嵐の吹き荒れる丘より。 作:■■■■■
──面倒事など、元来嫌いだ。
手間をかける事は、大抵頭を使うし、身体を動かすにしてもエネルギーを使う。無駄に動けば腹は減るし、頭を使えば脳の燃費の悪さが牙を剥く。喉だって渇くし、感情を無駄に揺さぶられる。
私が主任として指揮をとっていた頃とて、そうだ。ハウンド班やらワーカー班やらバトラー班への細かな指示。本来なら鉛玉を何十発も当てなければ霧散させられない亡霊共。言う事を素直に聞けやしない工房の連中。執拗に突っかかってくるカイザー共。
それが嫌なものだから、マニュアルを作り、私の血液と水銀を混ぜ合わせた弾丸へと弾薬を変更し、月に一回も『面談』をしている。カイザー共についても黒服を通して、可能な限り非干渉の立場を取らせるように命令している(頻度がかすかに減っただけに過ぎなかったが)。
それでも、面倒事というのはずっと尽きない。一つを終えれば二つになり、二つを終えれば三つになる。プラナリアのように分裂して発生し続ける面倒事というのは、気の休まる時間というのを与えてはくれなかった。
それに、仮にその全てが解決したとしても、『嵐』への対策を、たった一年という短すぎる猶予の中で、『邸宅』に住まう全員が死滅してしまうという最悪から逃れさせねばならない。
具体的にいつ来るかというのは解らず、遅くなれば良いが、早まるかもしれない。そして、悪い出来事というのは最悪の想定通りか、あるいはその想定を上回ってくる。
真綿でギリギリと首を絞められていくような感覚で、息苦しいように感じて仕方がない。
──トップに立つなど、元来嫌いだ。
なぜか、なんてのは簡単だ。
最初に、一人が好きだから。
私は一人じゃないと、安心が出来ないように強く押さえつけられて生きてきた。トップというのは、「誰かを率いる必要性」を理由に、関わる気の起きない誰かと予定を合わせ、部下の面倒を見なければいけない。
誰かといれば幸せを感じられる皆とは違って、誰かがいたら警戒心で気が疲弊する。裏切らないか、私を背後から刺さないか、裏で私を蔑んでいないかと、疑心暗鬼を拗らせる。
だから、……二人には申し訳無いけれど、私はユウカとノアとで一緒にいると、孤独を感じ、誰かを疑うような醜さを育ててしまった私自身が猥小で、卑賤に思えて仕方なくなる。
本来なら私の悪い性分である、一人が楽な考えとトップの立場とは、まるきり合っていなかった。
次に、責任を負ってしまうのが嫌だったから。
確かに、私が努力して成功した結果を認められるのは気分がよかったとも。今までは認められもせず、ただ蔑まれ、疎まれるばかりだったから。
けれど、その報酬とでも言うように、より高い立場に立つのは好きじゃない。責任を負えば、やらねばならない義務も増える。認められるべき権利も増える。私は普通でありたいだけなのに、余計に『普通』から遠ざかる。
私はただ、誰かに『普通』であるよう認められたいだけで、上の立場──特別な存在になんてなりたくもなかった。
……だから、そう。ジョウゼフ様は今でも敬愛はしているけれど、それでも私を無条件で認めてくれたらな、とは考えていた。……結局は今更の事だけど。
私はただ、皆の言う『普通』でありたかっただけだった。
だというのに、周りは私を放ってくれやしないし、面倒事をいくつもいくつも持ち込んでくる。私にトップとしての責務を果たさせようとしてくる。望んでいない事をやらせようとする。私を「特別」に仕立て上げようとする。
私はもう、正直に言えば、邸宅の主の命を投げ出したかった。
……じゃあ、あのクズに──ヒンドリーに投げて何もかもを知らんぷり出来るかといえば、それは別だ。
あやつは必ず、トリニティに限らずミレニアムやゲヘナ、それ以外にだって迷惑を掛けるだろう。
それが『嵐が丘』とその学園間で結んでいる不侵略条約を破る事にも繋がるし、全域を統治したい連邦生徒会にとっては目の上のこぶなのだから、各学園と連合して『嵐が丘』を叩き潰しに来るという事も考えられる。
これはあくまでも最悪の想定であり、必ずしもこうなる訳では無いにしろ、それでも悪い想定以外には考えられない。
邸宅は教育機関──『ワザリング・ハイツ執事専門校』──を備えているとはいえ、規模はたかだか数百程度。技術力や装備品も時代遅れと称されるに相応しく、領地も大きいものでは無い。
例え個々の力量は高いとしても、数を揃えたゲヘナにも、制圧力に優れたトリニティの連中にも、無論技術力に優れたミレニアムにも叶う未来など存在しない。
三大校と名高い彼らにとっては、足元の蟻に過ぎない。運が良くても撤退させられるだけに終わり、それでさえも二回三回と退けられるのはほぼ不可能だろう。
