嵐の吹き荒れる丘より。 作:■■■■■
色々ありすぎたんだ、現実で……(4.5周年とか某ヴから始まるイベントとか魔法少女とかセクシーセイアとか)
──目を開ける。
邸宅の薄暗い天井が映り、セピア色を帯びた、陰気と停滞を纏っている雰囲気が眼の目前で待ち構えていた。
──目を閉じる。
瞼に閉ざされ、視界は暗闇に包まれる。ガチョウの羽毛に由来する布団の温かみ、程よく冷えた枕が感触を伝って私の緊張をわずかばかり弛緩させる。
そんなベッドの中で、若干の頭痛に苛みつつも思順する。
よし、先程目に映ったのはきっと悪夢だ。そう、悪夢。今頃は暑苦しい日光に晒された邸宅の中で、光量の多い電気的な明かりに照らされた室内が映るのだ。
そう自分に言い聞かせ、また目を開ける。
陰気は変わらずあり続け、現実に変化など起きていない──まさしく停滞したままである事を認知する。手を伸ばしてかき消そうとしても、腕にまとわりついて、私から離れるつもりは微塵もないようであった。
このまま何も変わらないままであったのは単なる悪夢では無いのか、などと一抹の希望を抱いたが、……無駄骨を何日間も自覚しながらとは馬鹿馬鹿しい。
自らの如何に浅はかであるかに対して深くため息を付き、不承不承と上体を起こす。生まれた時から切っても切り離せぬ不調の感覚は、一年経てども私を掴んで離さない。
窓はごうと打ち付ける風圧にその身を軋ませ、ザアと吹き付ける雨が、切れ目を成さずに音を響かせている。ミレニアムでは出迎える事の少ない、私の心を宥めもすれば荒立たせもする、良くも悪くも隣人のような存在だった。
私が起きたのは四時三十分と早朝でありながら、既に幾つかの足音が立っている。バトラー、ワーカー、ハウンドの早朝担当が鳴らす足音だ。
足音を聞いた以上、私も早々に着替える必要はあるだろう──さしたる意味は無いが、私の義務的な感情だ。
当主としての服に着替えて手袋を付け、右目にモノクルを掛けて懐中時計を胸ポケットに入れておく。それらでこそ、己の姿はまだ人間であると主張する姿は整えられる。
使い続けられ、されど整備によって隅の一片に至るまで磨きあげられたスナイドル銃を背中に回し、まだ新品らしさを見せつつも重々しさを帯び始めた司教杖を右手に持った。
そうして自室内で水銀入りの鉄板が仕込まれた革靴を履き、コツ、コツとつま先を床で一度ずつ軽く叩いて、カツカツと足音を立てて廊下に出れば、邸宅内は既に慌ただしさの一端を覗かせていた。
今までと変わらない光景と言えば聞こえは良く、だが事実上の意味合いは「古臭さから何一つ抜け出せていない」の一つに尽きる。
いくら当主として君臨させられようが、私そのものはただ無力である事を再び思い知らされ、憂鬱を乗せてため息を吐いた。
一年。
私がミレニアム生の一員として組み込まれてから経過した、およその時間だ。並の人間であれば長くも短いだの、あっという間の一年間だっただのときっと言い出してくるだろう。
されど私にとっては、焦燥で手を震えさせている期間にしてはあまりに長く、プログラマーの言う『銀の弾丸』──すぐさま効力を発揮し、生産性を倍増させる技術、この場合は機械とすべきか──を見つけるにはあまりに短かった。
邸宅の変わったことはほとんど無い。銃の比率が前装式と後装式、それぞれ八対二であったのが、三対七に変わった。一人単位の武力の向上になる。
邸宅管轄地を始め、トリニティ総合学園、ゲマトリアの他にミレニアム・サイエンススクールとのパイプが繋がった。人脈の拡大や万一の避難場所の確保に繋がる。
質の良い化粧用品や衣服などの取引先を得た。士気の問題に関わる。
本来ならあまりに大きい成果であり、しかし邸宅にとってはその程度でしかない。
そもこの成果を語るには、「衣食住が整っていて、心理的にも肉体的にも一定の余裕があり、使用されている技術が平均を大きく下回らない」──いわば普通の学園と比較する前提が必要になる。
つまるに
従来なら三大校のパイプラインが出来ているというのは大きな利点であるに違いない。それが分からぬほど脳を腐らせてはいない。
しかしてその実情は、トリニティとは不可侵条約を結び、ミレニアムは協力的ではあれど邸宅の環境の前に歯が立っていない。電動機関連を専門にしている学園が電動機を無効にする環境など、噛み合わせがあまりに悪すぎるのだ。
当然、彼女らもそれを理解して電気駆動ではない機械の製造に着手してこそいるが、いくら暴風工房の手助けがあっても進捗は芳しいものではない。
数年後? あるいは数ヶ月後? それとも数週間後? なんであるにしろ、私たちは今すぐにでも解決方法がほしい。
この丘に吹き荒ぶ風はより暴力的に、雨と雷はより苛烈に、亡霊共はより理不尽な暴威を振るうようになった。一年前から恐れ続けた『嵐』の兆候であろうとすぐさま推測出来た──いくらでも解釈しようのある状況証拠しか存在しないが。
されどあのジョウゼフ様が、まさか人を殺めるような嘘を吐くはずもない。更には病に臥せり、苦痛に喘いでいたというのに?
