あいつが、ローダーフォーが、オレの7cmだとイグアスは言った。
確信を持って言われたその言葉は、ゲートに着いた自分のしこりとなっている。
ちらりと彼女のほうを見れば、やはりどこを見ているのか分からない目で前方を見ていた。特別、こちらを意識している様子はない。
そのことにやはり腹が立った。
(自信があるンだかなンだか知らねェが、オレが喰い千切ってやる)
ゲートが開き、レースが始まる。
エアシャカールはいつも通りの追込策だ。一方で、ローダーフォーは差しで走るようで、集団のやや後方に着けている。
集団を引っ張る者がいない。
レースはややスローペースで進んでいた。こうなると誰が仕掛けるかの我慢のレースになる。仕掛けが早すぎると後からスパートをかけた者に抜かれてしまうし、逆に遅すぎると先行がそのまま逃げ切ってしまう。
ローダーフォーはゆるゆると集団の後方で機を伺っている。
その様子は特段目を見張るものもない。普通のウマ娘といった印象だ。自分からペースを上げてレースをかき回そうという気は無いらしい。
誰かが、口火を切らねばならない。
我慢比べに負けた誰かが。
レースも中盤、ついにしびれを切らした中団にいたウマ娘がスピードをあげた。それに呼応するように全体のペースも上がっていく。
エアシャカールはまだ早いと判断した。まだ勝負どころではない。
一方でローダーフォーは機敏に反応した。後方から一気に加速し集団の前方まで躍り出る。
(みんな慌てすぎだ。これは最後まで持たねェ)
最終コーナー、ペースをあげたウマ娘たちの伸びが悪い。エアシャカールにとっては好機だ。温存していたスタミナで、一気に加速し追い上げる。
集団を抜き、ローダーフォーを抜き、逃げていたウマ娘を抜き、トップに立つ。
エアシャカールは後ろをちらりと見た。他のウマ娘たちは自分のペースについてこれていない。そしてローダーフォーの姿も見えない。
集団に飲み込まれたのだろう。
エアシャカールは前を向き直り、心の中で鼻を鳴らした。
(デカい口きいてた割にはたいしたことねェ。この程度か)
その時、耳に足音が飛び込んできた。
足音が四つ聞こえる。まるで四つ足の動物かのように地面を叩く音が聞こえる。
足音が二つ多い。
そこで気づく。ローダーフォーは集団の中ではない。
自分の真後ろにいる。
後ろに目をやった時には自分の背中で隠れて気づかなかったのだ。
彼女は自分の背にくっつくのではないかという距離に詰めている。
気づいた瞬間、ローダーフォーからの冷たい視線を全身で感じた。殺気のようなそれがエアシャカールの体を突き刺す。
エアシャカールの体中から冷たい汗が吹き出る。
(このっ、なんとか離さねェと抜かれる!)
ゴールまでは百メートルほどか。
ゴールまでがいやに遠く感じる。それでも最大速度で駆け抜けるしかない。
大地を蹴りつける。足音が響く。どんなに速度を出そうと、四つの足音が離れることはない。
そしてそれは、彼女がこちらに付いてくるのに精一杯で、そのせいで抜かれていないというわけではない。
じっと観察されている空気をひしひしと感じる。
(は、離せねェ! 逆にこっちが飲み込まれる!)
エアシャカールの伸びが鈍ったところで、ローダーフォーが一気に速度をあげた。追い抜くのにかかる時間はほんの僅かだった。
それまで競り合っていたのが嘘のような一瞬の攻防に、観客が声を上げる。
ローダーフォーについて行けないエアシャカールを尻目に、彼女はゴールを駆け抜けた。
数メートルはあろうかという差だった。
ゴールを抜け、エアシャカールは膝に手を当て肩で息をする。一方でローダーフォーは涼しい顔で歓声を一身に受けていた。
両手を軽く広げ、ゆっくりと回転する。
その様子は、歓声に応えているようにも、誰かに向けて自分の存在を誇示しているかのようにも見えた。
控え室に戻ると、イグアスが腕を組んで待っていた。エアシャカールは汗を拭いていたタオルを床に投げつける。
「くそっ」
思い出すのはあの冷たい視線だ。
「あいつ、まだ余裕が有りやがった。余力を残してオレたちを叩きつぶしやがった」
「ああ」
「イグアス、あいつはなんなんだ」
イグアスはわずかに息を吐いた。
「イレギュラーだ。そういうヤツがいる。どんなプランも、誰の秩序もなにもかも壊しちまうヤツ。全てを焼き尽くす黒い鳥。それがあいつだ」
イレギュラー。黒い鳥。
「イレギュラー? そんなもン……、そんなもン認められるか! 全ては数字の上に成り立つンだ! 埒外の存在だと!? そんなもンは存在しねェ!」
「ああ、てめえは嫌いだよな、そういうの。でもな、存在するんだよ。どんな完璧な計算もぶっ壊しちまうやつがな」
「……7cm足りねェとParcaeは計算した。どんなに数値を入れ替えても絶対に7cm足りねェと。それはあいつが計算外の存在だからだって言うのか?」
「……」
「くそっ」
エアシャカールはそう吐き捨てた。椅子に座り込み頭を抱える。
どうすればいい。自分の計算は絶対のものだ。そしてその絶対を塗りつぶす存在がいる。
認められない、そんなもの存在してはならない。
頭の中がごちゃごちゃだ。
自分の計算が壊されていくのを感じる。それはただ負けたからではなく、彼女の質の違いに薄々感づいているからだ。
だが、それでも自分はその壁を越えねばならない。その先にしか三冠は存在しないのだ。
三冠。その言葉を意識した瞬間、萎えかけていた心に再び小さな火がともった気がした。
「計算しなおす。オレにはそれしかねェ」
ローダーフォー。乗り越えなければならない敵。
自分は越えられるのだろうか。
エアシャカールの壁は低いようでとてつもなく高い
ルビコンの壁は何メートルだったっけ
あの世界は文字通り桁が違うねえ