その後の統治については、もしそうなってみろ。どうせ私も死ぬので考えちゃいない。
……ただ、これでも私は邸宅を良く思っている。所詮は数年程度の縁だとしても、拾われ育てられた恩があり、ここで過ごしてきた記憶がある。
だからこそ、下らない些事を理由に、邸宅が潰えるなどあってはならない。そうなってはならないのだ。
──今日はその下らない些事を潰すという理由で、トリニティ総合学園に赴いている。目的は不侵略条約の更新と一部内容の変更──もし学園内で
本来なら、手をつけたいなどとは考えも、ましてや行動に移すでさえ嫌気を覚えるような事柄だ。事実、これまではジョウゼフ様が進めていた事であり、私はその間にただ邸宅を任されていただけで、やった事など一つも無い。
しかし、必要だ。『邸宅』をほんの一時でも存続させていくためには、やらねばならない義務なのだ。
近頃ではクローゼットに安置したままであった礼服を着用しているのも、それが理由になる。
かつてジョウゼフ様が言っていたが、「一切の第一印象はほとんどが視覚情報によって決まる」そうだ。確かに、スラムの汚い身なりの人間には蔑みの目が向けられるし、金持ちの奴は嫉妬の怨恨がぶつけられる。
私を例にすれば、今の身なりの良さも視覚情報であるし、礼儀正しさも注目される点になるだろう。この点については気をつけねばなるまい。
無意識のスラム仕草、顔に深々とついた火傷跡、無表情、そして取りようの無い折れ角もまた視覚情報ではあるが、……そこは、実のある話でどうにか上方修正してもらうしか。
……だが、まあ、道中で言われる事など、どうせわかる。敢えて言うまでも無いがじきに聞こえる。
「ねえ、見えた? 角付きがスーツ着てる姿! スーツ着たって中身は何も変わらないのに、滑稽ねえ!」
「そうよねえ、結局卑しい心は隠せないのに! 何をどうしたって、本性は何も変わらない!」
ヒソヒソと、しかし耳が確実に捉えられた内容にそら見た事かと私は思う。
根元よりコイツらは差別意識で満ちている。ただ運命に恵まれただけでしか無く、それを知るつもりも無い集団でしか無い。
だから嫌いだ。だから近寄りたくも無い。心の賎しい奴らが、何を嘲ていられる立場であるか。死に晒せドブ性根。
……そう言いたくもなるが、我慢する。もし言えば外交問題だ。たかが一つの失言で大事にしたいと思うハズが無い。
……とはいえ、体感だと少なくなったように思われる。つまらない事でピーチクパーチク喚く鳥畜生共は健在らしいが、この自治区にならどこにでもいる、という様子には感じられない。
というか、よくよく見てみると制服の方にも差異があるようだ。ある人は白とライトブルーを基調にしたセーラー服であるし、ある人はそれを反転させたような色合い──黒をメインに、赤を差し色にした制服を着ていると見える。ぎゃあぎゃあと戸が軋むような声でああだこうだと抜かすのは、見覚えのある帽子と服装のソイツらばかり。
思い返せば、あの時の大抵がティーパーティーが着ている服装だった記憶が、……まあ、そこは曖昧だ。大した意味も無い罵詈雑言を言われたのはよく覚えているが、服装だとか、当時の細かい特徴については覚えていない。
……つまりはアレか? 私が単に一側面でしか見えていなかっただけの事か? その可能性が非常に高くなる。
……一度、私の中での評価の状況を公平に見るべきかもしれない。偏見あっての外交、そうでなくても特定人種への敵意を向けた
「レイさん、こっちですよー!」
そのように黙考していると、遠くから声が聞こえてきた。通りの良い澄んだ声、聞き馴染みのある言葉遣い。
誰であるかを確認する三言目など必要も無く、そこにいたのは邸宅の常連である桐藤ナギサであった。
つい先程までぎゃあぎゃあ喚いていた遠くの二人は、これを目視したのか黙り込んだ。上司が態度良く出迎えたのがどうやら気不味く感じられたように見える。いい気味だ。
内心ほくそ笑みながら、ナギサへと会釈する。
「レイさん、酷いじゃないですか! 私に何の連絡を寄越してくる事も無く、送ってきたのがティーパーティ宛てだなんて!」
「別に貴方を相手するつもりは無かったのですがね。私は元々、外交をする為だけに来ていましたので」
そう答えると、ナギサはつまらないとも、寂しいとも取れそうな顔を浮かべた。
「連れない事を言わないで下さいよ。私とレイさ、いえ、レイは友達同士ではなかったのですか?」
「友達とやらになった覚えなどありませんが? というか呼び捨てないでもらえますか? そこまで気安い関係になったものでも無いでしょうに」
