嵐の吹き荒れる丘より。 作:■■■■■
「話をしよう」
「死んでも嫌です」
まだ本題の「ほ」の字にすら引っかかっていない白石ウタハの言葉に、安晶レイは拒否反応を示した。いつもよりもシワの凹凸が激しい表情、つまりは心底嫌そうな顔であった。
「なんでさ、前提くらい聞いてくれたって良いだろう!?」
「嫌です」
「まあ待つんだスポンサー殿、まだ何かしらの提案で終わるかもしれない」
「拒否します」
「おーけいそれなら勝手に話そう、とりあえず君が言う工房の人と会──」
「拒否しますッ!」
「食い気味!」
嫌そうを通り越して最早スゴみの域にまで達している表情で拒絶した。いっそ清々しいくらいに凛とした表情での否定など、レイでは中々見られまい。
なんなら、目の前の凛とした表情で拒絶しているレイはこうとまで考えていた。
もしも頭を床に着けて頼みこもうものなら、目の前で幼児のように駄々捏ねて絶対に拒否してやる、と。
──事の発端は一昨日あたりにまで遡る。
近況において、白石ウタハは行き詰まりを感じていた。
夏休みに入った事で若干の気のたるみを覚えた事も一考の余地をする理由には挙げられるだろうが、一番はロマンの表現に幅が無くなってきたように思え始めていたからであった。
「そんなくだらない事で」とも思われるかもしれないが、ロマンをこよなく愛し、ロマンをどんな形にして現そうかと日々頭を悩ませる事の多いウタハにとっては一大事を超えた一大事。空腹の時の昼の飯でさえ、喉を通らなくなるような問題であった。
ウタハはどこぞの捻くれ性悪褐色女とは違い、困ったと感じた時は素直に相談し、素直に人のアドバイスを聞いてみるという仕草が出来る人間である。
しかしここでウタハ、同じエンジニア部に相談してみても、自分と同じ視点かつ同じ考えの元で算出された答えが出るに違いないと推測を打った。ウタハが欲しいのは異なる視点から見た技術の活用方法であり、新しい考え方でもある。
そんな訳で、前々から「訳あってあまり最新の技術についてはとんと知らない」と自己主張していた安晶レイに相談した。
そんな相談を持ちかけられて「なんでそこで一回マトモな物を作ってみるとかじゃなくて、ロマンを感じさせそうな物を見させて欲しいと考えてしまうのだろうか」とは思ってみたものの、とりあえずは口を噤み、何か協力出来るような事を思索する事にした。工房の悪逆非道よりはマシと考えたためである。
そこで数秒程度考え──レイは後に「あまりに浅はかで性急な結論だったろうな」と後悔している──、工房らが制作した物でも見せてみようかと着陸させた。
ここ『ミレニアム・サイエンススクール』においては枯れきったとでも言い切れるような技術の煮凝りとはいえ、しかしかつての言葉群には『温故知新』──古き知識を訊ねて新しい知恵の援用とする、というやり方も存在する。
技術とて、ただ新しいもののみがすべてでは無い。時には蒸気機関や
更に言えば、原型・原案の無い発明・発想は、この世に決して存在せし得ない。
それが例えば言語にしろ曲にしろ、あるいは物語や技術であるにしろ、どちらにしても元となったものが実在し、そこから新たな発想が付け加えられる事で、異なる形のものとして認知される。
例えば、ヨーロッパ諸国で話される言語の始まりは大抵がラテン語であるし、曲の始まりは儀式・祭りの際の囃子と推定されている。物語の起源は神話だろうし、技術の原初は人の知識。
ありとあらゆる「始まり」が世界中へと横溢し、もはや飽和しきっている世の中で、自分だけが見出した「オリジナル」などもはや存在しないに等しいだろう。仮に見つけたとしても、それは実行に値しないと見捨てられたものに違いない。
……まあ、そんなものを好む物好きがいる事もまた事実だが。
まあ、つまるところ、万物は流転しながらも潮流そのものは変わらない、という事だ。無論、いつかはその潮流も消えゆくだろうが、それはきっと、人の営みが滅ぶ時に違いない。
さておき。
そうしたレイの思考を基にして見せられた、良くも悪くも尖りまくったそれらの数々。
複雑かつ無駄なように見えながら(実際無駄だが)も、洗練のされた変形ギミック。槍に銃を合体したような、単純ながらも「近接武器と遠距離武器の掛け合い」というロマン。撃鉄を引けば燃え上がる炉の搭載された金槌。果てはパイルバンカー。
そのどれもに電気信号のひとつも使われておらず、また電子制御の一片も組み込まれていない。今では技術史の教科書──中世と近代の狭間に載っているような技術の内容を、古臭さに囚われながらも先鋭化し続け、最早一種の技術の系図の枝分かれと言ってもいいようになってしまった進化の形。
ものの見事に惹かれた。惹かれてしまった。
あまりに不思議だ、この感覚! ただ電気で動かすだけではとうてい味わえないような、今やとっくに枯れたはずの技術が、こんなにもロマンの息吹を感じさせる!
