嵐の吹き荒れる丘より。   作:■■■■■

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コ゚ッ



二話 ここではキヴォトス内の治安と生塩ノアとの会話について語られる

 午前四時三十分十九秒。邸宅住まいであった頃と変わり無く、十九秒の遅延を得て──私の起床には平均して約二十秒前後の遅延が生じる──、私は約六時間の浅い睡眠から覚醒する。

 今しがた開け放たれた窓の向こうはまだ暗い。月明かりのひとつさえ無く、また朝日の明かりさえ迎えていない。星芒(せいぼう)と街灯が灯る、その外の様相たるや、夜といっても差し支えないだろう。

 しかし、もう何年も──それこそ、生まれた時からずっと続けていたので、こんな時間の早起きには慣れてしまっていた。

 もちろん、身体にいいはずが無い。むしろ害をなしている。重い感覚は延々と付きまとっているし、憂鬱な感情はいつまでも引っ付いている。

 どっちも十五年来の友人だ。とんだクソ野郎なので、縁を切れるのなら是非(ぜひ)切りたい。

 ……その分、朝に済ませるべき業務を終わらせられるので、まあ、……トレードオフ、……には、なるのだろうか?

 

「……いいや、決してなり得ない。百害あって一利なしという言葉が似合う」

 

 自分の力ではどうにもならなさそうな、つまらない事を呟きながら、顔を洗う。鏡面に、怒り眉をした野良犬の顔──私の顔が映る。

 深く黒ずみを増した、半分を覆う右の顔の火傷痕がよく見えて気分が悪い。自慢にもならない顔のせいでより一層と虫唾が走る。

 雷と大雨を模したかのようなヘイロー。それに、ヒビ割れ、欠けて、黒色の浅く侵食したような状態をよく見つめ──こういうことをする人間は少ないらしい──、「治りそうも無い」とまた独り言を流しながら、キッチンに足を運ぶ。

 そうした私は、朝食の準備を始めた。内容も、馴染みのあり、かつお気に入りであるサフランティー以外はさして代わり映えのしないもの。つまりは、作るにあたって手馴れたもの。

 然るに、無理をして調理に意識を向ける必要も無かった私は、昔の事を考え始めた。

 

 ──そうとはいえ、あの頃と比べてみれば、睡眠はずっと深くなった。

 昔は、雨粒一つの弾ける音で飛び起きたし、ようやく寝られても悪夢ばかり。まるで休んだ心地がしなかった。

 膝を抱いて寝るというのもめっきり減った。道路の感触も随分と遠い記憶のようだ。ゴミの雑味も数年は感じていない。

 雨とゴミの混ざった腐臭も、雑踏と暴力の響きも、刻まれてこそいるが、自らを追い立てる事は少なくなった。

 ……昔は、酷かった。

 生きるために全てを捨ててきたから。

 憧れと、羨望と、執着心。

 社会生物らしく生きる権利と義務。

 愛玩動物にさえ付けられる名前。

 脊椎を持つ生物としての尊厳。

 ……そうとも、私は虫だった。

 蛆虫か、あるいは、芋虫。決して羽化することの起こりえない、見た目の汚らしい虫。蝶にも、蛾にも、ましてや蝿にさえもなれない、どこまでも下等な、目に入れたくもない穢れた畜生。無為に叩き潰されるだけの虫畜生。

 さながら、害虫に変身したような心地だった。いや、気がついていないだけで、今もまだ害虫なのだろうか?

 ……正直、今でも、私の見ているこれは、本で読んだ「胡蝶の夢」ではないのだろうかと思う時がある。いや、言い換えるなら「蛆虫の夢」だろうか。はたまた、「芋虫の夢」だろうか?

