嵐の吹き荒れる丘より。 作:■■■■■
「頭が揺さぶられている感覚がする、 吐き気もしている、……なんと気分の悪い事か、……うっぷ」
過去に飲めるものだと思って、ビール缶の底に残る沈殿を飲んでしまった時のような、いつかのトリニティに一度顔見せをしたときの自動車の時と似た、気持ち悪さを訴える感覚が全身を駆け巡っていた。
いいや、あの時の長く続く気持ち悪さ、……二日酔いと言うそれと比べればまだいくばくかは良好だが、それでも不快な思いであった。
とても好まない、人の身が触れている感覚。狭い空間で混じり合って、悪臭と化した体臭。さして見たくもない人間の特徴の数々。ぎゃあぎゃあとうるさい声や音の集まり、──おそらく現代音楽の漏れのいくつか。
そして、そもそもの、生ぬるい空気の淀みや特有の揺れも相まって、なかなか耐えがたいレベルでの吐き気やめまいに襲われていた。
いいや、もちろん、電車というものが、必要性の高い便利な移動手段であることは強く理解している。車窓から見えた景色の移り変わりの早さから、最低でも七十キロメートル毎時の速度は出ていると推定される。世間一般の人間の足では到底出せない速度だろう。
しかし、それはそれで、これはこれだ。私には合わない移動手段だった。けっして塗り替えようの無い事実である。
壁に体重を預けて、目をつぶっても、いまだに揺さぶられている感覚がしているのだから、電車や自動車というのが、よほど体質に合っていないのだろう。
もしかしたら体臭や感覚が問題であるのかも知れない。視覚情報や聴覚情報が悪さをしているのかも知れない。
あるいは、そもそも、乗り物に乗るという事そのものが向いていないという可能性も有り得るが、電車や自動車以外の経験を重ねていない以上はまだわからない。
もしかしたらまぐれかもしれない。環境が悪かっただけかも知れないので、……ノーカウント、そう、ノーカウントだ。
これで三回目、四回目も駄目であったのなら大人しく受け入れるしかないだろうけれども。
……まあ、とにかく。
可能な限り、必要以上に電車と自動車には乗らないようにしよう。私にとってはいい教訓だ。
そうして、非合理的であることを理解しつつも、壁に寄りかかり、動かないでいると、
「大丈夫ですか!? 具合は!?」
そう声を掛けられた。私は目を開けて見向きしようとして、ふらついて、壁に肘をつける。視界が縦に回っているような感覚だった。吐き戻しそうな感覚がする。
「体調は、……悪いですね、ええ、こうしてごまかせないほどには……」
「ダメです、無理に動いちゃ! しんどそうなのに!」
「ですが、それは礼儀に反するかと……」
「ああ、もう! いまは礼儀より体調が大事です!」
そう言うと、目の前の女性らしき人間から、カバンの中をまさぐる音が聞こえた。胃酸混じりの食物だった何かが喉からせりあがってきた。
「ええと、これ、水です! 飲んだらすこし楽になるかもですから!」
「ありがとうございま、ゔっ……!」
──死。
社会的死。
脳裏に掠めたそれを押し流すために、なかば押し付けられるように手渡された水筒の中身を、口へ押さえつけるように、ほぼ垂直まで傾ける。
口内の一歩手前までせりあがっていた、酸味とまとわりつく苦味、すなわち社会的な死の予感が引いていく。
回生。さながらその気分だった。
一時的とはいえ、新天地に到着したその初日に社会的死は経験したくなかったし、それ以上に邸宅の品位を疑われるのは、私の社会地位の死など比にならない問題であった。
「ぷはっ! はぁっ! はぁっ! ……失礼、
「いいんです、ほら、人は助け合いって言うじゃないですか!」
お礼のために、背筋をただして、しっかりと顔を見据えた。背丈と、この場で膝を着く訳には行かない以上、どうしても上からの目線になる形だった。
私よりおよそ十五センチメートルほど低い背丈で、立ち振る舞いも加わって、初々しい印象が感じられる。青い色の長い髪が二つにまとめられている。
制服は私と同じ、ミレニアム・サイエンススクールのものであった。
「と、あなた、ミレニアムの新入生でしたか。お名前は?」
「ユウカです、早瀬ユウカ。これからよろしくお願いします」
「
「はい、こちらこそ、レイさん!」
問題になりえるだろう部分はあったが、しかし、まあ、最初の対応としては不足無しの、無難な結果で終えられたのではないだろうか。私はすこし安堵したような心地を覚えつつ、一つ尋ねておくことにした。
「ところで、失礼しますが、ミレニアム・サイエンススクールの本校舎の場所はどちらでしょうか。この地域には、すこしばかり疎い身ですので」
「……えっ?」
謎の動揺した声だった。
いや、待て、おかしいじゃないか。私の質問のどこに動揺する理由が?
