ローダーフォー。
Parcaeの計算を変えた者。
そういう何かを持っている存在。
エアシャカールの記憶にはない名前だ。イグアスに聞いてもそれは同じで、やはり目立った活躍はしていないらしい。
調べてみれば、最近地方から中央へ移ってきたウマ娘だと知れた。それもかなり小さなところの出身のようで、映像記録すら残っていない。
では、トレーニングの様子を偵察しようかと考えたが、どこにいるのかも分からない。
エントリー資料の顔写真のどこかぼんやりとした目が、エアシャカールを見返していた。
「なんでParcaeは計算を変えた?」
エアシャカールが苛立たしげに声をあげた。
「エントリー資料くらいしかデータがねェ。戦型もなにもかも分からねェ」
「俺もトレーナーに当たってみたが誰も知らないらしい。担当のやつは相当秘匿しているみたいだな」
「データが足りねェ。体形は小柄だから集団の中を割って行くタイプじゃ無さそうだが……」
ふたりしてローダーフォーとやらのエントリー資料と過去のレコードを並べ推論を言い合う。
「なァ、イグアス。そいつを見ればどう走るか分かるか?」
「分かるわけねえだろ。俺は魔法使いじゃねえんだぞ。俺にできるのは装備や動きを観察してどういう癖があるか見極めるくらいだ」
そうやって削り勝ってきたんだよ、と彼は付け加える。
削り勝つ? と思ったが黙っていた。イグアスはさらにエアシャカールに問いかける。
「このレースの結果は変わったみてえだが、大局はどうなんだ? 例の7cmはよ」
「そっちには変化なしだ。このレースだけ一着から二着に変化してる。他はプラスにもマイナスにも動いてねェ」
「なら、このレースは気にしなくてもいいって考え方はできねえか? 影響は無いんだろ?」
「いやまあ、そうかもしれねェが……」
ずいぶんと弱気な考え方だとは思う。
大局に変化がなくとも、勝てるなら勝ちたい。勝利への渇望が無いわけではないのだ。
そう思い黙り込んでいると、内心が伝わったのかイグアスが頭をかいた。
「いや、わりぃ。野暮なことを聞いた。ただ、一旦そいつのことについて考えるのは後にしようぜ」
「まあデータが無いのにうだうだ悩んでもしょうがねェか。まずは自分の力とコンディションを上げるのに集中すべきだ」
そう結論づけたエアシャカールにイグアスも同意する。
「お前はトレーニングを進めておけ。結局レース前には顔を合わせることになる。そこで何か分かることもあるだろうよ」
ああ、と頷いてエアシャカールはトレーナー室を出ていった。
レース当日になっても、結局ローダーフォーの情報は集まらなかった。イグアスが冗談まじりに実在すら疑問に思ったほどだ。データ不足の中、自分たちは走らなければならない。
控室で入念にストレッチをして、イグアスと共にレース前のウマ娘の集まる待機場へ出ていく。
すると、ドアを開けた途端、待っていたかのようにひとりのウマ娘がいた。
小さな体躯と、どこか遠くを見たようなぼんやりとした目。謎のウマ娘、ローダーフォーだった。
彼女はエアシャカールのほうには目もやらず、イグアスのほうだけをじっと見る。
調査しても実態がつかめず、注意すべきと意識していた彼女が現れたことに、ふたりは面食らった。
お前は、とエアシャカールが小さくつぶやく。彼女はその呟きを気にもせずイグアスに向かった。
「久しぶり、イグアス」
その言葉に、エアシャカールがイグアスに目をやる。名前を聞いたことがないと言っていたが、知り合いなのだろうか。
イグアスはけげんそうに眉をひそめた。
「あん? てめえローダーフォーだろ? てめえなんぞに会ったことねえぞ」
「覚えてない? 私だよ。ガリア多重ダムで会った」
「は?」
「私だよ、イグアス。
覚えてない? と彼女は小首を傾げた。
イグアスは目を見開き口をパクパクと動かしている。
「な、てめ……、え、はあ?」
イグアスは彼女を指さす。
「野良犬!?」
叫びをあげたイグアスに、彼女はにこりとほほ笑んだ。
一方で、訳が分からないのはエアシャカールだ。
どうやらふたりは顔見知りではあるようだが、ちっとも話が分からない。自分の頭越しにかわされるやり取りについていけない。いらだち交じりに声を上げる。
「おい、イグアス。どういうこったよ」
「いや……こいつは……」
「イグアスとは昔なじみ。四回もやり合った」
「ヤ? ……はァ!? おい! イグアス! お前!」
「違ぇ! おい野良犬! 変な言い回ししてんじゃねえぞ!」
「……?」
こてんと首を傾げる彼女は、ぱんと両手を合わせた。
「殺り合うはこの平和な場所じゃ良くなかったね。うーん、殴り合う……? そのぐらいの表現だったら大丈夫?」
と、ひとりで勝手に納得したようでそう顔をほころばせる。
「……おい、イグアス。説明しろ。こいつは話が通じねえ」
「……前言っただろ。辺境の地の資源争奪戦。こいつはそこにいたロクデナシのひとりだ」
「はァ? こんなガキがか?」
「……とにかく。おい、野良犬、てめえなんでこんなとこにいやがる」
「さあ? あのあと気付いたらここに流れていた。きっとあなたと同じ」
空とぼけたような返答に、イグアスはしばらく黙り込む。それから忌々しげに舌を打った。
そこで彼女は初めてエアシャカールのほうを一瞥した。頭の上からつま先までをさっと流し見て、すぐに興味を失ったかのようにイグアスに目を戻す。
「それが新しいあなたの相棒? そんなんじゃ駄目だよ」
その言葉が何を意味しているのかは分からなかったが、舐められていることだけははっきりした。エアシャカールは一歩詰め寄る。
「おい、お前。イグアスとどんな因縁があったかは知らねェが、あまりオレのことを舐めんなよ」
「ふ、あなたじゃイグアスの隣にふさわしくない。全然怖くないね」
茫洋とした目はエアシャカールを捉えているのかどうかはっきりしない。彼女はやはり、イグアスのほうに顔を向ける。
「イグアス。私はここ、ここに居る。またやろう」
それじゃあ、と彼女は立ち去っていった。
マイペースというか何というか、よく分からないウマ娘だ。
だがしかし、エアシャカールにとって良い材料がある。
イグアスは彼女のことを知っている。何か使えるデータが有るかもしれない。そう思い彼に水を向ける。
「イグアス、あいつ、どういうウマ娘だ? 会ってるんだろ?」
「……」
「おい、イグアス」
去っていったローダーフォーのほうを向いていたイグアスが、呼びかけにこちらを向き直る。
その目はいつものダルそうなものと違い、まっすぐにエアシャカールを捉えた。
「エアシャカール。お前、7cmがどうしても埋められないって言ってたよな。どう計算しても変わらない7cmがあるって」
「ン、あァ。そうだな。急にどうした」
「不変の結果なんて何のことか分からなかったが、今はっきり分かった」
イグアスの目が火を灯す。
「あいつが、てめえの『7cm』だ」