ゲートが開く。
並んだウマ娘たちが一斉に飛び出した。
先行策を取ろうとし、集団前方を狙う者が多い。過酷な位置の取り合いは、序盤からハイペースなレース展開となって現れている。
逃げで走りたいウマ娘が逃げ切れずにいる。結果として、前方にウマ娘が集中する頭でっかちな集団となった。
これは消耗戦になる。エアシャカールはそう感じた。
落ち着いてスタミナの配分も満足にできないレースになるだろう。あとは集中力と意地のぶつかり合いだ。
他のウマ娘もそれは感じているのだろうが、かといってペースを落とすことも難しい。
脚を緩めて、他の者も付いてくれば問題ない。だが自分だけがペースを落とせば、それはレースから弾き飛ばされることに他ならない。
誰がブレーキを踏むか、チキンレースの様相だった。
そしてきっと、誰もブレーキなんて踏めないだろう。
そんな予感が走る者全員の頭に浮かんでいる。
このハイペースで走りきるしかない。
今まで積み重ねてきたものを信じて、自分が食らいつけると信じて走るしかない。
やるしかない。それは、エアシャカールも同様だった。
エアシャカールは集団の後方、差しと追込の間程度の位置取りだ。いつもよりは若干前に付けている。
ローダーフォーがいるのはその前だ。
彼女は差しで走るつもりらしい。
先程からちらちらとこちらの方を観察しているように感じる。
いつもの追込策よりも気持ち前に出ているのは、ローダーフォーの近くに行くためだ。イグアスの戦略の第一段階だった。
イグアスはどうすればいいのかだけを言ってきた。なぜそうするのかは教えなかった。
その理由を聞けば、匂い消しのためだと言った。
「あの野良犬は鼻が利くから、てめえの動きからこっちの意図がバレかねない。極限までこっちの戦略を伏せる必要がある」
そう言って、エアシャカールにすら詳細を教えなかった。いくつかの段階の指示を与えただけだった。
第一の指示、『最初の直線で、差しで走るだろうローダーフォーに詰め寄れ』
この段階はクリアだ。
ローダーフォーの斜め後ろに付けている。間に他のウマ娘もおらず、彼女にこちらの存在を意識させつつある。
(そもそもあいつが差しを取らなかったらどうするつもりだったんだ? いや、今考えることじゃねェ。現にイグアスの言った通りになってる。だったら今はプランをこなすことに集中すべきだ)
集団が第一コーナーに入った。
塊になりながらの曲線は、否が応でも神経を使う。
他のウマ娘と軽く接触しただけでも、遠心力に負けて吹き飛びかねない。
ぶつかりたくはない。だが、スペースを譲りたくもない。限界ギリギリの攻防がそこかしこで起こっている。
その中での第二段階だ。
『第一コーナーでローダーフォーの外から内側に寄せろ』
これにはエアシャカールも口を挟んだ。
「内ラチに詰めろってことか? 確かに挟まれりゃ走りづらくもなるが、その程度で止まるやつでもねェだろ」
「いや、寄せるってほどでもない。ほんの少し、外から来ているってことを意識させるくらいでいい。なんならあいつが気づかないほどでもいい。一回寄せて、すぐ引け」
「ますます分かンねえ。意味あンのか?」
布石だよ、とイグアスは言った。勝負所はここじゃねえ、と。
エアシャカールとローダーフォーがほぼ横並びでコーナーに入る。
(ここだ。ここで外から仕掛けるふりをする)
エアシャカールがスピードを上げ、ローダーフォーの外から走りこむ。ローダーフォーの真横で、旋回半径を小さくするように少し内に寄せる。
エアシャカールのプレッシャーに彼女が反応を見せる前に、ペースを落ち着かせるかのようにローダーフォーの背後へ戻った。
コーナーで多くのウマ娘のスピードが落ちる中、ローダーフォーはペースを維持している。エアシャカールもその背後で虎視眈々とチャンスを伺う。
コーナーを抜け、向こう正面に入った。
全体の伸びが鈍い。
序盤からのハイペースで、皆仕掛けることができずにいる。だが、ペースが落ちる者もいない。ここで終わるわけにはいかないという思いは同じだ。歯を食いしばり周りに食らいつく。
後ろを突きはなし、前を追い、隣をねじ伏せる。
それぞれが胸に宿した火が、大きなひとかたまりになる。そのことに奇妙な友情じみたなにかすら感じられる。
周りは最大の敵であり、そして最大の同志だ。
だけど、と皆が思う。
だけど、勝つのは自分だ。
ひとりの先行ウマ娘が仕掛けた。
雄叫びをあげ、逃げるウマ娘を後ろから斬りつけるように追い立てる。
まだコーナー手前だ。
彼女は理外のロングラストスパートをかけようとしている。
狂気的ですらある。
だが、レースはそれに呼応した。
仕掛けたウマ娘に続くように皆のペースがあがる。
常軌を逸したハイペース展開に観客のどよめきが起こった。
エアシャカールも反応しスピードを上げている。しかし、後手に回っているわけではない。
自分はもとより追込策だ。
他のウマ娘よりは余力を残している。
イグアスの指示を思い出す。最後の段階、『コーナーが終わるまでに仕掛けろ、うまくやれ』
ちらりとローダーフォーに目をやる。彼女はわずかに目を見開いた。
瞬間、ここだと思った。仕掛けるのは今だ。
