは、不要は省かれ、必要によって美しく構築されていく。
社会から除かれた不要はスラムやブラックマーケットに在り処を変え、何も変わろうとしないまま、努力もせず、不要で構築された世界──いわば、裏社会に適応する。
こんなにも、穢らわしい生物がいるものか?
──助けてよ、……誰か、私を見てよ……!
故に、社会から省かれた存在は助けを求めてはならない。それは例えばオレのような、どうしようも無く救い難い底辺で、
オレはオレ自身の底辺を自覚し、醜悪さを理解して受け入れ、偏屈と嫉妬を抱えて、一人で惨めに死ぬべきだったのだ。
だのに、
その
──お母さんじゃなくても、お父さんじゃなくてもいい! もう楽にさせてよ!
……当たり前じゃないか、オレに居場所があるはずが無いだろう。身の程を分かっていないクズに、居場所があるはずも無い。
オレはどこまでもどこまでも惨めなオレ自身を、その癖して眺めることしか出来ない。
──誰でもいいから、……私を愛してよ……。
──それがダメなら、どうか殺して……。
だから居場所は、冷暗で狭苦しいあの世界だけ。
……悪夢。
悪夢、……悪夢か。
酷い記憶の再現で、私は飛び起きた。
奥底で色褪せる事無くこびり付いている記憶が、今もまた、
……図々しいな、私は。悲劇のヒロイン気取りか? だとすれば馬鹿馬鹿しいじゃないか。いいや、愚かしいとも、愚かしい。
何をより高望みしようとするのか? 私には『邸宅』がある。上等な衣服があり、食事が出来て、雨風にも曝されない寝床があるというのに?
それ以上を臨もうとするのは、分不相応なルサンチマン──弱者がする強者への僻み──を通り越し、強欲のすぎる話じゃないか。
「……今でも変わらない……」
声を低めて自嘲する。私は賎しさから何も脱せていないのだなとばかりに。
私は確かに様々を得た。自認はどうであれ、客観的には『人間』として少なかれ判断される材料を持っているのだから。
日に三度の食事、三着か四着かの衣服、身を丸める必要の無い睡眠場所。銃、育て親、そして生徒証。
昔にしてみれば、まるで断絶しすぎた夢を叶えているのだ。例えこれらを手に入れるのに十三年以上を必要とし、生徒証という生存権に至ってはつい最近であるとしても。
マグレとも言うだろう。幸運とも言うのだろう。妬まれ、疎まれ、誹謗中傷を受けるのだろう。
事実、今の待遇はジョウゼフ様から目をかけてもらったお陰であり、その誹りを受けるに値する。
私はそうされなければならない。
──けれども。
そうして思索の深みへと落ちかけたのを、頭を振って取り払った。
今は立ったままで居てはならない。的のままではいられない。
今は『邸宅』に向き合い、それを解決せねば。
結局、私は何も進められなかったのだから。
考えを締めくくり、さっと着替えた。ミレニアムの制服では無く、当主として相応しいスーツへと。
向かう先は『邸宅』だ。知っているだろうが、ミレニアムからは随分と遠い。嵐の止まない以上は荷物も嵩張らせる事になる──元が少ないとはいえ。
より一層と「面倒だ」と心情が訴える。
しかし今の私は当主だ。そうあらねばならない。せめて相応しいように、どうにかとり繕えるように。
面倒と思うなかれ。私を殺し、望まれたようにありたまえ。
ガリ、ガリ。
顔の火傷跡を強く掻き毟る。
カツ、カツ、カツ。私は雨風の激しくなった『邸宅』の門を開けさせ、外庭の、石畳で舗装された道を早歩いていく。
時間は大幅に遅れている。道中で懐中時計を見たところ、一時間三十二分十七秒の遅れだ。ロクデナシ共の襲撃で電車の遅延を被ったのだ。
余計な事をしてくれたと、歯軋りをしつつも、外庭の花を見る。