つられて、私も動揺した。
「い、いや、私の質問のどこに動揺する理由があるんですか。世間に疎い私でも、さすがに問題の無い質問だったはずですけれど」
「……もしかして同級生です?」
「もしかしなくても同学年だと思われますが? ほら、ここの、……ありました、生徒証にも記してあるでしょう」
目の前の青髪の彼女、──早瀬ユウカは私の顔と生徒証を、そこまで疑うのかと思わされるほどに見比べ、何かしらに気付いたのか、非常に申し訳の無さそうな顔で、
「……その、多分その格好だと、かなり、浮くんじゃないかと、思います」
ああ、なるほどと、その一言で全てを察した。
……私は相当な道化になる寸前だったらしい。
いいや、これでは道化も同然だ。
舐められないための要素のつもりが、舐められる要素満載の格好をしただなんて、とんだ皮肉にもほどがある。
ああ、なるほど。道理で、視線がこちら側に向く訳だ。最初は「邸宅」への敵意か何かと思っていたが、その次に、背丈か、紫目か、それとも角か。そうでも無ければ浅黒い肌が原因と思ってばかりいた。
そうか、ああ、そうか! おかしいのか、この服装が! 気付くまでにどれだけの恥を晒したことか!
──……いや、うん、違うんだ、これは、そう、いわゆる、道中で「ああ、アイツはミレニアム・サイエンススクール近郊の生徒か」と気取られる事の無いようにするための、まあ、一種の変装的なもので、あとで着替えるつもりだったので、さしたる問題は無く、多少の手間が生じるだけにすぎない、つまり、この服そのものに意味というものはあまり無く、しかし、合理的な面で言えば、世間で言う身バレ防止、ひいては事件を誘発させないための行動であって、……──だから、そう、つまり私は悪くないのだ!
そうして、なんとか理由付けをしようと口を開いて、閉じて、また開いて。
──……どちらにせよ、最初から制服に着替えていればよかったのでは?
結局は、口をふさいで、諦めた。
どうあがいても、数時間前の自分の考えと矛盾を引き起こすからだった。
「……私は、愚か者だな……」
「まだ! まだそこまで重症では無いんじゃないですか!?」
乾いた笑いしか出ない状況、と言うのはこの事だろう。どうしてだろうか、涙腺のところがすこし熱いような気がする。
いっそ鉄パイプでこの場の全員を殴り飛ばして腹いせでも出来たのなら。
そうは思ったが、立場や、そもそも自業自得である以上は自制すべきである。
なにより、私の使い慣れた鉄パイプが、トランクケースの中には入っていなかった。記憶には無いどこかへと置いていってしまったらしいので、至極当然の事ではあった。
トイレットルームの一室を借りて、モノクルや黒の手袋と言った小道具、下半身の
「申し訳ありませんね、すこし待たせました」
「まさか、そこまで待ってなんか無いですよ! むしろ、早すぎるくらいです!」
「それと、私に対する敬語は結構です。私の言葉遣いは、……まあ、身についた習慣ですので」
その返答に、早瀬ユウカは、それだったらと、下の名前で呼んでほしい事を交換条件にされて、私はそれくらいならと承諾しつつ、本校舎に向けて歩き始める。
しかし、そこに到着するまでに会話の一つも無いと言うのは、どことなく味気の無いように思われたので、一つ切り出してみる事にした。
そこの中に「今のうちに円滑な関係にしておきたい」「敵意を持たれないようにしておきたい」という思惑が
「一つ聞いておきたいのですが、ユウカさんは何を理由にここへと入学を選んだのですか?」
「まあ、そこまでいい理由じゃないけど、……近かったからね。友達もいるし、じゃあそこでいいかなって。ね、あんまりいいものじゃなかったでしょ?」
「よろしいではないですか、近かったからだなんて。世直しをするためだとか、知見を民衆に広めて革命を起こすためだとか、……そんなご立派な理由でも無ければいけない、なんて必要性は無いでしょう」
どれも私自身が好みでない、インテリ主義極まった、反吐の出そうな理由を代表例に上げて貶しつつ、賞賛する。