そうか、……この感覚こそが、レボリューションか──!
ウタハはそんな衝撃を受けてしまったのである。
つまり元々を辿れば、大体はレイの不注意と不始末に限られる。
さて、キヴォトス内外問わずレイの知らない界隈では、このような現象を「メガトンコイン」と呼んでいる。
ミレニアム・サイエンススクールの部活動一覧に登録されているエンジニア部では、開発が行き詰まった状態が続くと、結果的に「邸宅」が滅ぶ可能性が高まります。
だから、ウタハから見て面白く感じ取られそうなロマンを見せておく必要があったんですね。
そう思って工房の作品のいくつかを見せた結果が、特大クラスのやらかしへと繋がった訳である。軟着陸かと思い込んだ結果が不時着とは、なんと注意散漫か。
自業自得とはこの事だ。
「貴女達は技術者ですね。それもかなりロマン漬けの」
「そうだね」
「彼女たちは貴女達とまったく同じ脳の出来です」
「まったく同じ考えだとどうなる?」
「ご存知で無いと? 混沌と化します」
さて、この不注意について云々と言っていた所から、彼女たちの会話は進む。
レイの危惧も、れっきとした理由あってのものである。
事実、『嵐が丘』のほぼ直属と行ってもいい関係性の工房──暴風工房にて活動しているその誰も彼もが、良く言えばキヴォトスに移り住んでもギャグ補正で上手くやっていけそうな連中、悪く言えば人の金でロマンに傾倒したがる火力厨のアタオカ軍団である。
……まあ、邸宅およびその管理地に居住している人物らは、基本的にキヴォトスらしからぬシリアス度合いマシマシの世界で生きているため、どちらかといえば工房側がキヴォトス側の多数派に近い存在であるが、そこは省略。
後のキヴォトスで近しい部活で例えるなれば、「ビデオゲームの代わりに武器を作っているゲーム開発部」、つまり気分と面白みで動くポンチ集団という事だ。
ゲーム開発部よりも質が悪いのは人の金、というよりは「邸宅」の金で遊ぶというとんでもない悪癖がある事である。
いやまあ、遊ぶとは言っても、大雑把な散財や予算の横領という完全な真っ黒ラインを直行しているというより(そこまでやったら首が飛ぶ。それも物理的に)は、製品を作る際に何か無駄に複雑な機構か無駄に尖り切った火力性能、あるいはその両方を突っ込まないと死に至る病に罹患しているという事だ。
これが一人だけでやらかしているのなら、その一人が強く詰められるだけで終わるだろう。しかしこの問題は、それをほぼ全員がやらかしているという事に尽きる。
例えば「こうこうこういったものは必ず付いている金槌を作れ」と言われたら、ある
それを平然とした顔で「仕様通りに出来ていますが文句あります?」と出す訳だ。
当たり前だが文句は言われるし、仕入れ数は半分以下までに少なくなったのに二倍を上回る金額を持っていかれるのだから、キチガイ呼ばわりもそりゃそうだと雑に扱われる。
安晶レイが早瀬ユウカとどんぐりの背比べレベルの甘ちゃんで、なんだかんだと言いながら買い取っている上、キヴォトス比でもかなり過激な性分をしている使い手たちが相当気に入っているからこそ、こんな悪行が長々と続けられているだけで、立派に社会人失格の集団だ。
……ゲーム開発部も大概そんなもの? セミナーの金でゲームしている? ……そういう話はノーカウントだ、ノーカウント。
ちなみに余談ではあるが、近頃レイはエンジニア部を「面妖でイカレポンチな技術者集団」という認識に追加して「
……そんなエンジニア部以上にタチと癖が悪い彼女達の評価など、……つまりはそういう事になる。
話を戻す。
「そこはどうにでもなるじゃないか。それに、私達と同じ視点を持ちながらも、私達のそれとは異なる技術の進化形態を経由した、云わばガラパゴス的な進化をしていったものなのだろう? そこからも見出されるロマンはきっとあるはずだ!」