「な、あの時の応援は、紛い物の言葉だったのですか……!? ──いや、わかりました、少しばかり執拗だったかもしれません、ですからその『面倒くさいなコイツ、一回殴るか……?』みたいな顔をやめてもらえませんか」
「違いますよ、流石に」
「じゃあ何を考えていたんですか?」
「『チクタクチクタク頭が時計みたいにくっちゃべりやがって、*邸宅スラング*してやろうか*スラムスラング*が』です」
「聞いて損しましたよ! そんな事思ってたんですか!?」
「嘘ですよ」
「良かった、嘘でしたか……」
ちなみにこの物言いは嘘でこそあるが誇張はあり、実際には『一発蹴り飛ばすぞコヤツが』だ。
嘘は言っていない。嘘は。
……とはいえ、思うところもある。彼女が統治者らしからぬ無邪気さ、言い換えるなら子供らしさを有している事では無く──それは子供であるならばむしろ喜ばしい事だろう──、人の事を信頼しすぎているというものだ。
私はそういう人を、スラムで極小数人見た事があった。どこまでも人を信頼しすぎていて、あまりにも優しく、あまりにもスラムで生きていくに相応しくない人間だ。
そういうのは大抵どこかで裏切られ、売られ、行方知れず。幸運にも──いいや、不運にも戻ってきた身の奴は一転し、極度なまでの人間不信へと変貌する。
私とて何度も利用してきた。ああいうのは気が優しすぎるもので、飯が欲しいと言ったら快く譲るような、スラムに向かない人間だ。そうして身を滅ぼすのが大抵だと言うのに。
だからスラムの輩は大抵薄情者のクズ集団──無論として私も含め──と認識されるのだが、それはさておきとする。
つまり桐藤ナギサとは、それに近しい人間性だ。
このまま何事も無ければよろしいが、大事になれば折れるタチだろう。とりわけ自分が親密であった存在が、傷付けられたのならより一層。
政治家、実業家、発明家。そういった立ち位置の人間は往々にして誰かに妬まれる。自らに無いものを持っている輩を妬み、一見気楽そうに佇んである輩を嫉む。
大抵の人間はそんなものだ。
だから、彼女が友人と呼ぶ存在が傷付けられないか。そうして気性を人間不信に変質させないか。ただそれだけが心配であった。
「……何を考えていたんですか?」
「何かをです」
「具体的には?」
「ここをどう表現すれば良いのかを」
「では天国になりますでしょうね。私の事を、……そうですね、ベアトリーチェ、とでも呼んでいただいてもいいんですよ、旅人さん?」
「…………良く見積っても煉獄では? だから貴女はヴェルギリウスだ」
「れ、煉獄……」
「なぜと思われても、政権闘争に明け暮れるなんて、私にとっては煉獄にしか思えません。わざわざ争う必要も無いでしょうに」
私は二重の意味で眉間に皺を寄せながら話す。
無論、煉獄とわざわざ称したにも、それ以外の理由はある。
……ベアトリーチェと聞くと、……あの
おかげで『神曲』の天国編を読み返す度、そのベアトリーチェの姿が、意地汚い心が身に現れたが如き風貌のあのアマにさせられるのだ。これがどれだけストレスで、これがどれだけ
しかし、それはそれでこれはこれ。一刻も早く忘れるか、出来ないのなら原因を抹殺してしまいたい。ゲマトリアの連中には止められるだろうが、そうにしたって私にはただただ不愉快だ。
……一発殴れるのならスッキリするか? 一発くらい良いだろう、一発くらい。なあに、『黒服』もマエストロも、ゴルゴンダもそれくらいは許容するはずだ。彼ら(便宜上そう称させてもらう)もベアトリーチェの言葉遣い、仕草には
「それに煉獄編における案内人はヴェルギリウスですよ。ヴェルギリウスと言えば、詩人で有名です。つまりそういった系列の人と並べられるというのは光栄ではありませんでしょうか?」
「そこで文学に繋げるというのが、なんともレイさんらしいですね。かのレイさんにしてはとても珍しい褒め言葉として受け取っておきます」
そんな取り留めもない会話を続けて、
「そういえば私、ティーパーティーのフィリウス分派代表として認められたんです。これまでの功績を鑑みるとその地位が妥当だろう、なんて文言まで添えられて」
「良かったじゃないですか。何でしたっけか、トリニティを私にとっても居心地の良い場所にするだとか、どうだとかとのたまっていた」
「そこにもう一つ、叶えたいと思う事も出来まして。……ゲヘナ学園とトリニティ総合学園が仲良く出来たのなら、どれだけ良い事か、と」
──悪魔と天使の親交。
他が聞けば鼻で笑うような話だろう。私とて、そう思うような事柄だ。
片方が喧嘩をけしかけたというに我関せずと征服の態度を示し、もう片方が差別意識を顕にしてはそれすら開き直った態度で、そうしてお互いが敵意を露呈させているというのに、手と手を取り合って仲良くする?