 目を閉じて、開ければ、心地よい微睡(まどろ)みから覚めて、変な夢だったなと月並みの感想を思い浮かべているだけの、ただの子供の夢なんじゃないのかと願いたくなる。

 ……そうであるなら、私はどれだけ幸福か。そうであるならどれだけ喜ばしいか。この自分自身を、「私」自身を嫌う感情が無い生活は、きっと何よりも安楽だろうに。

 ……あるいは、まだ惨めなままなのやも。汚れに汚れた害虫の、希望を望んでしまった最後の瞬き。

 手を伸ばしても届かなかったがゆえの夢想、もし手に取ればはじける(あぶく)の夢、窓の向こうにしかない温かみ──。

 

「……うん?」

 

 不意に、少し焦げたような匂いを感じて、フライパンの中を見れば、ベーコン二切れと目玉焼き二つの焦げている様子が見えた。

 考えに耽りすぎた結果であった。

 

「……しくじったな、焦がすだなんて。……もう一度繰り返さなければ良いだけか……」

 

 自身への苛立ちと失望。それらの入り交じったため息を、独り言と共に吐きながら、またほんの少しは気を向ける事をも意識しつつ、引き続き思索に入る。

 

 まあ、そんな事はどうでもいい話になる。もしそうであるなら、そうであると認めるしかない。ただ認めてから死ぬだけだ。

 むしろ死んだ方がマシであろう。こんな夢を見て、覚めてしまったのなら、いっそ自分で命を断ち切ったほうが楽になる。身寄りも無く、頼れる誰かも無く、そして鉄パイプさえ無いなら自分の舌を噛み切って死を選ぶ。たとえ瀕死で無かろうとも。

 ……ふむ、こう考えると、昔より余裕が出来たらしい。

 なぜか? 私が死に方まで考えていたからだった。その上で、まだ生きている事を後悔していないからだ。

 昔も漠然と死ぬ事を考えていたが、詳細な死に方までは考えていなかった。ただぼんやりとした希死念慮でしかなかった。

 しかし、それ以上に生きている事を後悔していた。生きている事が無駄に思え、目的も無く生きていた。

 それが、今では慣れ、「『嵐』を退ける」という目標の下に、邸宅の改善に奔走している。

 十五年以上も掛けて、ようやく、「普通」でこそないが、一端(いっぱし)の執着心と名前──「何も無い」と、自虐の意を込めた「(れい)」から取り、レイと名乗っている──、生物らしい尊厳を手に取り、「人間社会の一つの生物」の原型として、出来損ないながら活動出来るようになったのだから。

 ……しかしまあ、死に対する意識で己の余裕を計るなど、「普通」の人間にしてみれば苦笑ものだろうけれど。

 

 そうして自らを嘲笑していると、湯沸かしポットの中の湯が沸いた。現代の機器は電気ばかり、というのは中々風情が無いように思われるが、便利という効力には抗い難い。事実、私もこうして電気の湯沸かし器を使っている。

 

 さて、(少なくとも今日までの)朝食の調理の過程の中で、私が唯一意識を向けるといっても過言では無い瞬間。

 よく育てられたサフラン、それを使ったサフランティー。その中にティースプーン一さじの蜂蜜を入れて溶き、甘みのほのかなお茶にする。

 蜂蜜入りのサフランティー。

 私の朝には欠かせないお茶である。

 

 ──たかがサフランと見くびるなかれ。邸宅の管理地、その一部で生産されているこれらサフランと蜂蜜、ワイン、そしてメロン(今は無いが)は、かのトリニティでも好む人間が多いのだ。

 産地の明記こそ変えてもらっている──ナギサにそう通してもらった──が、桐藤ナギサを筆頭に、一度邸宅を訪れ、一口でも茶に口を付けた事があるなら、覚えのある味であろう。

 田舎者だ、汚い悪魔だとせせら笑ってきたアイツらが、いつか種明かしをした時の、精神的苦痛に歪む顔を見るのが、今からとても楽しみだ。

 

「……まあ、そうするメリットは皆無だろうけれども」

 

 心の薄暗さを乗せて独りごつ。

 