エアシャカールは一気にペースを上げた。
同時にローダーフォーも仕掛ける。
集団後方からふたりのウマ娘が駆け上がってくる。他のウマ娘も追いすがろうとするが、駄目だ。追いつかない。
エアシャカールとローダーフォーが集団前方まで駆け上がった状態でレースはコーナーに入った。
彼女らの前方にはふたり。最初から逃げで行っていたウマ娘と狂気のロングスパートを仕掛けたウマ娘だ。いずれもすべてを燃やし尽くすように走っている。
そのふたりを飲み込まんとするのがローダーフォーだ。ローダーフォーの火が全てを焼き尽くす。じわじわとふたりが炙られていく。
そのローダーフォーの隣、エアシャカールが肩をぶつけんばかりに競り合っている。ローダーフォーに負けてはいない。
ついにコーナー中盤でエアシャカールとローダーフォーが先行するふたりを追い抜いた。
後方からの猛追に、一層観客からの声が上がる。
ついに、先頭に立つのはエアシャカールとローダーフォーだけになった。
内側にローダーフォー、外側にエアシャカールだ。
ローダーフォーの旋回半径がやや大きい。最内に付かずに、内ラチと少しスペースを空けて走っている。
エアシャカールはその外側だからより走行距離が長い。だがその分描く弧が緩やかだからスピードに乗って最終直線に向かえる。
(ここまでは、オレのプランと変わらねェ)
クソ、と奥歯を噛む。プランと変わらない、つまり7cm足りないということだ。
(このままいけば、ローダーフォーは最終直線に入る一歩で爆発的な加速をする。その加速にオレは追いつけねェ)
(8cm稼ぐンじゃなかったのかよ、イグアス!)
絶望が頭をもたげるが、それでも脚は止めない。止まるわけにはいかない。
そうしてふたりは横並びで最終直線に入る。
ローダーフォーが芝を叩きつけるように脚を出す。その時、
ずるり、と彼女の上体が揺らいだ。
ほんの僅かな一瞬のブレ。すぐにローダーフォーは体勢を立て直す。しかし彼女の加速は鈍い。計算だともっと速かったはずだ。
(なんだ? 脚を滑らせた? このタイミングで?)
エアシャカールの頭に疑問符が浮かぶ。
(いや、そンなのどうでもいい。今だ、今しかねェ! ここで全てを賭ける!)
「おおおおおおっ!」
叫びを上げ、エアシャカールが限界までギアを上げる。
ローダーフォーも歯を食いしばり駆け抜ける。
残りはただの直線だ。自分のプランは全て費した。イグアスの戦略も全部クリアした。
残っているのはプライドだ。ただただ真っ直ぐ駆け抜ける意地だけの勝負だ。
息を吸う。腕を振る。脚を出す。
一瞬でも速く、前へ、前へ。
エアシャカールが一歩抜ける。しかしすぐローダーフォーが肩を並べる。今度は逆にローダーフォーが前へ出る。するとすぐにエアシャカールが食らいつく。
一進一退の攻防はどちらが先を取るのか全く分からない。ふたりが横並びで最高速度で駆ける。観客の声援が上がる。
ゴールはすぐそこだ。
ふたりの火がまっすぐな軌跡を描きゴールに向かう。まだ横並びだ。まだ分からない。
声にならない叫びをあげ、エアシャカールは駆ける。
もう少しだ。もう少しなんだ。
ゴール目の前で、エアシャカールの時間が鈍化する。世界が静寂に包まれ、一歩ごとに脚の指先から頭の先までの体の感覚が鋭敏に感じられるようになる。一歩踏むごとに芝の一本一本までの感覚を掴めるようだった。
芝を踏み、力をこめ、大地を蹴る。その一つずつのモーションが最も正確に行える。
一歩ずつ前に進む。一歩ずつゴールが近づく。
鈍化した時間の中で、エアシャカールはついにゴールを抜けた。
ゴールを抜けた瞬間、世界に音が戻った。
観客の大きな声が会場を包む。
ゆるゆるとスピードを落としてから止まり、膝に手をつき呼吸を整える。
それから着順掲示板のほうを見た。着順は空欄のままだ。ぜーぜー、という自分の息がやけに大きく聞こえる。その中で、会場には写真判定を行うというアナウンスが流れた。
写真判定という言葉を聞き、ローダーフォーのほうを見やる。彼女もターフビジョンのほうを食い入るように見つめていた。
ビジョンにゴール時の映像が映る。その姿に観客が悲鳴のようなどよめきを上げた。
ほぼ同着だ。ふたりのウマ娘がぴったりと横並びに並んでいる。少なくとも引きの映像ではその差は分からない。
映像がアップになる。わずかな差も見逃さないようスリットが入る。
その映像に、エアシャカールの口から声が漏れた。
「う、お、おお……」
1cm。
わずか1cm。ほんの爪先ほどの差、エアシャカールのほうが前に出ていた。
隣でローダーフォーが腰に手を当てて頭を振った。
胸の奥から震えが湧いてくる。喉の奥から何かがこみあげてくる。自然と震える手がこぶしを握る。
エアシャカールの膝から力が抜け、膝立ちの状態になった。
その体勢のまま、両のこぶしを高々と掲げた。
「うおおおおおおおっ!」
エアシャカールの雄たけびに、会場が爆発的な声に包まれた。
次回、答え合わせ
最近ランキング150位くらいに乗るようになりました
数字のために書いているわけじゃないけど
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