「レースプランを説明する」
エアシャカールがトレーナー室に入ってきて早々言った。ちょうど複数のレースのエントリー期間が始まった頃のことだった。
イグアスのタブレットにデータを送信し、画面が開かれたことを確認してから続けた。彼は椅子にどっかりと腰掛け、頬杖をついていたが、目はしっかりと画面を睨みつけている。
「いくつかレースはあるが……オレはこのレースに出る」
「ずいぶん控えめだな。てめえなら他のもっと大きなレースでもいいとこ狙えるだろ」
「まずは肩慣らしだ。本命の三冠のかかるレース、それに向けて徐々にハードルを上げていく算段だ」
「慎重なこった」
「データの結果、そいつが表れる。まずは一歩進んだっていう結果がな」
ふぅん、とイグアスは気のなさそうな返事を返した。頬杖をついていた手を外し、エアシャカールを軽く指差す。
「それで、何着を取れるんだ」
「もちろん一着だ」
即答した。その答えに満足したのかイグアスが頷く。続けるぞ、とエアシャカールは画面を切り替える。
「芝。右回り。距離二千メートル。コーナー四つ。最初のコーナーに向けて上り坂、コーナーを抜けたら平坦な直線、次のコーナーから最終コーナーにかけて緩やかな下り坂だ」
「どう走る」
「追込策を取る。スタミナを温存して、最終コーナーに向けての下り坂でスピードに乗って最大速度で最終直線を走り抜ける。けど、最終的には出走者のデータ次第だ。逃げで速いウマ娘がいたら、あまり距離を広げられないよう差しでのレースも視野に入れておく」
「なんだ。出るやつの情報もデータに入っているのかと思ったぜ」
「もちろん予想はデータに入ってる。が、実際にエントリー結果が出るまでは確定じゃねェ。常に最新のデータに更新し続けなきゃならねェ」
だから出走者が決まったらすぐに伝えろよ、とエアシャカールはイグアスを指差した。
イグアスが面倒くさそうに頷く。パソコンに向かい、エントリーの資料を作り始めた。
それからトレーニングに打ち込む日が数週間続いた。都度データを入力し直すが、次のレースの結果は変わらない。一着だ。その結果に満足しながらも油断はしない。確実に勝利を手にしていくことが、三冠への第一歩だと知っている。
「シャカール、エントリーのウマ娘が決まったぞ」
イグアスがリストを渡してきた。Parcaeに送信されたデータを見ていく。名前だけでなく、簡単な実績もまとめられていた。レースの運営はそこまで用意しないだろうから、イグアスによる意外と細やかな気遣いだと分かった。エアシャカールが一通り目を通してから口を開いた。
「新規登録のウマ娘が多いな」
「あぁ、そうだな。経験のあるウマ娘もいるが、実績から見てくすぶっているやつらだ。上のランクだが調整のために出てきたって感じのやつもいねえ。お前なら問題なく勝てるはずだ」
「だから言っただろ。一着だって」
「だから言っただろ。ずいぶん控えめだなって」
二人は皮肉の応酬に軽くにらみ合う。それからエアシャカールが鼻を鳴らした。
「データは揃った。あとはコンディションを整えて本番に臨むだけだ」
「おう、俺の仕事は終わりだ。あとはてめえ次第だ」
うまくやれ、とイグアスは去っていった。エアシャカールは拳を握る。三冠への第一歩がここから始まる。あとは証明するだけだ。
それからあっという間にレース当日を迎えた。
ゲートの位置も決まった。中央よりやや外側の位置だったが追込策を取るのに大きな支障はない。
待機場でストレッチをして時間になるのを待った。そばにはイグアスも居る。
周りを見れば、トレーナーと最終確認をする者、ストレッチをする者、目をつぶり集中力を高める者も居る。
エアシャカールがぐいと背を伸ばしたところで、イグアスが背を叩いてきた。
「確認しときてえ、障害になるやつはどいつだ」
「急だな。どうしたんだよ」
「いいから」
イグアスがじっと見る。その瞳に、常に無いわずかな火を感じ取り、エアシャカールは不思議に思った。それで、素直に答えることにした。
「あのボブカットの逃げウマ娘が脅威だ。あとはそこの紫髪のやつも先行策が得意で注意したほうがいいだろうな」
「そうか」
イグアスが腕を組み周囲を見渡す。その様子に眉をひそめた。
「おい、イグアス、なんだよ」
「ボブカットのやつは問題ねえ」
「はぁ?」
「見ろ。さっきから右脚のストレッチばかりやってる。何か脚に不安を抱えてる証拠だ。逃げる途中で失速するぞ」
言われてエアシャカールが彼女に目を向ければ、首をかしげながらしきりに右脚を曲げたり伸ばしたりしている。確かに本調子というわけではなさそうだった。
「そんで紫髪のやつは調子良さそうだ。あいつの実力は知らねえが、てめえが注意したほうがいいってんならそうなんだろう」
「おい……」
つらつらと言い出すイグアスにエアシャカールは不思議に思う。語りを止めようとしようとしたところで、彼はひとりのウマ娘を小さく指差した。
「それより気をつけたほうがいいやつが居る。あいつだ」
「あん? あいつはさほど問題ねェ。たいしたスピードもスタミナも無いぞ」
「問題はそこじゃねえ。あいつ重心がいやに左に寄ってる」
「……それが?」
「左に斜行しやすいってことだ。それで、あいつはてめえの右隣りのスタートだ」
「あ」
「最悪、スタート直後にぶつかるぞ」
言われてくだんのウマ娘に視線をやる。彼女は気合十分といった様子でストレッチをしている。彼女が障害になりうるだろうか。イグアスに再度目を戻す。
「ま、そんなところだ。うまくやれ」
話は終わりだとばかりに彼は目をつぶった。言いたいことだけ言って、それ以上はないらしい。エアシャカールはあごに手をやる。
彼の所見を計算に入れるべきだろうか。根拠のない勘というわけではなさそうだが、データというにはあいまいだ。レース直前のウマ娘の体癖を基にした分析ではある。しかしそれはイグアスの言ったことにすぎない。結局はそれをどこまで信用できるかという問題だ。
ふう、と短く息を吐いた。そう、結局は自分が何を信用するかだ。
レースプランを変えるほどではない。が、頭の片隅に入れておくくらいでいいだろう。
そう決めた。するとちょうどよくゲートに着く時間になったようで、ひとりずつウマ娘の名前が呼び出された。エアシャカールの名前も呼ばれる。体の前でこぶしと掌を叩きつけ、集中を高め直した。
ウマ娘たちがゲートに入る。エアシャカールも静かにゲートに入った。ちらりと右隣りを見やる。イグアスが注意すべきと言っていた彼女は、自信に満ち溢れた表情で前を向いていた。
まずは、自分の走りに集中すべきだ。気持ちを落ち着かせようと、ゆっくりとした呼吸をくり返す。集中力が高まっていくにつれ、周りの音が遠くなっていく。自分の心音とわずかな呼吸音が響く。
それから一秒、二秒。
ゲートが開く。並んだウマ娘たちが一斉に飛び出した。