 ──実際、客観的に見て、そんな事をする価値は無いだろう。むしろ売上が減る可能性を考えれば、口に出さない方が身のためで、ひいては邸宅や生産者のためでもある。

 そもそも、私の意地の汚い報復心に巻き込まれるなど、蜂蜜やサフランも望むまい。

 このみっともない角も、肌の浅黒も、白髪混じりの黒髪も。……認めたくないが私である。

 彼女らのような、美しく可愛らしい翼も、透き通るような白肌も、綺麗に梳かれた髪の具合も。更には気品も持ちえない。

 彼女たちの持つ全てが、私の手の届かない代物だ。金持ちと、捨て子とでは産まれが違うのだから。

 だから、どれだけ努力しようが、際限の無い嫉妬心は(くすぶ)るまま。今もなお、憤怒で煮え立つ毒気も収まりやしない。

 あらゆる全てがどこまでも、ただどこまでも憎らしい。

 ……しかしてその羨望由来の、あまりにみっともない復讐で、蜂蜜入りのサフランティーが飲めなくなるのは勘弁だ。

 

 さて、そうしているうち、朝食の準備が出来上がった。

 八枚切りのトースト1枚にベーコンアンドエッグ、付け合せの焼いたトマトと。そして今しがたのサフランティー。

 数年前から変わらない、いつも通りの朝食。

 

「いただきます」

 

 ジョウゼフ様が食事前によく言っていた事を真似て言い、私は食事を始めた。

 静かな朝食である。簡素な朝食である。他の人間が見れば、きっと味気のない朝と言うだろう。

 パンの上に積まれた目玉焼きとベーコンの噛まれてちぎれていく音。白磁器の奏でる静かな音。他にはモノレールの金属が擦れる音、遠くで火薬が破裂する音といった、興ざめしそうなものばかり。

 しかし、そんな人気のない朝食こそ、私にとっては気疲れを決して引き起こさない、心の平穏な時間であった。

 

 ──「嵐が丘」の継承者である安晶レイがミレニアム・サイエンススクールに入学した後の現状、および生活ぶりについて。

 それを一言で語るなら、慣れたらどうという事は無かった。

 あの後に私はセミナーへと立候補し、無事に認められ、監査員、つまりは各部活や研究会の成果を客観的に評価する役員として任命された。

 クリーニング・アンド・クリアリング、略称に変えるならC&C(以後はこう表記する)──体裁上はメイド部として活動しているエージェント集団──への出向命令も、よく話を聞けば「C&Cが賠償金を不必要に算出させないための現場監督員になってもらう(要約)」という話であった。カムフラージュのため、必要とあらば出動するそうだが、あくまでも本業はセミナーとしての仕事であった。

 なので、その時は大体のメンバーと顔を合わせただけであった。一部人物──美甘ネル、一之瀬アスナが代表例だ──は私を質問の海に叩き入れようとしたが、残念ながらそれで溺れるほど泳ぎ方(さばきかた)を知らない生物では無い。

 ……もう少し質問者がいたら? さて、それはどうだろうか。きっと溺れていた事に違いない。

 話を戻そう。

 さて、監査員として任命されたはいいものの、機械に対しての知識がそもそも疎い。今までの身近な機械と言えば、電話機、銃器、そして時計が精々。

 そして、それらも決して新しいとは言い(がた)い。

 電話機は近代技術博物館にあってもおかしくない代物であり、銃器も同様。時計とて、電脳を使った時計ではなく、アナログ趣味と言われる懐中時計。全て古めかしいと言われるもの。

 そんな事情も相まってなのか、会長から数日間の猶予が与えられた。その猶予を使って様々な研究や部活動を見てこいという意図なのだろう。

 私もその厚意に甘えさせてもらい、まだ正気があるなと思われたところ──つまり、爆発探究会や触手研究部などは除かれている──を見て回り、最近の研究や発明、そして日常的に使われる機械について見て回った。変な影響を受けないためにと早瀬ユウカもついて来ていた。