故に真実であると信じなければならない。
この邸宅を守り、可能な限り最小限まで犠牲を抑え、皆がようやく学生らしくある事の出来る姿を、他でもないジョウゼフに照覧してもらうために。
「邪魔です、当主」
「……っと、失礼しました。少し上の空になっていまして」
「そうですか、どうせならもう一度寝てきたらどうです?」
「隈も濃くなってますし」と彼女は言いながら、カンカンと、私の脚を箒の棒で叩いて退かそうとしていた。どうやら物思いにふけり過ぎていたらしい。私はすぐさまに清掃の邪魔にならない廊下の端へと身を寄らせた。
ピークォド号の元乗船員であり、唯一生き残って浜辺に漂着していたのをジョウゼフに保護された──そう本人から聞いている。
現在はバトラーチーフの地位に収まっている。エレン・ディーンが主任として入った機会に、チーフへと代替わりした形だ。
他と比べてもかなり無配慮な性格ではあるし、態度はガサツそのものであることは間違いない。しかし邸宅きっての働き者で、更にはより上へと這い上がろうとする気概もある。口に出すつもりは毛頭ないが、私の気に入っている人物である。
だからこそ、彼女の具合も個人としての気掛かりの一つであった。働き者である事は全く構わないが、まるで休日を取ろうとしないのだ。
「気にする必要は無いです、好きでやっているので」と本人はよく口にしているし、実際に働き詰めでありながら業務効率に支障をきたしていないのも間違っていない。
されど、私の方が心配であるのだ。
過労は気を陰鬱にする。精神的負担は士気を低迷させる。変わらぬ生活は思考を停止させる──とっさの判断が難しくなる。
士気や気の有り様──いわゆる精神論で少しでも『嵐』へのイニチアシブを取り返さなければならない以上、この部分で少し、などというものではなく、尋常ではない程に心配に駆られていた。
「……本日くらいは休まれてはいかがでしょうか? この頃シフト表に刻印されていない日が無いと見ています。過度な肉体的負荷と精神的負荷は効率に悪影響です」
「だから、別に問題はないです。日頃から仕事終わりに打刻はしてますけど、中庭の手入れも物品の配分も清掃も、バトラーの職務も学生としての成果も、バカの追い返しだって平均よりも早い。違いますか?」
「違いませんが、貴女は休まなさすぎです。一度過去に休んだ日数を数えてみてください」
そう言い伝えて、しばし待つ。指折り数えて何かを悟ったらしいエリは真顔で、
「……ピークォド号の時よりは休んで──」
「貴女は暴風工房産の武器で、どちらがより優れているかの話でもしますか?」
「すると思います? どっちがまだマシかで話をするでしょうに」
「貴女の言った内容は『どちらが優れているか』の論点と同レベルです」
この事を言えばエリは凄まじく嫌そうな顔を浮かべた。
事実、邸宅で暴風工房産の武器を称える人間は少ない。
ただしこれは「褒め所が無い」や「粗が目立つ」というよりは、褒め所より先に尖りすぎた性能が目立ちすぎるからだ。何度も言うが、工房の実力そのものはかのミレニアムすら凌駕する。最上位と言っても過言では無い。
とはいえ火力至上主義に傾倒し過ぎた逸品など、一般的には褒められたものでは無い。
彼女はそれと同レベルの話をしている事に気付かされたのだろう。
「……はあ、久々に気分を悪くしましたけど、……そこまで言うなら、一日くらい休みます。さて、海洋学の専門書はどこに仕舞ったんだか……」
と、エリが彼女の部屋に戻ろうとした所で、「お待ちを」と声をあげた。
あまり考えず、単に呼び止めただけであり、
「なんです?」
「……ああ、いや、…………そう、どうせなら邸宅から外出してみては? ここでは発見しようの無いものも知る事が出来ますでしょうし、……例えば釣竿なり、船なり、あるいは──」
「──捕鯨砲と鋭い銛も?」
「探せばあるでしょうか、ね」
だからこそ、土壇場で紡いだ言葉の一つに食いついたのは
エリは昔より鯨を──より正確には「
彼女の事情を深くは知るまい。人々が天涯孤独だった私の過去も、報復心も、怒り憎しみをも知るはずも無いように、エリの肉体以外が海の底に沈んだ過去の在り方も、その時の思いも、また今考えている事もわかりえない。