「その間で幾度の混乱と事故と事件を解決してさほど意義の無い再発防止策を組まねばならないのでしょうね?」
「いやあ、しかしねぇ。私達としてはそういう物を解析して新たなる開発に活かしたいという欲求があるのだから……」
「だからといってあんなマヌケの阿呆共に合わせたら、明らかに解決せねばならない事柄が増える訳です。後始末の大変さもご理解頂けると有難いのですけどねえ、白石ウタハさん」
ウタハから説得を受けているレイは、しかしなおも渋い顔で応対する。
レイの信念──「邸宅を一代でも長く残す」という思いは決して潰えてはいない。むしろ、ミレニアムで時間を浪費していくごとに焦燥感で身が焼け焦げていくような覚えをさせている。
しかし、彼女は誰も近くに居ない一人の方が気が楽になる性分であり──主にこれまでの育ちが原因だ──、責任を負うのは好まない性質だ。
その上で、ただでさえ今は亡きジョウゼフ氏の代わりに、「邸宅」に付き従う彼ら彼女らを守るのでも手一杯だというのに、(自らの選択とはいえ)セミナーで処理しなければならない仕事が増えるのは御免蒙りたい状態だったのだ。
例え、理性と生存本能が歩を進めねばならないと訴えど、心の奥底の億劫さが「合理のために通さないといけないのか?」とのたまっている。
結局、レイも合理性に欠けた存在だ。
と、半分の嫌気ともう半分の断りたい気持ちが理由で目をどこかへと向けた瞬間、ネルとユウカが遠くに見えたのをレイは捉えた。若干の面倒くさそうな顔が見えたネル、説教をしているユウカの顔を見るに、およその任務帰りであるように見えた。
そこで彼女は一考する。ここで、数で押し切れるのなら、あるいは数で押し切れずとも上層部側が反対側に回るのならなんとか拒否できるのではないかと。
そこでレイは彼女たち二人を呼びかけ、おおまかに説明──ほぼ地の文と同義なのでカクカクシカジカという具合で──した。
その反応は下記になる。
「……いいんじゃないの、それ?」
「悪くないとは思うぜ?」
予想外の答えだったか、明らかに怯んだ目を向けた。いや、これは怯んだ、というよりは、「正気か?」ともとれる目の状態だ。
ネルによく話しているハウンドやバトラー達を視認していなければ、元々好戦的な性格をしているネルについてはともかく、(レイ視点では)あんな趣の産物を一度は見たはずのユウカでさえもが意欲的な態度であったから、余計に、これを形容するなら「頭おかしくなったか?」というような思いが頭をよぎっていた。
「……いや、いやいやいや。
「そこまで自虐しなくたっていいだろ、オマエ……」
「それくらい時代遅れも甚だしいって事でもありますよ。兎にも角にも! 私は推奨しません──いいえ、こう言い替えます。一切推奨出来ません」
途中でネルに自虐を指摘されつつも、拒絶の意志を言い切ったレイであった。
そこで動いたのはユウカ。ここにて、一件の通話を開いていた。
「……だそうですよ、リオ先輩?」
【ええ、そうね。……私から見たら、その否定の方法は合理性に欠けているわ。それに、過去の事柄を学ぶ理由──たとえ古い技術だとしても、そこから学ぶ事のできる知識はあるわ。その知識が、千年難題を解くための鍵にだってなる可能性もある。ユウカ、ミレニアム・サイエンススクールが建てられた目的は何だったかしら?】
「はい、ええと、……『今の技術では解き明かせない七つの千年難題を解き明かすため』でしたっけ?」
【ええ、概ねはそれで合っているわ。その難題を解くためにも、今回ユウカが掻い摘みながら教えてくれた話──『邸宅』とその工房との部分的な交流の場は設けられるべきよ。貴方ならわかってくれるでしょう? ──セミナー監査員、安晶レイ】
スマートフォンから聞こえてきた声は、果たして