 例えば、『すまぁとふぉん』、──改め、スマートフォン。

 これは本当に誰もが持っていた。曰く、これ一つで、電話も、情報収集も、地図も、果ては遊戯も出来るらしい。こんな長方形の金属の塊が生活必需品かと、見た当初はそう感じられたものだった。

 次に『ももとぉく』、──改め、モモトーク。

 これは『いんたぁねっと』を介して『めぇる』や通話、『びでお』通話といった事ができる『そぉしゃるねっとわぁくさぁゔぃす』、……頭痛がしてきたので掻い摘むと、つまりは手紙や電話をスマートフォン上で行うための機能である。

 最後に、銃。しかし、銃は銃でも、連射の出来る銃──自動小銃。

 一射毎にどうしても間隔の開く邸宅内の銃とは違い、恐ろしい速度で弾薬が使われていったのが記憶に染み付いている。こればかりは、邸宅で普及をさせたくない。

 さて、最新の発明といった事で、特に印象的であったのがエンジニア部だった。

 なるほど、そこに所属している人間がキヴォトス(いち)の技術者集団というのも過言では無い。ミレニアム・サイエンススクールの技術がどれだけ優れているか、その一端(いったん)がよくよく理解出来た。

 ……同時に、素直にものを作る事の出来ない、どこかが可哀想な人間の集まりである事も理解出来た。どこか(あたま)とは具体的に言わないが。

 ……何でもかんでも自爆させたり、塩を発射させたり、遠隔通信の出来る機能を取り付けたり。そうする事に意味があるのかは知りたくない。理解したら私では無くなる気がする。

 

 そうして、口に押し込み飲み込んでから、私は早々に歯を磨き、出掛ける用の服──少なくとも街中で「ウかない」もの──に着替え、少しばかり、「万華(ばんか)の窓」に映る「私」を覗く事にした。

 

 ──「万華の窓」。その向こう側の景色を覗き始めたのは、入学し、部屋に最低限の荷物を起き終わってからだった。

 最初は自分の心を満たすためだったが、これがなかなか愉快なものだった。

 何が愉快か? 「万華の窓」ごしの「私」がだ。とりわけ、様々な可能性を辿った「私」を見る事が。

 風紀委員会で業務と戦闘に疲弊している「私」、どこかわからない砂漠で潰れかけている「私」、ティーパーティで目を曇らせている「私」(反吐が出る)。

 中にはアリウススクワッドの一員の「私」(反吐が出た)、愛憎半々の笑顔で「白鯨」を追っている「私」さえもが見えていた。

 アリウスと言えば、かのゲマトリアの一員にして「屋敷荒らしのホコリカスより汚く糞より下等なジョウゼフ様とは到底同じ種族には思えない虫ケラ未満のクソアマ」こと、ベアトリーチェの率いるアリウス分校を指すのだろう。

 まだ悪趣味にも権力者の紛いものとして振舞っているはずだ。可及的速やかに死んでもらいたい。というより死ね。出来れば何も残さずに死ね。細胞の一欠片でもあるだけで大地を腐食しそうだ。

 …………まあ、一度落ち着く事にして。

 さて、「白鯨」といえば、同名の小説に出てくるモビー・ディックか、邸宅が管理している領土の中に含まれている海岸、そこに出てくる「白鯨」──なんの因果か、呼ばれ方もまるきり似ている──くらいだが、おそらくは後者だろう。

 まあ、想像に(かた)くない。邸宅で保護している一人はその化け物の被害者だ。人間ではなく、「白鯨」への報復に執着した私もいたっておかしくは無いだろう。

 ……ちなんで言うと、「私」の可能性は大抵がこんな目に遭っている。これまでに見てきた七つの可能性のうち、四つは希望の欠片も感じられなかった。一つは前述した「白鯨」追いであり、もう一つは真っ当で、最後の一つは狂気である。