「……ハハ、結構です。望みがあるだけ、悪くない。それじゃあさっさと行きますよ。当主も動かれたらどうです?」
「……ええ、はい。そうですね」
「それにミレニアムだかなんだかの始業式? も近いでしょうに、着の身着のままで終わりでいいんですか?」
「そんなハズが。準備はすぐ終わらせますよ」
と言い、私は部屋に再び戻ろうとして、「ああそうだ」とエリの呼び止める声で歩みを止めた。
「なんです?」
「誘ってきたなら、そっちからでお願いしますよ?」
金銭的な問題についてであった。
「当然」と、予想はしつつもため息混じりに答えた。
「──……所で、いつになったら終わるんですか、コレ?」
「さあ? 私にもわかればどれだけ良かったか……」
物事を急いてくる人の声が近くから、銃声が遠くから聞こえてくる最中の、連邦生徒会本拠地──サンクトゥム・タワー。
その中で、エリからの質問に対して呟くように返し、コーヒー入りの缶を傾けた。
まず大前提として、私たちは過去ジョウゼフ様が結ばせた協定に基づき、連邦生徒会とは不干渉の立場をとっている。こちら側は内政干渉をされたくないからで、あちら側は我らの管理体制がおよそ一般的でなく、面倒なのが明白であるから。
私たちが本来なら立ち寄ろうともしないサンクトゥム・タワーの中にどうしているかの理由の発端は、およそ一時間と二十数分前に遡る。
その辺りに私たちはミレニアムに到着したのであるが、どうにも様子がおかしい。
普段以上に治安が悪い。日頃から小雨のように弾丸を撃ち合うような
「日頃からこんなモノなんですか!?」と訊ねられるほど、彼女の目や耳にも悪く聞こえたそうで、その声は迫真であった。無言をもって答える事にした。実際、邸宅が異常なだけで「こんなモノ」だ。
さて、私でもわかるような異常事態が起きているのは推察出来たので、放って休まるにも気分が悪く、何事が起きているかを知るため、道中の『掃除』も兼ねて本校舎へと向かう事にした──必要ないはずの伊澄真エリも着いてきたのには驚いた。見て見ぬふりをするには煩わしさが過ぎる、との事だった。おそらく本心からだろう。彼女の誤魔化しが上手で無いのは数年の付き合いで既知の事実だ。
そうして不良共の『掃除(というには数が多すぎたが)』をしているうち、怒り気味のユウカと会った訳だ。
私のいない間に、ミレニアム、……いや、キヴォトス全体は大打撃を受けていたらしい。ミレニアムでは風力発電所が停止し、各地では治安維持部隊の手に余る不良共が跋扈する状況になっているとの事だった。
ただでさえ底辺も底辺のように思える治安というのに、ここから更に悪くなりようがあるのかと驚いたものだ。第一次大戦のドイツの西部戦線でもこうも酷くはなり得ないはずだ。
とまあ、このような状況に引いていた所、「せっかくならレイと、……お友達も来て! 抗議する人の数なんて多い方が良いんだから!」と半ば強引に連れられた訳である。
そして今に至る。
はっきり言えば、「私たちの陣営」は興味が無ければ関わる理由も義理も無い。先程も述べた通り、互いに不干渉の立場である事を望んでいるからだ。
されど、それが通用するのは二年前までの話であった。今はミレニアム生を兼ねているのだ。よって関わる理由があり、興味が無くとも義理がある。
……それはそれとして、面倒だ。帰ってもいいのなら帰りたい。
というより、あからさまに面倒事に発展するのがわかる。私の直感がそう訴えているのだ──「この後、お前は面倒な事をしなければならない」と。
こういう、面倒事を察知する直感だけはやたらと鋭い。その癖して良い事が起きるだろうと感じる能力はどうも私に備わっていない。
スラムという劣悪の果ての環境で叩かれ、不純を除き、成形され研がれてきたのだから当然なのだろうと言えばそうではあろうが、どうも私は良い事を素直に受け止められない所か、斜に構える悪癖があるようだ。
退屈紛れに飲み終わりのコーヒー缶を、大きく広げた片手で平たくしながら、エリに話しかけた。
「……
「え、いいんですか? いや、有難いのはその通りですけど、……無駄を嫌う当主にしては、中々珍しいというか」