ヒースの花に異常は無い。踏み荒らされた痕跡も、また後先考えずに摘まれたようにも見えない。どうやら愚かしい事をした輩はいないようだと、にわかに安心した。
上へ視線を移せば、遠くにはハウンド班が亡霊どもの駆除をしているのが見える。
……あれは確か二課だったか。少数精鋭でチーフトップの支配形式な一課には及ばずとも、集団行動において優秀であり、それなら死者は出ないはずだと、これもまた緊張を、若干程度は解かせた。
されども、本来は「
やはり、邸宅は劣っているのだろう──外の環境と比べても。
未だに高価な銃弾を一発単位でやりくりせねばならない。未だに近接戦を強いなければならない。未だに子供の埋葬場所を確保せねばならない。
どれだけ邸宅が、外の世界と比べて異端で、ここの皆に生きてほしい理想とは程遠いのか。
ミレニアムという環境を、キヴォトスという社会を実際に体感してしまったからこそ、余計に劣っていると理解してしまった。
──どうして呑気なお前たちが幸福に生きて、苦しい思いばかりの私たちは不幸なままに死んでいくんだ。
不平等じゃないか。
お前たちに眺められて、娯楽のように消費されるのが腹立たしくてしょうがない。
──そんな事が当然なのに、どうして私は嫉妬するんだ?
「……醜いな、私は……」
無意識の嫉妬心を自覚して、気を
玄関口に着いた私は早々に扉を開けて靴の泥を取り除きつつ、歩いていく。玄関に入るなり、バトラー、ハウンド、ワーカーを問わず口々に、
「近頃侵入者が増加傾向にあります。二度目以降の者も見るようになりました。対策は?」
「より暴力的に片付けていくか、もしくは抗議でもするか、……腕骨の両方を折るのも一考の余地はあるかと」
「銃弾用の水銀が尽きました。これ、勝手に申請してもよろしいんですか?」
「結構。私名義でお願いします。支払いは金庫にある金の延べ棒でも可能なハズです」
「新人が左の膝下からを飛ばした。応急処置はしたがどうする?」
「優れた義足を用意しなさい。その後にここにいるか辞めるかを選択させておくように」
「工房が変な物を送って──」
「着払いで返してきなさい。ついでに代表者を当主室に呼びつけておくのも忘れずに」
事態は決して良くなってなどいない。より悪化し、皆の休む暇は以前よりも少なくなっているだろうというのが理解出来た。
それを実感する度、余計にとある事実が重みとなってのしかかる。
──お前は何も出来ていない。
……と、ふいに鼻腔をくすぐられた。ただ、決して良い香りでは無い。裏路地で嗅ぎなれていて、けれどゴミのような腐臭とは違う、怪我を負った時に度々知覚させられる──ああ。
血だな、これは。
特定したと同時に、しかしなぜ? と疑問が浮かび上がった。
「ところで、なぜ血の臭いが?」
「それは恐らく医務室からでしょうね、……最近は負傷者が多くて、近い位置では血の臭いが止まないんです」
……事態は、何も解決出来ていない。
お前はただ、今にかまけて眺めているだけの役立たずだ。
その重みを感じながら、「一度医務室に入ってきます」と言い、その場を立ち去った。
「状況はどうでしょうか?」
「……率直に申しますと、負傷者が増えています。現状は器具も消耗品も供給に追いついていますが、……続くようならいずれは追いつかなくなるかと」
医務室。医務室とは言うものの、実態は肉体的なダメージを治すための療養所だ。
そこは痛みに呻く声で満ちている。以前よりも確かに増えているとわかるほどに、聞こえる数が増えていた。
一年前はこのようなものでも無かったというのに、どうしてこうもなっている?