 ……後者は、しばらく見たくない。見ていてこっちまで気が()れそうだ。

 コミュニスト(共産主義者)ではない、私は断じてコミュニスト(共産主義者)であるものか。コミュニズム(共産主義)なんてものに希望は無い。ついでに言えば興味も無い。

 ……して、これは私が見つけたものなのだが、──。

 

「……そろそろ頃合だろうな。今日はこれで止めにしておこう」

 

 ──まあ、それは、後でも言える。

 私は「窓」の向こう側の景色を置いておき、定刻通り、トランクケースを片手に、私は玄関の扉を出た。

 ──今日は何せ、早瀬ユウカ、生塩ノアと共に、外出する日であったからだった。

 

 


 

 

「──話をしますけど、街中ではこうやって撃ち合いが多発するものですかね!?」

「そんなハズ無いでしょ!」

 

 そうして私たちは、見事に街中での撃ち合いに巻き込まれていた。

 流石に、こんな撃ち合いは頻発する訳では無いらしい。こういう事は、時折、主に不良生徒──スケバンやヘルメット団といった人間らを指す──が引き起こす事柄らしい。

 私からしてみれば、そもそも撃ち合いが「時折起こる」というだけでも、十分に有り得ない話であるように感じられるのだが、彼女たちにとってはそうでも無いように見受けられる。察するに、こういった事は、外ではさして憂慮する程でも無いと考察出来る。

 ……見習いたくは無いな、こんな環境は。程度の悪さで言えば、似たり寄ったり、──言い慣れた言葉遣いをするなら目クソ鼻クソだろうが。

 

「ああ、もう、こんなハズじゃなかったのに……!」

「まあまあ、ユウカちゃん。一度落ち着きましょうか」

 

 悔しさを滲ませているユウカと、それを慰める生塩を横目に、私は状況を俯瞰する。

 隠れていても、止む気配は無いように感じられる。応戦する音も、どちらかと言えば個人的で、統一されているようには思えない。

 ……ここに治安維持部隊は存在しないのだろうか?

 そんな疑問を抱き、生塩に聞いた。

 

「治安維持のための機関はありますか?」

「はい、ヴァルキューレ警察学校がありますが……」

 

 その言いよどみが、その警察学校とやらの行動が遅いか、あるいは機能していないかのどちらかだという事を察知させた。

 ……いや、2度は言うまい。どっちもどっちだ。

 邸宅も、亡霊共がやけに強い癖に一日に三十匹──人型だが、こう数えている──は平均して、昼夜を問わず出没する。

 しかも、規格外に強い亡霊の集合体も、月に一度。それを、決して多くは無い弾薬の量でどうにかせねばならない。

 亡霊狩りを担当しているハウンドを、射撃と格闘の両立が可能なまでに鍛えさせて、その上で、一匹につき十人の大多数で囲んで叩いているから、ようやく勝利出来ている。

 そうでもしなければ生き残れない、なかなかに悪い環境だ。

 そのように、邸宅について思い巡らせていたのを、この現状に辟易(へきえき)していると受け取ったのか──ある意味では間違いでは無いが──、生塩が補足を入れた。

 

「このような撃ち合いは、キヴォトスではさして珍しい事ではないですからね。ほとんどの人は見慣れていますし、これを能動的に止めようとする人も多くはありません」

「……そうですか。それなら、──」

「──ノア! レイ! 早く終わらせにいくわよ!」

「……そうですね」

 

 早く叩き潰せばいいと提言する前に、ユウカがほぼ同じ事を言った。言わんとしていた事を潰されたため、やり場の無くなった言葉を、ため息に変換させてから一言話し、背負っていた銃器──スナイドル銃に手をかけ、チェンバーに弾薬を入れた。

 

「随分とエングレーブがなされています? 木のストックに銀のエングレーブなんて、なかなか見ない加工です」

「これは、……そうですね、……地元でしてもらった、単なる加工の一つですよ」

「そうですか、……レイさんにも、可愛らしい部分はあるんですね」

 