なるほど、そう称されるに相応しい彼女の説得はあまりにも合理的であり、そして正論だ。
安晶レイはどこかの部活に属している訳でも無い。それどころか、ミレニアム・サイエンススクールの前身の理念を知り、継承しているセミナー側の存在だ。
そのセミナーが、難題を解き明かすための参考になるかもしれない事柄を拒絶するなど、土台おかしい話になるでは無いか。
故に駄々を捏ねて屁理屈を言えるような身分に無い。何も知らないから拒否権を行使出来ないのでは無く、その反対。セミナーについて十全に知っているからこそ断る事が出来ないとは、なんと面白おかしい話であろう。
そういった事への決定権を持っているセミナーの現会長も、半分は引退気分なのか、「リオが良いならいいんじゃない?」というに違いなく、つまりはレイに逃げ道は無い。
そこで「ヤな物はヤなの!」とでも言えるのなら良かったが、『安晶レイ』としての理性、みすぼらしくとも生き残ろうとする生存本能が、リオの正論を肯定した。
「………………そう、……ですね、……連絡は、入れてみましょう」
結果として、苦虫を百匹噛み潰したような顔で、レイは返答した。
その言葉にしゃあっ! と喜ぶウタハと、それを「決して遊びじゃありませんからね!」と釘を刺すユウカ、ウタハ同様に釘を刺されつつも、喜色が隠せていないネル。
電話越しのリオも、ミレニアムのためにと思いながらも、心の中で面白そうな技術に若干浮き足立っていたのを他所にして、レイは目を片手で覆い、天を仰いだ。
「……あぁ、ジョウゼフ様……。私は、涙が出そうですよ……」
喜ばしさを表現する意味の涙だろうか。それとも悲しさを表現する意味の涙だろうか。
ほんのり、落胆したようにも聞こえる声からして、およそ喜ばしさの意味は薄いだろう。
数日後。
今回ではレイを含め計三人になる「嵐が丘」陣営とミレニアム・サイエンススクール間での極小規模な技術交流会の設置された予定日であり、予定通りに決行されたのだが、その雰囲気はとある一人こと、「嵐が丘」側の現当主──他における生徒会長に相当する──、安晶レイによってよからぬ状態になっていた。
その雰囲気といったら、ご機嫌ナナメを通り越して、ブチギレる一歩手前のそれであった。誰が見ても糊付けしたと分かるような真顔で隠してこそいるものの、あんまりにもあからさまのすぎるオーラと手の握りの強さから「今度余計な事をしたら
背丈の低い一人は見て分かるほどに目を逸らしていて、平均身長のもう一人は我関せずの面構え。
どう考えても前者がやらかしたのだろうという考察をするのが容易であった。
ここで、ミレニアム本校に入って以来から無言であった安晶レイが口を開く。
「挨拶をする前に、失礼ですがここで一つ──これは至極個人的なお話なので誠にお見苦しいでしょうけれど──、此度の私こと安晶レイという存在は、邸宅陣営における引率の先生でもなければ、ましてやミレニアム・サイエンススクール本校のガイドツアーを担当するアナウンサーでも無い。ですので──ハア、こんな当たり前の話を何度も何度も言いたくありませんがね──、どうか節度を持ち、そして己の身分の程度を弁えて。その聡明であるらしい頭脳を使い、筋道を立てて行動してもらいたいのですよ。貴女とて、月に二度も『
「……ッス……了解デス……」
そうドスを聞かせた声で、背を縮こませている少女の肩をギリと掴み、耳元で語りかけているレイの目は緑色。
ユウカとノアは慄き、ネルとC&Cメンバーは驚き、ウタハと愉快な仲間たちは好奇心を抱き、邸宅の一人は密かに十字を切った。
ちなみに、『安晶レイ』の瞳が緑色に変わる現象は、よほど感情が高ぶった状態でないと見られる機会は訪れない。普段は
そんなレイがここまで怒りを見せるだなんて、宇井下フランは一体何をしでかしたのだろうか。