「怪我人の殆どはハウンド班です。以前もそのようなものではありましたが、少し前からは七割にまで達しています」
いずれは増えた上で八割を超えるでしょうね、そうすれば医療崩壊で
背筋を罪悪感が伝い、逃げたいという気分に晒される。けれど抗い、必要なものを聞いた。見込みでは以前の二倍は欲しいとの事で、資産の不安を抱え始めて。
「こんな事になるなら、……『嵐が丘』なんて選ばなかったのに……」
そう呟いたのはきっと患者の一人だろう。悪意など無かったし、それはきっと意識の曖昧な中での言葉のはずだ。
それでも、小さくも、悲痛な声であり、だからこそ私の胸を深く刺した。
──何も出来ない。出来ていないのが、私の現実だ。
怪我人の姿を、ただ眺めているだけの私。
これこそが受け入れるべき現実で。
けれども出来た事と言えば、「一つ、ハウンドのチーフに尋ねてきます」と言って、目を背けるように、医務室を後にすることだけだった。
「休憩の合間だが、……どうされた、当主?」
「一つ尋ねますが、……亡霊狩りについては、どのようになっておられますか? 医務室の方々に聞きましたが、軽重問わず、怪我人が増えているそうなので」
その問いに、寒襟ミツルは渋みを飲んだような顔を浮かべた。
「……ふむ。端的に述べれば、亡霊らが強くなっている。それも明らかにだ。以前は五課でも数の暴力で勝てていた集団が、今では三課でも死傷者が出ている。当方にとっては、……全く好ましくない事だ」
「三課が?」
三課と言えば、一課や二課に及ばずとも総合力に劣らない、器用万能の部隊のはずだ。それが一体、どうして?
「……純粋に剣や爪の鋭さが研ぎ澄まされている。接近の速さも増している。目の良さも嗅覚も、さながら鷹だ。挙句容易に霧散さえしないとくれば、な……」
いくらレバーアクションやら自動拳銃とやらとてどうしようも無い。気分の沈潜したように、彼女は言った。
更に、一拍置いて、寒襟ミツルにしては珍しく重苦しいように口を開いた。
「……頼む。……当方のワガママであるのは理解しているけれど、それでもどうか彼女らを、可能な限りでも良い。生かしてくれ……」
当方のような人を増やさせたくない。
その言葉を確かに聞き取り、……けれど、今の私には何も出来ない。
──人の死を、眺める事ばかりが上手になっていく。
結局、「分かりました」と、何も分かっていないだろうに言い逃れ、執務室へと逃げるように向かう事しか出来なかった。
「と、当主、……余からの話であるが、じ、時間は残っているであろうか?」
執務室。元はジョウゼフ様が邸宅と管理地を運営していく際に使っていた部屋だ。
そこに、一人が臆したような態度を見せながらも入ってきた。
彼女は
「お、一昨日に一つの企業の、し、侵犯があっての。な、なんと言ったか、……か、……カー……」
「……カイザーですか」
「そう、そうである。それらが一昨日、侵犯をしての。そ、それだけならそれで終わりだったろうが、……こ、これを見て頂きたくて、な」
と、言葉の終わると同時に一つの袋を恭しく差し出してきた。受け取り、中身を見れば、一発の使用済みの水銀弾であった。
質は劣悪だ。鉛が殆どで、私の血液は混合されていないように見える。
「ずいぶんと質の悪い水銀弾ですね」
「……これを、バ、バトラーチーフの
「……まさか、奪取されたと!?」
「そ、そうでは無く……」
それより上、……まさか、研究されたのか?
考えを肯定したかのように、話を続けられた。
「……い、以前より、注文時に届けられる水銀のグラム数が少ないというのが、わ、分かっておって……」
「横流し、か。……その業者は今後二度と使いません。呼び出せるなら呼び出してケジメを付けさせておく事にしましょうか」
舌打ちのしたくなる気分と陰鬱とがないまぜになりながらも、表にも出す訳にいかず、黙々と作業を進める。
──どうして何も上手くいかない? どうして何も上手く出来ない? どうして、どうして、どうして……。
カイザーの裏切り者が出た。亡霊共は強くなっていて、弾丸が足りないせいで怪我人が続出する。その怪我人が医療を逼迫して、客を迎えるに値しない状態が続いている。
……どうすれば良かった?