私は邸宅に閉じこもっている訳にもいかず、しかし、比較的近場であるトリニティという環境を選ぶ訳にもいかなかったので、ミレニアム・サイエンススクールへと進んだ。非常に遠い距離だった。
近かったから、そこに行く。
それすなわちは、近所付き合いが上手であったという証左であり、……しかし、よくよく考えれば「邸宅」には無かった技巧である。
ジョウゼフ様は研究と「黒服」一行との合同を重視していたから、当然ではあるが、トリニティとも、どうにかやりようはあったのではないだろうか。
……いや、あんな奴らの集まりなら、遅かれ早かれ嫌いになっていただろうな。どっちにしても問題は無いか。
そうして、しみじみと思っていると、私の質問を返された。
「じゃあ、レイはどうしてここを選んだの? 他にも良いところはあったと思うけれど」
「……そう、ですね……」
すこし黙り込んだ。
そのままに言っても、悪くは無い。しかし、邸宅の、外聞的な言い方では「嵐が丘」の、その外の評価というものが、やはり気になる。
そう思わされるのも、過去に招かれざる客から、邸宅にまつわる噂を聞いた事があったからだった。
曰く、その邸宅に住まう全ての住人は全て過去に死んだ亡霊である。
曰く、その邸宅は常に嵐が吹きすさび、曇る事も晴れる事も無い。
曰く、その邸宅に一度脚を踏み入れると、生涯そこに囚われ、働かされる。
曰く、その邸宅は並行世界と繋がっており、別の人生を歩む自分を垣間見られる。
曰く、曰く、曰く、曰く、──。
一体誰の空想小説かホラー文学かを読んで混同したかについては、全く知るつもりも無い。知った所で骨折り損のくたびれ儲けでしかない。
……しかし、それでもやはり、そのほとんどは良い評判では無いのだろうと推測出来た。
一部はあながち嘘とも言いきれず、しかし、その大半は中身のないがらんどう。
さりとて、
悪い噂というのは広まるのが早く、とりわけ、この時期の、つまりは私の年齢にあたる子供というのは、それを確証も無く信じるという事が本当に多い(同年代である私が言えるかは一旦さておき)。
そういった理由もあって、全てを言うという事もやりにくい現状だった。
……ちなみに招かれざる客については、少々の恫か、では無く、「お話」したあとに、今後二年間は邸宅と関わらないという条件付きで出ていってもらう事にした。
こういう時、私の外見というのは非常に役に立つ。
隠したとはいえ、大きく、そして目立つ顔の火傷の痕。光沢が無いとよく言われる
女性と言うには低すぎる声も相まって、こういった、荒事にはしたくないが、暴力で解決した方が早いだろう時には、どこまでも最適であった。
……女性らしい声、女性らしい体付き、女性らしい顔つき。
……それらに拭えない憧れはあるが、……無いものをねだった所で、結局は虚しくなるだけだ。
執着しても、嫉妬しても、無いものは無い。
閑話休題。
すこし考えたのち、私は理由を言った。
「……そうですね。あなたもさきほど見ましたように、私は少々世間に疎い身でして。電子化、というものがあまり進んでいない環境で育ちましたので、最新機器の揃っているここに入学して、出来る事なら故郷に持って帰っておきたいと思いました」
……嘘は言っていない。
実態は、電子化どころか、機械化でさえ進んでいないし、むしろ、桐藤ナギサの曰くでは「旧態依然の世界」と言われるほどの
だが、嘘「は」言っていない。
──さて、そうして、話している合間に、私たちはミレニアム・サイエンススクールの本校舎に到着していた。
そこで、別れようという時に、早瀬ユウカは口を開いた。
「じゃあ、後々のために連絡先を交換しましょ。モモトークでも交換しておいて損しないでしょ?」
「……『ももとぉく』……?」
その単語に疑問を生じさせた。
──『ももとぉく』? "Peach talk"と書いて「モモトーク」という意味? いや、しかし、うん? おそらくはなにかしらの、特定の機能の一種であると考えられるが、そうにしてもなぜそういう名前にする必要性が? 分かりにくいように思える。いや、それでも、何かしらの意味合いはあるはずで、それでも、やはりわからない、いや、でもやはりわかりそうで、……なにがわかりそうで?