 可愛らしい、か。……面白くない冗談を言う。

 そうですかと一言だけ答え、トランクケースから取り出したトーションを左手に巻き付け、武器を手に持った。──銃身を掴む形で。

 そうして、脚に力を入れて、

 

「それじゃあレイは──」

「前に出ますので、各自援護を」

「えっ、ちょっとレイ──!」

 

 遮蔽を飛び出し、走る。

 数は四人か、あるいは五人か、──確定させて、五人。これしき、無理をして暴力的にせずとも、叩き落とせるか。しかし、遠慮も必要あるまい。

 そう仮定して、近くの敵へ近づき、

 

「ハッ、ノコノこっ──」

 

 銃を振り上げ、下顎を叩いた。

 砕ける音はしなかったが、それでも良い。前後さえしばらくは分かるまい。

 そうして上がった右腕を、反動を付け、狙い定め、遠方に投げつけ、

 

「おいどうっ──」

 

 当たったかの確認をせず──遅れて聞こえた声より、おそらく当たったはずだ──、最初の敵の手から銃──アサルトライフルと言うのだったか──を奪い取り、片手で引き金を引いて弾をばら撒き、

 

「まずいバケモンだ、引けっ、引けえ、ピキュッ──」

「レ、レイだけにやらせますか! 私だって、戦えない訳じゃない!」

「ヤバいんじゃないかあの中心で暴れてるの!? いてっ!」

 

 一発のみが当たる。流石に片手では制御が難しいか、まあ関係ない。それならそれだ。しかしユウカが一人を()したのが見えたので、収支は黒字。

 弾薬の尽きたらしい挙動のそれを、射撃させた敵にまた投げつけ、

 

「待って銃が飛ん──」

 

 頭に当たり、一人が沈んだのを確認して、最後の一人。

 

「二人が! 二人がおしゃかになかっ──」

「ユウカちゃんと同じで、私も戦えない訳では無いんですよ」

 

 と、生塩の援護射撃。一人がこれで伸びた。これで終止符は打たれた、──ように思われ、

 

「アイツらの、──仇!」

 

 側頭に走る強い衝撃。倒れ、……かけ、踏みとどまり。

 ──撃たれたのか? 頭を?

 

「レイっ!? 大丈夫!?」

 

 ──ふざけるなよ、クソカス風情。いい気になりやがって、許さない、……後悔させてやる、何としてでも、確実に……!

 

「ええ、……心配される程、弱くはないので……」

 

 瞬時に吹き上がった怒りを抑え、敵──銃を投げつけた一人目──を目に入れる。私の銃に手を付けていたのが見えた。

 殺す、確実に殺す、──その感情を黙らせ、駆け、

 

「この、恥知らずが!」

「ぐっ、……こっの、テメェっ……!」

 

 腹に膝蹴りを叩き入れたが、まだ立てるらしい。無駄に屈強で腹が立つ。

 内心舌打ちし、仕方あるまいと──殴るためにトーションを巻き付けたのだが、との思いで──、トーションを解き。

 ──油断を見せたその隙に突っ込む。

 

「なっ、マズッ……」

 

 ──自身を回転させて勢いを付けながら上半身を強打し。

 怯ませたのを全身を使ってトーションを巻き付け。

 膝で蹴り上げ、──崩れた所に、振り下ろす。

 

「あぐっ──」

 

 邸宅流接待術、三式──「束縛」。邸宅内の敵対者を排除する際に使われる、格闘術の一種。

 ……トーションを使った格闘術は、完全に出来ない訳では無いが、しかし不得手だ。出来るようになるまで、ひたすらに練習して、それで、ようやく少しばかり──一秒にも満たない隙を作るだけ。

 だからこそ、使いたくなかった。未完成を人にひけらかしたくなど無いのだ。

 現に、トーションの締め付けが緩い。少しでも力を入れられたのなら、たちまち解けるのが見ずとも分かる。

 