傍観者の立場であり続けた邸宅の視点から言わせてもらおう。
鼻で笑うと言うですら烏滸がましい、つまらない洒落やジョークとしても取り扱えない欠陥話。単なる人間が、風車を倒そうとするような考えでしかない。
そういった思考はおくびにも出さず、話を聞き続ける。
「レイさんは、これをどう思いますか? 叶わない夢であると思いますか?」
ふと横顔をちらと覗けば、何かを慮るような顔つきを浮かべていた。無駄に絢爛豪華、ジョウゼフ様の言うには「ゴシック・リヴァイヴァル様式」だと言うらしい建築の校舎を見ていながらも、その先の空を見ているような目線。
……なるほど、これは邸宅の当主としても、「安晶レイ」としても、真剣に答えねばならないらしいと察せられた。
「…………さあ? それはわかりません。ただ、私はまだ、見果てぬ夢を見ている。公言はしませんし、今後も口から出はしない」
私の見果てぬ夢は、……私を無条件に認めてくれる人が欲しかったという、今更叶うハズも、ましてや最早見捨てるしか無い夢だ。
下らない。切り捨てるべきであると知りながら、それでも終えられない。
「夢を見続けるのは、疲れますか?」
「疲れる? 当たり前の事を。さっさと諦められたら、どれだけ良いか。でも諦められないし、それが私を追い詰めて、私の中の自我を
「……じゃあ、諦めた方が良いと?」
私はもう見るだけになった。見果てぬ夢は、今や結末の無くなった夢へと成り下がった。荒唐無稽で、幼稚で、怠惰。どこまでも膿み腐れた五流の夢。
だが、彼女は違う。夢の善し悪しも、良い悪いも別で、まだ見始めたばかりの、しかも私のような奴とは違って善良だ。
だから、私のようになるべきじゃない。
「……さあ、ね。貴女が諦めるべきだと思えばそうすれば宜しい。諦めるべきでは無いと思えたのなら、そうなされば宜しい。いずれにせよ、……そうですね。『諦めた後悔よりも、出来なかった後悔の方がマシ』──とは、私は思いますよ」
そう言い切った辺りで、柄にも無く説教臭い事をしでかしたなと頭を掻く。
私は神父の真似事など好きじゃない。好き好んで説教しようとも、ましてやわざわざそのフリでもしようだなんて微塵も思えない。掻き捨てる事の出来ない恥がまた増えた。
その事で深々とため息を吐いていると、隣のナギサがクスと笑った。
「本当、レイさんは、人の背中の押し方が不器用ですね」
「……ハァ。これなら何も言わない方が良かったですかね? そちらの方がより追い詰められそうだった」
「いや、違うんです、そういう意図では無く!」
「何、わかってますよ。以前にも同じ事を言われた事がある。邸宅ジョークですよ、邸宅ジョーク」
「多分それ、ジョークとして成り立っていないかと……」
そう言いながら、瞳に明るみを増させたナギサはこちらを向く。
「それじゃあ、その私の夢の為にも、どうか今回のお話、成功するように協力してくださいね。そっちの方が、私にとっても、そしてあなた──安晶レイにとっても、良いでしょうから、そうでしょう?」
「……ええ、ええ。そうですとも。協力させていただきましょうとも、我らの夢見るお嬢様」