その混乱にある私へと畳み掛けるように、
「モモトーク知らない? ほら、スマートフォンの中にあるトークアプリの一種。今のうちにダウンロードしておいたら?」
「『すまぁとふぉん』……? 『とぉくあぷり』……? 『だうんろぉど』……?」
すまぁとふぉん、とぉくあぷりに、だうんろぉど。
聞き馴染みのない単語ばかりが耳に入って、その情報を処理しきれず、濁流に呑まれ、そうして、私の頭には宇宙が宿った。
曰く、宇宙とは空にあると言う。未知の世界であるらしい。つまりここは宇宙だった……?
そんな様子であった私を、早瀬は訝しげに見て、立ち止まり、そして問うた。
「……えっと、今使ってる灯りは何?」
「……ガス灯、です、ね」
「ええと、じゃあ、暖房は?」
「…………薪を使ったストーブを」
「……電話は?」
「………………磁石式電話機が各所に」
「まさか銃まで、前装式だなんてことは……」
「……まだ主流で……」
いたって真剣極まりない顔で彼女は聞き、思わず私もそのままに答えて。
「……ええ、ごめんなさい、わかってる、でもね、ちょっとね、それでも言わせてほしいのよ」
自分自身に大して、それとも私に対してか、言葉を重ねる早瀬ユウカに大して、自然と私は正座していた。
「それはもう電子化どころか機械化も進んでないじゃない!」
「まったくもってその通りです、早瀬ユウカさん……」
反論のしようも無かった。
事実、機械化という概念でさえも希薄だった。
嵐の湿気に耐える特殊な火薬、その調合も職人に一存しているところがあり、亡霊狩り兼用の「邸宅」専用水銀弾も、少数精鋭の専門家──効率化のために私の血液も混合させている──に出来を一任された状況。
高純度かつ高品質であるものに限られる水銀と、一日に搾取できる量の限られる私の血液。機械化による量産など、まさしく夢のまた夢も同然で、原料の段階で量産のしにくいもの極まりないのだが、……まあ、仕方ないというのは、すこしばかり逃げであるのかも知れない。
そうして、現実逃避をしていると、早瀬は距離を近づけて、私を正座の状態から立たせて、
「じゃあ、近いうちに一緒に買いに行く! 地元がどうかはわからないけど、ここじゃスマホがほとんど必需品だから!」
「え、ええ、……はい」
さながら社交性を憂う母親のような態度──私の母親など見た事が無かったが──をしながら、私と約束を取り付けた。
なんだか釈然としない思いだが、……多分、この距離感が邸宅の外では普通なのだろう。ひとまず、そう思い込む事にした。
そうして、立ち戻りながら、あたりを見回す。
邸宅のおよそ二、三倍ほどの平米だろうか。そこに、角張っている、ゴシック建築もかくやという高層建築が、いくつもいくつも立ち並んでいる。
遠くに見える球体状の建造物は何だろうか。そびえ立っているあの建築はガラス張りでよく壊れないものだ。あの建物はきっと売店的な機能を持つ施設だろうな。
路上を歩く人々を見て、そうありありと想像される。そうして、私の中に、常から吹き溜まっていた負の感情が湧き上がる。
……嫉妬したくなる光景だ。受け止めたくない事実だ。
近頃の建築は木造や石造りではなく、金属やコンクリートで出来ている事。銃を好き勝手に撃っているという事。晴れた天候に生きている事。
沈潜した雰囲気の漂う邸宅とは対称である事。外の皆は思っているよりも更に気楽に生きている事。……私の産まれは本来想像もされやしないものである事。
「……凄いですね、ここは。ずいぶんと広く、そして発展している。さぞかし、恵まれているのでしょうね。住居にも、衣服にも、……そして、食にも」
「そうでしょう、なにせ私が育った所だから! 長くから続くゲヘナとトリニティにも対抗できる技術力は伊達じゃないのよ!」
自分の中で燃え立つ嫉妬心から目を外らすために発して、しかし、無意識に滲み出ていた、鬱屈とした感情を無視してくれたのか、あるいは気づかなかっただけなのか、誇らしげに、胸を張って言う。
そうして、一つ間を置いて、早瀬ユウカは私に向き合った。
「それじゃあ、ここですこしお別れかしら。私の友達をすこし待たせてるのもあるの。ごめんなさい」
「いえ、結構です。……良かったですよ。あなたが、最初に会った人で」
「……正面から言われるとちょっと恥ずかしいわね」