「まだ、終わっちゃ──」

 

 まだ意識があったらしい。しぶとい奴だ。

 折角なら唾の一つでも吹っかけてやりたかったが、そこまで行き着くと、邸宅の品位を疑われるので、留めることにした。代わりに、トーション越しに全力の蹴りを入れて置いた。

 この一撃でようやく気絶したのか、声は沈黙し、ヘイローの輝きもついに失せた。……本当にしぶとい奴だった。それだけは評価出来た。

 

「本当に、本当に、……信じられない程にしぶとい敵だった……」

 

 疲労感を覚えつつ、私の銃を拾い、排莢してから元の位置へとしまい入れた。

 

「……で、レイ?」

 

 そうして、威圧感のこもった声が、背後から響いた。

 ……覚悟は出来ている。何を言われるかは、まだ分からないが、……言われる事の予測も、それに対する返答も、……非難も、侮蔑の視線も、ある程度のあたりは出来ている。

 どうせ以前は汚らしい身分の生物だ。ゴミを見る視線も、侮蔑の言葉よ慣れている。さあ、なんとでも言うがいい。

 私は身構え、そして心構え、何を言おうとしているかを尋ねた。

 

「……なんでしょう?」

「色々と言いたい事はあるけれど、……まずね、一人で突っ走らないで! 危ないでしょ!

 

 そういう問題か?

 ……いや、違う。……こう、違うのだ。説教を免れようという思惑は持っていないのだ。

 私が訴えたいのは、……そう、つまり、まず聞くべきものであったり、それこそ、トーションの格闘術だったり、……あるいは、私の粗相についてを咎めるべきではないのか?

 私はそう考えたのだが、そう反論しようにも、いっそ清々しいほどに世間に疎い。

 少なくとも私以上に、世俗に長く触れてきたユウカがこう言うのであれば、そういう物なのだろう。

 …………こんな事で身構えて心構えた私が馬鹿馬鹿しい。拍子抜けだ。

 どうにもやり切れない感情を浮かべつつも、口を閉じている事にして、ユウカの説教を聞き入れる事にした。

 ……どこまでもにこやかな生塩に少し恐怖も覚えた。

 

 


 

 

 その後、使う武器があっていないんじゃないか、どうしたらその身のこなしが出来るのかについてを聞かれ、あるいは言われ、答えるなり連れ回されていくなりをされていた。

 違う、そうじゃない。そこははっきり言ってどうでもいい──そう言い出したくなる感触であったが、しかし、場所の分かりきっている泥炭地をわざわざ踏み抜きに行くほど──貧すれば鈍するとは言え──そこまで愚かでも無い。

 そんなこんなで、買い物に振り回されたり、衣装や銃を色々と試用してみたりと、なすがままに身を委ね、そうして、今は休憩中だ。

 三人分の席で、二人は果実系統のジュースを、私は適当なブラックコーヒー──好きでは無いが、甘ったるいジュースよりは馴染みがある──を頼み、飲んでいて、今しがたユウカが御手洗で席を開けている。

 そう、つまり、この場にいるのは、生塩ノアと私、他には往来している赤の他人ばかりであった。

 さて、決して美味しくはないコーヒーの入った缶を傾けて飲んでいるうち、生塩ノアが口を開いた。

 

「私、実はその銃のエングレーブについて、色々と知っているんですよ」

「そうですか。ではお好きに、そして勝手に話されて頂ければと」

「そんな悲しい事言わないでください、私と同じ、ユウカちゃんがお友達の人同士でしょう?」

 

 「友達」。過去の私には、随分とそぐわない単語だ。ついでに言えば「人」という単語も。

 過去の私を嘲りながら、空いた片手を指す事で促した。

 

「確かそれは、『ワザリング・エングレーブ』でしたでしょうか。強風や雷を模した彫刻を入れた木製ストックに、特定の産地の水銀と銀、そしてスズを混ぜ合わせたアマルガムを流し入れる、職人技術の賜物だとか」

