イグアスが担当になり、エアシャカールは晴れてレースに出られるようになった。
やるべきことに変わりはない。ただひたすらに、効率良く練習を積み上げ、7cmを覆すことだ。
その中で、何かを探すしかない。Parcaeに入力しそこねた何かを。
エアシャカールにとって意外だったのは、イグアスが思いのほか自分の練習を見にくることだった。
放任主義の極まったような『名義貸し』という名にそぐわず、練習用のコースやトレーニングルームなどにはしっかり現れた。
とはいえ、何かを言ってくることは無い。ただ、不満げな目で、じっと練習の様子を見ているだけだった。
トレーニングを行い、自身のデータを入力し、更新する。
ライバルとなりうる他のウマ娘のデータを集め、更新する。
最新の研究に目を通し、より効率の良いトレーニングを組み、更新する。
わずかなズレも許さない。ひたすらに正確なデータを集め、正確な結果を算出しつづけた。
しばらくそんな日が続いた。
その日はめずらしくイグアスがエアシャカールに声をかけてきたのだ。
「何がてめえをそこまで走らせる?」
休憩中に水を飲んでいた時だった。ぼうと見ていたイグアスが問いかけた。エアシャカールは口をぬぐって答えた。
「んだよ、急に」
「いいだろ、俺はてめえのトレーナーなんだ」
「……。そりゃあ勝つためだ」
「何に」
「全てにだよ。クラシック三冠。オレの目標はそこだ。今は計算で導き出した最良パターンを取ってるってだけだ」
「で、その算数の結果だと勝てんのか?」
エアシャカールは黙り込んだ。
答えはすでに出ている。7cmだ。
どれだけデータを更新しようと、それは変わらないままだった。
「なあ、何がそんなに不愉快なんだ?」
唐突な問いに、エアシャカールは首をかしげた。
「不愉快? オレが? なんで」
「その理由を聞いてるんだろうが」
「そもそも、オレは別に不愉快もクソもねェ。オレは常にロジカルに走って、それをデータ化してるんだ。不愉快だなんてもん入り込む余地がねェ。なんでそう思った」
「同じ目をしたヤツくらい分かる」
「あぁ?」
「シャカール、てめえ何時だってクソみたいな結末の映画を見せられてるみてぇだ」
エアシャカールはわずかに目を見開き黙り込んだ。
それはきっとなにも間違ってはいなかったからだ。
「なあ、何がそんなに不愉快なんだ?」
もう一度イグアスが問う。
エアシャカールはガシガシと頭を掻いた。
付いてこい、とイグアスを引き連れ、トレーナー室へ向かった。
Parcaeを立ち上げ、データを見せる。今まで積み上げてきたもの。そしてこれから積み上がっていくもの。
そうしてイグアスに語った。
「7cmだ。たったそれだけ足りず、オレは三冠を逃す。それが唯一変わらねェ答えだ」
「ふぅん、そいつが絶対の運命ってわけだ」
運命なんて軽々しい言葉で言い表されたくなかったが、まあそうだな、とエアシャカールは頷いた。
「すべての要素を0と1に変換して、得られた結果だ」
「……0と1を越えた先にある存在ってのはあるもんだ」
「あぁ? 数字にできねェ感情だの根性だの言うつもりか? そんなもんレースの結果に関係ねえよ。すべては数字だ」
「すべてを投げうって、0と1になって、それでも届かねえ存在。そいつは確かに存在するんだよ」
イグアスは言った。その言葉にどこか確信めいたものがあったのでエアシャカールは不思議に思った。
「なんでわかる」
「俺は0と1になったからな」
「はぁ?」
イグアスはすべてをあざ笑うように鼻で笑った。彼は、それで、と話を続ける。
「答えは完璧に出したんだろ? ならなぜてめえは走る。無意味だろ」
「それは……」
それは、とエアシャカールは思う。それはきっと、
「証明してェからだ。オレの論理を、オレの正しさを、オレの存在を」
ぎゅうとこぶしを握る。
「それになにより、勝ちてェからだ」
言葉に出すと、それがすとんと腑に落ちた。
無様にあがいて、もがき苦しんで、何度も計算をくり返し、幾度も絶望の海に浸り、それでも走るのをやめないわけ。
「勝ちてェんだよ」
絞り出すような声に、イグアスは組んでいた腕をほどいた。頭の後ろを掻く。
「計算の先に敗北しかないとしてもか」
「それでもオレはあがくしかねェんだ」
「そうかよ。ま、新しい答えが見つかることを祈ってるぜ」
それきり、イグアスはむっつりと黙り込んでしまった。
エアシャカールはコースに戻った。トレーニングの続きをしなければならない。
(クソ、余計なことを言った)
わずかに開かれた胸の内、それをイグアスに吐露してしまった。
言ったところで、何の解決にもならないだろうに。
あの燃え殻のような目、それを見てポツリと零してしまったのだ。
やはり、問題を解決するのは自分と相棒のParcaeしかいない。Parcaeは最善を提示している。ならば自分もそうしなければならない。
エアシャカールは走って、走って、それでもなお走った。算出された自分の限界まで追い込む。
理論値を逃さないこと、最善を尽くすこと、それしか自分に道はない。
そしてその道の先は行き止まりだ。
ならばどうすればいい。未だ答えは見つからなかった。
「おい、そのへんにしとけ」
走り続けるエアシャカールを止めたのはイグアスだった。
ふと周回数を見る。いつの間にか自分は予定よりだいぶ長い距離を走っていたらしい。考えに没頭していて気が付かなかった。
「そのへんにしとかないとケガすんぞ」
「分かってるよ。ちょっと走りすぎた。だけど必要以上に走ってるってなんで分かった?」
「てめえらのことは見てるからな。てめえがどの程度走れて、どこからリスクが出てくるかくらい分かる」
「意外だな。思いのほかちゃんと見てるじゃねェか」
「ロジカルに走ってるんじゃなかったのか? 限界を超えるってのも時には必要だが、ケガのリスクを抱えるほどはやり過ぎだ」
「興が乗っただけだ。普段はしねェ」
「だったらいい。今日は終わりにして帰れ」
それじゃあな、と言いおいてイグアスは去っていった。
イグアスがエアシャカールに出した初めての指示だった。