好奇心で電車の運行を止めかけたり、他人のアサルトライフルを解体しようとしたり、そこらのミレニアム在学生が持っていた発明品を掠めとって開発の糧にしようとしたくらいなのだが、宇井下フランは一体何をしでかしたのだろうか。
真実は誰にもわからない。
ともかく、強く忠告を入れたレイはいつも通りの紫目へと戻り、態度を治す。ミレニアム生がいつも見かけているような、礼儀正しいながらも、セミナー所属らしく口うるさく「して、進捗は?」「今やりますか? 予算削りますか?」と詰めてくる、かの監査員の姿である。
「失礼、醜い所をお見せしましたね。本来はこういうつもりではなかったのですが」
「い、いえ、大丈夫よ」
「そう言って頂けると助かります。では、長々しい社交辞令も好まないでしょうから、軽い自己紹介から始めておきましょうか。左から順に、宇井下さんからで」
「……ッス。──んじゃあ、気を取り直そうかね! ウチは
そう名乗る短い銀髪の小柄な少女──宇井下フランは、先程とは一転して快活そうな態度で振舞う。怒られていたのを「
「それでは、次ですね」
「……ああ、当方か。当方は寒襟ミツル、……ここだと嵐が丘で通ってるんだな? そこの教育機関における二年で、今はハウンド班のチーフを任されている。そこじゃあ魔弾撃ちの悪魔とも言われているな。短い間だが、よろしく頼むよ」
寒襟ミツルと名乗った、腰までの青髪と長身、悪魔の翼と角が特徴的な彼女は、銃器を担いで促しに答えた。
と、その担がれた銃器に目をつけたのはネルであった。
「おい、それって前装式じゃねぇか? 前から弾詰める銃だろ?」
「ん? ……ああ、そうだな。コイツは七発目を撃つ時であって、メインはこの自動拳銃と近接武器だが……」
「近接武器に普通の拳銃、そこに前装式の銃、……よくもこんなラインナップで戦えてる」
「笑うか?」
「いいや、
「……ふむ、良いだろう。たまには人と競うのも悪くなさそうだ。……当主、送っといた近接武器三つは用意してあるんだな?」
「……ええ、ええ、無論。すぐとはいきませんが用意できますよ。ただ、場所を借りられるかは別問題──」
「場所なら用意してあるわ。ネル、伝えた所での演習をして頂戴」
「ああ、ありがとよリオ! そんじゃあ行ってくる!」
今回で何度目になるかもわからないリオからのバックスタブに辟易した表情を見せつつ、仕方ないような素振りで演習場へと行かせた。
ついで、ウタハから、
「リオ、もう大丈夫だろうね!? 私としてももう待ちきれないという具合なんだけどか!」
「ええ、大丈夫よ。存分に知識を交流してちょうだい」
「よしそれじゃあ行こう!」
「……あー、当主?」
「……なに、ああは言いましたが、折角の外の技術を知る機会です。思うままに自己の知的好奇心を満たし、望むように活動をしてください。この際、無礼な行為は不問としておきましょう」
そう聞いたフランはしばし動きを止めた後、震え、ハジケたように声を大きくさせた。その後にウタハ以上のボルテージで、ウタハに連れられ廊下を走った。
そうして残ったのは、レイとリオの二人のみ。
レイは深く、大きくため息を吐き、張られた心労を身体から追い出そうと試みた。吐き切った息には多量の疲労感が乗せられ、しかし吸われた息にはこの後に対する心労で満ちている。
好戦的な性格をした美甘ネル、惨めさを攻撃性へと変換した寒襟ミツル。ロマンに傾倒している白石ウタハ、高火力を信奉している宇井下フラン。
それがどんな結果を生み出すかなど、レイにとっては一目瞭然であったから。
「……レイ、迷惑をかけたわね」
「いいえ、結構。後始末をするのは、……いつだってトップの仕事ですので。私が邸宅の当主、貴女方で言う所の生徒会長としての立場を引き継いだ以上、そうするべきであるのは明白ですから」
