7cmだ。
何度計算してもその結果に変わりはない。
オレは7cm足りず敗北する。
走法を変え、戦法を変え、トレーニングを変え、道具を変え、敵を変え、天候を変え、
ありとあらゆるシミュレーションを試し、それでもなお、オレが勝つという計算結果は得られなかった。
0と1で構成された完璧な解答は、決してオレに微笑まない。
オレの届かない、計算の埒外に
いや、そんなはずはない。すべては数値に置き換えられる。埒外の存在などありえない。そんな風に見える存在があるとしたら、オレの計算が不完全なだけだ。
何が足りない。
何が違う。
オレの前にそびえたつ壁はなんだ。
見落としている変数Xがあるはずだ。8cmを稼ぎ出す何かがあるはずだ。
そうじゃないと、オレは、このままでは……。
「くそっ」
そこまで考えたところで、エアシャカールはベッドから跳ね起きた。
寝る前に考えるといつもこうだ。グルグルと思考が同じところに行き詰まってしまう。そのせいで、やけに目が冴えてしまっていた。
時刻は夜の0時を回ろうとしている。
同室のメイショウドトウはすやすやと穏やかな寝息を漏らしている。その様子を見て、エアシャカールは多少物音がしても彼女は起きないだろうと考えた。
それで、寝間着から着替えて夜の散歩へと出向くことにしたのだ。
わずかに顔をそらすように空を見上げれば、星が瞬いているのが目に入る。
トレセン学園からちょっと歩いただけのここは、山の中のように満天の星空とはいかないが、まあそれでもきれいだと思えるほどには星が見える。
さらに少し歩けば、コンビニの前に差し掛かる。元から少ししか見えなかった星が、店の照明にかき消されてより少なくなった気がした。
入口のそばでチンピラのような格好の青年が一人で缶の飲料を飲んでいる。
絡まれでもしたら面倒だと思い、散歩もこの辺にしておくかとエアシャカールが踵を返したところで、明るい男の声がかかった。
「こんばんは。君、こんな時間に何してるの?」
声の主に目をやれば、青い制服を身にまとった警察官だと分かった。
おもわず、げ、と漏らしたエアシャカールに、警察官はさらに問いかける。
「もう0時過ぎだよ。こんな時間に出歩いちゃ危ないだろう。親御さんと一緒かい? それともひとり?」
「あー……」
口の中でめんどくせえと呟く。さて、なんと言ったものか。
「いや、あー、もう帰るとこデス」
「本当かい? 最近この辺も物騒だからね。あんまり遅い時間に出歩いちゃあ……」
警察官はくどくどと説教を始める。
エアシャカールは眉間を押さえそうになった。もうさっさと振り切って逃げてしまおうかという考えが頭をもたげたところで、警察官の肩が横からぽんぽんと叩かれる。
彼が振り向くと、そこに居たのは先ほどコンビニの前に居たチンピラだった。
「ええと? なんです?」
急に現れた男に、警察官は眉根を寄せた。いぶかしむ彼に、チンピラはバッジを見せた。
「俺ぁ、学園のトレーナーだ。そいつはうちの生徒。俺が責任をもって寮まで連れて帰る」
「トレーナー? あなたが? ええと、まあ、そう言うなら」
チンピラのように見える風体を怪しんだのか、警察官は顔を寄せてバッジ見た後、渋々納得した。
「あまり深夜に出歩かないようちゃんと言っておいてくださいね」
「あいよ」
警察官の忠告に、飲みかけの缶を顔の前に掲げ、チンピラが軽く返す。エアシャカールとチンピラの二人で警察官を見送って、彼の姿が見えなくなったところでチンピラが缶を呷った。
「じゃあな」
「あぁ?」
「あ? んだよ」
彼がそのまま去ろうとするものだから、エアシャカールは素っ頓狂な声を上げた。チンピラが振り返りエアシャカールを見やる。
「いや、お前……。送るって言っただろ」
「なんだ、ガキ。送ってほしいのか?」
「え、いや……。別にいらねェが」
「ならいいだろ」
「……それでいいのかよ。トレーナーなんだろ」
「いいんだよ。お前はこっそり抜け出して誰にも会わずにさっさと帰った。それで終わりだ」
「……」
エアシャカールは思わず口をつぐむ。それもそうだ。誰にも咎められないのならそれでいいのかもしれない。
「ン、そうか。じゃあ、まあ……帰る」
「そうしろそうしろ」
エアシャカールは、しっしっと手を振るチンピラに背を向ける。
パーカー越しに頭の後ろを掻いて、学園に向けて歩き出した。
あのチンピラ風のトレーナーの名前のひとつも聞いていなかったと思いいたったのは、学園に着いた後だった。
その日から数日経ち、エアシャカールはひとつの問題に直面していた。
トレーナーの不在だ。
トレーナーが居なければ、レースには出られない。が、適切なトレーナーは見つからなかった。どいつもこいつもぼんくらばかりだ。
こちらの話を理解できねえ。数字で物事を語れねえ。論理が破綻している。
自分の邪魔にしかならないトレーナーばかりだ。最低限、自分の障害にならないトレーナーを見繕わなければならない。
それは新しいプログラムを組むより難解なことに思えた。
そこで、ふと、エアシャカールは数日前の夜を思い出した。あのチンピラだ。
彼は深夜徘徊する自分を放っておいた。まさしく不良トレーナーだろう。だからこそ、トレーニングも放任である可能性もあるはずだ。
トレーナーに理解は求めない。ただ、放っておいてくれればいい。計算の邪魔にならなければ構わない。
彼はその条件を満たせるかもしれなかった。
エアシャカールは腕を組み、宙を見上げた。
「ダメ元で調べてみっか」
言って、彼女はノートPCを開いた。
それから数日後、エアシャカールはトレーナー室の前に来ていた。
握りこぶしでドアをノックする。
しばらくすると、中から「おう」と声がした。入っていいということなのだろう。
エアシャカールはドアを開けた。
中にいたのは、あのチンピラだ。相手もこちらの顔を覚えていたようで、不機嫌そうに寄っていた眉をさらに寄せる。
「何の用だ、てめえ」
おおよそトレーナーとは思えない物の言い方に、エアシャカールは喉の奥を鳴らした。
「お前に用があって来たんだよ。『名義貸し』」
「けっ」
彼は短く吐き捨てる。
名義貸し、それがエアシャカールが調べた彼の話だった。
「お前、レースに出たいがトレーナーの付かないウマ娘のトレーナーとしてトレーニングも見ずに名前だけ貸しているそうじゃねェか」
「……」
「オレにも名前を貸しやがれ。オレは邪魔をしねェトレーナーを求めている。嫌とは言わねェよな」
「また面倒なのが……」
「おい、どうなんだ」
エアシャカールが、あぁ? と片眉をつり上げると、彼はことさら大仰に舌を打った。
それからゴソゴソと書類を取り出す。突きつけるようにそれを差し出した。
「契約の書類だ。さっさと埋めてこい、ガキ」
「よし、分かった。それとオレはガキじゃねェ。エアシャカールだ」
そうかよ、と呟いて彼がこちらを向いた。
不機嫌そうな目元を隠そうともしない。
「俺はイグアスだ」
よろしくする気はねえけどな、と彼は鼻を鳴らした。
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