「士気ですよ、士気。信賞必罰というものです。これを破る程、私は頭を悪くしちゃいないし、……それに、どうにも『話し合いをして終わりました』で解決しそうには思えない」
「……つまり、『ご褒美をやるからお前も働け』ですね?」
「言い口を悪くするなら」
「まあ、いいですけど」と、ため息を吐きながらもエリは頷いた。こういう時、素直に従う従者は中々に有難い。
……ジョウゼフ様にとって、私は素直に従う従者であれたのだろうか? ジョウゼフ様は私という存在をどう思っていたのだろうか? どうか悪く思ってくれなければ良いのだが。他なる父替わりにすら嫌われていたのなら、私は最早私自身に対して一切の存在意義さえ見いだせなくなる。
「ちょっと待って、代行! 見つけた、待ってたわよ! 連邦生徒会長を呼んできて!」
と、一層とざわめきが増して、内なる考えから引き上げられた。どうやらユウカが目的の人物に出会ったらしい。私は知らず知らず組んでいた脚を解きながら司教杖を、エリは礼儀正しく前に揃えていた脚を解しつつ、背中に回していた銛を片手にベンチから立ち上がる。
視線を向けるに、代行と呼ばれて先に脚を止めた子供は、どこか疎ましいというような雰囲気を帯びていた。あれは仕事の多さで気が苛立っている時のそれと正しく同じであった(修羅場状態のワーカー側で見た事があれば、経験した事もある)。さしずめ、「今か? 今に対応せにゃあならんのか?」といった所だろう。
つられて脚を止めたらしい方は、大人であった。しかし大人の割にはどうも現状を把握していないようで、ポカンとして、とぼけた顔つきそのものに感じられる。老成の体現者とも言えるジョウゼフ様とは異なり、まだ若さゆえの未熟、青々しさが残っているように見えた(まだ二十歳を越していないのに態度の大きい意見だろうが)。
これはどうやら、ロクな過程にならなさそうだ。
確信じみた予感が面倒さを伴った確信に変わり、思わずため息を吐いていると、子供が口を開いた。
「こんにちは、各学園からわざわざここまで訪問してくださった生徒会、風紀委員会、その他時間を持て余している皆さん」
「暇人ですって、当主。処します?」
「実際、暇人では? 処す必要はないかと」
気が早い、という意も含めて、青筋の立っていた頭を小突いて返答する。無論、本来の言い方をすれば「時間を持て余すハズだった皆さん」にご訂正願いたいが、どちらにせよ意味は変わらない。
「当主は行動と結末に視点を当てすぎなんです。あんな物言い、普通は腹が立つ──ほら、ユウカさん、……ですっけね? 彼女だってイラッとしてましたよ」
「汚泥のクズでもマトモな政治が出来るなら存分に取り立て、たとえ聖人でも無能なら殺す。それが政治ですし、口が悪いだけで有能ならお買い得品です」
仕事のできる汚泥野郎。能力に欠けた無能聖人。
私は前者の後ろ半分、後者の前半分を接いだ役たたず──能力に欠けた汚泥野郎にてあるが。
口々に問題を訴える彼女たちを見て、自分自身への無能の確信を強めた。
やはり私は何も出来ない。私は何も成しえない。
「──レイ! レイだって、何か思うところはあるでしょ?」
「…………ん、ああ? ……思うところ、思うところですか」
そう考えていたのを、ユウカの呼びかけが停止させた。
「……強いていえば、近頃は愚か者共の不法侵入が目立つ点ですかね? 余計な手間が増えるのはいつまでも看過出来たものでもないので」
「それに、こんなんじゃおちおちと買い物も出来なさそうですし。元々暇人だったのに暇人じゃなくさせられましたからね、ええ、どうやらちゃんと動いてなさそうなどこかの誰かさんのせいで。一体どんな道草を食べてるんでしょうかね?」
私がどうにか捻り出した問題点に、恨みがましさも込めたような声色でエリが追随した。余程落ち着いていられなかったのが癪であったらしい。
不要な言葉が多かったので頭を再び小突いた。
……が、別にその通りの言葉かと、次の言葉で思わされる事になった。
「……連邦生徒会長は今、席におりません。正直に言いますと、行方不明になりました」
……行方不明になったから、仕事をしない? バカか?