「……随分と博識ですね。そういった研究でもされていたのですか?」

「いいえ、博物館で見て以来ですよ。研究はあまりしていません」

「それなら、なぜそこまで詳しい説明を?」

「ふふっ、これでも私、記憶力には自信がありますから」

 

 胸を張ったような態度を見せる生塩に、私はなるほどと感心した。それなら、妙に詳細のすぎる説明の仕方であるのにも納得が行く上、なぞるような言い方にも理解が出来る。

 

「それにしても、随分と光彩が違います。私が見たものは鈍い色合いでしたが、貴方の持っているものは、それよりも光沢がハッキリとしています」

「……気のせいでは?」

「そうでしょうか? もしかしたら、気のせいかもしれませんね? さて、どうでしょう?」

 

 ……それはそれとして、やはり、好きにはなれない。

 くつろいだ顔を浮かべているノアの、温柔敦煌(おんじゅうとんこう)とした面持ちが、私の醜い神経に障る。

 嫌いでは無い。しかし、鼻を明かしてやりたい。

 そう思う自らの性悪を嘲笑する。

 

「さて、なんでしたか、……そうそう、『このエングレーブを施した銃には退魔の力が宿る』なんて──」

「このエングレーブそのものに効果などありませんよ、誰がそう言い出したかは、……ああ、いや──」

 

 ……謀られた。そう気づいて、口を閉じた時には既に遅かった。

 不敵な笑みを浮かべた生塩は、私へと話す。

 

「あら、なぜそんな事を知っているんですか? 私はそのエングレーブの事だけを話していたはずなのですけど……」

「上手いですね、そうやってだまくらかすのが」

「私はただ記憶力に自信があるだけですよ」

「笑える冗談だ。それで、……この私をどうするのですか? 侮蔑? 白眼視? それとも嘲りの種に?」

「いえいえ、まさか! ただ、私はこれを聞きたいだけです」

 

「──ユウカちゃんの事は、どう思ってますか?」

「……拍子抜けする質問ばっかりだな、本っ当に!」

 

 思わず素の口調でぶちまけた。脱力感が付きまとい始めてきた。どうしてこうも、ミレニアムの人間は間抜けのする質問ばかりなのだろうか。これを研究すれば、その千年難題のうちの一つは解けるのではあるまいか。

 これでは露悪的に振舞った私が道化ではないか、冗談じゃない。

 

「……ああ、失礼。まあ、答えるのであれば、……清々しいくらいに、気性の良すぎる人間ですよ。悪辣さも、侮蔑も、醜悪さも、何も無い。……許容したものに対して甘すぎる。いっそ、疑う事でさえ馬鹿馬鹿しくなるほどに……」

「……褒めるの、上手じゃないですねぇ」

「そうです、下手クソですよ、私は人間一人さえ率直に賞賛出来ない生物です、なんですか、文句でもあるんですか?」

「いえ、まったく?」

 

 余裕のある笑顔が癪に障る。今までに随分と見慣れてきた、私を嘲るような笑いでもないのが、より一層、不安定な感情を増幅させる。

 

 ……嫌いでは無いが、好きでも無い。

 

「それと、私の事は生塩ではなく、ノアと呼んでくださいね」

「ですが生塩さ──」

「ノアと呼んでくださいね」

「……ノアさん」

 

 名前で呼んだ事で、ようやく生塩、……いや、ノアは、私への追求を止め、ジュースを飲み始めた。

 

「飲みますか?」

「結構。甘さを強く加工されたものが、私の舌には合いませんので。……厚意は頂きます」

 

 ……苦手ではあるが、好意は持てる。

 総じて、積極的に触れ合う意味も意義もあるが、個人的にはあまり合わない。

 ……例えるなら、ノアの飲む、ジュースのようなそれ。

 私にとっての生塩ノアとは、そういう人物だった。




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