「ええ、そうね。……お互いに頑張りましょう。私も、次の学年からはセミナーの会長になるから、お互い大変になるでしょうね」
「へえ、そちらも重荷が増えそうな事で。まあ、どうこうと言う事は出来ませんが、貴女が良いと思った方に尽力して下さい」
そんな毒にも薬にもならないような会話が二言三言交わされ、静寂がその次に満ちる。
その静けさを打ち破ったのは、リオからだった。
「一つ、聞きたい事があるの」
「何でしょうか? 答えられる事であれば答えますが」
「……そうね。『五人を生かすために、一人を犠牲にするのは、正しい事』かしら?」
「……ああ、トロッコ問題ですか? 『ある人を助けるために、他の人を殺すのは許される事か?』と問われる、倫理学における課題と名高い」
その返答に、リオは少しばかり目を見開く。
「知っていたのね。もう少し世間に疎いかと思っていたのだけれど」
「私とて過去に燻るばかりでもありません。情報くらい更新します。……して、その事についてですが、…………あくまでも、そうならないよう最大限努力して、それでも二者一択せねばならない状況だったと仮定しましょうか。その上で、……
「……ええ、そう。……そうよね」
そう聞いたリオは、安堵したように雰囲気を和らげた。レイが導き出した返答は彼女の信念と重なったらしく、親近感を湧かせたらしい。
しかし、思い直したように雰囲気を再び角張らせたようなものにした。今度はセミナーの上層部として伝えなければならない事があるかのようだった。
「レイ。一つ言っておきたい事があるわ。少しだけ真剣に聞いてちょうだい」
「元より真剣ですよ、私は」
「……そう。それじゃあ話すわね。──最近、クローニングについての研究書類を集めているそうね。それもかなりの数を、実例を中心にして」
「ええ、はい、そうですね。特段悪い話では無いでしょう? 自分で知りたいと思った事を調べるというのは、学生の本領ではありませんか?」
「そうよ、そして研究者としても間違っていない。……だから、念の為に言っておくわ。……クローン人間の作製は、いかなる理由であろうとも禁止されているわ。それがどれだけ重大な理由だとしても、千年難題を解決するにあたって大きな進歩をするものであったとしても、
その忠告に、レイは無言の体勢をとる。
「あなたが言いたい事もわかるわ。過去にドリーという名前で羊がクローニングされていたし、ネズミのクローンも何匹か作製されている。けれど、人間だけは完全に禁止されている」
「なぜです。同じ生物で同じ哺乳類。脳の機能が無い訳でも、クローン生物の内臓に異常がある訳でも無い。それなのに人間だけが禁止? だったら生物のクローニングが禁止されても良いのでは?」
「ええ。だからクローン生物の作製でさえ、今ではほとんどが自重している。工学は当然、生物に関わる部活動であってもよ。校則には書かれていないけれど、生命倫理として問題があるから。そして人間にいたっては、より問題になる。──人間の尊厳に関わるからよ。それに、人格権、自由を求める権利を侵害するからでもある」
続けて、リオは言う。
「もしクローン人間の作製を行った際、どんな事情があるにも関わらず即退学。復学は決して認められない。良いわね?」
「……ええ、ええ。わかっていますとも、そこまで堕ちちゃいませんとも。よく校則は読んでいますから、重々承知しています」
「それなら良かったわ」
少しばかり眉間にシワの寄ったレイだったが、感じたであろう不愉快さをおくびにも出さず、ただ対応する。
その様子に、リオはひとまず良しとしたのだった。
後日、ミツルがネルに負けた事を聞いて驚愕し(リオはホクホク顔だった)、ロマン教コンビは案の定問題を三つ四つは作ったが、それは別の話だろう。