そう答える早瀬はどことなく恥ずかしげな態度だった。
じゃあ、もしも会ったらね。そう言い残して、駆け足気味に、早瀬は離れていった。
……ここで苛立ちを覚えるのは、嫉妬心を覚えるのは、違うじゃないか。
そう考えながら、先ほどまでは早瀬ユウカに合わせていた歩く速度を速めた。もうしばらく見て回ろうと思っていたが、このままでは、みっともない負の感情を、晒してしまいそうだと思ったからだった。
さして面白みの無い入学式なるものが終われば、そこからは存外に呆気ないものだった。
授業の進行体系の説明や基本的な規則、卒業の条件を説明され、そこからはもう好きにやれとでも言うように、いつの間にやら部活勧誘の時間になっていた。
この説明をされるにあたって、経過した時間はわずか九分三十二秒。まさかの十分にさえ届いていない短さであった。
短い方がいいとはいえ、これはさすがにどうなのだろうかと、そう感じられるところもあったが、いかんせん私は常識知らずであるので、黙っておくことにした。
さて、この学園では、何かしらの部に入部することが必須──無ければ新たに部を立てる事も可能らしい──であるとのことで、なるほど、勧誘に熱があったのも納得できた。その熱意の入りようは、さながら同人による品物展覧会といえようか。
だが、私は慣れていなかった。人を相手する環境に? いいや、大人数のいる環境に。
そんな環境に慣れているであろう周囲とは違い、耳に入る音のほとんどが、風か、雨か、あるいは落雷といった、いわゆる自然音ばかりを聞き取ってきた私には、なかなか刺激が強かったのだ。
そのため、1度気を休ませるためにも人の集まる場所から外れて、そうして、ここの今にいたる。
まだ人数の少ない所の、階段近くの柱にもたれかかり、気を落ち着けさせて、ほうと一息、ゆったりとした息をつく。
まあ、特段言いたい事は無い。
みっともない負の感情に振り回される事は、今は生じていないし、さらに言えば、抜け出す途中、どこぞの「昔は良かった」教のように「機械化なぞけしからん!」というふざけた態度を取ってしまう事もしていない。
どちらかというと田舎者的な──邸宅のある位置は田舎を通り越したかなりの田舎であるが──態度が見られているように思われる。
具体的には、施設を見回す、機械に目を奪われる、電子で構成された画面に頭が痛くなるなどだ。
それに対して、少なくとも小馬鹿にする態度は感じられない。
むしろ、……これをなんと言うべきか、……好意的ながらもねっとりとした視線を感じられる。いまもだ。
……どうにか、無理やりに言語化して言うなれば、「技術に対して無知な子供に無修正の開発を見せつけるんだ、これはもう*キヴォトススラング*以上の快楽だっ」である。
これはごく一部にすぎず、また私なりの翻訳なので、推測や偏見、無意識の悪意も込められているだろうが、おおよそこんなものだ。
はっきり言うと、気味が悪いし、気持ち悪い。
肌の浅黒や折れ角を見ても何も言わず、またそれなりに異質と自覚している格好──銀フレームのモノクル、黒の革手袋、金色の懐中時計、その他もろもろ──も良いセンスだと言ってくれるのは、決して嫌ではなく、むしろありがたいのだけれど、それはそれ、これはこれだ。
……まあ、好意的な視線を向けられる事に慣れていない、というのもあるだろう。否定はできまい。素直な好意を「なにか思惑があるんじゃないか」と歪めて受け止めてしまうというのも、原因と言えば原因だろう。
……だが。
「……散ってくれませんかね……」
無意識に一言、呟いた。
そう言わされてしまうほど、多い人数であった。
目測出来るだけで、すくなくとも三、四人程度。気配で察知できる数も含めれば、約七人。
人間の言う監視カメラというもので、察知も見えていないのも換算すれば、もうすこしは多くなるであろうか。
注目も認知もされたくない、なんて難儀な性格では無い──無自覚なだけでそうかもしれないが──と自負しているので、悪い気こそはしないが、うっとうしいと思うには間違い無かった。
「あ、さっきぶりじゃない!」
そう思っていれば、聞き覚えのある声がした。喜色のある声だった。
声のした方へ顔を向けてみれば、そこには先ほど話していた早瀬ユウカが駆け寄って来ていた。ついで、妙に白色の印象的なもう一人がついて回っていた。