そう鬱ぎ始めた頃に、まだ立ち去っていなかった黄宮リアが、また戦々恐々とした様子で話した。
「と、当主。……余は、余はの、……邸宅にな、た、確かに救われた。けれども、けれどもな……」
そこで言葉の紡ぎが止まり、躊躇が見えた。
言っても許されるのか、言ってしまったら怒鳴られないかと思索しているようで、けれどもやはり言わねばならないのだと、顔を強ばらせた彼女は、
「……余たちは、……いつまで、この生活をすれば良いのだ……?」
もう我慢なんて無理だと、それでも諦観と僅かな希望が半々にあるのだろうとも思える、絞り出すような声で訴えた。
何も言う事が出来なかった。
「余たちはな、助けられたのは事実ではあろうとも。け、決して三食も不安な明日を好まんと、お、思うハズも無い。……で、でもな? ……余たちは、い、いつになれば、ガス灯の頭痛に、さ、苛まれない? 余たちは、いつになれば、す、スマートフォンを自由に使える? いつになれば、……余たちは、学生らしく生きられるのだ?」
ただ、余たちは、普通に生きたくて、真っ当な三年間を送りたいだけなのだ。
聞いて、……私は、息を吐くことしか出来なかった。
私は、普通に生きる事のさせられない彼女たちを、真っ当な道に歩ませられないその姿を、ただすがらに、──眺める事しか出来ない。
現実を認めるのがあまりにも嫌で、何も言わず執務室を足早に出ていく事しか出来なかった。
私はクズだ。
分かっている。
分かっていない。
私は何が分かっていて、何が分かっていない?
実の所、何も分かっていないのかもしれない。眺めている事でさえ不全だというのに、何を出来ようと言うのだろう?
銃は確かに代わった。ほとんどの銃は前装式からレバーアクションかボルトアクションに代わり、実力の高い生徒たちには(寒襟ミツルを除いて)、セミオートが渡された。
だが弾丸の製造が追いついていない。
それ以上に、環境が何も変わっていない。電気灯では無く未だにガス灯で、暖房は暖炉とストーブのまま、電話は磁石式。
私はそのどれ一つとて、前進させる事は叶わなかった。
「……クローンを作る?」
衝動的に吐いたそれは、すぐさま己自身を否定するための分かりやすい的になった。
「出来るものか……」
私はミレニアム生であり、技術を学ぶために来たのであって、惨めさを更に知るために来たのでもなく、だから、退学すべきでは無いのだ。
言っていたじゃないか、「クローン人間の作製は禁止」であると。校則でもそう知らされている。
……だが。
しかし、しかし。それでも、私の考えなら、……不可能では無いのだ。
血を搾取すれば、弾丸の元がより容易に手に入る。電気の確保手段が手に入るかもしれない──生物は電気信号で動くと聞いたから。応用を効かせればすればより有効な手段が見つかるのかもしれない。
神秘の研究には目敏いゲマトリアの事だ、話を持ちかければ容易に協力してもらえるかもしれない。
──それに、嫌いな奴が死ぬ。……それも目の前で、惨めったらしく!
死ぬ時にはどんな表情を浮かべるだろうか。世を憎む顔か、死にたくないと焦燥と涙を浮かべた顔か、あるいは諦めたように、真顔のまま死にゆくか?
──不思議と、口角の上がる感覚を覚えた。
「……ハハ」
嫌いな奴を殺せる、私の手で、……そして醜く殺し合う、……自らを憎んで。
「……造らせるだけだ……」
けれど、今すぐにでもそうする訳ではない。必要だったら実行すればいいだけで、必要なければ実行しない。それだけの話だ。
……最終手段だ、最終手段。どうしてもそれしかなければ、……そうするだけだ。
──表面上、そう納得はした。