皆が三者三様、何らかの考えを含んだ反応を見せていたこの段階で、私のまだ見もしない連邦生徒会長への評価が最底辺──*スラムスラング*と化した。
しかしいや待て、まだ考慮の余地はあるだろうと、理性が言う。まだ完全なる考え無しというには気が早い。まだマニュアルなり引き継ぎ書類なり、……それらの適応に遅れている可能性がある。
私は一筋の蜘蛛糸が如き、薄らげな希望を持って言葉を紡いだ。
「……し、しかし。マニュアルや引き継ぎ書類くらいはあるのでは? 現状はそれの適応に忙しいから、各地域の個別対応にまで気が回らないだとか……」
「いいえ。結論から言うと、『サンクトゥム・タワー』の最終管理者がいなくなったため、行政制御権も失った状態です。これらは連邦生徒会長に全て一任しておりましたので……」
「──は、い?」
……ああ、ここまで負け犬の感情を背負う事無く、それどころか気分清々しく中指を突き立てられるような思いを抱いたのは初めてかも知れない。
それ程に、底辺も底辺の評価と化した。
誰への連絡もせず行方不明になっておいて、引き継ぎの書類一つも、それどころか万一に備えた権力と権限の委任先も放ったらかしのままとは素晴らしく*邸宅スラング*、いやそれを上回った*スラムスラング*じゃないか!
というよりも、それを黙認か容認(もし容認なら殺している)してそのままにしていた連邦生徒会もつくづく*スラムスラング*だ! 向こう見ずにも程があろうが!
……こんな考え無し共に、昔の私はバカにされてきたのか? コケにされてきたのか? こんな脳無し、……自立できない甘えた野郎に?
……冗談じゃない。信じられるものか。
いっそ笑えてくるくらいの怒りが沸き上がり、しかし片手を強く握りしめ、口角を真一文字に縛り付ける事で顔に出すのを抑えた。今は怒っていられるような状況で無いのは理解している。
理解していても苛立つ。
顔を掻き毟りたい気分だ。
「ですが、今はそれを解決する方法があります。この先生こそが、フィクサーになってくれるはずです」
そう言い切ったその女と裏腹に、先生とやらは"私が?"というような仕草を見せた。
この連邦とやらはどこまで属人主義頼りなのか?
あどけない──悪く言えば幼い態度が目に付くし、更に言えば、人当たりの良さそうな顔が、……何も苦労をしていなさそうな面が余計にむかっ腹を酷くさせていた。
掌にくい込んだ爪に生ぬるさを感じる。鈍痛の、僅かな熱を伴った、赤の流れ出る感触だ。
こんな奴が、……上に立つ人間か。こんな奴らが。
こんな考え無しの、役立たずの、カルト野郎共が、……ネズミ以下の脳無し共が、……あの時の私より、……オレより幸福な人生だ。
ギリと、歯を噛み締める音が頭に響く。
「……ユウカさん。外に出て戦えって言われるまで私は出てます。何かあれば呼びかけておいて下さい」
「ちょっとレイ、何を、……ねえ、もしかして何かあったの?」
胸糞を悪くしたのを察知してきたか、どこか心配げな表情でオレを見る。
今は誰とも面を合わせたいとは思わない、思えない。
どうせ醜く嫉妬するし、クソみたいな受け答えをして、クソみたいに嫌われるだろうから。それが分からないほど、クソな思考に堕ちた覚えは無い。
時間だ、……足りない時間が必要だ。苛立つ気を宥める時間が。
うるせぇよ、黙っとけ。反射的に罵ろうとした感情を黙殺し、目を背けながら答えた。
「気分が、……少しばかり悪いだけです」
心の底から、反吐が出る程。
なにもかも。
鬱屈の溜まった胸中と共に、足早に立ち去った。
この後は割と変わらない模様。