「ああ、ユウカさんでしたか。五じゅっ、……数十分ぶりですね。……ところで、あなたの隣のお方はどなたでしょうか?」
「ああ、隣の? 彼女は私の友達よ、ノアって言うの」
にこやかに笑って「生塩ノアです、よろしくお願いしますね」と挨拶をされたので、「安晶レイです。以後、お見知り置きを」と、軽い自己紹介と共に会釈した。
印象としては、物腰の柔らかい、品行方正な人間のように思われた。何かしらの悪意も感じられなかったので、彼女の言葉にはうがった見方をしなくてもいいだろう。
生塩ノアについてこう捉えていれば、ユウカが、今度は部活動について話しかけてきた。
「ところで、入る部活ってもう決めた? 私は、……そうね、セミナーにしようかと思ってるけれど」
「いいえ、これがまったく。……論外だと思うものは多いですけどね」
例えばパンジャンドラム開発部、爆発探求会、触手研究部だとかだ。
パンジャンドラム開発部は、あんなトンチキなものを作って何がしたいのかがわからない。ジョウゼフ様でも理解を諦めた代物だと言うのにだ。自爆だろうか。はたまた世間の言う「ロマン」だろうか。どっちにしても理解は難しい。
爆発探究会は、とにかく存在がふざけている。爆発を探求したとて何になる。いや、いい、理解など到底したくない。
特に最後の触手研究部。あんなおぞましいものは二度と見たくない。二度と、決して、目の一欠片にも入れるものか!
「……まあ、さて。セミナーについてお聞きしても?」
「……ええ、ええ! もちろんよ!」
……まあ、あんな化け物については一旦無視するとしよう。
さて私は、ユウカの言っていたセミナーについて尋ねてみれば、意気揚々として私に説明をし始めた。
──ここでは早瀬ユウカによる、パンフレットの内容も交えられた、セミナーの説明が語られる。
セミナー。他の所で言うところの生徒会──生徒、つまりは各学園所属の子供が運営する自治組織──の機関を果たしている団体だ。
元は「千年難題」というものを研究するために組織されたのであり、ここで行われる研究も、過程として必要であると認められての事である──爆発や生物兵器共が解答に役立つとは到底思えないが。
セミナーは様々な研究の成果を取りまとめ、これらを用いて難題の計算を行う、おおざっぱなくくりで言えば「脳」としての機関を司っているので、権力としては最高位に属している。
当然、与えられた権力分の義務も多くなっており、ミレニアム・サイエンススクールの運営や校内外の問題の解決、各部活動の予算の決議なども行う必要がある。
これにて、ユウカのプレゼンとパンフレットの箇条書き──ついでに「私も書記として入るつもりです」と生塩ノアによるアピール──を交えた説明は終わる。
「……ふ、む。……悪くは、無い」
──運営の方法を学ぶ。
なるほど、それも必要だろう。私は結局、大規模な組織の運営については深く知らない。それらしい事しか出来ないだけの、絶対的な視点での未熟者。
そうであるなら、しょせんは理論が書かれているだけの本や、本業が研究職であるゲマトリアの会議だけでは知りえない、……「大人」流では無い、「子供」流の自治の仕方を知るべきだろう。
更に言えば、……これは少々
少しばかり思慮して、私は「いいですね、悪くない、……そこに所属することも考えましょう」と答えた。
そうすれば、呟く声が聞こえてきた。かのストーカー共であった。
──なぁんだ、つまんねぇの。入ってはくれなかったかぁ。なんでわざわざセミナーなんかにさぁ。
まあ待て、そこから勧誘すればワンチャンある。そのためにも、まずは作戦を練り直そう。
つまり「ここから先は競争だ」というわけで、……解散ッ!
そうして、気配が散していった。
……一度*スラムスラング*した上で*キヴォトススラング*していいんじゃなかろうか、あの*邸宅スラング*共。
一瞬怒りを再燃しかけたが、……まあ、……トリニティのアレ共と比べればはるかに可愛げがある上に、性悪の態度でもない。
それに、私の「散ってほしい」という願いも意図せずして叶ったので、可能な限り早く忘れられるようにした。
「セミナーに入ってもらって早々に、申し訳ないのだけれど、C&Cのところにも一応籍を置いてもらえないかしら」
「なんて?」
この事に付随して忘れられなくなったのが、とても口惜しい。